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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2022.01.22
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カテゴリ:夏目漱石
 漱石は、イギリス時代、ブレイクに関心を寄せていました。明治34年8月6日の日記には「Craigに至る。氏、我詩を評してBlakeに似たりといえり。しかしincoherentなりといえり」とあり、クレイグに自作の英詩を見せたところ、ブレイクに似ているといわれます。しかし、その詩は「incoherent(まとまりがない)ともいわれました。
 
 漱石がグレイグに見せた詩は、「Life's Dialogue」という8連からなる詩でした。最初の章だけをご紹介します。(拙訳ですみません)
 
   First Spirit.
 Out of hope and despair,
 Man twists the rope of life,
 As beautiful and fair,
 As born of passion and strife.
 He twists and twists and twists.
 Forever twisting he dies,
 Then his eyes are glazed with mists,
 Then cold and naked he lies.
 
   第一の霊
 希望と絶望の彼方
 人は人生の縄を編んで行く
 美しく、きちんと・・・
 情熱と闘争を育みながら。
 彼は縄を編む 縄を編む  縄を編む
 永遠に 編みつづけて 彼は死んで行く、
 そのとき 彼の目は霧でおおわれ光り輝く、
 そのとき 裸の彼は冷たくなって横たわる。
 
 ブレイクとは、イギリスの詩人、画家であるウィリアム・ブレイクのことです。ブレイクは、1757年11月28日、ロンドン、ソーホー地区で、靴下商人ジェイムス・ブレイクの家に生まれ、幼い頃から絵の才能があったため絵画学校に入り、1772年に彫刻家ジェイムス・バーシアに弟子入り。銅版画家、挿絵画家として生計を立てていました。
 詩と絵の両方を同一画面に配置する「彩飾印刷」という手法を開発し、自らの挿画を散りばめた詩集を出版したのですが、それらの作品が評価されるのは死後のことになります。19世紀後半になって、ラファエル前派の画家たちにによりその詩と版画が注目されます。詩人スウィンバーンは、ブレイク評論の単行本を1868年に出版していますが、漱石のブレイクに関する知識の多くは、この本によっています。
 
 およそ象徴法における記号は多くの場合において思索の関門を通じて始めて捉え得るを例とす。換言すれば、記号はその代表するところのものを直下に喚起して、水をくんで冷暖自知するが如くに興を誘い来ることすくなきが故、あたかも洒落を聴きて感じ得ず、その説明を待って始めてその意を悟ると異なるところなきに似たる点あり。紳秘の風致を具えたる詩人Blakeは象徴に特殊の興味を有したるが如く、遂にSwinburneをしてその作Cabietを評して左の言辞を用いしむるに至れり。
「箪笥(Cabinet)とは情熱熾なるか、もしくは詩趣饒かなる、幻夢の謂なり。形而上の宝なり。ややともすれば変じて形而上の束縛たらんとするものなり。人はこの中に在って幽せらる。金鍵ありといえども遂に楚囚たるを免かれず。この牢獄を造るものは愛情に外ならず、また芸術に外ならず。この中に坐して遠く望めば美妙の景、和怡の楽、月の光、露の色、すべて清新なる天地ありてもって吾身を安んずるに足り、吾目を悦ばしむるに足る。しかれども遂に標緲として捕捉すべからず、影の如くにして追うべからず。一たびこの中に入れば吾人現世の悦楽と威力は忽ちにして倍また倍となる。ただ人求むること多きに過ぎ形而上のものを形而下に変ぜんとするとき、五指の把持に堪えざる深邃なる一物を炎の手に捕えんとするとき、永劫無窮を有為転変に訳せんとするとき、本元底を仮存底に訳せんとするとき、実在的を附在的に訳せんとするとき、吾人の生命と共に長かるべき結構は忽然と破滅して気なえ目眩して号泣やまざる赤子の如くに吾人を放下し去る。(文学論 第一章 文学的Fと科学的Fとの比較一汎)
 
