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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2021.11.17
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カテゴリ:夏目漱石
『草枕』にミケランジェロは「ミケルアンゼロ」として登場します。
 
 基督(キリスト)は最高度に芸術家の態度を具足したるものなりとは、オスカー・ワイルドの説と記憶している。基督は知らず。観海寺の和尚のごときは、まさしくこの資格を有していると思う。趣味があるという意味ではない。時勢に通じているという訳でもない。彼は画という名のほとんど下すべからざる達磨の幅を掛けて、ようできたなどと得意である。彼は画工に博士があるものと心得ている。彼は鳩の眼を夜でも利くものと思っている。それにも関らず、芸術家の資格があるという。彼の心は底のない嚢のように行き抜けである。何にも停滞ていたいしておらん。随処に動き去り、任意に作なし去って、些の塵滓の腹部に沈澱する景色がない。もし彼の脳裏に一点の趣味を貼し得たならば、彼はゆく所に同化して、行屎走尿の際にも、完全たる芸術家として存在し得るだろう。余のごときは、探偵に屁への数を勘定される間は、とうてい画家にはなれない。画架に向うことは出来る。小手板を握ることは出来る。しかし画工にはなれない。こうやって、名も知らぬ山里へ来て、暮れんとする春色のなかに五尺の痩躯を埋めつくして、始めて、真の芸術家たるべき態度に吾身を置き得るのである。一たびこの境界に入れば美の天下はわが有に帰する。尺素を染めず、寸縑を塗らざるも、われは第一流の大画工である。技において、ミケルアンゼロに及ばず、巧たくみなることラフハエルに譲ることありとも、芸術家たるの人格において、古今の大家と歩武を斉しゅうして、毫も遜るところを見出し得ない。余はこの温泉場へ来てから、まだ一枚の画もかかない。絵の具箱は酔興に、担いできたかの感さえある。人はあれでも画家かと嗤うかもしれぬ。いくら嗤われても、今の余は真の画家である。立派な画家である。こういう境を得たものが、名画をかくとは限らん。しかし名画をかき得る人は必ずこの境を知らねばならん。(草枕 12)
 
 那古井の里に来てから一枚の絵を描くことをしない画工は、自らの技術をミケランジェロと並べます。
 当時の日本では、あまり知られていなかったルネサンスの巨匠・ミケランジェロですが、漱石は洋行の時に感銘を受けたのか、とても深い理解を示しています。
 
『夢十夜』の運慶のさばきを見た人が、「あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ」という言葉は、ミケランジェロの「私は大理石の中に天使を見、そしてこの天使を自由にしてやるために彫った」という言葉を思い出させます。
 
 運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいるという評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。
 山門の前五六間の所には、大きな赤松があって、その幹が斜めに山門の甍を隠して、遠い青空まで伸びている。松の緑と朱塗の門が互いに照り合ってみごとに見える。その上松の位地が好い。門の左の端を眼障りにならないように、斜に切って行って、上になるほど幅を広く屋根まで突出しているのが何となく古風である。鎌倉時代とも思われる。
 ところが見ているものは、みんな自分と同じく、明治の人間である。そのうちでも車夫が一番多い。辻待ちをして退屈だから立っているに相違ない。
「大きなもんだなあ」といっている。
「人間を拵えるよりもよっぽど骨が折れるだろう」ともいっている。
 そうかと思うと、「へえ仁王だね。今でも仁王を彫るのかね。へえそうかね。わっしゃまた仁王はみんな古いのばかりかと思ってた」といった男がある。
「どうも強そうですね。なんだってえますぜ。昔から誰が強いって、仁王ほど強い人あ無いっていいますぜ。何でも日本武尊よりも強いんだってえからね」と話しかけた男もある。この男は尻を端折って、帽子を被らずにいた。よほど無教育な男と見える。
 運慶は見物人の評判には委細頓着なく鑿と槌を動かしている。いっこう振り向きもしない。高い所に乗って、仁王の顔のあたりをしきりに彫り抜ぬいて行く。
 運慶は頭に小さい烏帽子のようなものを乗せて、素袍だか何だかわからない大きな袖を背中で括くっている。その様子がいかにも古くさい。わいわいいってる見物人とはまるで釣り合が取れないようである。自分はどうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。どうも不思議なことがあるものだと考えながら、やはり立って見ていた。
 しかし運慶の方では不思議とも奇体ともとんと感じ得ない様子で一生懸命に彫っている。仰向いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、
「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我われとあるのみという態度だ。天晴だ」といって賞め出した。
 自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、
「あの鑿と槌の使い方を見たまえ。大自在の妙境に達している」といった。
 運慶は今太い眉を一寸の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を竪に返すや否や斜に、上から槌を打ち下した。堅い木をひと刻みに削って、厚い木屑が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻のおっ開いた怒り鼻の側面がたちまち浮き上がって来た。その刀の入れ方がいかにも無遠慮であった。そうして少しも疑念を挾しはさんでおらんように見えた。
「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のようにいった。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」といった。
 自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできることだと思い出した。それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから見物をやめてさっそく家へ帰った。
 道具箱から鑿と金槌を持ち出して、裏へ出て見ると、せんだっての暴風で倒れた樫を、薪にするつもりで、木挽に挽かせた手頃な奴が、たくさん積んであった。
 自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てることができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、どれもこれも仁王をかくしているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋まっていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。(夢十夜 第六夜)






最終更新日  2021.11.17 19:00:05
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