偏屈老人独言

2019/06/01(土)06:42

アダムとイブのお臍(へそ)

聖書(33)

画集に載っていたマザッチョ(初期ルネッサンスの三大芸術家の一人と称される画家)の有名な「楽園追放(アダムとイブの追放)」の絵を眺めていて、変なことを考えました。エデンの園から追放され、悲嘆にくれながら歩むアダムとイブのお腹に、マザッチョは、夫々臍を描き込んでいるのです。然し、「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」、「主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた」訳ですから、二人とも臍の緒のお世話にならずに生れた。つまり、彼らは、蛙と同じく、臍がなかった筈です。聖書の創世記を知らない筈のないマザッチョ、そんなことは承知の上で、二人が蛙のお腹じゃ可哀そうだとばかりに、エイッと臍を描いてしまったんでしょうか・・?臍のないアダムとイブはきっと、「臍くり」の林檎は貯められなかったでしょうし、「お臍で茶を沸かす」こともなかったんでしょうね・・。「臍の緒を切って以来始めて、神様に叱られた」という言い方も出来ません。(尚、この「楽園追放」は、「貢ぎの銭」と共に、フレスコ画の最高傑作と言われています。)

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