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続いて村上春樹なのだが(笑)さらに、佐藤優が加わる(笑) 村上春樹については この直前の記事で 「私は、村上春樹がわからない どこがいいのか?さっぱりわかりません」 と宣言してあるので、それでおしまいとして(笑) 次は、佐藤優である 私は、この男も、評価していない 乱読ならぬ、乱売(笑) 本をやたらに書いているが その中身は薄い この記事の内容などが典型 良くも、こういう提灯持ち記事が書けるものだ 読んでいて、馬鹿らしくなる 下記で言っていることは ● 「学校教科書の大切さ」 ● 「『型』と『型破り』の関係」 ● 「自分の頭で考える人になる方法」 こんなことなど、わざわざ、佐藤優に説教されるほどの事では無い 佐藤優の手法は、当たり前のことを、さも大事であるがごとく言い立てる、と言うもの (これは、村上春樹も得意とする手法である)(笑) 読者は、佐藤優は、希代の読書家で、超優秀な人間だから (実は、そんなことは無いのだが) 彼の書いていることは特別なことだろうという、催眠術の様なものにかかってしまう様だ 私は、そういうアホでは無い(笑) この ● 「『型』と『型破り』の関係」 これなど、古今東西のどれだけ多くの人が指摘してきたことか? 何も、佐藤優如きが、自分の新発明・専売特許のとごく、言い立てることでは全くない 例えば芸術家などが 「まず基本を徹底的に勉強して自分にたたき込み その上で、自分の独創性・創造性を発揮すればいい」 という事を口が酸っぱくなるほど言い立てている 生まれ落ちるなり 「天上天下唯我独尊」 と唱えたという釈尊ならともかく(笑) 人間に、はじめから創造力などが備わっているはずが無く (人間は、他の動物と違って、赤ん坊として生まれ落ちた時には 脳=ハードディスクには、DNAとしてのもの以外には なにも情報が、入っていなくて だからこそ、それから総てを吸収可能になるのである) 十分な情報をインプットしてから、創造力というものが生まれてくる これは至極当たり前のこと この創造力が出てくる時は、いわゆる QUANTAM JUMP のようなものだろうと思うし 量的な増大が継続されると、、ある時点で、質的な変化をもたらす という事にも通じると思う ● 「自分の頭で考える人になる方法」 自分の頭で考える人間は、あまり多く無い これは、特に、日本人に言える事かも知れない これは、生まれつきというか、才能かも知れない まあ、私も、ステロタイプな考えはしない方ではあると思う ここで書いている記事も、独自の視点のものが多いと思う
佐藤優の「村上春樹の読み方」が深い、スゴい 100万部「多崎つくる」は、こう読み解ける
2015年12月28日 第2回は、佐藤氏が12月に文庫化された村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読み解きながら、「学校教科書の大切さ」「『型』と『型破り』の関係」「自分の頭で考える人になる方法」を解説します。 村上春樹が100万部売れる理由 井戸:佐藤さんは、新刊『小学校社会科の教科書で、政治の基礎知識をいっきに身につける』の中で、現代は「型破り」の時代だからこそ、まずは教科書という「知の型」を使って「正しい基礎知識」を身につける必要があるとおっしゃっていますね。 佐藤:ええ。武道でも芸術でも何でもそうですが、まずは「型」を身につけるのが大切です。学問も同じで、学校の教科書は、いわば現代における「ひとつの知の型」なんです。もちろんその「型」自体も、学問の進化で変わってきていますが、「型破り」の思考法は、きちんと「型」を身につけた人だからこそできることです。 井戸:「型破り」と「でたらめ」は違う、ということですね。 佐藤:その通りです。その件で、100万部のベストセラーになった村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋)が教えてくれることが非常に大きいんです。 井戸:最近、文庫化されて、また話題になっていますね。 佐藤:優れた作品なので複数の読み方ができるわけですが、この作品からビジネスパーソンが読み取ってほしいメッセージのひとつは、「教科書どおりの『型の知識』を身につけることの大切さとその限界」です。どうすれば「型破りの思考法」ができるのかまで含めて、「『型』と『型破り』の関係性」がじつにうまく描かれています。 井戸:私も読みましたが、そういう深読みはできませんでした。どういう箇所からそれが読み解けるんですか。 佐藤:少し長くなりますが、まずは次の引用を読んでください。村上春樹のこの本が100万部以上売れるというのは、たぶん「ここの部分」が相当、人々の心を惹きつけているからだと思います。 →次ページ「この部分」が100万部売れた理由?
