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カテゴリ:夏目漱石
漱石は、『一夜』『草枕』『硝子戸の中』で伊藤若冲を取り上げています。 初期の作品である『一夜』は、二人の男と一人の女が、一夜を通じて「美しき夢」をいかに描くかということを語り合う小説(?)です。夢のようなまどろんだ話は、まるで絵の中の人々が退屈しのぎに画論をしているようなのです。そこに登場するのが若冲の「蘆雁」で73羽の雁が登場するというところから「秋塘群雀図」なのかもしれません。この画には、紅一点ならぬ白一点の雁が画面の上に配置されています。 『草枕』では、画稿が泊まった宿の床にかかっている「気兼なしの一筆がきで、一本足ですらりと立った上に、卵形の胴がふわっと乗っかっている様子」に描かれた「鶴」は、若冲の「飄逸の趣き」に満ちており、一気呵成に描いた鶴の絵が難点か残されています。 『硝子戸の中』に登場するのは、門人の小宮豊隆との議論で登場する「鶏」の絵です。若冲は「鶏の画家」とも呼ばれていますから、その華麗な色彩に豊隆が魅入られても不思議はありません。豊隆は、大正4年2月発刊の「美術新報」に『若冲の絵』を掲載していますから、漱石に対抗するだけの知識を持っていたのでしょう。 しかし、漱石はそのような絢爛豪華な絵よりも、俳味溢れる画の方が好きだったということなのでしょう。 床柱に懸けたる払子の先には焚き残る香の煙りが染み込んで、軸は若冲の蘆雁と見える。雁の数は七十三羽、蘆はもとより数えがたい。籠ランプの灯を浅く受けて、深さ三尺の床とこなれば、古き画のそれと見分けのつかぬところに、あからさまならぬ趣きがある。「ここにも画が出来る」と柱によれる人が振り向きながら眺める。(一夜) 横を向く。床にかかっている若冲の鶴の図が目につく。これは商売柄だけに、部屋に這入った時、すでに逸品と認めた。若冲の図は大抵精緻な彩色ものが多いが、この鶴は世間に気兼なしの一筆がきで、一本足ですらりと立った上に、卵形の胴がふわっと乗っかっている様子は、はなはだ吾意を得て、飄逸の趣きは、長い嘴のさきまで籠っている。床の隣りは違い棚を略して、普通の戸棚につづく。戸棚の中には何があるか分らない。(草枕 3) その男はこの間参考品として美術協会に出た若冲(じゃくちゅう)の御物(ぎょぶつ)を大変に嬉しがって、その評論をどこかの雑誌に載せるとかいう噂であった。私はまたあの鶏の図がすこぶる気に入らなかったので、ここでも芝居と同じような議論が二人の間に起った。 「いったい君に画(え)を論ずる資格はないはずだ」と私はついに彼を罵倒(ばとう)した。するとこの一言が本になって、彼は芸術一元論を主張し出した。彼の主意をかいつまんでいうと、すべての芸術は同じ源から湧いて出るのだから、その内の一つさえうんと腹に入れておけば、他は自ずから解し得られる理窟だというのである。座にいる人のうちで、彼に同意するものも少なくなかった。 「じゃ小説を作れば、自然柔道も旨くなるかい」と私が笑談(じょうだん)半分にいった。 「柔道は芸術じゃありませんよ」と相手も笑いながら答えた。 芸術は平等観から出立するのではない。よしそこから出立するにしても、差別観に入って始めて、花が咲くのだから、それを本来の昔へ返せば、絵も彫刻も文章も、すっかり無に帰してしまう。そこに何で共通のものがあろう。たとい有ったにしたところで、実際の役には立たない。彼我共通の具体的のものなどの発見もできるはずがない。 こういうのがその時の私の論旨であった。そうしてその論旨はけっして充分なものではなかった。もっと先方の主張を取り入れて、周到な解釈を下してやる余地はいくらでもあったのである。 しかしその時座にいた一人が、突然私の議論を引き受けて相手に向い出したので、私も面倒だからついそのままにしておいた。けれども私の代りになったその男というのはだいぶ酔っていた。それで芸術がどうだの、文芸がどうだのと、しきりに弁ずるけれども、あまり要領を得たことはいわなかった。言葉遣いさえ少しへべれけであった。初めのうちは面白がって笑っていた人達も、ついには黙ってしまった。 「じゃ絶交しよう」などと酔った男がしまいにいい出した。私は「絶交するなら外でやってくれ、ここでは迷惑だから」と注意した。 「じゃ外へ出て絶交しようか」と酔った男が相手に相談を持ちかけたが、相手が動かないので、とうとうそれぎりになってしまった。 これは今年の元日の出来事である。酔った男はそれからちょいちょい来るが、その時の喧嘩については一口もいわない。(硝子戸の中 27)
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最終更新日
2022.01.24 19:00:07
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