テーマ:小学生ママの日記(28684)
カテゴリ:育児(小3)
私は、子ども達が小学校へ登校する途中まで引率するボランティアをしてます。
毎年年度末に感謝状をいただいてます。 私は自分の娘が通学しているのでやっているのにすぎないので、恐縮するしかないのですが。 今日は日曜日にも関わらず近くの馴染みの喫茶店まで、校長先生と教頭先生と生徒指導の先生などがわざわざ来てください感謝状を手渡してくれました。 在学している児童がいてボランテォアしているのは5人ほどで、後は全て児童もいない世帯の方で純粋にボランティアしてくださっている方々。 いつも子ども達の事を気にかけていただいて、頭が下がる思いです。 とても感謝してます。 校長先生のお話で、今回の東日本大震災についてのお話ありました。 その時に、さら~とご自身の体験にも触れられました。 神戸で震災のあった時の前日神戸ではとても珍しく大雪の予報が出ていたとか?(先生ははっきり覚えておられたが、私が先生のお言葉を忘れました。) 震災後、とても冷え込みが激しかったそうです。 運動場で暖をとるために、焚き火をしたそうです。 それに瓦礫を燃やしたり、本を燃やしたり、燃えそうな備品を燃やしたり。 その体験談を聞いて、周りの方も「そやったな。」と頷く。 ほとんどの方が、何らかの形で避難所での生活経験されてます。 もう10年以上も前に、今住んでいる区とは違う区で私は通りすがりの年配の女性に震災の体験談を聞きました。 その方の息子さんが、避難所での焚き木が瓦礫だけではおっつかないので、まだ使えるご自身の家具を燃やすのに差し出したそうです。 でないと焚き火を維持できないし、焚き火をしないと寒くて命が維持できない。 そのぐらい過酷な状況だったそうです。 当時、市内のどの避難所も同じような光景が繰り広げられたようです。 そして、おそらく同じように今回は東日本のかたも。 神戸よりも、もっと寒さの厳しい地方です。 それを思うと、どれほどのご苦労があるかと。 1日も早く暖かい季節になってほしいと願ってます。 報道で流れてくる情報は、ほんの一部です。 もっといろんな情報を伝えてくれたらと思います。 旦那様が以前言っていた神戸の震災報道について印象深い一言。 「報道は、都合の良いところしか映さん。 取材しやすい、絵になるところ。 匂いや温度までは、伝えてくれない。 実際は、もっと悲惨やった。地獄やった。」 普段あまり「俺の語れることは何も無い。」と言って話してはくれないですが、旦那様もいろいろ経験したようです。 いつかアッキンに話してくれるといいのですが。 当時小学生だった子ども達は、もう社会人になっていたりします。 「ボランティアの大学生に遊んでもらったのが嬉しかったな。」 辛い体験の中でのよい思い出になってるそうです。 東日本でも、そういう経験が子ども達ができること願ってます。 私の周りでは、ライフラインの復旧をとても嬉しかったと話される人が多いです。 普段当たり前に使っていてそのありがたみを忘れがちだけど、ライフラインが整っていることはすごい事。 水が出たときはとても嬉しくて水が光り輝いて見えた。 時々テレビで発展途上国などで井戸を掘って水が出て住民達が踊って喜ぶようなシーンを目にしますが、その気持ちがよく分かったそうです。 電気も、ガスも、そのたんびに嬉しくて喜んだそうです。 被災地の1日も早いライフラインの復旧を願ってます。 神戸は、書類上ではやっと今月で復興が終わったということになるようです。 最後の地区の換地が完了したとか。 まだまだ空き地は残っていたりして、完全に復興したわけではありません。 でも随分建物も建ち、そこに震災があったとか知らない人には違和感ないようになりました。 東日本のかたも、これから復興に向けて確実に歩んでいかれると確信してます。 神戸で一度自力でやっとの思いで再建したのに、区画整理により立ち退きをするはめになったという建物いくつも見ました。 まだまだ使えるのに綺麗なのに壊される建物。 そういうことが起こらないように、行政は早く街づくりの計画をすすめてもらいたいと切に願ってます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年04月04日 22時39分02秒
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