2020/11/28(土)22:02
説教要約 1230
「みことばの働き(4) みことばの光」 2020年11月29日インターネットのテレビ局CGNTV(⇒みことばに聞く⇒関東⇒東京B)の番組に当教会の牧師が出演しました。2017年5月19日放映「初めに光があれ」「みことばの働き(4) みことばの光」 甲斐慎一郎 エペソ人への手紙5章8~14節 最後にみことばの光について学んでみましょう。 人間というものは、まず生命(種)が与えられ、次に食物(糧)をとらなければなりませんが、これだけでは不十分であり、さらに教育や文化など、人間として向上していくために知識や知恵が必要です。この知識や知恵に相当するものが光です。 一、光自体の働きについて 光には様々な働きがありますが、特に大切なのは、次の3つです。 1.照明する働き 「明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます」(13節)とあるように、すべてのものを照らして明らかにする働きです。私たちは、みことばの光によって神ご自身と自らの罪深い姿と十字架の救いを知ることができます。 2.結実する働き 「光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです」(9節)とあるように、良い実を結ばせる働きです。適度な暖かい光は、神の恵みの象徴であり、私たちの信仰を成長させます。 3.焼却する働き 「来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます」(第二テサロニケ2章8節)とあるように、強い光は焼き尽くす火の働きがあります。これは光の中を歩むキリスト者の罪を焼き尽くすものですが、同時に罪を悔い改めない罪人を焼き滅ぼすものです。 聖書は、みことばが光であるだけでなく、三位一体の神、すなわち「神とキリストと聖霊」が光であることを教えています(第一ヨハネ1章5節、ヨハネ1章9節、16章13節)。 二、光を生かす働きについて この神とみことばの光を十分に生かすためには、次のような3つのことが必要です。 1.光のほうに出てくること(ヨハネ3章20、21節)。 私たちは、みことばと聖霊の光によって自らの罪深い姿を示されたなら、逃避せずに罪を悔い改めてキリストの十字架を信じなければなりません。これが光のほうに出て来ることであり、そうしなければ暗黒と罪の中に止まることになるのです。 2.光の中を歩むこと(第一ヨハネ1章7節)。 光のほうに出て来て光の子どもとなった私たちは、事ごとにみことばと聖霊の光によって教えられたり、示されたりしたことを直ちに実践しなければなりません。これが光の中を歩むことです。 3.光を輝かすこと(マタイ5章16節)。 そして私たちが光の中を歩んで奉仕や善行に励むなら、神の光を反射して、ほかの人々が神を知って救われ、神の栄光が現れるようになります。これが光を輝かすことです。 三、光による働きについて それでは、人が光のほうに出て来ないなら、光は何にもならないのでしょうか。決してそうではありません。神は、光によって次のような働きをされるのです。 1.知識を与える 光は私たちの心の眼を開けて、見えるようにさせます。この「見える」というのは、「分かる」ということであり、「分かる」というのは、「区別する」ことができるということです。この区別することができるということこそ知識です。 2.知恵を与える そして光は、私たちに知識を与えるだけでなく、その理解したことを実行に移す知恵をも与えてくれるのです。 3.啓示を与える しかし最も大切なことは、これらのことが単なる人間的な知識や知恵ではなく、神からの啓示であるということを悟らせるのが光の働きです。みことばと聖霊の光は、「御子を私のうちに啓示」することができるのです(ガラテヤ1章16節)。 私たちは、光というものをこのようにとらえているでしょうか。「光」については、上段のインターネットのテレビ局CGNTVの「初めに光があれ」をクリックしてご覧ください。甲斐慎一郎の著書→説教集久米小百合氏司会「本の旅」→「使徒パウロの生涯」