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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2022.05.20
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カテゴリ:夏目漱石
 漱石は展覧会に出展された青楓の絵を観て、描かれているのは「貧乏徳利」だといったことから、青楓との間に手紙のやり取りがありました。漱石の批判の理由は、「津田はああいう安っぽい貧乏徳利を描かないで、もっと気のきいたものを描けばいいじゃないか。青磁の壺でも赤絵の鉢でも陶器にはいいものがいくらでもあるよ。それをわざわざ下手ものの貧乏徳利なんか選択してかくんだ、惜しいじゃないか」ということでした。しかし、青楓は自らのように貧乏な生活を送っているものにとって、「貧乏徳利」を描くことは必要と必然があると論じたのです。
 
 これだけでは、何のことやらわからないと思いますので、『漱石と十弟子』「貧乏徳利の論争」を引用します。これは、互いの手紙のやり取りだけで構成されています。
 
 拝啓。先日は失礼致しました。その際私がxx展に出品した静物画について「あれは貧乏徳利だ」ということで、いろいろ私の反省する点を御教えくださいました。その時、私の立場も種々申し上げましたが、まだ言い足りない点もあり、その後家で考えたこともありますので、手紙でもう一度申し上げますから、どうかお聞きください。
 先生のお言葉の「あれは貧乏徳利だ」と仰られる内容には、無諭軽蔑の意味が含まれていると存じます。先生の御言葉の裏を申しますと、「津田はああいう安っぽい貧乏徳利を描かないで、もっと気のきいたものを描けばいいじゃないか。青磁の壺でも赤絵の鉢でも陶器にはいいものがいくらでもあるよ。それをなぜわざわざ下手ものの貧乏徳利なんか選択してかくんだ。惜しいじゃないか」ということなんだろうと存じます。それは全くその通りなんです。私の手許に青磁の壺とか赤絵の鉢があったら、私はむしろその方を制作の材料に使っていたかも知れません。ところが、残念なことに私の現在の生活は貧乏なので、ちょうど下手ものの貧乏徳利の程度がせい一杯なのです。まあ、あの貧乏徳利が私の今の生活を、象徴しているようなものなのです。それで私は無造作に下手物の徳利を材料にとりあげて、あの画をつくったのです。
 しかしあの貧乏徳利は私の趣味嗜好に相容れないもので、タタキ壊してもいいという程のものでもありません。あれでも黄菊か赤いダリヤでも一輪挿して私の部屋のどこかにおけば、寂しい茅屋でもたいへん滋味がでて、急に明るくなったような愉しさを感ずるんです。だからあの貧乏徳利といえども私にとっては、今の生活の貴重な一つの什器なのです。
 私は制作をするときに画家が自分の生活の内にないものを、他人から借り出してきて画にするのを見受けますが、あれは間違った態度でないかと考えているんです。借り着という言葉がありますが、借り着は結局身につかないものです。なんとなくぴったりしません。歌人が歌を作る場合、その材料の範囲は相当にひろいようですが、借り物とまでは言い切れなくとも、身についていない惑じのする歌が多くあって、私逹の魂をゆり動かせてくれるようなものにぶつかることが稀なのです。それというのが、自分自身の日常生活から取材しないせいでないかと思います。
 画にもこの意味は適用されるべきでないかと考えました。美術学生が下宿生活をして高貴な壺だの敷物なぞ材料に使ってもそぐわないし、同時に対象の高貴性がどこまで表現されるか、生活程度の差異から理解することの不可能なるが故に、甚だむつかしいことだと思います。
 いい画を描こうということはーー他にも種々条件はありますが、対象の世界が判然と理解されているものを材料に取りあげて、画をつくろうという意図なのです。
 そうすれば、どうしても日常生活において座右に朝夕愛玩されているものを、手はじめにするより他にないということなのです。
 私の貧乏徳利は、私の現在の生活において一番ぴったりした品物なのです。つまり先生の生活程度と私の生活程度の差異の問題になるんじゃありませんでしょうか。貧乏人が鰯を喰った満足感と、金持が鯛の刺身を喰ったあとの満足感は、必ずしも鯛の方が肴の王様だという理由で、鯛の剌身を喰ったものの方が満足惑が大きいとは断言できないような気がいたします。わたしは今のところ鰯を険って満足しようという程度なのです。
 今一つ、これは問題が少し派生的なことになるかも知れませんが、この手紙を書きつつ頭に浮んだことなので書き添えます。何卒、冗漫に渉ることをおゆるしください。
 陶器のうまいのは絵画と同様、人間の造るもので立派に出来たものは。美術品の範疇に入るものですが、そういう立派な陶器を対象として画を作ることは、余程むつかしいようです。芸術的表現が二度繰返されることになるので、最初の表現(陶器の場合)よりよくなることは稀で、多くは陶器そのもののいい処は抹殺されがちの結果におわるのです。しかし画絵は対象の再現または模写でないという意味で、本物よりも不味いものができても、一応の言い訳は成り立ちますが、その場合陶器とマズく表現された画とを比較するとき、画家の感受性が余りにも貧弱なのにつくづく慨嘆せざるを得ないようなことが多いのです。
 それで狡いやり方かも知れませんが、下手物のような何等芸術的効果も特別な作為をも持たないで、ただ一途に、酒を入れるためにとか肴を盛るためにとか、実用的のことのみを考慮してつくられた雑器の類を取扱って、そこから絵画的な効果を作品に現わそうと考えることはどんなものでしょう。この次、御伺いする時何卒この点について先生の御意見をおきかせくださるよう御願い致します。草々頓首。 津田青楓
 
