漱石・子規共通の知人・大谷繞石の描くロンドンのクリスマス
今日はクリスマスイブなので、今までにご紹介している漱石と子規のクリスマスに関するブログもご覧ください。 子規のクリスマスはこちら 漱石のクリスマスはこちら 漱石の友人で英文学者の大谷繞石が、ロンドンでの留学体験を綴った『案山子日記』という本があります。国立国会図書館のデジタルアーカイブにあるので、誰でも簡単に観ることができます。ただし、400ページ以上もあり、しかも目次がありませんから、探すのが大変なのですが、今から100年以上前のクリスマスについての記述があります。少し分量が多いので、クリスマス・イブとクリスマスの2回にわたって紹介します。 ○クリスマス、カロル 十二月二十二日の夜九時頃、夕食を済まして家の人たちと表の食堂で世間話していると突然玄関のドアのあたりで歌の声が聞こえた。「どこで歌ってるんです? ありゃ何です?」 と訊ねると、G嬢が「宅のドアの処でしょう。クリスマス、カロルです』 という。ディケンズの『クリスマス、カロル』以来お馴染みの言葉だが、実地に耳に聞くのは今が初めてだ。 食堂をホオルヘ出て見ると、ドアの上半部に嵌めてある熱い色硝子に、ペエヴメントの街灯から射る光を遮って、小さい頭の影が四つ見えている。 子供らしい可愛いい声だ。朗らかな声じゃない。おっかさんの前で読本の下読でもしてるような、小さい可愛いい声だ。抑揚の余りにない歌だ。 僕はドアに身を寄せて耳をすまする ハア、ザ、へエラア、ニンゼル、シン グロオリー、ツ、ザ、ニュウボーン、キン とはっきり分る。 Hark! the herald angels sing Glory to the new-born king; Peace on earth, and mercy mild, God and sinner reconciled Joyful, all ye nations, rise, Join the triumph of the skies; Universal nature say, Christ the Lord is born today. と他の三つのスタンデから成っている。一番普通なカロルを歌ってるのだ。いくらか貰うまでは去らぬと見えて.それがすむと、 ワイル、シェバア、リッチ、ザアイア、ブロックス、バイ、ナイ と更に歌い初めた。ソイルからシェ、パアと順に声を上げ、ヲワチを下げ、ザアイをまた下げ、フロックス、バイ、ナイち一音ずつ上げていく。極めて平易なチュウンだ。少し習ったら僕にも歌えそうだ。 オオル、シイテッ、オン、ザ、グラウン ナイよりも一音下げてオオルとやる。一音上げてシイ、二音下げてテッド、二音上げてオン。それからザ、グラウンドと随時尻を上げる。文句などは僕も見たことのある歌だ。 While shepherds watch’d their flocks by night, All seated on the ground. The angel of Lord came down, And glory shone around. を第一のスタンザにした六スタンザの歌だ。 余り長く歌わせるのは気の毒だ。一文ずつやろうと、そっとドアを開けると、僕の顔を見上げたまま、やはり歌い続けている。右の端のが七つくらいの女の子、その次が六つぐらいの女の子、その次は八つ九つの女の子、一番左が十一二の男の子だ。 ズボンのスリットから銅貨を出して、めいめいに一ペニイずつやると、小さな手を出して、「サンキュウ、サア」といって歌をやめた。「上手に歌うね」 いったら、女の子だけは嬉しそうに、にっこり笑った。「誰に教わったの?」 と聴くと、「ティチャア、サア」 と、かすかな声で、一番小さな女の子が答えた。そして靴音もさせずに玄関を下りて行った。霧雨が降ってて、外は暗かった。 食堂へ帰ると、G嬢が「どうでした」 という。僕は一時間ぐらいゆっくり聞きたいと、いっておると隣の玄関に行ったとみえて、またも ハア、ザ、へエラア、ニンゼル、シン グロオリー、ツ、ザ、ニュウボーン、キン と歌っている声が夢のように聞こえた。 ○クリスマス、カアド 十二月の初めから、文房具店はクリスマス、カアドを売り出す。廉いのは半ペニイからある。高いのは半ペンスのも、一シリングのもある。中に刷り出してある文句は、 With air Good Wishes for a Merry Xmas and a Bright New Year. だの With Best Wishes for a Merry Christmas and a Bright and Prosperous New Year. だの All Christmas Joys and Happiness be Years. だの With all Kinds Thoughts and Best Wishes Christmas. だのいう、簡単なものもあれば、テニスンやシェークスピアの長たらしい詩句を冒頭にしたのもある。