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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2021.11.28
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カテゴリ:正岡子規
 子規と漱石が仲良くなるのは、明治22年初頭の頃でした。漱石の『正岡子規』には次のように書いています。
 
 また正岡はそれより前漢詩を遣っていた。それから一六風か何かの書体を書いていた。その頃僕も詩や漢文を遣っていたので、大に彼の一粲を博した。僕が彼に知られたのはこれが初めであった。ある時僕が房州に行った時の紀行文を漢文で書いてその中に下らない詩などを入れて置いた、それを見せたことがある。処が大将頼みもしないのに跋を書いてよこした。何でもその中に、英書を読む者は漢籍が出来ず、漢籍の出来るものは英書は読めん、我兄の如きは千万人中の一人なりとか何とか書いておった。ところがその大将の漢文たるや甚だまずいもので、新聞の論説の仮名を抜いたようなものであった。けれども詩になると彼は僕よりも沢山作っており、平仄も沢山知っている。僕のは整わんが、彼のは整っている。漢文は僕の方に自信があったが、詩は彼の方が旨かった。もっとも今から見たらまずい詩ではあろうが、先ずその時分の程度で纏ったものを作っておったらしい。たしか内藤さんと一緒に始終やっていたかと聞いている。
 彼は僕などより早熟で、いやに哲学などを振り廻すものだから、僕などは恐れを為していた。僕はそういう方に少しも発達せず、まるでわからん処へ持って来て、彼はハルトマンの哲学書か何かを持ち込み、大分振り廻していた。もっとも厚い独逸書で、外国にいる加藤恒忠氏に送って貰ったもので、ろくに読めもせぬものを頻りにひっくりかえしていた。幼稚な正岡がそれを振り廻すのに恐れを為していた程、こちらは愈々幼稚なものであった。
 妙に気位の高かった男で、僕なども一緒に矢張り気位の高い仲間であった。ところが今から考えると、両方共それ程えらいものでも無かった。といって徒らに吹き飛ばすわけでは無かった。当人は事実をいっているので、事実えらいと思っていたのだ。教員などは滅茶苦茶であった。同級生なども滅茶苦茶であった。
 非常に好き嫌いのあった人で、滅多に人と交際などはしなかった。僕だけどういうものか交際した。一つは僕の方がええ加減に合わしておったので、それも苦痛なら止めたのだが、苦痛でもなかったから、まあ出来ていた。こちらが無暗に自分を立てようとしたら迚も円滑な交際の出来る男ではなかった。例えば発句などを作れという。それを頭からけなしちゃいかない。けなしつつ作ればよいのだ。策略でするわけでも無いのだが、自然とそうなるのであった。つまり僕の方が人が善かったのだな。今正岡が元気でいたら、余程二人の関係は違うたろうと思う。もっともその他、半分は性質が似たところもあったし、また半分は趣味の合っていた処もあったろう。も一つは向うの我とこちらの我とが無茶苦茶に衝突もしなかったのでもあろう。忘れていたが、彼と僕と交際し始めたも一つの原因は、二人で寄席の話をした時、先生も大に寄席通を以て任じている。ところが僕も寄席のことを知っていたので、話すに足るとでも思ったのであろう。それから大に近よって来た。(夏目漱石 正岡子規)
 
 ただ、5月9日の夜、子規は突然喀血しました。翌日、医師の診察を受け、肺病と診断されています。子規は、さほど大病と思わなかったのか、その日の午後に九段で行われた会合に出席しています。ところがその日の午後11時に再び喀血したのです。
 
 このことを聞いた漱石は、5月13日に子規宛の手紙を送りました。
 
 今日は大勢罷出失礼仕候。しからばそのみぎり帰途山崎元修方へ立寄り、大兄御病症並びに療養方等委曲質問仕候処、同氏は在宅ながら取込有之由にて不得面会、乍不本意取次
を以て相尋ね申候処、存外の軽症にて別段入院等にも及ぶまじき由に御座候えども、風邪のために百病を引き起すと一般にて、喀血より肺労または結核の如き劇症に変ぜずとも申しがたく、只今は極めて大事の場合故出来るだけの御養生は専一と奉存候。小生の考えにては山崎の如き不注意不親切なる医師は断然廃し、幸い第一医院も近傍に有之候えば一応
同院に申込み、医師の診断を受け入院の御用意有之たく、さすれば看護療養万事行き届き十日にて全快する処は五日にて本復致す道理かと存候。かつ少しにても肺患に罹る「プロバビリチー」ある以上は二豎の膏肓に入らざる前に英断決行有之たく、生あれば死あるは古来の定則に候えども、喜生悲死もまた自然の情に御座候。春夏四時の循環は誰れも知る事ながら、夏は熱を感じ冬は寒を覚ゆるもまた人間の免かるる能わざる処に御座候えば、小にしては御母堂のため、大にしては国家のため自愛せられん事こそ望ましく存候。雨ふらざるに牖戸を綢繆すとは古人の名言に候えば、平生の客気を一掃して御分別有之たく、この段願上候。
 
  to live is the sole end of man!
     五月十三日
   帰ろふと泣かずに笑へ時鳥
   聞かふとて誰も待たぬに時鳥
                     金之助
 正岡大人 梧右
 
 いずれ二、三日中に御見舞申上べく、また本日米山、龍口の両名も山崎方へ同行しくれたり。
 僕の家兄も今日吐血して病床にあり。かく時鳥が多くてはさすか風流の某も閉口の外なし。呵々。(夏目漱石 明治22年5月13日 子規宛書簡)
 
 この手紙では、子規の病気の様子がはっきりとしないため、漱石の心配している様子が見て取れます。
 漱石は兄の直矩を吐血したことを伝え、結核に怯えていたことを示しています。






最終更新日  2021.11.28 19:00:06
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