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ユーカリの木陰で里の行

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2018.05.11
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カテゴリ:チベット仏教




 

ここまで来たのに会えなかったら残念過ぎる・・・と思っていたけれど、

ラマ・ゾパ・リンポシェは予定されていた全ての行事にいらした。
そして今回もとても印象的な話をしてくれた。

 

とりわけ私の心に響いたのは「怒り」について。

 

チベット仏教で、

怒り、執着、無知(無盲)3大有害要因と見なされているけれど、

なかでも怒りはパワフルに破壊的な感情で、

怒りに任せてとった行動はたいてい、つーか、十中八九

ロクな結果は生まない

緻密に努力を積み重ねて得た結果とは、雲泥の差

 

この「怒り」の処方箋が「忍耐」である。

ただ「忍耐」の意味が普段使っているそれとは微妙に違って、

闇雲に我慢して受け入れなさい、ということでは決してない。

受け入れ難いことはもちろん拒否してもいいのだ。

そうではなくて、
もっと重要なことを守るため、達成するために、

英知と心の鍛錬によって

外的出来事に心を乱されない状態、平常心を培うことにある。

忍耐とは、周囲の状況がどうあっても掻き乱されない不動の心だ。

 

と、頭ではわかっているのだけれども…

実は、このリトリートに参加する2日前に

怒りに関するスピリチュアルな夢を見ていた。

義理の家族関係のトラブルがまた起きて、

どうしたものかと考えていたせいか、それに関連する夢を見たのだ。

 

夢の中で、私は義母に対して腹を立てていた。

彼女に怒る理由について、

様々な過去の事件やいざこざを思い出しては挙げ連ねながら、

両手で何か団子のようなものを捏ねていた。

そして、両の掌の中でドス黒い泥団子のようになったそれを

捨ててしまおうと放り投げたとたん

突然その先に、観音様のタンカが現れたのだ⁉

 

しまった!ほえー

と思ったときには、時遅し。

私は観音様のタンカに向かって

小汚い泥団子を投げ付けていたのだった。

 

ハッと目覚めた瞬間に思った。

それが何であれ、自分が作り出すものがこの人生の供物となる。

私は人生で日々いかなるときも、

できる限り美しいもの愛しいものを作り出して、捧げなければ、と。

 

義理の母親は、私がオーストラリアに移住したころ

慣れない海外生活に右往左往する私のことを

My Little Slave―私のちっちゃな奴隷さん」と
冗談交じりに
人前で口にしていたような人だった。

 

奴隷って…

オーストラリア英語では、ふつーの言い回し?なの???ほえー

私が戸惑いつつ夫に尋ねるたび彼は母親を庇っていた。

ある日、夫は嬉々として言った。

「ほら、今日は君だけじゃなく、ぼくのことも

My Little Slaves―私のちっちゃな奴隷さんたちって呼んだだろう?」と。

 

そんな二人を

My Little Dummies―私のちっちゃなおバカさんたち」と微笑み返すには、

義母は近くに住み過ぎていたし、

人生の転機からくる私のストレスは大き過ぎた。

 

ちなみに夫には妹と弟たちもいるのだけれど、後にも先にも

義母が彼らの伴侶をMy Little Slaveと呼ぶのを聞いたこともないし、

彼女以外、私のことをそう呼んだオージーにも会ったことはない。

 

万事がそんなだったから、

義母や、義理の家族と私の間には確執が絶えず、

いつしか私の中では根深い怒りとなっていった。

 

その怒りをはっきりと自覚したのは、

3年前にダライラマ法王のリトリートに参加したときだった。

イニシエーションの後の夢見で、夫の家族に

自分でもびっくりするほど強烈に怒っている夢を見たのだ。

それまでも不和や嫌悪感は自覚していたのだけれど、

よもやこれほど凄まじい怒りだったとは思っていなかった。

 

そのときは、どうしてこんなに大切な夜の夢見で、

スピリチュアルからは程遠い

怒れる夢なんかを見てしまったのだろうか?と戸惑った。

けれど後で勉強するうち

そのイニシエーションが怒りの克服と関係していることを知り、

なるほどなぁ、と納得したものだった。

イニシエーションを授かる前夜の夢見では、

浄化をしなさいという清々しいスピ夢を見ているから、明らかに

この怒りを解消する必要があるということなのだろう、と理解した。

 

以来、その怒りの解消に取り組んできたのだけれども

未だに今一つ浄化できてはいなかった。

ああ、良かった、浄化したとか思っても、

義母や義理の家族関係の新たな事件が持ち上がるたびに、

ぶくぶくとマグマのようにまた怒りが湧き上がってしまうのだ。

それは夫婦不和となり、

家庭の平和さえ時に危うくしてしまう。

 

以前は子どもたちが可哀想だと思っていたけれど、

今は夫の病気のこともある。

いつまでも怒ってる場合じゃないだろ、と

頭ではわかっているのだけれども…

 

リンポシェは、怒りの本性やカルマ的弊害、

敵だと自分がレーベルした人物に対する心の投影や、

そのEmptiness空性、

怒りを利用して悟りへと至る道について話された。

 

そうして「怒り」を「空」の理解や英知によって克服し

めでたく「悟り」を開くことができたなら、

その「敵」が、今度は

ものすごぉぉぉく得難い「恩人」になるのだ、と。

 

リンポシェの口調を真似れば、

Amazing, Amazing, Amaaaaaaaazing!!!

