2021.11.21

漱石とアート13/レンブラント

カテゴリ:夏目漱石
「くだって十六七世紀の頃までは全欧を通じて孔雀は宴席に欠くべからざる好味と相成居候。レスター伯がエリザベス女皇をケニルウォースに招待致し候節もたしか孔雀を使用致し候様記憶致候。有名なるレンブラントが画き候饗宴の図にも孔雀が尾を広げたるまま卓上に横たわりおり候……」
 孔雀の料理史をかくくらいなら、そんなに多忙でもなさそうだと不平をこぼす。(吾輩は猫である 2)
 
 レンブラントと孔雀といえば、少女が血抜きをしている孔雀を眺めている「孔雀のある静物」がよく知られています。しかし、卓上に孔雀のある絵というと、何になるのでしょうか? 「ベルシャザルの饗宴」では縁石は描かれているのですが、孔雀の姿はありません。
 
 レンブラントは、オランダの工業都市ライデンの製粉業を営む裕福な家庭に生まれ、地元の画家ピーテル・ラストマンに弟子入りしたのち、故郷のライデンの戻り自身の工房を構えます。
 もともと、レンブラントの画風は、赤褐色又は緑褐色を基調とした明暗を対比させた力強い表現と、意志をあらわす強い表情が特徴です。
 
 レンブラントは自画像を多く描いていましたが、1629年にオランダ総督の秘書ハイヘンスが訪れ、『銀貨30枚を返すユダ』の表現を絶賛しタコとが、レンブラントの転機となりました。
 これ以来、多くの肖像画の注文が舞い込むようになったレンブラントは、1631年にアムステルダムに移住。集団での肖像画を描くようになります。一人ひとりの人物を表情豊かに描き、スナップ写真のような動きまで取り入れたことで、名声はさらに高まりました。
 1634年には、裕福な美術商の娘サスキアと結婚し、大規模な工房を構えて、さまざまなジャンルの作品を手がけます。
 一時は1000点以上の作品がレンブラント作とされたいたのですが、この時代のほとんどが弟子の手が加わった作品や署名のみレンブラントが記したということが明らかになりました。
 しかし、1642年に手がけた『フランス・バニング・コック隊長の市警団の集団肖像画』で登場人物を平等に描かなかったことで依頼主たちから不評を招き注文が激減。破産という逸話が残っていますが、これは絵によるものではなく、資産運用の失敗と女性関係のもつれにより保辛くしたと考えられています。





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最終更新日  2021.11.21 19:00:05
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