それが多くは色文字か金文字だから美しい。 今年のクリスマスは日曜日とかち合ったので、前日中に着くようにいずれも発送する。僕は余り人とは交際せぬ方だが、それでも二十二日頃から郵便の配達ごとに三枚や五枚はきっと来た。 クロージャー博士からのは、表面はホリイの花環に金の蹄鉄。花環の中は池を隔てて、雪の森の絵だ。内側はクリスマスの祝儀の文句の他に The year s go spending past, And changes come with years But Friendship aye will last, Time but endears. というパーンサイドの詩の句が刷ってある。 オスマンエドワアプ氏からのは、忘れな草を縁にして、雪に埋もれた教会が表側の絵で、内側は祝儀の文句に Take this tribute, may it wake Memories sweet for auld time’s sake. というシイルの文句が.小さく金文字で刷ってある。 ネリイ嬢からのは、表は四つ葉の酢漿が金で大きく浮かしてあって、内側には I count myself in nothing else so happy as in a soul remembering my good friends. という沙翁の句が古代文字で色うつくしくすられている。 賀正 だの 謹賀新年 だの書くほかには、 なお平素の疎情を謝し 併せて倍旧の厚誼を祈る なんてなこと位、それも何の趣向もなく、ただのハガキに印刷されたのを見慣れている僕には、送ってきたクリスマス、カアドがどれもこれも珍しく、また興味あるもののように感じられた。 ○クリスマス、フレゼント 親しい間柄、親類縁者の間では、互いにクリスマスの贈物をする。貰う方で重宝なようなものをと趣向を凝らす。 僕の今井る家庭には三人娘がいる。J嬢G嬢O嬢と。小包が届くと「私へのはないの?」「あたしへは三包よ」 なんて三人ともすこぶるエキサイトする。手に取るなり、すぐ糸を切って包み紙を開く。「オオ、デア、ーーハンカチッフス、アゲン」「イズントデス、ナイス」「ビュウチフルーーッヴリイ」「ルックーーヴェリイ、プリッチイ、イズントイット」 と三人が我れ勝ちに僕に見せる。あまり上等の品でなくとも。「イエス、ヴェリイ、プリッチイ」「アイヴ、ネヴァ、シン、サッチ、ア、ビュウチフル、ワン」 などと、心にもなく褒めてやらなきゃご機嫌が悪いらしい。 娘へは書物は余り来なかった。しかし本屋の前に立ってみると、進物用の美荘のが、著しく飾ってある。 ワリス、ミルスの水彩画挿画の模写が十枚入っている、半牛革、リネン表紙、金縁、十巻本のゼエン、オオスチン集の綺麗なのが目につく。いくらかと見ると七十シリングすなわち三十五円。 半ヴェラム、リネン表紙金縁で、背皮に草花模様の清楚な七巻本のジョオジ、エリオット小説集がある。価はとみると八十シリング、すなわち四十円。 三十八巻のラスキンのライブラリイ、エジションがある。サリストン、クロオス製のが三十九ポンド十八シリング、すわち三百九十九円、半モロッコのが五十九ポンド十七シリング、すなわち五百九十八円五十銭と札がついている。 廉いといっても僕ら貧書生にはこんな美装のは到底買えはせぬ。 僕には二十四日に小包が四つきた。一つはゴランツ教授からので、先生自ら監修出版せられているキングスクラシックス中のフィッツジェラルドのポロニアス。今一つはロオス嬢からのだ。黒皮表紙の沙翁ソンネット集。前述のゴランツ先生の緒言と語解が添わっている本だ。今ーつはエリザベス、ビズランド夫人からので、自着のJapanese Letters of Lafecadio Hearn。今ひとつはキアノン嬢からのでメエタアリンクのキズダム、アンド、デスチニイであった。 注釈を加えると、「クリスマスキャロル」はイエス・キリストの誕生を祝う歌で、クリスマス前の時期に歌われます。Hark! the herald angels singで始まるのはフェリックス・メンデルスゾーンによる「天には栄え」というキャロル、While shepherds watch’d their flocks by night,は「羊飼いが群れを見ている間」というナフム・テイトのものです。 クリスマスカードは、イギリスのビクトリア・アルバート美術館のヘンリー・コール館長が何枚もの手紙を書く手間を省くため、1843年に1000枚を作成して販売したのが最初だといわれます。これには当時のイギリスでは、1840年に始まった1ペニーで英国内中どこへでも送れる「ペニー・ポスト」と呼ばれるシステムの施行があったからこそ、考案されたようです。