ハッピーエンド黄ハート()になるというわけだ。

 

確かに、それが実現できたら、

ワンダフル、ワンダフル、ワァ~~~~ンダフル!!!なのではあるけれど、

自分が実践するとなると、

いやいやいや、とてもとてもとても…

今世の自分にはハードル高過ぎだし…

 

まあ、悟りはともかく、この問題に対処する

前向きなインスピレーションを授かることができた。

これから義理の家族関係の問題でまた悩まされたときには

夫と口論になる前に、少なくともまず瞑想して、

リンポシェのこの視点を熟考してみよう、と。

 

 

リンポシェは「癌」についても触れられた。

現代は多くの人が癌で亡くなるが、そのときカルマ的には

ものすごぉく強烈な浄化が行われているのだ、と。

何世もの人生でするような負のカルマの浄化を

その病気を体験することで成し遂げてしまう。

それをラム・リン、菩薩道の姿勢で臨むとき

その浄化のプロセスは益々とんでもなく速くなるのだ、と。

 

話を聞きながらダディンのことを考えていた。

夫は去年ネットでリンポシェの癌に関する法話を読み、

感銘したと言っていたことがある。

実際に自分が化学療法を受けて大変だったとき

リンポシェのアドバイスを思い出して

体験するようにしているのだと言っていた。

 

苦痛を自分のためではなく他者のためにと考え、受け容れる。

同じ病気で苦しんでいる他の人たちのことを思い、

自分がみんなの分も引き受けるから、

もう誰も2度とこんな苦しみを味わうことがありませんように、と

祈りながら体験する。
そうすると自分も楽になるのだ、と。

チベット大乗仏教では基本的な心の鍛錬法で
瞑想にもよく使われる手法なのだけれども、
実生活で実践するとなると、難しい。
このときは夫のことをすごいなぁ…と思ったものだった。

 

そんなことを思い出したとき、リンポシェが言われた。

菩提心から癌という病気を体験するとき

途方もない浄化が行われるので、

来世か、来々世で神仏になることも可能だ、と。

 

前回のリトリートでのことが即座に思い出された。

リンポシェは我が家の愛犬、

ポーポーくまとチャールスくまのことを祈祷してくれた。

そのとき夫の名前を「Deity―神仏」と聞き間違えたのだった。

 

リンポシェは、夫の病気のことを分かったうえで言ったのだろうか?

それから彼にこう言ったのだった。

「大丈夫、あなたは神仏になるから」、と。

それは、つまり…

 

そう考えたら、目頭が熱くなった。

それからはもう夫の事ばかりが思い出されてしまって…

リンポシェの話に集中的できなくなってしまった。

 

なのに法話の後、思ってもいなかった展開になったのだった。

リンポシェが今夜、
最高位の密教ヨーガのイニシエーションを授けるから、
既に
同レベルのイニシエーションを受けたことのある人は
この場に残るようにと言われたのだ。

 

一瞬、聞き間違えかと思った。

このリトリートでは、

ある最高位の密教イニシエーションが予定されていたのだけれど、

それは既に先週、数日かけて行われていたから、

まさか今夜こんな機会に恵まれるとは夢にも思っていなかった。
幸運に感謝しつつ、
もしかするとこれで、更に日々のお勤め行が
追加されることになるかもしれないな、と腹を括った。
それでもこの場に残って受けようと思った。

 

 

そうしてその夜、

ヘレさんのテントに戻ったときには真夜中近かった。

 

イニシエーションの後の夢見は重要である。

今夜はどんな夢を見るのだろうか?ぽっ

半ばワクワク期待しつつ寝袋に潜った。

 

だけど、眠れなかった…。

寒くて、寒くて、寒くて、

凍えて、凍えて、凍えてしまって、

とてもじゃあないけれど寝るどころではなかった。号泣

 

大地を吹き荒ぶピューピューと冷たい風が足元から吹き込んでいた。

スチューパで仏友が言っていたことが思い出される。

「今夜はマイナス2℃になるそうだよ」

ひぇ~~~ほえー

 

さっき休憩のとき、ゴンパがあまりに寒かったので買った

チベットのヤクのショールを

寝袋の中に引っ張りこんでみたけれども、まだ寒かった

靴下をWソックスならぬトリプルにして履き込んでみたけれども、

まだまだ寒い

 

