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東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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2015.11.15
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カテゴリ:カテゴリ未分類
「人間の創造(2)」      2015年11月16日

インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network 
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。2012年11月15日放映「神の愛と人の愛 
  • 120408人類の新旧の代表2.jpg
「人間の創造(2)」
               甲斐慎一郎     
               創世記1章26、27節
 聖書は、人間は神によって創造されたと教えています。これに対
して多くの人々は、人間は猿から進化したものであると考えていま
す。前者が「創造論」であり、後者が「進化論」です。人間は、ど
のようにして生まれたのかということについては、主にこの「創造
論」と「進化論」の二つの考え方があります。この二つのうちどち
らが正しいのか、信仰と科学の両面から考えてみましょう。

  一、 創造論と進化論の前提について
  多くの人々は、人間が、どのようにして生まれたのかということ
について、創造論は信仰的(または宗教的)なとらえ方であり、進
化論は科学的なとらえ方であると思っています。
 しかし事実は、どちらも信仰的なとらえ方なのです。なぜなら創
造論は、神が人間を創造されたことを信じるものですが、進化論も、
科学的に証明することのできない前提(ある物事が成り立つための
前置きとなる条件)を信じるものだからです。それは具体的に述べ
るなら、次のように言うことができます。
  説教要約 863 裸の起源に見る進化論の誤り 

  二、創造論と進化論の成立について
  「創造論」は、天地万物を創造された全知全能の神が人間をも造
られたことを信じればよいのであり、まことに単純明快です。これ
に対して「進化論」は、多くの前提(ここでは次に述べる七つのこ
と)をすべて信じなければ成り立たず、しかもこの七つのことは科
学的に証明することができないだけでなく、現代の科学の教えに反
するものです。
 1.無から有を生じる自然発生があった――しかし現代の科学は、
自然発生はないと教えています。
 2.地質現象は、いつも同じように起きる――しかし化石や地層
は、地球上に激烈な大変動があったことを示しています。
 3.単純なものから複雑なものへ変化する――しかしエントロピ
ー増大の法則(熱力学第二法則)は、自然の過程は無秩序が増大す
る方向へ進む、言い換えれば複雑なものから単純なものへ変化する
と教えています。
 4.突然変異によって生物は進化する――しかし現代の科学は、
突然変異は有害であって、生物を退化させると教えています。
 5.生物は、時間をかけて少しずつ器官を獲得していった――し
かし現代の科学は、細胞の中にすでに、その生物を組み立てる遺伝
の情報がすべてはいっていると教えています。
 6.移行段階の中間形が存在する――しかし中間形の化石はなく
(ミッシング・リンク)、今も生きている生物と全く同じ形の化石
が発見されるだけです。
 7.進化の途上の不完全な生物が生き延びて繁殖する――しかし
生物は、完全な姿の時にのみ生き続けて、子孫を残し、現在も存在
していることができます。ですから、たとえ中間形の生物がいたと
しても、存続することはできず、一代で絶滅するでしょう。
  説教要約 864  裸の起源に見る進化論の誤り 

  三、創造論と進化論の功罪について
  創造論は、神が人間を創造されたことを信じるものです。ですか
ら神の啓示によって、人間とは何であり、どこから来て、どこへ行
くのか、また何のために生き、どのように生きるべきなのかという
ことがすべてわかります。これは人間にとって最も大切なことです。
 ところが進化論は、無から有を生じる自然発生という偶然から始
まり、無生物から生物へ、そして猿から人間へ進化したことを信じ
るものです。すべては偶然の産物ですから、人間とは何であり、何
のために生き、どのように生きるのかということが全くわかりませ
ん。これは人間にとって最も不幸なことです。
 私たちは信仰と科学の両面から考えて、創造論と進化論のどちら
を信じるでしょうか。
   説教要約 948  欠けた連鎖に見る進化論の誤り 
 
 甲斐慎一郎の著書説教集

拙著「創世記の聖徒たち」4「人間の創造(2)」より転載 

次回は2015年11月23日「人間の堕罪(1)」です。 
  • 120116創世記の聖徒たち.JPG
 











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Last updated  2015.11.15 20:33:07
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