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カテゴリ:夏目漱石
漱石と安井曽太郎は、会ったことはなさそうですが、曽太郎のことはよく知っていたようです。 というのは、曽太郎と津田青楓は明治40年からともにヨーロッパを旅しています。青楓は先に帰国しましたが、曽太郎は7年の間フランスにとどまり、アカデミー・ジュリアンに学んで、セザンヌの影響を受けています。また、フランスのみならず、イギリス、イタリア、スペインなどへも旅行をしています。 帰国したのは大正3年。第一次世界大戦が勃発して、ドイツがフランスに宣戦布告したため、日本へ帰国したのです。また、曽太郎も健康を損ねていたため、療養を考えてのことでした。 曽太郎が日本画壇で話題になるのは昭和に入ってからのことで、明快な色彩と要約したフォルムの油絵として人気になり、梅原龍三郎とともに人気を二分しました。 曽太郎は、絵の虫とでもいうほど、絵の練習を続けたようで、青楓は『漱石と十弟子』でそのことに触れています。 途中そんなことを思いつづけつつ、東京日々新聞社に相島勘次郎氏を訪問する。 「僕が名剌を書いてあげるから行ってごらん。なんて言うか知らないが雇ってはくれるよ」 「画家なんて言うものは一生勉強で、これで卒業ということはないんですからね」 「あんまり時間に縛られても、勉強する時間がなくなって困ります」 「安井曽太郎君はまだ巴里にいるかね」 「まだいますよ。あの男は結構ですよ。何年でも家から金を送ってくるんですから」 「画家なんていうものは貧乏人では完成しないですね。いくら勉強する意志が強くっても、また才能があっても貧乏人じゃ大成しませんよ、自分で稼がなければ追つっかないようでは」 「しかしいつまでという期限がなくちゃー」 「理解のある援助者が必要ですね」 「…………。」 「画家というと放縦な生活をする者が多いからね。あれば贅沢をして、いつまでもブラブラして勉強せんのじゃないか」 「そういう人間もありますね。安井君なんか不思議な存在ですよ。あんな勉強する人間もめったにありませんね」(日記抄12) 小宮「津田君、画かきの方ほどうだろう。無名画家で偉い人はいるかね」 津田「いますね。僕の友達にYASUIというのがいますが、あいつは必ず日本の画壇ではスバラシイものになるでしょう。何しろダンマリやでコツコツ勉強する以外に能がないので、バレットの虫みたいな男なんですけれど、意志力の強いのではとても我々はかなわない」 三重吉「津田の友達かい。そんな。パレットの虫みたいなものが、いい画描きになれるかい」 津田「所謂ありきたりの天才というのとは一寸違っていますがね。先生は名主の画行灯ではなかったのですか。YASUIは昼行灯で商売の手伝いは何をやらせても駄目なので、無口でプラプラしていて邪魔になって困らされたのですよ。親達は、仕方がないから言うままに画をやらせたんだそうですが。全く天才ですね。アカデミージュリアンという所は世界中から芸術家の卵が集ってきますが、彼のデッサンはすばらしいもので群を抜いているんです。毎年のコンクールで彼のように首席ばかりをとるものはないんです。もっとも師匠のジャンボールという人はアカデミックな仕事をする人なんですけれど、日本人の小悧口な者はアカデミックの仕事を馬鹿にしてしまって、最初からしゃれた仕事ばかししたがる者が多いのです。だから日本人仲間では彼を天才だなんて考えるものはいないようですけれども、僕は逆に考えているんですよ」 漱「そのYASUI君はいつ帰るんだ」 津田「もうそろそろ帰るでしょう。私と一緒だったんですが、私は三年で帰ったんですが、彼はあとに残って勉強しているんですから、もう五、六年にもなるでしょう」 小宮「YASUIが帰ったら一っ画会をやらそうじゃないか、僕も早速申込むよ」 三重吉「ツダ、ツダ、貴公そういう天才はあぶないぞ、キリンだキリンだと思い込んでいると、いつしか駄馬に化げてしまうよ」 漱「そう言う青年のいることは頼もしいね」 津田「そうですか」 漱「森田、文芸欄は公平にやってくれ。津田君、文展の落選組をあつめて、一つ日本のアンデパンダンをやってみたらどうだね。落選の中にも存外な掘り出しものがあるはずだよ」(アンデパンダン)
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最終更新日
2022.06.28 19:00:04
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