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カテゴリ:夏目漱石
古寺に鰯焼くなり春の宵 漱石(明治29) 鰯は、本来なら秋の季語です。しかし、この句には「春の宵」という季節をあらわした語がありますから「鰯焼く」で目指しを連想させ、春をさらにイメージさせています。 魚嫌いの漱石で、特に白身の魚は淡白で嫌いでした。ならば、青魚はどうだったのでしょうか。脂ののった鰯なら、漱石の好みにあったのかもしれません。 漱石作品では『硝子戸の中』『永日小品』に鰯が登場します。 益さんがどうしてそんなに零落(おちぶ)れたものか私には解らない。何しろ私の知っている益さんは郵便脚夫であった。益さんの弟の庄さんも、家を潰して私の所へ転ころがり込んで食客(いそうろう)になっていたが、これはまだ益さんよりは社会的地位が高かった。小供の時分本町の鰯屋(いわしや)へ奉公に行っていた時、浜の西洋人が可愛かわいがって、外国へ連れて行くと云ったのを断ったのが、今考えると残念だなどと始終しじゅう話していた。(硝子戸の中 26) ある時妙なものを持って来てくれた。菊の花を乾して、薄い海苔の様に一枚々々に堅めたものである。精進の畳鰯だといって、居合せた甲子が、早速浸しものに湯がいて、著を下しながら、酒を飲んだ。(永日小品 山鳥) ただ、『永日小品』に登場する「鰯屋」は、魚屋ではありません。「鰯屋」は、徳川家康が江戸入府した折に、大阪から随行した網元が江戸の店で始めたといわれる老舗です。江戸時代後期には日本橋の本町で薬問屋を営業していました。明治になって、西洋医学が導入されると、医療器械を取り扱うようになったといいます。現在も残る、医療機器メーカーの「いわしや」は、暖簾分けされた上山新七が、大正3年に東京大学赤門前で開いた会社だそうです。
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最終更新日
2021.04.05 19:00:06
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