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人生復刻版

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Aug 13, 2015
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1945年、

コクミンガッコ―1年生だった僕は、

地元の小学校に」通った。

登下校ともに、

上級生と集団行動だった。


夜は空爆があり、

昼間でも戦闘機の機銃掃射があった。

もちろんもう末期なのに、

政府も新聞もラジオも、

コクミンを騙しつづけていた。



僕は工業都市尼崎の北部に住んでいて、

今も同じなんだが、

住宅街だった。

南部の工業地帯は夜には火の海になっていた。

家の前の用水路の橋の下に

防空壕というものを作っていて、

警報が鳴ると避難した。

まだ4才だった弟は

防空壕に避難しても、

何もわからずによく眠っていた。


人々は、

爆弾はここには落ちないと噂していた。

戦争が終わるとこのへんは接収されるはずだと

もう状況を分かっている大人もいた。


ある晩、駅前に爆弾が落ちて、

その破片が家の二階のガラス戸を突き破って飛んできた。

鉄の瓦みたいなそれは、

長年家にあったけれど、

いつどうしたのだろうかもうない。


長い間、

爆弾が落ちちた場所は

小さな池になっていた。

爆弾は

誤って落としたらしかった。

その場所は、

今はなぜかミキメガネが建っている。

後年、

そこで僕はいつもメガネをつくってもらうことになるのだ。


終戦になると、

占領軍が入ってきた。

住宅の中のある屋敷は、

将校用の家になった。


長い長い洗車の列が通過して行った。

通過した跡は、

道路が波打って砕けていた。


誰も反抗しなかった。

洗車の列からは、

チュウインガムなどが投げられてくるという話だった。

僕はありつけなかったけれど、

敗戦だとか、

酷い目に合うそうだとか、

そういう空気はなかった。


それは僕の偏った感受性かもしれない。

僕は狂気の圧政からの解放してくれた解放軍だと受け入れていた。

新しい時代が来る、

とそこまでの思考力はなかったけれど、

新しい時代が来たのだった。


その歴史的大転換を、

未来永劫守り育て続ける、

というのが

戦後日本人の使命であり、

神様の贈り物なのだ。






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Last updated  Aug 13, 2015 06:28:56 PM
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