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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2021.11.20
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カテゴリ:正岡子規
 俳句革新運動に成功した子規は、次に和歌革新に取り組みます。明治26年の『文学八つあたり』、明治28年の『棒三昧』などで、和歌の衰退ぶりや万葉集の素晴らしさを語っていた子規は、明治31年2月12日から『歌よみに与ふる書』を「日本」に連載します。
 子規はこの中で『古今和歌集』と紀貫之を批判し、『万葉集』を高く評価した。俳句革新で芭蕉批判を展開した事例に習い、歌人の聖典である『古今和歌集』と歌聖・紀貫之を全否定し、新しい価値観を提示しました。
 子規の論に対する反発は俳句の比ではありませんでした。「日本」社内でも、子規の論にやりすぎだと反対の声が上がり、掲載の中止も考えられたのです。また、短歌革新を掲げた与謝野鉄幹からも子規は攻撃されています。
 
 ただ、この考え方は、愚庵の和歌から導かれたものでした。前項に記した愚庵に送った和歌をきっかけとして、子規は大いなる変革を遂げたという子規研究者もいます。
 
 この時期、子規は愚庵に手紙を送りました。
 
 拝啓仕候。余寒ことの外烈敷候処御起居如何候や。承れば少と御いたわり之由、この余寒には誰も誰もやられ候ようにて、私なぞも今年は存外健康にてひそかに誇り居候処、終に血痰を見申候。しかしそれは二三日にてやみ、まずまずよろしき方に御座候。
 この頃歌をはじめ候処、余り急激なりとて陸翁はじめ皆とに叱られ候えども、やりかけたものなら死ぬるまでやる決心に御座候。昨夜も湖村子来訪、歌の話に夜の二時頃まで更かし申候。同子も漢語が多過ぎると申て忠告いたしくれ候。前月末頃は歌のために苺夜二時三時に及び、あるいは徹夜など致し候。この頃のよわりも多少はそれにも原因致候いけんと存候。
 もっとも愚見は漢語を用いざれば歌にならずなど申には無之、万葉調などは大に好む所に御座候。人は誤解致居候。
 別冊新俳句進呈致候。これは巻尾に愚庵十二勝の俳句を記し置たれば、御一覧に供うるばかりに御坐候。以上。(明治31年3月18日天田愚庵宛書簡)
 
 この手紙を読んだためでしょうか、愚庵が羯南に送った手紙には「この頃、正岡寄書歌論すこぶる得意の様子ゆえ、我不服の廉両三件申遣候。彼の論新紙上掲る以上は、老兄にも御同意と奉察候えども、余り言過ぎてはいわゆる口業をつくるものにして、その徳を損すること多からんを恐るる也。貫之、躬恒の歌と彼百中十首と比べ候えば、論ずる迄までもなきことかと存候。しかし今の世中には如何か不存候ども、過ぎたるは及ばざる如く、かえって従来博し得たる彼れか盛名を累(わざわい)することになりはせぬかと心配致候。現在の人を論するさえ易きことなれば、古人を論するは死人に口なし。反駁の恐れもなくすこぶる安心のものなるべけれども、君子はいささかか慎みたきものと存候。御意見承度候(天田愚庵 明治31年3月24日陸羯南宛書簡)」と書き、一方的に古今集を非難することは、かえって子規の名声を傷つけることになりはせぬかと愚庵は心配しています。
 
 仰せの如く、近来和歌は一向に振い申さず候。正直に申し候えば、万葉以来、実朝以来一向に振い申さず候。実朝という人は三十にも足らで、いざこれからというところにてあえなき最期を遂げられ、誠に残念致し候。あの人をして今十年も活かしておいたなら、どんなに名歌をたくさん残したかも知れ申さず候。……『古今集』の長歌などは箸にも棒にもかからず候えども、箇様な長歌は古今集時代にも後世にもあまり流行らざりしこそ、もっけの幸いと存ぜられ候なれ。されば後世にても長歌を詠む者には直に万葉を師とする者多く、従ってかなりの作を見受け申し候。今日とても長歌を好んで作る者は短歌に比すれば、多少手際よくでき申し候。(歌よみに与ふる書)
 
 貫之は下手な歌よみにて『古今集』はくだらぬ集にこれあり候。その貫之や『古今集』を崇拝するは誠に気の知れぬことなどと申すものの、実はかく申す生も数年前までは『古今集』崇拝の一人にて候いしかば、今日世人が『古今集』を崇拝する気味合いは能く存じ申し候。崇拝している間は、誠に歌というものは優美にて『古今集』はことにその粋を抜きたる者とのみ存じ候いしも、三年の恋一朝にさめて見れば、あんな意気地のない女に今までばかされておったことかと、くやしくも腹立たしく相なり候……それでも強いて『古今集』をほめていわば、つまらぬ歌ながら万葉以外に一風を成したるところは取得にて、いかなる者にても初めての者は珍しく覚え申し候。(再び歌よみに与ふる書)






最終更新日  2021.11.20 19:00:07
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