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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2021.11.23
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カテゴリ:正岡子規
「そういう自然派なら、文学のほうでも結構でしょう。原口さん、絵のほうでも自然派がありますか」と野々宮さんが聞いた。
「あるとも。恐るべきクールベエというやつがいる。ヴェリテヴレイ。なんでも事実でなければ承知しない。しかしそう猖獗を極めているものじゃない。ただ一派として存在を認められるだけさ。またそうでなくっちゃ困るからね。小説だって同じことだろう、ねえ君。やっぱりモローや、シャバンヌのようなのもいるはずだろうじゃないか」
「いるはずだ」と隣の小説家が答えた。(三四郎 9)
 
 クールベエとは、フランスの画家ギュスターヴ・クールベのことです。写実主義運動を率いて19世紀フランス絵画の革新者として大きな影響を与えました。
 クールベは、宗教的な主題や伝統的な絵画を否定し、自分が実際に現実で見たものだけを描きました。
 当時の絵画は古代の神々や殉教者、英雄などを理想化された姿で描いたものでしたが、クールベは市井の人々を描いて「歴史画」と称しました。そのため、クールベは酷評されたのでした。
 1855年にパリ万国博覧会が開催された時、クールベは代表作とされる『画家のアトリエ』と『オルナンの埋葬』を出品しますが、落選してしまいます。そこでクールベは博覧会場のすぐ近くに小屋を建て、これらの作品を公開しました。この作品展は、世界初の「個展」だといわれています。
 
 1789年のフランス革命から30年後に誕生したクールベでしたが、人民の権利と平等を目指すために、貧しい農民や労働者の姿、美化されていない女性のヌードなどの写実表現を実践しています。この運動に賛同した画家にミレーやドーミエがいます。
 また、クールベは1871年のパリ・コミューンの際にヴァンドーム広場のコラムの解体に関与したため、6ヶ月間投獄されています。釈放後は、スイスへ移り、死ぬまでそこで過ごしました。この時代は、1848年にマルクスとエンゲルスによる『共産党宣言』が刊行されるなど、社会主義やより急進的な共産主義が誕生しており、貧困や社会的不平等についての意識が先鋭化した時代でもありました。クールベは社会活動家ともなっていたのです。
 
『三四郎』の原口氏は「自然派」と称していますが、初の個展である「レアリスム宣言」において、「自分は生きた芸術をつくりたいのだ」といっており、「写実派」としたほうがいいのかもしれません。
 左翼的な芸術家として捉えられ、作品を通じて大胆な社会的声明を発する社会芸術家として位置づけされ、近代絵画の創始者のひとりとしみなされることもあります。






最終更新日  2021.11.23 19:00:04
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