 かくの如く、Blakeはこの詩において無暗と「七」なる数字を繰り返せど、この数字は知識を伝うる方面より見て全く価値なきものなること明らかなり。唯これによりてこの神秘不可思議の一篇に何処ともなく精確の心地を添うる役を果たすのみ。(文学論 第一章 文学的Fと科学的Fとの比較一汎)
 
 彼等はこういう了見で筆を執り始めた。もとより世間を教育する積りでいた。応じないものは冷笑する気でいた。しかし真面目にはやらない気でいた。真面目は野暮で、喧嘩は野蛮であると思っていた。熱烈痛刻は未開時代の人民の性情で、enlightenedという言葉と矛盾するように考えていた。都会の流行を書けば文学者の能事は畢るものと信じていた。日常の礼儀作法に批評を下せば天晴な道徳家だと心得ていた。市井の瑣事を論ずれば文学者だと合点していた。彼等のあとに、バーンスが出た。クーパーが出た。ブレークが出た。オシアンの繹訳が出た。パーシーの古謡集が出た。彼等はこれらの詩人と詩集とを天地間に存在し得るものとは夢にも想像し得なかったろう。アヂソンの衒学者(ペダント)を論じた條(『スペクテーター』第百五号)にこうある。(文学評論 第三編 アヂソン及びスチールと常識文学)
 
 漱石が『文学論』で紹介した詩は「MY Spectre around me night and day」で、「昼も夜も私を取り囲む精霊(あるいは幽霊)」とでも訳せばよいのでしょうか。
 
 MY Spectre around me night and day 
 Like a wild beast guards my way; 
 My Emanation far within 
 Weeps incessantly for my sin. 
 
 ‘A fathomless and boundless deep, 
 There we wander, there we weep; 
 On the hungry craving wind 
 My Spectre follows thee behind. 
 
 ‘He scents thy footsteps in the snow 
 Wheresoever thou dost go, 
 Thro’ the wintry hail and rain. 
 When wilt thou return again? 
 
 ’Dost thou not in pride and scorn 
 Fill with tempests all my morn, 
 And with jealousies and fears 
 Fill my pleasant nights with tears? 
 
 ‘Seven of my sweet loves thy knife 
 Has bereaved of their life. 
 Their marble tombs I built with tears, 
 And with cold and shuddering fears. 
 
 ‘Seven more loves weep night and day 
 Round the tombs where my loves lay, 
 And seven more loves attend each night 
 Around my couch with torches bright. 
 
 ‘And seven more loves in my bed 
 Crown with wine my mournful head, 
 Pitying and forgiving all 
 Thy transgressions great and small. (以下略)
 
 ブレイクといえば、レクター博士が初めて登場するトマス・ハリスの小説「レッドドラゴン」を思い出します。犯人のフランシス・ダラハイドは、ブルックリン美術館を訪れてブレイクの「巨大な赤い龍と太陽を着た女」の絵を食べてしまいます。また、ダラハイドは、自分の背中に赤い龍のタトゥーを入れています。
 
 漱石は『文学論』で「無暗と「七」なる数字を繰り返せど、この数字は知識を伝うる方面より見て全く価値なきものなること明らかなり」と書いていますが、この「七」は、ヨハネの黙示録の「もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。(ヨハネの黙示録 12章3節)」という、赤い龍の数字です。
 ブレイクは、近代的な合理主義によって隠されてしまった真理を、この「地獄の数字」を用いて明らかにしようとしたのです。ブレイクの作品では、「地獄」「悪魔」「サタン」といった言葉が用いられてはいるのですが、ブレイクは悪魔を礼賛していたわけではありません。「悪魔」という言葉の持つ神との対立や宗教観を、「彩飾印刷」の手法を用いて、詩的に表現しようとしたのでした。





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最終更新日  2022.01.22 19:00:07
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