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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2021.10.29
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カテゴリ:夏目漱石
 船頭はゆっくりゆっくり漕いでいるが熟練は恐しいもので、見返えると、浜が小さく見えるくらいもう出ている。高柏寺の五重の塔が森の上へ抜け出して針のように尖ってる。向側を見ると青嶋が浮いている。これは人の住まない島だそうだ。よく見ると石と松ばかりだ。なるほど石と松ばかりじゃ住めっこない。赤シャツは、しきりに眺望していい景色だと云ってる。野だは絶景でげすといってる。絶景だか何だか知らないが、いい心持ちには相違ない。ひろびろとした海の上で、潮風に吹かれるのは薬だと思った。いやに腹が減る。「あの松を見たまえ、幹が真直で、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だにいうと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。ターナーとは何のことだか知らないが、聞かないでも困らないことだから黙っていた。舟は島を右に見てぐるりと廻った。波は全くない。これで海だとは受け取りにくいほど平らだ。赤シャツのお陰ではなはだ愉快だ。出来ることなら、あの島の上へ上がってみたいと思ったから、あの岩のある所へは舟はつけられないんですかと聞いてみた。つけられんこともないですが、釣をするには、あまり岸じゃいけないですと赤シャツが異議を申し立てた。おれは黙ってた。すると野だがどうです教頭、これからあの島をターナー島と名づけようじゃありませんかと余計な発議をした。赤シャツはそいつは面白い、吾々われわれはこれからそういおうと賛成した。この吾々のうちにおれもはいってるなら迷惑めいわくだ。おれには青嶋でたくさんだ。(坊っちゃん 5)
 
 このゆえに天然にあれ、人事にあれ、衆俗の辟易して近づきがたしとなすところにおいて、芸術家は無数の琳琅を見、無上の宝璐を知る。俗にこれを名なづけて美化という。その実は美化でも何でもない。燦爛たる彩光は、炳乎として昔から現象世界に実在している。ただ一翳眼に在って空花乱墜するが故に、俗累の覊絏牢として絶ちがたきが故に、栄辱得喪のわれに逼まること、念々切せつなるが故に、ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず、応挙が幽霊を描くまでは幽霊の美を知らずに打ち過ぎるのである。(草枕 3)
 
「御嫌いか」と下女が聞く。
「いいや、今に食う」といったが実際食うのは惜しい気がした。ターナーがある晩餐の席で、皿に盛るサラドを見詰めながら、涼しい色だ、これがわしの用いる色だと傍の人に話したという逸事をある書物で読んだことがあるが、この海老と蕨の色をちょっとターナーに見せてやりたい。いったい西洋の食物で色のいいものは一つもない。あればサラドと赤大根ぐらいなものだ。滋養の点からいったらどうか知らんが、画家から見るとすこぶる発達せん料理である。(草枕 4)
 
 ターナーは、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーといい、イギリスの画家、版画家、水彩画家です。海に波が荒々しく起こる海洋風景画の作品で知られています。
 ターナーは、ロマン主義の作家で、イギリスの有力批評家ジョン・ラスキンから支持され、イギリスの巨匠の地位を確立し、「光の画家」ともいわれます。生涯に2000点以上の絵画、1万9000点のドローイング作品やスケッチを残しています。
 
 漱石作品では、島の風景を見て赤シャツが、この風景がターナーのようだといい、野だいこがそれを受けて「ターナー島と呼びましょう」と、おべっかをいうシーンで知られています。
 赤シャツが島を見てなぜターナーのようだといったのかというと、「チャイルド・ハロルドの巡礼」や「金枝」のような枝振りの松が島にあったためでしょう。
 
 また、『草枕』の「ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず」というのは、蒸気機関車を描いた「雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道」を示しています。
 
 ターナーが生まれたのはロンドンのコヴェント・ガーデンのメイデン・レーンで、中産階級の下の方であったため、コックニー訛りが強く、人前に出ることが嫌いでした。しかし、天賦の絵の才能のため、14歳のときに王立美術大学に入学し、大学生だった21歳のときに初個展を開催しました。また、建築設計の仕事や画廊経営、透視投影図法の教師など、様々な顔を持ちます。ただし、孤独を好むとともに、奇行が多く、問題の多い生涯でした。1851年76歳でロンドンで死去し、遺体はロンドンのセント・ポール大聖堂に埋葬されています。





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最終更新日  2021.10.29 19:00:06
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