全ての衣服を着こんで寝袋に潜ってみたけれども、

寒くて、寒くて堪らない

電車で来たため荷物をできる限り少なくしようと努めたのが災いして、

もう何も着る物もなかった

 

上は6枚、下は3枚、あるだけ全て、コートまで着込んで、

ヤクの毛布に包まって寝袋に入っているのに寒くて、寒くて・・・

ヒューヒュー地面から吹き込む風は、もはやビュービューになっていた。

 

余りの寒さに懐中電灯をつけて調べた。

私はビニルの仕切りを隔てて、寝室()部分ではなく

テントの入り口付近に寝ていたのだけれど、

ちょうどその辺りと反対側の下部がただの網になっている。

そこから冷た~い風が吹き抜けているのだと気がついた。

どうりで足の平に容赦なく風が吹き荒んでくるわけだ。

 

基本、キャンプは夏の風物詩

サマーキャンプ用にデザインされたこのテントの入り口側は

夏の蒸し暑さを克服するために

風通し良く作られていたことに、ようやっと気がついたのだった。

このころには外はしとしと凍える雨まで降り出して、

もはや雨混じりの冷風が…()

そろそろ外気はマイナスになっているに違いない。涙ぽろり

 

ふっと思った。

たとえ幸運にも眠れたとしても、

このまま眠ってしまってよいものだろうか?

眠ってしまったがために体温調節ができなくなって、

まさか・・・凍死びっくり

 

いやいやいや・・・

だけど、とにかく

寒くて、寒くて、寒くて、

もうどうしていいかわからない~

 

夢見のメッセージに対する期待感など

とっくにきれいさっぱりくしていた

とにもかくにも
寒さから解放されるよう、
ひたすら神仏に助けを求めた。

真っ暗な中、

寝袋の中で身体を縮こませて、マントラを唱えていた。

 

ふっと毎晩、

こんな寒さを体験しなければならない人たちのことが頭を過った。

メルボルンのシティで見かける

ホームレスの人たちのことが思い出された。

考えれば考えるほど…涙ぽろり涙ぽろり涙ぽろり

 

そのとき誰かがぽんっと枕元に何かを置いた。

真っ暗闇の中

フォトフレームに入ったダライラマ法王の写真と、

カタと、数珠が見えた。

 

そのビジョンにハッとしたとき、ようやっと気がついたのだった。

そうか、菩提心からこの寒さを体験すればいいのだ、と。

 

自分の中の「寒い」という感覚、気持ちにばかり

意識のベクトルが向いていることが、より問題なのだ。

たとえ寒いという感覚は変わらなくても、

ベクトルの指す方向性を変えれば良い。

寒い自分ではなく、菩提心から、他者へと。

 

今この瞬間、世界中で寒さに震えている人たちのことを想像してみた。

その人たちの苦しみを思った。

そうして彼らが、寒さから、過酷な状況から解放されて

暖をとれることを祈った。

できるだけ強く、切実に

皆が温か~く眠れるように祈りながらマントラを唱えていた。

そのうちうつらうつらしていた。

 

翌朝、ビニルの壁を隔てヘレさんの寝室で

モゾモゾうごめく物音で目が覚めた。

やっぱり、余りに寒いので、

毛布かショールか何か羽織れるものはないかと聞いてみたけれど、

ほぼ6週間キャンプ生活を続けている彼女は

小ぶりのスカーフ1枚と汚れた服数枚しか持っていなかった。

 

だけど朝食のときヘレさんは

毛布を貸してくれるというリトリート仲間を連れてきてくれたのだった!

 

「嬉しい~~~~

今夜はこれで眠れるよぅ~~~~」大笑いと歓喜する私に

同じテーブルで朝食をとっていた仏友が笑った。

 

「まるでシャンティデーヴァの祈りだね。

喉の渇いた人には飲み物が、腹を空かせた人には食べ物が、

寒い人には毛布が与えられますようにって。

助けが与えられて、良かったね」ウィンク、と。

 

それで思い出した。

リトリート前半の経典が
シャンティデーヴァの『入菩薩行論』だったことを。

思えば、私がタダでテントや毛布に与れるのも

みんなの菩提心のお陰なのだと、しみじみ。

ほんと~にどうもありがとう泣き笑い、なのでした。

 

 

May those feeble with cold find warmth,

And may those oppressed with heat be cooled

By the boundless waters that pour forth

From the great clouds of the Bodhisattva’s (merits).

―『A Guide to the Bodhisattva’s Way of Lifeby Shantideva

 

寒さに震える人には暖が、

猛暑に苦しむ人には

菩薩の雲から注がれる水の恵みから涼が

与えられますように

―『入菩薩行論』シャンティデーヴァ著から抜粋―


写真は休憩時間のゴンパです。

続きは​「キャンプdeリトリートと夢見③」​でお読みください(^^♪



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Last updated  2018.06.21 07:22:30
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