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カテゴリ:チベット仏教
チベットのムーン・カレンダーで4月はサカダワ、釈迦の月。 西暦で5月から6月にあたるこの月は、チベット仏教では重要な時期である。 とりわけ満月の日は、お釈迦様がこの世に誕生して、悟りを開き、しかも涅槃入りした(亡くなられた)日だとあって、トリプル重要な日なのだった。 2019年、今年のサカダワ吉日は6月17日だ。
このサカダワ吉日前の15日間は「奇跡の15日間」とも呼ばれ、功徳が億万倍にもなるという、行をするには最適な月なのだった。 ちなみに悪行も何億倍にもなってしまうという、要注意の期間でもあるのだけれど(笑、でも気を付けている)。
昔、まだ息子がプレップ(日本では幼稚園の年長さんにあたるのだけど、オーストラリアでは小学校の前準備としてこの年から入学する)だったころ、今日はサカダワの日だからたくさん良いことをして、悪いことはしないようにしようね~と話したことがある。
するとムゥは首を傾げ唇を尖らせたものだ。 「そしたら、今日がそんな日だって知らない人や、キリスト教の人たちはどうなるの? 仏教に関係ない人たちも、カルマが増えちゃうの? そんなの、おかしくない?」
確かに、功徳倍増と思っている人たちと一緒に行をすれば集団意識でパワー倍増になりそうだけど、そう言われても…だよねぇ。 幼いながらもっともな理屈に、二人で話した。 知らない人たちは知らないのだし、関係ない人たちには関係ないのだし、人それぞれ、信仰それぞれ、民族それぞれのカルマだってあるわけだし、ママは悟りを開いているわけでもないので、わからない。 それでもムゥはもうママから聞いたわけだから、やった方が良いんじゃない? どっちにしろ、いつだって良いことをしていた方が良いのだから、と。
息子はなんとなく納得したようで、 「そうだよね。 ママがチベット仏教の勉強をしていて、サカダワの話を聞いたのもムゥのカルマだから、だったら良いことをした方が良いものね。 いつも良いことをしていた方が、ムゥも周りのみんなだってハッピーになれるものね」と、神妙な顔で頷いていた。 ああ、あのころの無邪気な笑顔が懐かしい。 その息子も今年で中学1年生。 とはいえキンキン甲高い声で話してるし、日本語で話すときは自分のことを「ムゥ」とか言ってるし、まだまだ幼い感じではあるのだけれど…
そんなサカダワの月に、今年は6月3日から入った。 そうしてサカダワ入り前の5月26日に夢を見た。
夢の中で、私は家族と温泉地で寛いでいた。 何か観光でもしようと広場に出たが、大型リゾート地にいると思っていたのに、いつの間にか鄙びた温泉宿に移っていたようで、小さなその島には観光スポットもろくにないのだと、広場の屋台の店主が教えてくれた。 屋台は2軒並んでいて、どちらも美味しそうだけど似たような饅頭や和菓子が並んでいた。 どちらで買おうか迷っていたら突然、地面が揺れ始めた!
広場の向こうに聳え立つ時計塔も大きく揺れている。 子どもたちを庇い裏手に逃げたものの、そこも危なそうなので安全な場所を求めて逃げ惑う。 いつのまにか夫はいなくなっていて、私はとにかく必死に子どもたちを守ろうとしている。
揺れが収まって、周りの人たちと一緒に安全な場所に戻ろうとしたら、何か物々しい雰囲気の人たちがやって来た。 何かの捜査をしているのだと一人が証拠写真を撮り始める。 子どもたちをなんとか避難させて、気づいたときには自分も容疑者の一人にされていた。 というか、あれよあれよという間に単独犯として疑われていた。 誰かにハメられたのだ!?と気づいたときには時遅し、連行されてしまう。
車に乗せられるとき、なぜか道路を動物たちがちょろちょろと動き回っているのに気づいて、その子たちが車に轢かれそうで心配になる。 でも自分は助けに行けないので、神仏に動物たちのご加護を祈りマントラを唱え始めたら突然、場のエネルギーが変わったのだった。 動物たちが逆に私を助けようとこちらに向かってきて、私を連行した人まで友好的に接してくる。
ヨーロッパ風の大きな教会か裁判所のような荘厳な古い建物の中に連れられていた。 裏庭に面したドアから、木目の美しい重厚な扉を開けて、臙脂色の袈裟を纏ったチベット僧が入ってきた。 去年ネパールの寺院に帰ってしまったM僧だった。 M僧は胸の前にダライラマ法王の写真盾を掲げている。
私は静かに、けれど毅然と言っていた。 「His Holiness Dalai Lama is my Guru―ダライラマ法王が私の師です」と、英語で。
