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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2021.12.28
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カテゴリ:夏目漱石
 それからその次にある人が外国から帰って展覧会を開いた、それを見に往きました。二人でありました。その一人の絵を見ると、油絵で西洋の色々な絵を描いている。アンプレッショニストのような絵も描いている。クラシカルな、ルーベンスなどに非常によく似たような絵も描いている。仏蘭西派であるが、あれを公平に考えて見ると、彼あの人はどこに特色があるだろう。他人の絵を描いている。自分というものが何処にもないようですね。巧い拙いにかかわらず、他人の描いたようなものはいくらでも描くんですが、それじゃ自分はどこにあるかというと、チョッと何所にあるか見えないような絵を展覧会で見せられました。その次にもう一つの外国から帰った人の絵を見た。それは品の宜い、大人しい絵でした。それで誰が見ても、まあ悪感情を催さない絵でありました。私はその中の一つを買って来て家の書斎に掛けようかと思いました。が、止しました。けれども、まあ買っても宜いとは思いました。何故買っても宜いといいますと、相当に出来ているからです。内へ持って来て掛けるのは何故かというと、英吉利風の絵なら絵を、相当に描きこなしておって、部屋の装飾として突飛でない、丁度平凡でチョッと好かろうと思ったから買って来ようかと思ったけれども、買って来ませんでした。
 その人の絵は誰が見ても習った絵だということが分る。習ってある程度まで進んだ絵である。それだから見苦しくない、ということは分る。その代りその作者を俟まって初めて描けるような絵は一つもないのです。例えばその内のひとつを選んで内に掛けるにしても、その特別なる画家を煩らわさないでも、ほかの人に頼んでも、それと同じような絵が出来そうな絵でありました。
 それから私はもう一つ見ました。これは日本にいる人で、日本にいる人のある外国の絵でありました。前の二つは帝国ホテル及び精養軒という立派な料理屋で見ました。御客様もどうも華やかな人が多い。中には振袖を着ている女などがおりました、あんな女などに解るのかと思うほどでした。
 第三に見たのは、これはどうも反対ですね。所は読売新聞の三階でした。見物人はわれわれ位の紳士だけれども、何だか妙な、絵かきだか何だか妙な判じもののようなものや、ポンチ画の広告見たようなものや、長いマントを着て尖ったような帽子を被った和蘭(オランダ)の植民地にいるようなものや、一種特別な人間ばかりが行っている。絵もそういう風な調子である。見物人も綺麗な人は一人もいない。どうもその絵はそれである程度まではチャンと整うてはいないと思います。しかし、自分が自分の絵を描いている、という感じは確かにしました。しかしその色の汚い方の絵は未成品だと思います。それだから同情もありそれを描いた人に敬意も持ちますけれども、わざわざ金を出して内に買って来て書斎に掛けようと思わない絵ばかりでありました。
 こういう風に色々違う絵があるからして、その点から出立して御話をしましょう。――それで文展の画家や西洋から帰って来た二人は自分で自分の絵を描かない。それから今の日本の方のは自分で自分の絵は描くけれども未成品である。感想はそれだけですがね。それについてそれをフィロソフィーにしよう――それをまあこじつけてフィロソフィーにして演説の体裁にしようというのです。どういう風にこじつけるかが問題であります。それが旨く行けば聴かれそうな演説である。巧く行かなければそれだけの話である。まあどういう風に片付けるかという御手際の善悪などはどうでも宜しいのですから。(模倣と独立)
 
「模倣と独立」は、大正2年12月12日に第一高等学校で行った講演の内容を記したものです。その中で、画家の絵についての方向とともに、見る側の姿勢をも描いています。漱石が展覧会で見た絵は、模倣が顕著なものと、習作のような絵、未完成の絵を例に出し、日本における絵画は、イミテーションや未完成の作品が多いと語ります。そして、イミテーションであっても非難はしないものの、インデペンデントなものになるには他を圧倒するだけの強烈なパワーと深い背景に裏付けられた思想がなくてはならないというのです。
 既存の規範的な絵の代表として、漱石は「王の画家にして画家の王」と呼ばれるルーベンスを例示しています。
 
 ルーベンスとは、ピーテル・パウル・ルーベンスで17世紀バロック時代のヨーロッパを代表する画家です。両親はベルギーのアントワープ出身で、ドイツ北西部に生まれました。1600年から1608年までイタリアでルネサンス芸術を研究し、才能が一気に開花します。1608年、ハウスブルク家のアルブレヒト大公夫妻に宮廷画家として仕え、ヴァン・ダイクやヤン・ブリューゲルらとともに作品を制作していきました。
 ルーベンスの絵は、劇的な構図に加え、人物の激しいアクション、華麗な光の表現、豊満な裸体表現など、バロック絵画の特色を十二分に発揮し、劇的な空間となっています。





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最終更新日  2021.12.28 19:00:06
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