カテゴリ:E 【英国】および 英国での思い出
過去ログを採録する省エネ・エントリー・シリーズ
―――― 過去ログ ―――― 2004/12/09 ◆ なぜ英国か? パックス・ブリタニカ 私はなぜ英国について何度も日記に書くのか? 私の「海外の想い出」カテゴリーでは ヴィエトナム 中東 英国 東欧 私は30数カ国ぐらいを訪問したと思うが、その中でもこういう国々に関して書くことが多い。 それだけ、面白いとか、好きだとかの度合いが他の国より高いのだと思う。 英国については、先ず、私にロンドン駐在の経験があり、英国には大いに興味を持っていること。 と言っても、実際は仕事に追われて、英国を楽しむことはあまり出来なかった。 仕事を終わってから、パブに行くことだけは律儀に実行したが。 観光とか留学で行かれた方の方がそう言う意味では、もっと英国のいろんな事をご存じかも知れない。 だから、他分野でもそうだが、私は英国に関しても、「遅れてきた学習者」というところ。 次に、英国自体が面白い国だと思う。 かってはパックス・ブリタニカ(ラテン語:Pax Britanica)(大英帝国の平和)(大英帝国の下の平和)(PAX とは英語で Pease 平和のこと)といって、世界に冠たる大英帝国だったわけで、世界を制覇し、世界中に植民地を持ち、世界の富を集積し(収奪したという見方もあります)、世界的な文化を持ち(特に科学者・文学者)、世界語である英語の母国でもある。 いわば現代文明の母と言っても過言でない国である。 パックス・ロマーナ(ラテン語:Pax Romana)は、「ローマの平和」を意味し、古代ローマ帝国時代の、「ローマの支配領域内における平和」を指す言葉。 私は、個人的に、アレキサンダー大王の「パックス ヘレニズミカ?」(私の造語)「ヘレニズム帝国」も、ありだと思うのだが それに、それ以前の、古代ギリシャによる地中海世界の支配「パックス・グレコ」もありだと思うのだが その内に、学会で発表しよう(笑) 今はパックス・ブリタニカの息子(娘)の米国の時代になって、パックス・アメリカーナ(Pax Americana)の時代になっていますが、どうも「アメリカの平和」は、西欧社会とイスラム社会の抗争という構図を作り出してしまっている この他のパックスにもいろいろある。 いずれもローマ帝国に比較される世界的な帝国である。 ・パックス・イスラミカ(イスラムの平和) イスラム帝国 ・パックス・タタリカ(モンゴルの平和) チンギス・ハーンのモンゴル帝国 私のリンク先の考古学者artaxerxesさんの日記「アルタクセルクセスの王宮」によれば、まだ下記があるという ただし、これは彼の造語だという ・ローマ帝国以前に複合文明からなる巨大帝国を作り上げたアケメネス朝ペルシア(紀元前550~330年)のパックス・ペルシカ。 まあ、強力な帝国の領土内にはたしかに安定した平和があっただろうとは思う。 ただ、その帝国の形成過程では、周辺諸国が平定された武力の歴史があるわけだから、単なる平和でもない パックス・イスラミカ(イスラムの平和)について検索したら、こういうサイトがあった。 ユネスコ講座「いま、平和を考える」 2001年12月 1日(土) 中目黒青少年プラザ 主催 目黒区教育委員会 主管 目黒ユネスコ協会 講師 服部英二先生(麗澤大学教授・目黒ユネスコ協会顧問) [テロと報復、憎しみの連鎖を断ち切れ-文明のひずみ是正を] その中にこういう一節があるので引用させていただこう。 ----------引用----------- イスラムは大文明だ。 ちょうど奈良時代にパックス・イスラミカ(イスラムの平和)があった。 東のバグダッドを中心とした巨大なイスラムの平和があり、それが中国に至りシルクロードの担い手になっている。 シルクロードは唐時代( 7~ 8世紀)に最盛期を迎える。 シルクロードの商人はペルシャ人で,イスラムは 8世紀初めには上海、広東、長安に至りイスラム寺院、モスクまで出来ている。 東西文化交流をやったのはイスラム人(モスレム)なのだ。 中国人が旅をしたのではなく、西から来たモスレムたちが旅をした。 もう一つ、彼等は古代ギリシヤを発見した。 アラビアにおける12世紀ルネッサンスだ。 そこで、ピタゴラス、アリストテレスなどの教えが伝えられ、それが13世紀にラテン語に訳されることにより、やっとヨーロッパの学問がスタートした。 このようにイスラムの人類史に果たした貢献は素晴らしいものなのだ。 ところが、それらが教科書から抹殺されているという事実がある。 このような歴史の歪曲がバックグラウンドにある。 それに対する恨みがずっとイスラム社会の人々の中にある。 アメリカのような巨大な価値が現れて世界を圧倒しようとする時、底辺にある恨みがテロに繋がったと言える。 -------引用終わり----- イスラムはこの他にインド亞大陸に侵入して、イスラム・インド帝国(ムガール帝国)を作り上げている。 ただし、この民族は、ジンギス・ハーンの末裔のモンゴル族である それ以前に、インドア大陸に侵入したアーリア民族ではない イスラムは左手にコーラン、右手に剣のイメージが強いが、一面、寛容な宗教という顔というか、歴史を持っている。 植民地に、宗教・文化の独自性を許し、共存するのである それは、遠く離れたスペインやシチリア島の歴史を見てもわかる (話がどんどん英国から離れて行く~) == 続く (かも知れない)== お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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