するとまた大きく空気が変わった。 M僧の後ろから臙脂色の袈裟を纏ったチベット僧や尼僧が次々と入ってくる。 辺りはとてつもなく平和で、神聖で、厳かで、圧倒的に美しいエネルギーに包まれていた。 これからプージャOffering Ceremonyか裁判か、何か厳かな儀式が執り行われるようだった。 私はもう何も恐れてはいなかった。
これからどうなるのかはわからないけれど、何が待ち受けていようとも大丈夫だ。 自分に用意はできているのだから先に進みたい、と心を弾ませたとき―
なんと夫に起こされてしまった!? 夢ではなく現実に。
その日曜は地元のチベット仏教寺院でゲシェDの「トンレン行―The Giving and Taking practice」に関する1日コースが予定されていたので、昨夜家族に6時過ぎに目が覚めた人は起こしてね、と頼んでおいたのがいけなかった。 それにしても、なんて間の悪い・・・(泣)
ずっとあのまま夢の中に留まっていたかった。 「His Holiness Dalai Lama is my Guru」と宣言したときの自分の毅然とした声がはっきりと耳に残っていた。
トランスフォーメーション―意識の変容の夢だと思った。 夢日記に記して、ついでに解釈もしてみた。
温泉地で今日は観光でもしようかナとか、どちらの屋台で買おうかナとか、そんな大した意味も目的もなさそうな些細なことで迷っているのは、自分の、のほほ~んとした人生の象徴だろう。 けれどそういう生活が土台から揺さぶられるような地震、転機が起きる。 時を表す時計塔というのも象徴的だ。 混乱と不安の中で流れをポジティヴに変えたのが菩提心で、動物を助けようとしたら実は助けられていたというのも印象的だった。
ダライラマ法王が自分の師だと言い切ったとき、何か自分のアイデンティティを決定づけたような、カミングアウトできたような気がしたのだった。 ああ、やっと自分はここまで辿り着けた、みたいな。 思えば、初めてダライラマ法王の著書を読んで感銘を受けたのが1999年、初めて法王のオーストラリア・ツアーに参加したのが2002年だった。 あれからかなりの年月が流れたわけだ。
法王は2015年のリトリートのとき、夢の内容だけでなく、その印象や目覚めたときの気持ちにも注意を払うようにとおっしゃっていたけれど、夢の中でも、目覚めたときにも、心は温かな自信に溢れ、平静で落ち着いて、何よりもとてつもなく幸福だった。
チベット密教では袈裟を纏った僧や尼僧を見るのは浄化のサインだと言われる。 もしかして、負のカルマを一つ昇華できたのかナ? いずれにしてもサカダワの幕開けとしては、私にはもったいないほど有り難い吉夢だった。
その夢のエネルギーはその日1日、しっかりと残っていた。 私は夢見のエネルギーを胸に、チベット仏教寺院へ、ゲシェⅮの講義に向かったのだった。
ゲシェDの講義は6月27日の日記「ゲシェDの1Dayコースとトンレン瞑想」に続きます。
ちなみに、私が初めて読んだダライラマ法王の本は『The Art of Happiness』でした。 既にメルボルンに移住していたので英語で読んだのですが、その後日本に帰ったときに和訳されていた『ダライ・ラマ こころの育て方』も買ってきて読みました。 アメリカの精神科医が書いているので仏教用語も少なくて、一般にも分かり易く素晴らしい本ですよ。 『ダライ・ラマ こころの育て方』 ⇒2015年6月10日の日記『ダライラマ法王のリトリート』、9日の日記、8日の日記、6日の日記 ⇒2013年6月16日の日記『ダライラマ法王ツアーで、シドニーの旅』 ⇒2012年7月6日の日記『ダライ・ラマ こころの自伝』 ⇒2011年6月11日の日記『ダライラマ法王と、Day1』、12日の日記、13日の日記 ⇒2009年12月1日の日記『ダライラマ法王、オーストラリアに再び』、2日の日記、3日の日記 ⇒2009年12月10日の日記『ダライラマ法王と朝食会』 ⇒2008年6月9日の日記『Dalai Lama』、10日の日記、11日の日記、12日の日記、13日の日記、14日の日記、15日の日記 、16日の日記 法王もご高齢になって今後海外での講義は控えるとのことでしたが、日本にはこれからも来られるようで、羨ましい限りデス。 やはりオーストラリアはダウンアンダー、ダラムサラからは遠いものね。 日本での講義、私も参加したいな~。
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Last updated
2019.06.27 19:54:44
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