 拝復。貧乏徳利の議論は一応御もっとものようですが、貧富からくる生活の区別が私とあなたとではそれ程懸絶しておりません。従ってこれはまだ外に深い理由があるのだろうと思います。この間の絵について御帰りのあとなおよく考えた処を一寸申上ます。あの画のバックは色といい調子といい随分手数のかかった粉飾的気分に富んだものです、少なくとも決して簡易卒直のものではありません。しかる処、その前景になっているものが如何にも無雑作な貧乏徳利と無雑作な二三輪の花です。そこに一種の矛盾があって看る人の頭に不釣合の感を起させるのでしょう。もっとも西洋人が見たら貧乏徳利だか何だか分らないくらい、吾々の持っている聯想は起らないかも知れないが、しかしあの徳利のかき方が如何にも簡単で、一と息きであるから精根を籠めたバックとはその一点で妙にすぐはなくなるのです。私はどうしてもそうだと断言したいのです。
 それからあのバックについて一言申上ますが。あれは単独にいって好きですが、趣味からいうと飾り気の気分にみちたもので、まあ豊腴な感じのあるものですし、それからそれをかくためには大分な労力を要する性質のものです。だからあまり丁寧にかき過ぎても、また沢山かき過ぎても厭味が出て参ります。一つこれをかいて見せつけてやろうという気が出てくるのです。
 あなたの大きな画ではあのバックがあまり沢山描き過ぎてある、小さな画では(徳利に比して)丁寧にかき過ぎてある。それが双方とも私の意に満たない原因の大なる一つかと考えます。御参考までにわざわざ申上ます。あなたから見たらわざわざ聞く必要もないかも知れないが、あなたのように気取ることの嫌な人があのバックについて不意識の間に気取っているような結果になるから、妄言に対する御批判を煩わしたくなったのです。御考は今度御目にかかった節承わります。さよなら。 (大正2年)8月24日  夏目金之助
 
