2021/03/20(土)23:12
説教要約 1246
「主の打ち傷による救い」 2021年3月21日インターネットのテレビ局CGNTV(⇒みことばに聞く⇒関東⇒東京B)の番組に当教会の牧師が出演しました。2018年3月20日放映「確信と自信」「主の打ち傷による救い」 甲斐慎一郎 イザヤ書53章1~12節 預言者イザヤは、キリストが降誕される700年も前に私たちを罪から救われるメシヤについて、「彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」と預言しています(5節)。またペテロも、「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです」と記しています(第一ペテロ2章24節)。 「傷」には、次のような三つの意味があるのではないでしょうか。▽損なったり、傷んだりしたところ▽欠陥や欠点、また不完全や不足▽失敗や非難すべきところ、また罪 この「傷」ということばは、単に「物質や肉体」が損なわれたり、傷んだりするということだけでなく、「心の傷 」ということばで表されるように「精神的また霊的」な意味を持っています。 それで「傷」という観点から聖書が教えている大切な真理を学んでみましょう。 一、罪人の傷について 創世記4章には、カインがアベルを殺害した出来事が記されています。この出来事から聖書が教えている罪人の姿を傷という観点から述べるなら、次のような「あってはならない心の傷」を持つ者ということができるのではないでしょうか。 ▽自分の悪いところを指摘された時、それを認めず悔い改めないこ
とによる心の傷 ▽心の傷を受けた結果、人を憎み恨んで、報復せずにはいられない
という心の傷 ▽自分の思い通りにならないと心が傷つくという身勝手で自己中心
の心の傷 ▽どうせ自分はだめな人間なのだと言って心が傷つく卑屈な心や劣
等感 ▽自尊心が傷つけられたということばで表される高慢な心や優越感 このような心は、本来あってはならない悪い「心の傷」です。しかし人間は、このような傷に悩み苦しみつつ、罪の中にあるのではないでしょうか。 二、神(キリスト)の傷について 神は、このような人間の罪をどのように見、またどのように対処されたのでしょうか。このことに関して聖書は、私たちに次のような驚くべきことを教えています。それは、神は、私たちの罪のために傷つけられ、しかも三重の傷を受けられたということです。 ▽私たちが罪を犯すと、神のみこころが傷つけられ、正義の怒りが燃えることです ▽この罪を罰せずにはおかない神の正義の怒りと、罪人を愛してやまない神の愛の炎とが激しく戦うことによって受ける神の心の深い傷です ▽私たちの罪を赦すために神のひとり子が十字架において私たちの罪のために打たれ、また傷つけられたということです これは、何と恐れ多いことでしょうか。しかしこれが聖書の教えている神なのです。 三、キリスト者の傷について この神が受けられた傷によって、人間は、罪から救われて、神の子どもとされ、次のような祝福にあずかるのです。 ▽まず私たちは「彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」とあるように(5節)、キリストの十字架を信じることによって、罪のために傷だらけになっていた心が縫い合わされて、いやされるのです ▽次に私たちは、「神は傷つけるが、それを包み」とあるように、(ヨブ5章18節)、神の愛のむちを受けることによって、悪いところをきよめられ、「非難されるところのない純真な者となり……傷のない神の子どもと」されるのです(ピリピ2章15節)。 ▽最後に私たちは、私たちを愛するあまり傷を受けてくださった神を知ることによって、ほかの人々の弱さと苦しみと罪のために心を傷める愛の人に変えられるのです。 私たちの姿は、どうでしょうか。甲斐慎一郎の著書→説教集久米小百合氏司会「本の旅」→「神のご計画の全体」