子規の周りの人物秘話135:秋山真之04
約3カ月、子規と同居した秋山真之でしたが、海軍兵学校へ進むことを決め、子規の下宿を後にします。兄の好古に学費を頼っていた真之は、自立の道を選択したのです。 『友人子規』には真之が「毎年大学予備門に入る者がこう多数ではついに学士の氾濫を見るに至るであろう」「秋山は学資が続かずして官費の兵学校に転じたのだ」と子規に語り、海軍兵学校へ転じたと記しています。 明治19年6月、帰省する真之に子規は「秋山大人の国に帰るを送る時見のはなむけせんとて戯れに二首よみて贈り侍る。いずれをよろしと思わんや」と書き、和歌二首を贈りました。 海神も恐るる君が船路には灘の波風しずかなるらん いくさをもいとはぬ君が船路には風ふかばふけ波たたばたて 明治19年6月23日、芝の二兄・岡正矣宅にいた真之は子規に宛てたハガキを送りました。 御詠句ふたつながら感服、棒は菊池に托せり 送りにし君がこころを身につけて波しずかなる守りとやせん こころせよきみはなれにし武蔵野もなほ是よりはあつさまされば 右二首を御返事に替へ申候。御一笑被下度候。 こののち、真之は帰郷して7月27日には上京し、旧藩主子の子供である久松定靖のお伴をして、日光御幸町神山方で日光周辺の景勝を楽しみました。 そして、10月30日に海軍兵学校の生徒となります。兄の好古が陸軍に進んだのに対して、真之がなぜ海軍を選んだのかというと、伯母の岡しん子は、兄好古が「自分は陸軍だし、海軍は比較的志望者も少なかったので、弟は海軍の軍人にした方がよい」とすすめられ、兄に学資の迷惑をかけたくないとの思いから、海軍兵学校を志願したようです。 翌年4月10日、真之は第一高等中学校寄宿舎に入寮していた子規を訪問し、清水則遠の追善会や墓石建立のことなどを相談しました。しかし、真之は金欠だったらしく、13日には手紙で金欠のため、「若干の友人から借用できるよう努力したのでが、終に失敗に終った」ために借用の願いを届けています。 真之は英語が得意だったようで、これらの手紙は英文で書かれています。 郷土の上京志望者の間で真之の海軍兵学校入学が話題となったようで、子規のところにそうした問合せがあいつぎました。 真之は、10月28日に英文の手紙を送っていますので、その内容をご紹介しましょう。 Naval Collage Oct 28th My dear In this afternoon I received your letter and now I hasten to reply it. At leisure I inquired all my school mates about the best preparation school for our collage, and the opinions isseveral. One of them said, the Kondo-zuku is improving its regularty of instruction lately, & it will be a best preparationschool for Naval Collage. Some one say, but that zuku is not good for the English study. And one of them says, Eiwa-gacko is very good for English. But now I say, it is not best preparation-school to he successful in the entrance examination of our collage, but only the study. The mathematics is most difficult among the all, therefore one who wish to enter this college must take a heavy study of Arithmetic & Algebra. The English is the next. Our new caddets came from several parts. Some of them came from Kondo, some came from Kyoritsu-gacko or Seiritsu-gacko, and some from Awoyama Eiwa-gacko. Every school is much enough for preparation of the Naval Collage, and need not to chose best school. If you have not yet promised to join your friends elsewhere, I shall be delighted to have you with me in comingSunday's after-noon, and will tell you many that the lettercan not tell. Your sincerely S. Akiyama 〔訳文〕 拝復。本日午後貴翰落掌急ぎ返書認め候。吾校への最上の予備学校につきては、諸友に折々暇に任せて相尋ね候。其に就き諸論相分れ候。一人の曰く、近藤塾は最近教授法を改良致したり、されば海軍兵学校への最上の予備学校ならんかと。されど一人は彼の塾は英学には良からずとの反論もあり。また、一人は、英和学校こそ英語に良からめというあり。されど、余がいわんには、吾校に入らんとする入学試験に成功せんとするには、そは必ずしも相応しからず、唯学習あるのみと。 なかんずく、数学は至難のものにして、吾校に入らんと欲せば、幾何学・代数学に重きをおきたる学習を為さざる可からず。英語は次なりと。新入兵学校生徒は、所々方々より来れり。近藤塾、共立学校あるいは成立学校並びに青山英和学校それなり。何処の学校たりとも、海軍兵学校に入る用意としては充分なり。最良の学校を選ぶ要は全く無きものに候。 貴兄にして友人に未だ何なりと約束せざりとせば、来る日曜日の午後拝眉賜はらば嬉しく存じ候。書状に尽くさざる所、その節委細可申上候。 恐々謹言。 十月廿八日 秋山真之 正岡常規様