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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2021.11.19
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カテゴリ:夏目漱石
 原口さんはこの時はじめて、黒い絵の方を向いた。野々宮さんはそのあいだぽかんとして同じ絵をながめていた。
「どうです。ベラスケスは。もっとも模写ですがね。しかもあまり上できではない」と原口がはじめて説明する。野々宮さんはなんにもいう必要がなくなった。
「どなたがお写しになったの」と女が聞いた。
「三井です。三井はもっとうまいんですがね。この絵はあまり感服できない」と一、二歩さがって見た。「どうも、原画が技巧の極点に達した人のものだから、うまくいかないね」
 原口は首を曲げた。三四郎は原口の首を曲げたところを見ていた。(三四郎 8)
 
 ヴェラスケスは、ルーベンス、レンブラントと並ぶバロック三大巨匠の一人で、17世紀スペインバロック期に最も活躍した宮廷画家といわれています。セビーリャでパチェーコに師事した後、1623年国王フェリペ4世の専属画家となり、生涯の大半を宮廷画家として首都マドリッドで過ごしました。
 もう一人のバロックの巨匠ピーテル・パウル・ルーベンスとの交流や、2度にわたるイタリア旅行により、古典主義と空間表現を取り入れた技法は、スペイン絵画独自の写実主義的陰影法を発展させました。またベラスケスは、国王一家を始め、多くの宮廷人、知識人を描いた肖像画家としても知られます。漱石の生きた時代には、写実主義か台頭したため、一時落ちていた絵の評判が、再評価されるようになりました。
 
 漱石は、『創作家の態度』と『文学論』でヴェラスケスに言及していますが、ラファエロやミケランジェロ、レンプラントに並ぶ偉大な画家として尊敬しています。
 
 日本の絵画のある派は西洋へ渡って向うの画家にはなはだ珍重されているし、また日本からはわざわざ留学生を海外に出して西洋の画を稽古しています。そうして御互に敬服しあっています。両方で及ばないところがあるからでしょう。それは、どうでも善いが、日本の画を元のままで抛っておいて、西洋の画を今の通りで遣っておいたら、両方の歴史がいつか一度は、どこかで出逢うことがあるでしょうか。日本にラファエルとかヴェラスケスのような人間が出て、西洋に歌麿や北斎のごとき豪傑があらわれるでしょうか。ちと無理なようであります。それよりも適当な解釈は、西洋にラファエルやヴェラスケスが出たればこそ今日のような歴史が成立し、また歌麿や北斎が日本に生れたから、浮世絵の歴史がああいう風になったと逆に論じて行く方がよくはないかと存じます。したがってラファエルが一人出なかったら、西洋の絵画史はそれだけ変化を受けるし、歌麿がいなかったら、風俗画の様子もよほど趣が異なっているでしょう。すると同じ絵の歴史でもラファエルが出ると出ないとで二通り出来上ります。(事実が一通り、想像が一通り)風俗画の方もその通り、歌麿のあるなしで事実の歴史以外にもう一つ想像史が成立する訳であります。ところでこのラファエルや歌麿は必ず出て来なければならない人間であろうか。神の思召しだといえばそれまでだが、もしそういう御幣を担がずに考えて見ると、三分の二は僥倖で生れたといっても差支えない。もしラファエルの母が、ラファエルの父の所へ嫁に行く代りにほかの男へ嫁いだら、もうラファエルは生れっこない。ラファエルが小さい時腕でも挫いたら、もう画工にはなれない。父母が坊主にでもしてしまったら、やはりあれだけの事業はできない。よしあれだけの事業をしても生涯人に知らせなかったらけっして後世には残らない。して見ると西洋の絵画史が今日の有様になっているのは、まことに危うい、綱渡りと同じような芸当をして来た結果といわなければならないのでしょう。少しでも金合かねあいが狂えばすぐほかの歴史になってしまう。議論としてはまだ不充分かも知れませんが実際的には、前に云ったような意味から帰納して絵画の歴史は無数無限にある、西洋の絵画史はその一筋である、日本の風俗画の歴史も単にその一筋に過ぎないという事が云われるように思います。これは単に絵画だけを例に引いて御話をしたのでありますが、必ずしも絵画には限りますまい。文学でも同じ事でありましょう。同じ事であるとすると、与えられた西洋の文学史を唯一の真と認めて、万事これに訴えて決しようとするのは少し狭くなり過ぎるかも知れません。歴史だから事実には相違ない。しかし与えられない歴史はいく通りも頭の中で組み立てる事ができて、条件さえ具足すれば、いつでもこれを実現する事は可能だとまで主張しても差支ないくらいだと私は信じております。(創作家の態度)
 
 MuirheadかつてRousseauの人は自由に生れたりといえるを駁せるの序、書物上の言語の社会的所得なるを論じて曰く、世間往々にして書を著わすと号するものあり。彼らはその名を巻頭に署しまたその参考書目を序中もしくは篇末に掲げて憚る所なし。余の見る所をもってすれば、参考書目を冒頭に掲げて、自己の名を巻末に置くの、多くの場合において事実に近きを知る。著者のなせる所のもの、また著者のなし得る所のものは、無数の年月の労力によりて彼に供給せられたる材料を新型に再鋳するに過ぎざればなり。この意義においてEmersonのいえるが如く各人は、等しく剽窃者なり。各物は剽窃なり。家屋といえどもまた剽窃なり。と彼等の嶄斬新ならんとして嶄新なるあたわざるを諷するに似たり。暗示の漸次なるを著書の上に道破せるに過ぎず。芸術評論家の語に曰く如何なる大芸術家も、PhidiasもMichael AngeloもRembrandtもVelasquezも、遂に全然新様なる美の理想を思念しまた表現するあたわずと、暗示の突然として天外より降下せざるをいうに過ぎず。PisistratusのAthensに王たるやSolonの法規を外形の上に維持してかつてこれを破壊することなかりき。Caesarの英邁にしてなおかつ共和政体の組織を改めず。一世の豪傑Napoleonの如きものすら、当初は革命の時代に行はれたる主義形式を蹂躙するの意なかりしに似たり。これ政治的に暗示の漸次なるを証するものなり。(文学論 第五編 第五章)





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最終更新日  2021.11.19 19:00:06
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