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カテゴリ:夏目漱石
鳥つゝいて半うつろのあけび哉 漱石(明治43) この句は、漱石が修善寺の体感から救われた明治43年10月6日の日記に登場しています。 十月六日〔木〕 快晴。心地よし。昨夜眠穏。 冷かや人寝静まり水の音 昨日森成さん畠山入道とかの城跡へ行って帰りにあけびというものを取ってくる。ぼけ茄子の小さいのが葡萄のつるになっているよう也。うまいよし。女郎花と野菊を沢山取ってくる。茎黄に花青く普通にあらず。野菊が砂壁に映りて暗き所に星の如くにむらがる。 的礫と壁に野菊を照し見る 鳥つついて半うつろのあけび哉 昨日べアリングの『露文学』を読み出す。一昨日にて『現今哲学』読了。 天下自多事 被吹天下風 高秋知鬢白 衰病夢顔紅 懐友讎無到 読書道不窮 病躯猶裏骨 慎勿妄磨龍(明治43年10月6日 漱石日記) このあけびのことは、『思い出す事など』にも出てきます。 桂川の岸伝いに行くといくらでも咲いているというコスモスも時々病室を照らした。コスモスはすべてのうちで最も単簡でかつ長く持った。余はその薄くて規則正しい花片と、空に浮んだように超然と取り合わぬ咲き具合とを見て、コスモスは干菓子に似ていると評した。なぜですかと聞いたものがあった。範頼の墓守の作ったという菊を分けて貰って来たのはそれからよほど後のことである。墓守は鉢に植えた菊を貸して上げようかといったそうである。この墓守の顔も見たかった。しまいには畠山の城址からあけびというものを取って来て瓶に挿んだ。それは色の褪めた茄子の色をしていた。そうしてその一つを鳥が啄いて空洞にしていた。――瓶に挿さす草と花がしだいに変るうちに気節はようやく深い秋に入いった。 日似三春永。 心随野水空。 牀頭花一片。 閑落小眠中。(思い出す事など 30) 漱石の心に、あけびが焼きついていたのか、修善寺を離れる時、お土産としてあけびの寄木細工の箱を買って帰ります。 十月十日〔月〕 陰。 昨夜、寄木細工を取り寄せて色々見る。箱を三つ買う。皆婦人趣味なり。あけびの箱を買う。また誂えた樟の烟草盆と烟草箱が一昨日出来上る。 いよいよ明日東京へ帰れると思うと嬉しい。 客夢回時一鳥鳴 夜来山雨暁来晴 孤峰頂上孤松色 早映紅暾欝々明 足腰の立たぬ案山子を車かな 昨夜見やげものなどを買うことを相談する。やるとなると何処も彼処もやらなければならぬので大変になる。細君がなるたけ葉書入と修善寺飴と柚羊羹で間に合せて置こうという。それもよかろうという。 神代杉の文庫とあけびの藍を買って池辺・渋川両氏にや更に桑の硯箱を坂元に縮緬の兵児帯を添えてやることにする。 骨ばかりになりて案山子の浮世かな 扶け起す案山子の足〔以下なし〕(明治43年10月10日 漱石日記) 漱石作品にあけびが登場するのは『明暗』で、「通草」と書かれています。蔓の伸びたあけびを庭に植えようとする植木屋との会話に出てきますが、まるで生きるために手を伸ばしているような雰囲気の文です。 岡本の邸宅へ着いた時、お延はまた偶然叔父の姿を玄関前に見出だした。羽織も着ずに、兵児帯をだらりと下げて、その結び目の所に、後へ廻した両手を重ねた彼は、傍で鍬を動かしている植木屋としきりに何か話をしていたが、お延を見るや否や、すぐ向うから声を掛けた。 「来たね。今庭いじりをやってるところだ」 植木屋の横には、大きな通草の蔓が巻いたまま、地面の上に投げ出されてあった。 「そいつを今その庭の入口の門の上へ這わせようというんだ。ちょっと好いだろう」 お延は網代組の竹垣の中程にあるその茅門を支えている釿(ちょうな)なぐりの柱と丸太の桁を見較べた。(明暗 60)
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最終更新日
2021.07.25 19:00:07
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