東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

2007/03/19(月)00:38

説教要約 227

「ゴルゴタへの道」                     甲斐慎一郎                     ルカの福音書、23章26~33節  ピラトの最終裁判において死刑が確定したイエスは、ご自分がつ けられる十字架を背負って、刑が執行される「ゴルゴタの場所」へ 連れて行かれました(マルコ15章22節)。この「ゴルゴタへの道」 が、いわゆる「悲しみの道(ヴィア・ドロローサ)」です。  聖書は、裁判が終わってからゴルゴタへの途上においてイエスに 接した三種類の人たちの姿を記しています。  一、イエスを侮辱したり、嘲弄したりした兵士たち(マルコ 15章16~20節)  兵士たちは、イエスをユダヤ人の王としてからかいました。イエ スに王の衣として紫の衣を着せ、王冠の代わりにいばらの冠を編ん でかぶらせ、王の持つ笏の代わりに葦の棒を持たせて、「ユダヤ人 の王さま。ばんざい」と叫んであいさつをし始めました。「また、 葦の棒でイエスの頭をたたいたり、つばきをかけたり、ひざまずい て拝んだりしてい」ました(17~19節)。  何のためにイエスは、このような侮辱を受けられたのでしょうか。 それは誠に恐れ多いことですが、イエスが最悪の罪人の位置にまで 降りて、「罪人たちの中に数えられ」るためであり(22章37節)、 また、このような罪人として十字架の上で死なれることによって、 罪の贖いを成し遂げるためです。  二、むりやりに十字架を背負わされたシモン(ルカ23章26 節、マルコ15章21節)  イエスは、ゲッセマネにおいて苦しみもだえて祈られた後、捕え られ、その夜は一睡もしないで6回の裁判を受けられました。その ために、疲労困憊し、背中にむちを打たれたことも重なって、重い 十字架を背負い続けられなかったのでしょう。  見るに見かねた兵士たちは、イエスの十字架を地方から出て来て 通りかかったシモンにむりやりに背負わせました。シモンにしてみ れば、これほどはた迷惑で恥ずかしく、苦しくて辛い、やっかいな ことはないでしょう。  しかし、このことを通して、シモンと彼の妻、そして二人の子ア レキサンデルとルポスがイエスの救いを受け、全家族そろって主に 仕える者となりました(ローマ16章13節)。神は「すべてのこと を働かせて益としてくださる」のです(同8章28節)。  三、イエスについて行った嘆き悲しむ女の人たち(ルカ23 章27~31節)  ゴルゴタへの途上、「大ぜいの民衆やイエスのことを嘆き悲しむ 女の人たちの群れが、イエスのあとについて行」きました(27節)。 イエスは、女の人たちに「わたしのことで泣いてはいけない。むし ろ自分自身と、自分の子どもたちのことのために泣きなさい」と言 われました(28節)。なぜイエスは、このようなことを言われたの でしょうか。  イエスは、その当時から数えて40年後の紀元70年に、エルサ レムがローマ軍に包囲されて滅亡することを知っておられました。 このような時、最も悲惨な目に会うのは、女の人と子どもです。ユ ダヤの国においては、多くの子どもに囲まれて、長生きすることが 最も幸福であると考えられていました。  しかしエルサレムがローマ軍に包囲される時は、むしろ子どもに 恵まれず(29節)、短命である(30節)ほうが幸いだと人々が思う ほどエルサレムの滅亡は悲惨なのです。  そしてイエスは、「彼ら(ローマ人)が生木(罪のないイエス) にこのようなこと(十字架の刑)をするのなら、枯れ木(審判の火 がつけば直ちに燃える罪人)(米田豊)には、いったい、何が起こ るでしょう」と言われました(31節)。イエスは、女の人たちに同 情するとともに悔い改めを勧められたのです。 拙著「キリストの生涯の学び」200「ゴルゴタへの道」より転載

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