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ワーホリレポート(ミヤケ印別館)

ディアフタートゥモローエキストラレポ

”ディ・アフター・トゥモロー”エキストラレポート
ワーホリレポート2003年1月16日(木) より


★水色の字は、映画をみてからシーンに出てたモノらしきモノをピックアップしてます。


上の2枚画像をクリックすると大きくなります。
でもあまりにも見にくいので
上の2枚の部分アップ↓

▲このサヌンの看板が見事、巨大ヒョウが降ってきて、落ちた瞬間が…。




上の茶色い背広を着た怪しいおじさんの隣の
頭に包帯巻いてるおじさんはすごく日本人顔だが中国人だった。

このおじさん(右)がアヒルを追い掛ける姿は
もう喜劇としか言いようがなく、
私たちは悲劇シーン撮影の中、笑いをこらえるのに必死だった。
▲このそば屋の”大勝”が、例の日本語たどたどな携帯片手のサラリーマンがいたところと思われる。
▼警告しながら徐行してた警視庁と書かれたパトカーの間違いだらけのナンバープレート。






★いよいよ、アメリカでは5月中旬以降に公開、
日本では6月5日から公開中!
テレビでもCMしまくってますね。
電車の中の吊り宣、とってきてしまいました。スミマセヌ。

★とうとうみてきました。
鑑賞レポート(6/26)はこちら

"The Day After Tomorrow"、日本語では”明後日(あさって)”。
さすがに直訳では誰もみたいと思わんですね。
"The Day After Tomorrow" ←公式サイト

■まず、何から話そう。ことの始まりは昨日の夜、セバスチャンから唐突な電話が来たことから。
その内容は、TOKYOという設定で映画の撮影に日本人が必要なんだ、
1時間$10でエージェントが15%それから取るけど、ヒマだったらやってみないか、とのこと。
その日は運良く、バイトもなかったので、即行O.K.する。
その日、マリさんの帰国に伴い、最後の食べ放題クラブ活動
(モントリオール中の食べ放題制覇を目的に結成された腹ペコクラブ、もちろん食後は満腹クラブとなる。)
をしようとは思っていたが、こっちの方が断然面白そうってことで、
マリさんにも連絡、しかし彼女はケベックシティに観光に行ってて連絡つかず、とりあえず勝手に登録しといた。
彼女と連絡が取れたのは当日の朝6時だった。
その他にトモミさん、アケミさんが参加。

■ 朝7:00にBonaventureの駅からシャトルバスでスタジオに連れていかれ、
延々、22時まで(待ち時間が圧倒的)13時間、エキストラをやった。
近くの Tim Hurtonでバスを待つ間(何も買わなかったので結局追い出された)、
既にぞくぞくと怪しいアジア人が集まってきていた。
シャトルバスといっても13人乗りくらいのバンが2台くらいで、15分くらい走ったハイウエー沿いのスタジオに到着。
まずエキストラ登録の紙を記入する。
SIN(Social Insurance Number)ナンバーが必要で既にWHビザが切れているマリさん危うし。
SINカードも家に置いてきていて、電話でルームメートのエツコちゃんを叩き起こして番号を聞くことに。
アケミさんはWHに来たばかりで、SINナンバーは申請中で今はないと言ったら、それじゃあ働かせられない、と。
一悶着あったが、WHビザナンバーを書いてどうにかなった。
 映画の設定は、各国で異常気象が発生し、東京大手町ビジネス街(ここポイント)では
スイカ大のヒョウが降ってきて、死者40名、負傷者100名という現場に、
レポーターがカメラとともにリポートするというシーン
。  まず、控え室にはエキストラ40人あまり。
そのうちの13人が本物の日本人であとは怪しいアジア人(主に中国人)。
カナダ人スタッフにとっては、アジア人という一くくりでしかモノを見れないのだ。
その映画は、しかし、一応既に広告も出ていて150億もの制作費をかけた
デニスクエイド(元メグライアンの夫)主演のハリウッド映画なのだ(制作費を浮かすためによくカナダで撮影している、特にMTL)。
彼はランチの時に、一緒の部屋にいたらしいが、気付かなかった。
映画のタイトルは”The day after tomorrow”(全米2004年5月28日公開予定)その時の看板だけ、写真HPにアップしてある。
お腹にカメラ隠してそれこそ盗撮を試みたが、失敗に終わった。

 まず私たちは衣装さんとこに行って、服を変える。雨にぬれるから、と、
下着の上にレインコート、ズボンの下にももひきタイプのビニル、
靴下の上にビニル履いてさらに靴下をはく、という、さながらダイエットスーツを中に着てるような感じ。
私はどうやらteenagerの役らしく、ジーンズとピンクの長袖Tシャツに、
7cmはあるヒールの蛇柄の黒ブーツ。
髪型はいつもの2つ結びでパーフェクトと言われた。
私の財布を陽気な衣装さんに気に入られ、そのままズボンにクリップでとめた。
あのお手製のカバンも使いたがったが、濡れちゃうからってことで使わなかった。
これでも衣装さんはネットで検索しプリントアウトしたTokyoの人々のファッションを参考にしているのである。
 怪しいアジア人たちはそれぞれ、”東京消防庁”と書かれたユニフォームやら、
サラリーマンやら、救急隊員、そば屋の亭主などに成り代わっていた。
私たち3人は、あんなのいないよねぇ~、とか、あれは日本人っぽいかも、
あれは時代が違う、などと批評しつつ、ハリウッド映画に出てくる変な日本人はこうやってつくられるんだな~としみじみ思うのだった。
控え室では休憩用に軽い食事が用意され、トースターやパン、コーヒー、お茶など、各自で勝手にそれらを食していた。

