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カテゴリ:夏目漱石
秋暑し癒なんとして胃の病 漱石(明治32) 酸多き胃を患いてや秋の雨 漱石(明治40) 秋風や日々の入りたる胃の袋 漱石(明治43) 漱石の生涯は、胃病との戦いでした。そのため、漱石作品や日記、書簡などに、胃潰瘍や胃酸過多、胃弱など胃病に関する言葉が登場します。 漱石は、若い時は健啖家だったのですが、牛肉を中心とした食生活が悪かったのか、そのために胃酸過多で悩むようになります。 これらの胃病の特徴は、自らをモデルとした苦沙弥先生が登場する『吾輩は猫である』に数多く出てきます。 『それから』には、代助のアンニュイな気分を胃病を例にして説明しています。 彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色を帯びて弾力のない不活溌な徴候をあらわしている。その癖に大飯を食う。大飯を食ったあとでタカジヤスターゼを飲む。飲んだ後で書物をひろげる。二三ページ読むと眠くなる。涎を本の上へ垂らす。これが彼の毎夜繰り返す日課である。(吾輩は猫である 1) 神田の某亭で晩餐を食う。久し振りで正宗を二三杯飲んだら、今朝は胃の具合が大変いい。胃弱には晩酌が一番だと思う。タカジヤスターゼは無論いかん。誰が何といっても駄目だ。どうしたって利かないものは利かないのだ。 無暗にタカジヤスターゼを攻撃する。独りで喧嘩をしているようだ。今朝の肝癪がちょっとここへ尾を出す。人間の日記の本色はこういう辺に存するのかも知れない。 せんだって○○は朝飯を廃すると胃がよくなるというたから二三日朝飯をやめて見たが腹がぐうぐう鳴るばかりで功能はない。△△は是非香の物ものを断てと忠告した。彼の説によるとすべて胃病の源因は漬物にある。漬物さえ断てば胃病の源をからす訳だから本復は疑なしという論法であった。それから一週間ばかり香の物に箸を触れなかったが別段の験も見えなかったから近頃はまた食い出した。××に聞くとそれは按腹揉療治に限る。ただし普通のではゆかぬ。皆川流という古流な揉み方で一二度やらせれば大抵の胃病は根治出来る。安井息軒も大変この按摩術を愛していた。坂本竜馬のような豪傑でも時々は治療をうけたというから、早速上根岸まで出掛けて揉まして見た。ところが骨を揉まなければ癒らぬとか、臓腑の位置を一度顛倒しなければ根治がしにくいとかいって、それはそれは残酷な揉み方をやる。後で身体が綿のようになって昏睡病にかかったような心持ちがしたので、一度で閉口してやめにした。A君は是非固形体を食うなという。それから、一日牛乳ばかり飲んで暮して見たが、この時は腸の中でどぼりどぼりと音がして大水でも出たように思われて終夜眠れなかった。B氏は横膈膜で呼吸して内臓を運動させれば自然と胃の働きが健全になる訳だから試しにやって御覧という。これも多少やったが何となく腹中が不安で困る。それに時々思い出したように一心不乱にかかりはするものの五六分立つと忘れてしまう。忘れまいとすると横膈膜が気になって本を読むことも文章をかくことも出来ぬ。美学者の迷亭がこの体を見て、産気のついた男じゃあるまいし止すがいいと冷かしたからこの頃は廃してしまった。C先生は蕎麦を食ったらよかろうというから、早速かけともりをかわるがわる食ったが、これは腹が下くだるばかりで何等の功能もなかった。余は年来の胃弱を直すために出来得る限りの方法を講じて見たがすべて駄目である。ただ昨夜寒月と傾けた三杯の正宗はたしかに利目がある。これからは毎晩二三杯ずつ飲むことにしよう。(吾輩は猫である 2) しかし自分が胃病で苦しんでいる際だから、何とかかんとか弁解をして自己の面目を保とうと思ったものと見えて、「君の説は面白いが、あのカーライルは胃弱だったぜ」とあたかもカーライルが胃弱だから自分の胃弱も名誉であるといったような、見当違いの挨拶をした。すると友人は「カーライルが胃弱だって、胃弱の病人が必ずカーライルにはなれないさ」と極きめ付けたので主人は黙然としていた。かくのごとく虚栄心に富んでいるものの実際はやはり胃弱でない方がいいと見えて、今夜から晩酌を始めるなどというのはちょっと滑稽だ。(吾輩は猫である 2) 本郷の通りまで来たが倦怠(アンニュイ)の感は依然としてもとの通りである。何処をどう歩いても物足りない。といって、人の宅を訪ねる気はもう出ない。自分を検査してみると、身体全体が、大きな胃病の様な心持がした。四丁目からまた電車へ乗って、今度は伝通院前まで来た。車中で揺られるたびに、五尺何寸かある大きな胃嚢の中で、腐ったものが、波を打つ感じがあった。(それから 8)
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最終更新日
2021.09.23 19:00:07
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