 拝啓。小生のくだらぬ作品について、諄々御親切な御批評を頂きまして恐縮しております。今度お会いしたとき、御批評に対する私の意見を述べるようにとの仰せでしたが、私は生来お喋りが下手なので、人前では思っていることが、ほんの一部分しか言えないのです。殊に理智によって判断を下すような事柄になると、なおさら駄目なのです。喧嘩の報告のようなことになると存外舌が滑らかになって、自分でも不思談なほど上手にお喋りができることがあります。
 それ故一度手紙で先生の御批評に対する私の考えを述べさせて頂きます。御迷惑でも何卒最後までお読みください。
 先ず最初に先生は、
「貧富からくる生活の区別が、私とあなたとではそれほど懸絶しておりません」
 と仰せられることです。この点は私には大いに異存があります。先生も一応は御承知のように、私は六円何がしの家賃の家に住んでおります。親兄弟は元より誰からも一銭の援助をも受けず、手あたり次第に銭になる仕事を引受けてやります。趣味の好悪だとか能力の可否なんか問題にする余裕はありません。それよりも妻子を餓死させるということのほうが遥かに問題は大きいので、いわば襤褸屑を拾いあつめるような仕事をして、どうやらその日を送っている程の人間です。まことにーー生活者としては一番低い天井裏の生活者なのです。
 それと先生の生活が余り懸絶がないなんて仰せられるのは、先生の主観かまたは多分に感情でそうお思いになられるのではないでしょうか。他人の生活に立ち入って兎や角いうことは余り好ましいことではありませんが、貧乏徳利一個が私の生活の唯一の装飾品という程なんですから、そりゃくらべものになりませんよ。
 先生に言わせれば、儂だって君と同様襤褸屑のような仕事をして、好きな骨董品も買えないで齷齪とやっているのだ。日々の収支の数字はコンマの置き処は違っているかも知れないが、主観的にはそう懸絶がありよう筈がないと叱られるかも知れませんが、私からいえば貴族とドプさらいほどの懸絶があります。
 次に先生は、
「あの絵のバックは色といい調子といい随分手数のかかった粉飾的気分に富んだものです。少くとも決して簡易卒直のものではありません。然る処その前景になっているものが如何にも無造作な貧乏徳利と無造作な二、三輪の花です。そこに一種の矛盾があって、看る人の頭に不釣合の惑を起させるのでしょう」
 ここではバックの描法と貧乏徳利とが不調和だという御説であります。仰せのようにバックは印象派的な点描方式で描き、貧乏徳利は旧来の表現方式で描きました。先生は貧乏徳利そのものを不調和の原因になさっているようでありますが、実は表現方式の不調和に基因するものでないかと思われます。
 徳利もバックも同じ様式で描けばよかったのかも知れませんが、そうすると徳利もバックの距離に沈んでしまって徳利の存在が明瞭を欠く恐れがあるので、こと更にバックと徳利の表現方式をかえてみたのですが、先生からそうおっしゃられると、あるいはバックも徳利も同じく点描式にやっちまえば、そうした矛盾が解消されたのかも知れません。その代り徳利はグッと画面に沈んでしまってバックの模様と混同されるような結果になるかも知れません。
 最後に今一つ弁解めいたことをさせて頂きます。
「あなたのような気取ることの嫌いな人があのバックについて無意識の間に気取っているような結果になる……」
 先生は私にあなたのような気取ることの柚いな人間といって頂きましたが、実をいうと、私自身がそういう人問だったのかと先生のお言葉で始めて気がつきました。なるほど私はいつでも素地のままの自身を抛げ出して周囲にもしくは社会に接して行きたいと心掛けています。このことは単に私自身の身勝手から出た行為なのです。つまり気収ったり、見せかけたりすることは自分自身を非常に窮屈にするので、その窮屈さが絶対に私には相容れないものなのです。だから嫌いな窮屈から脱却するためには、いつでも凡てを掬げ出して裸体で接触するにかぎると思っているのです。
 そこでこの芸術作品にもこの流儀を応用して、気取らずに楽な気持ちで作品をこさえればいいようなものですが、そうなると持って生れた本来の私自身は直截に表現されて厭味のない作品はできるかも知れませんが、持って生れた本来の厭味はいつになってもぬけきらず、むしろ益々増長して厭なものが段々強大になってゆくだろうと推察されるのです。私自身の顔を鏡にうつして厭な処を自分自身で見ているように、それが作品の上に現われることは堪えられないことです。この持って生れた厭味を取り払うためには一生懸命努力して、いろんな鞭がその悪魔を追い払おうと思っているのです。
 だから私の現在の画は半ば勉強画(えちうど)であり、半ば制作(たぶろう)ということになりそうです。
 そんな訳ですから、当分はまだまだ私の画にはいろんな厭味がつきまとうかも知れませんが、どうか御辛抱してごらん下さる様お願い致します。
 長々と自己弁解を書き続けましたが、お気の向いた時寝ころんでお読み下さる様。何れその内またお邪魔に上ります。敬具。 津田青楓(漱石と十弟 貧乏徳利の論争)
 
 青楓は、大正元年12月に刊行した森田草平の長篇小説『十字街』の装禎を初めて手がけています。その装丁に対して12月2日、漱石は青楓に「十字街の表装拝見しました。徳利は模様としてはいいが本の表紙としてはいやですね。あの紙も面白いとも思えません。字はすこぶる気に入りました。黄色の方は字も模様も紙も色も好きです。しかしそれは支那から出て来た好きだろうと思います」と評しています。
 この徳利が、頭のどこかにあったのかもれません。





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最終更新日  2022.05.20 19:00:05
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