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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2021.11.26
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カテゴリ:夏目漱石
「どうもうまくかけないものだね。人のを見ると何でもないようだが自ずから筆をとって見ると今更のようにむずかしく感ずる」これは主人の述懐である。なるほどいつわりのない処だ。彼の友は金縁の眼鏡越しに主人の顔を見ながら、「そう初めから上手にはかけないさ、第一室内の想像ばかりで画がかける訳のものではない。昔し以太利(イタリー)の大家アンドレア・デル・サルトがいったことがある。画をかくなら何でも自然その物を写せ。天に星辰あり。地に露華あり。飛ぶに禽あり。走るに獣あり。池に金魚あり。枯木に寒鴉あり。自然はこれ一幅の大活画なりと。どうだ君も画らしい画をかこうと思うならちと写生をしたら」
「へえアンドレア・デル・サルトがそんなことをいったことがあるかい。ちっとも知らなかった。なるほどこりゃもっともだ。実にその通りだ」と主人は無暗に感心している。金縁の裏には嘲るような笑いが見えた。
 その翌日吾輩は例のごとく椽側に出て心持善く昼寝をしていたら、主人が例になく書斎から出て来て吾輩の後で何かしきりにやっている。ふと眼が覚めて何をしているかと一分ばかり細目に眼をあけて見ると、彼は余念もなくアンドレア・デル・サルトを極め込んでいる。吾輩はこの有様を見て覚えず失笑するのを禁じ得なかった。彼は彼の友に揶揄せられたる結果としてまず手初めに吾輩を写生しつつあるのである。吾輩はすでに十分寝た。欠伸がしたくてたまらない。しかしせっかく主人が熱心に筆を執っているのを動いては気の毒だと思って、じっと辛棒しておった。彼は今吾輩の輪廓をかき上げて顔のあたりを色彩っている。吾輩は自白する。吾輩は猫として決して上乗の出来ではない。背といい毛並といい顔の造作といいあえて他の猫に勝るとは決して思っておらん。しかしいくら不器量の吾輩でも、今吾輩の主人に描き出されつつあるような妙な姿とは、どうしても思われない。第一色が違う。吾輩は波斯(ペルシャ)産の猫のごとく黄を含める淡灰色に漆のごとき斑入の皮膚を有している。これだけは誰が見ても疑うべからざる事実と思う。しかるに今主人の彩色を見ると、黄でもなければ黒でもない、灰色でもなければ褐色でもない、さればとてこれらを交ぜた色でもない。ただ一種の色であるというよりほかに評し方のない色である。その上不思議なことは眼がない。もっともこれは寝ているところを写生したのだから無理もないが眼らしい所さえ見えないから盲猫だか寝ている猫だか判然しないのである。吾輩は心中ひそかにいくらアンドレア・デル・サルトでもこれではしようがないと思った。(吾輩は猫である 1)
 
 主人が水彩画を夢に見た翌日例の金縁眼鏡の美学者が久し振りで主人を訪問した。彼は座につくと劈頭第一に「画はどうかね」と口を切った。主人は平気な顔をして「君の忠告に従って写生を力めているが、なるほど写生をすると今まで気のつかなかった物の形や、色の精細な変化などがよく分るようだ。西洋では昔から写生を主張した結果今日のように発達したものと思われる。さすがアンドレア・デル・サルトだ」と日記の事はおくびにも出さないで、またアンドレア・デル・サルトに感心する。美学者は笑いながら「実は君、あれは出鱈目だよ」と頭を掻く。「何が」と主人はまだいつわられたことに気がつかない。「何がって君のしきりに感服しているアンドレア・デル・サルトさ。あれは僕のちょっと捏造した話だ。君がそんなに真面目に信じようとは思わなかったハハハハ」と大喜悦の体である。吾輩は椽側でこの対話を聞いて彼の今日の日記にはいかなることが記さるるであろうかと予め想像せざるを得なかった。この美学者はこんないい加減なことを吹き散らして人を担ぐのを唯一の楽しみにしている男である。彼はアンドレア・デル・サルト事件が主人の情線にいかなる響を伝えたかを毫も顧慮せざるもののごとく得意になって下のようなことを饒舌った。「いや時々冗談をいうと人が真に受けるので大いに滑稽的美感を挑撥するのは面白い。せんだってある学生にニコラス・ニックルベーがギボンに忠告して彼の一世の大著述なる仏国革命史を仏語で書くのをやめにして英文で出版させたといったら、その学生がまた馬鹿に記憶の善い男で、日本文学会の演説会で真面目に僕の話した通りを繰り返したのは滑稽であった。ところがその時の傍聴者は約百名ばかりであったが、皆熱心にそれを傾聴しておった。それからまだ面白い話がある。(吾輩は猫である 1)
 
 美学者迷亭のアンドレア・デル・サルトのデタラメ写生論と、それを素直に信じてしまう苦沙弥の滑稽さが印象的な部分です。
 アンドレア・デル・サルトは、16世紀初頭のルネサンス期に活躍したフィレンツェ出身の画家で、幻想画家として知られるピエロ・デイ・コージモに師事したのち、レオナルド・ダ・ヴィンチに傾倒して、精密な写実性を特徴としました。だから、迷亭の語る「写生論」にはうなずかされてしまうのです。
 
 迷亭が巧妙なのは、後期ルネサンスの美術様式であるマニエリスムの画家を、弟子たちの中から輩出させました。マニエリスムは誇張された遠近法と短縮法、不自然な空間表現、反自然主義的な色調などで構成され、写生の概念とは大きく異なるのですが、サルトのスタイルは、ダ・ヴィンチやラファエロ、フラ・バルトロメオなどのルネサンス期の巨匠たちの技法を踏襲しているため、「写生論」を現実のものと勘違いさせる効果があります。
 つまり、写生を繰り返したからこそ、ミケランジェロやラファエロらルネサンスの巨匠が確立した「様式美」を規範としながら、さらに独自の誇張を加えた技法として新しい絵画を目指したのがアンドレア・デル・サルトのなのです。





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最終更新日  2021.11.26 19:00:06
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