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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2022.06.27
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カテゴリ:正岡子規
   酒は桃鯛は桜を草の庵(明治26)
   草の戸や桜の鯛に桃の酒(明治26)
   雛もなし男ばかりの桃の酒(明治28)
 
 古くから3月3日は、節句として祝われてきましたが、雛人形を飾るようになったのは室町時代から江戸時代にかけてのことで、広く普及したのは明治に入ってからのことでした。雛人形は、もともと心身の汚れを移して水辺に流れ捨てる人形(ひとがた)で、『源氏物語』須磨の巻にも光源氏が陰陽師を読んで人形を船に乗せて海に流す記述があり、平安時代から払いの道具として使われていました。その人形が次第に立派になり、呪術の要素が薄められて、装飾的な雛人形になったと考えられています。
 桃酒は桃の花をとって酒に浸した酒のことで、体に溜まった邪気を祓うものとして飲まれていました。桃は「百歳(ももとせ)」に通じることから、邪気を払い長寿をもたらす力が宿っていると考えられたのです。節句に特定の酒を飲むのは、邪気退散の意味が込められていて、正月にはお屠蘇、上己の節句(3月3日)には桃酒、端午の節句(5月5日)には菖蒲酒、七タ(7月7日)には一夜酒、重陽の節句(9月9日)には菊酒が飲まれています。しかし、江戸時代中期になると、桃酒の他に白酒が飲まれるようになりますが、白酒もアルコール分が含まれているためか、今では「甘酒」に取って代わられています。
 
   てらてらと桃咲く中や何ヶ村(明治27)
   鶏鳴て村静かなり桃の花(明治27)
   人載せて牛載せて桃の渡し哉(明治27)
   路はたに桃の花咲く小村かな(明治27)
 子規は、明治27年3月には高浜虚子とともに西新井の大師堂での梅見、越谷中野での桃見、上野の桜見を楽しんでいます。「小日本」3月29日に掲載された「中野の桃花」には「ここに東京を去る七里にして越ヶ谷というところあり。千住より鉄道馬車に乗りて達すべし。ここに桃の林ありて都下の雅人杖を曳く者多かれど中野村の桃源知る者は稀なり」とありますが、明治22(1889)年の水害で桃は枯れてしまい、子規が中野を訪れた頃には桃の花はわずかにしか見ることができなかったのではないかと思います。
 同じ中野という地名でも、杉並にも中野の「桃園」があります。もともとは、五代将軍・綱吉がつくったお犬様収容施設「五の囲」の跡地だったのですが、八代将軍・徳川吉宗が鷹狩りに来た時、気に入りの場所を見つけそこに桃を植えるように命じました。やがて桃は大きく育ち、延享(1744~48)の頃になると、江戸の人々によく知られるようになりました。しかし、こちらも越ヶ谷同様、江戸末期になると桃は枯れてしまい、中野3丁目の旧地名「中野桃園」にかつての名残を残すのみになっています。
 
   くひながら夏桃売のいそぎけり(明治26)
   桃くふや羽黒の山を前にして(明治26)
   桃の實を論語讀む子に分ちけり(明治31)
 
   桃酒やためしめでたき西王母(明治21)
   白桃や日永うして西王母(明治32)
 
 桃は、『古事記」『日本書紀』でのイザナギノミコトがイザナミを訪ねて黄泉の国へ出かけますが、変わり果てたその姿に驚き逃れようとします。後から追いすがる黄泉醜女(よもつしこめ)に、桃の実をとって投げつけると悪霊から逃れることができたという話や、「桃太郎」の民話に至るまで、桃は不思議な力を持つ果物だと考えられ、仙人の果実「仙果」とも呼ばれてきました。
 孫悟空で知られる『西遊記』には、桃が登場します。悟空は、玉帝より西王母の所有する蟠桃園(ばんとうえん)の管理人に任命されます。この蟠桃園の桃には、仙人になれる三千年に一度熟する桃、不老長寿になれる六千年に一度熟す桃、天地のある限り生きられる九千年に一度熟する桃があり、悟空はこれを食べて天地のある限り生きながられる命を持つのです。
 西王母は玉帝の奥さんで、道教では最上位の女神である。崑崙山を統治し、『山海経』には「西王母はその状、人のようで豹の尾、虎の歯でよく嘯(うそぶ)き、おどろの髪に玉の勝をのせ、天の厲と五残を司る」とあり、豹の尾と虎の歯を持つ半人半獣の姿で、天の災いと五つの刑(墨・鼻切・足切・宮刑・死刑)を司っていました。西王母の誕生日は3月3日。まさに桃の花の季節です。
 子規は、西王母から命の実をもらいたかったのかもしれません。





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最終更新日  2022.06.27 19:00:11
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