 いよいよ出番となり、スタジオ内に入る。
そこには、昭和60年代の町並み、現代で強いて言うなら、中野、吉祥寺、浅草あたりの、古き良き町並みとでも言おうか。
例えば、”コンビニ丸井”は月曜から金曜、朝6:30から夕方5時まで、だったり、
日本一かっこ悪いブティック”カッコイイ”があったり、
ミニカーの自動販売機、角田電気店の店先のテレビには相撲が流れ、
パン屋には、チャイナタウンで見たパンと赤いプレートが並んでいる。
でもネットカフェ”サヌン(ンの文字は左右逆転)”やドコモショップなんてものがあったりする。
道路には近くの八百屋の店先から風で吹き飛ばされたという設定らしい、
玉ねぎ、にんじん(もちろん細い西洋にんじん)、パイナップル、山芋、白菜らが転がっている。
そして、どっかから脱走したにわとり。
(今現代の日本の東京のどこで鶏なんぞ飼っているうちがあるんじゃ!と突っ込みたくなる)
こんなセットだけで、河童さんもびっくり、のシロモノ。
マリさんと大爆笑。
驚いたことに日本人スタッフなんていやしないのだ。
カナダ人アートプロデューサーの偏見と独断のカタマリのようだった。
これだけで驚いちゃいけない。
小道具としてうちらに持たされた、鞄の中に入っていたものは…なんと!
生の干からびた大根、インスタントラーメン中華風、ドラゴンフルーツ、上品と書かれた唐辛子。
私のかばんの中には、干ししいたけ、きくらげ、ラムネのビン。
もう2人で大爆笑です。
どういった経緯でこうなったのか皆目見当もつきません。
どこのティーンネイジャーがこんなものを持って、街中を歩くんだ!と。
田舎のティーンネイジャーだって、そんなんもってないぞ、と。
別に大して映らないんだから中身までアジアンすることないのに。
まあ、それを持って配置についたのでした。

 シーンは中国人レポーターが現場の大惨事を”タケシヤマモト”なぞと名乗って、英語でレポートするのです。
それをTake12撮りました。
そのたびに、上から雨が降ってきて濡らされた。
そして昼休み。これはビュッフェスタイルで豪華でした。
時間がなくて、ゆっくり食べれんかったのが難点だけど。
 午後、控え室に行くと、日本語話せる人とそうでない人に分けられて、
日本人エキストラに、中国人レポーターがレポートした台詞をその場で通訳させ、
それを今度は日本人レポーターバージョンで撮影するとのこと。
適当に女子アナっぽい人が選ばれた。
そして女子アナがインタビューする老人役に、エキストラの中から、
移民のろくに日本語を覚えてないおばあちゃんが選ばれてしまった。
撮影。
選ばれた女子アナの子はまったくの素人で、もう緊張して、かみかみだし(いきなり、やれと言われたんだからしょうがない)、
インタビューされたおばあちゃんは英語なんだか、日本語なんだか、わかんない状態。
もう1人の老人は日系文化センターのもちつきの時、一緒に黙々とお餅を並べていたおじいさん。
実はセンターの会長さんらしい。
災害時どこにいたのかという質問に対し、
「妻とcoffee shopにいてね、coffee飲んでたんですよ。そしたらものすごい音でね、地獄かと思いましたですよ。」と答える。
自分で考えたものらしいが、なかなかうまかった。
だがやけに“coffee shop”の撥音がうまいのだった。
それでもたったTake4でO.K.となってしまう。
カナダ人スタッフには、日本語がわからないので、その台詞がどれだけ不自然でかみかみなのか、まったくわからないのだった。
それでもOKしてしまう。
一応ハリウッド映画なんだから、そこんところもっとがんばろうよ、と、始終突っ込み通しの一日だった。
彼らにはリアリズムよりもその雰囲気だけが大事なのだった。
これで、ハリウッド映画に出てくる日本人が、変なのがわかった。
日本のシーンをつくるのに、1人でも日本人スタッフがいればいいのに、と。

 撮影が終了し、衣装を脱いで普通の日本人に戻る。
怪しいアジアンたちも変な衣装を脱いだが、やっぱり怪しいアジアンのままだった。
私はモントリオールの中国人の大半はチャイナタウンで生産されていると思うが、それもStereotypeでしかないのだと思った。
私たちはこの1日だけだったが、もう何日もやっている人たちもいた。

 今日はいい天気だったのに何度も雨に濡れ、とっぷり日が暮れるまで拘束された。
給料は2週間後にもらえるとのこと。
まあモントリオールならではの体験ですね。
ちなみに、この日、ローレント川では流氷が浮いていたとのこと。
マリさんは撮影後、モモさんたちと男性ストリップを見に行った。




■その後、2月4日にバイト代を取りに行った。 2月4日の日記へ


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