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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2021.11.23
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カテゴリ:正岡子規
 明治31年3月26日、子規は再び愚庵に和歌の極意について聞いています。子規の場合、自分の方向は定めているのですが、それでも人に意見を聞こうとします。
 子規は「雅語と俗語の差と、それをわかに生かすことができるかという点」「三代集(「古今和歌集」「後撰和歌集」「拾遺和歌集」)を謗ることについて」の2点について愚庵に尋ねています。
 これは、「日本」に掲載した「歌詠みに与うる書」への反響が子規の想像以上に大きかったことを示しています。
 
 御手紙拝誦仕候。その後御快方之由奉賀候。この両三日大分暖かに覚え候。御地も同しことと存候。
 歌のことにつき御教誨を被り難有存候。
 梅か香云々のこと歌に詠まれぬというにあらず。もちろん趣味深きように他の配合物を択んでよまば梅が香の歌千も万も面白きもの出来可申候えども、従来の歌の如く梅が香を闇とか月とかいう位のことばかりを配合して同じようなこと詠み候を誹りたるまでに候。
 雅語と俗語のことに付きては、もとより俗語を善しとするには無之、雅語の可なる場合には雅語を用い、俗語の可なる場合には俗語を用いんと申すものに有之候。雅語を用いたりとて歌が雅になるとも限り申さざるべく(今のいわゆる歌よみの如き雅語を用いて随分俗な歌を作り申候)俗語を用いたりとて必ずしも歌が俗になるものにても無きかと存候。お姫様のぬらくらとして善いも悪いも芋の煮えたも知らで、おばさんよりは乞食の子のかいがいしく親に仕えたらんこそとうとけれと被思候。雅俗は形の上にもあれど心の上の雅俗が一層注意すべきことかと存候。御書面中にある俗語の例など、私は面白く覚え候。
   ベラボーメくそをくらへと君はいへど
      (コン畜生にわれあらなくに)試みにつけ申し候
 という歌を短冊に書きても「心あてに折らはや折らむ初霜のおきまとはせる白菊の花」などいう歌を短冊に書きたる程には見苦しからずと存候。ベラボーメの歌の方が調が高しと存候。またベラボーメの歌趣向とてもなけれど躬恒の歌の趣向のいやみ多きには勝ると存候。これを喩え候わんに躬恒の歌は金殿玉楼の中に住む貴人のいい加減な法螺を吹きて気取りたるが如くベラボーメの歌は市井の小児の善も知らず悪も知らず天真爛漫のままに振舞うが如し。私は後の方が心持よく覚え申候。
 漢語につきても同様のことに候。漢語ならでは言えぬことはもちろん、国語にも漢語にもあることにてもことさらに国語を捨てて漢語を取る方が面白き場合、しばしば有之かに存候。例えばふかみくさといわずして牡丹と詠む方が善き場合など、私はしばしば実験いたし候。八大龍王にてもこれを「八つの龍のおおきみ」(七の賢き人の例に傲いて)といい得べしとするもなお八大龍王という方がまされるかと存候。「阿耨多羅三藐三菩提の仏たち」の歌にても、これが漢語や国語に訳し得らるるものとするもなお仏語を用うる方
がまさり居候と存候。日本語などに訳し候はば、恐らくは興味索然といたし候わんか故に、私の存じ侯は漢語でも梵語でも用いて善き場合には用うるが善しと存候。
 三代集を誹ることにつきの御叱り恐入候。とにかく何百年の間たて物とせられたる古今集や貫之や躬恒やをひっつかまえて味噌の糞のと申候こと、私の身の上より申さばもとよりあるまじきしわざと存候えども、今の歌人の余り意気地なさに腹が立ち候ままかかることにも及ぴ申候。しかし貫之以下の歌につきては如何御考え被成候や、歌として見候わば趣味ある歌(一二を除きては)少くと存候。既に万葉の歌を善しとする上は、古今集以下の歌は善しとは思われぬ訳と存候。(実朝卿のは特別に候)
 私どもがくだらぬ歌などつくり候えども、これが歌の唯一の恨と存候には無之候。もとより一体として存ずれば善きものに有之候。古来の歌の想を破壊すぺしなどと申し候も、畢竟古今以来今日に至るまでの弊風をいうものにして、万葉の歌の想を破壊せんとするものには無之候。万葉調は大に興すべきものと存候。
 もののふの八十氏川の歌につきては他日新聞にて弁明するつもりなれとも、あの歌を左程誹りたるものにては無之、ふと思いつき候こと有之候まま引合に出し候えども、八田の歌などと並べしは悪かりしと存居候。あの歌は善き歌として異論無之候。
 素人が歌や詩を評せしを例にあげて御誠め被下候はチトなさけなく存候。もとより私等歌の学問を深くしたる訳にもあらねば、間違は澤山可有之候えども、間違ったことは分り次第漸次に相改め可申、とにかくどこまでもやるつもりに有之候。局外者が一寸試みたるデモ評とは精神において異り可申候。今度のことにても一朝一夕の出来心には無之、数年来の計画、機を得て一時に被したるものに候。今まで歌のことというといつも先輩と意見を異にしために愚見を十分に吐露するを得ずして終り候。
 
それ故この度ははじめより羯南翁に請いて歌論及ぴ拙作掲き承諾を得申候次第に候。しかし掲載後も翁よりは常に注意を受け居候。
 湖村子先夜来り漢語の事につき話有之、その説に「五畝の宅」とか「御歌を吟すれば」とかいう位は可なれども余り沢山用いては困るとのことに候。その外いろいろ話あり候。夜の二時に及ぴ候ことも有之候。
 右御返事かたがた相認候。失礼の処は御海容被下度候。実は御返事出すことも如何すべきと存居候いしかども黙々に附するは礼にあらずと存、また御返事出す上は心に不服なるを隠して表面いい加減に申置候も良心に咎むるところあり、終に思う存分申述候まま、いよいよ失礼の言多かるべくと存候。衷情御察可被下候。謹言。(愚庵宛書簡 明治31年3月26日)






最終更新日  2021.11.23 12:38:57
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