佐藤:読んだ方はご存じだと思いますが、村上春樹にしては珍しく「名古屋」という地名が出ています。村上春樹は「個人と世界」を書いてきた人です。今回も「日本」という国家はありません。しかし、「名古屋」という地域はあるわけです。 井戸:主人公・多崎つくるとその友達の出身地が名古屋ですね。そして、主人公の多崎つくる以外は、「アカ」「アオ」「シロ」「クロ」とみんな名前に色がついています。 東大に行く力がある「アカ」は「型」を身につけた人間 佐藤:その中の「アカ」(赤松)は、親は名古屋大学経済学部の教授で、本人も本当は東大に行けるほどの力があるものの、「仲間と名古屋に残りたい」から名古屋大学に進み、卒業後は銀行に勤める。ところが3年で辞めてしまい、今は会社を立ち上げ自己啓発セミナーを始めて大成功しています。 「しかしどこからそんなアイデア(引用者注、自己啓発セミナー)が出てきたんだ?」 アカは笑った。「そんなにたいした話じゃない。大学を出て大きな銀行に勤めたが、仕事はつまらなかった。上にいるのは実に無能なやつらばかりだった。目の前のことしか考えず、保身に汲々として、先を見ようとはしない。日本のトップ銀行がこんなざまなら、この国はお先真っ暗だと思ったよ。三年間自分を抑えて仕事を続けたが、事態は好転しなかった。ますます悪くなっていったくらいだ。そこでサラ金の会社に転職した。そこの社長がおれのことをずいぶん気に入って、こっちに来ないかと誘ってくれたんだ。そこはいろんなことが銀行より自由にやれて、仕事自体は面白かったよ。しかしそこでもやはり上の連中と意見があわず、社長に詫びを入れて、二年と少しで辞めた」 (中略) 「どうやらおれは人に使われることに向いていないらしい。一見そうは見えないし、おれ自身、大学を出て就職するまでは自分のそんな性格に気がつかなかった。でも実にそうなんだ。ろくでもない連中から筋の通らない命令を受けたりすると、すぐ頭が切れちまう。ぷちんと音を立てて。そんな人間に会社勤めなんてできない。だから腹を決めた。あとは自分で何かを始めるしかないってな」 (村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』文春文庫、p212~213)
佐藤:アカは東大に行けるくらい優秀です。つまり、「型の知識」はしっかり身につけている人間ということです。 井戸:でも同時に、会社の中で命令を受けて従うだけの、「型」にはまる人間にはなれなかったわけですよね。 佐藤:ええ。それがわかったときに、アカは「『型』と『型破り』の関係性」に気づき、「『型』どおりの考えしかできない人間」を相手に、自己啓発セミナーのビジネスをすることを考えつくのです。ここを読めば、「自分の頭で考える人になるヒント」が見えてきます。 佐藤:アカの自己啓発セミナーの目標は「会社の思惑どおりに動きつつ、それでいて『私は自分の頭でものを考えている』と思ってくれるワークフォース(競走馬)を育成する」ことです。すなわち、次に引用する「世の中の大抵の人間」をつくるのが狙いです。 自己啓発セミナーの狙い 「おれが会社勤めからもうひとつ学んだのは、世の中の大抵の人間は、他人から命令を受け、それに従うことにとくに抵抗を感じていないということだ。むしろ人から命令されることに喜びさえ覚えている。むろん文句は言うが、それは本気じゃない。ただ習慣的にぶつぶつこぼしているだけだ。自分の頭でものを考えろ、責任を持って判断しろと言われると、彼らは混乱する。じゃあ、そいつをビジネスにすればいいじゃないかとおれは考えた。簡単なことだ。わかるか?」 (同前、p213)
佐藤: そして、85%の人は、命令されるままに行動することで満足してしまうと指摘します。この85%の人たちが、アカの自己啓発セミナーのターゲットになるわけですね。 「でも研修を受けた人間が、みんな率直にディシプリンを叩き込まれてくれるわけじゃないだろう」 「もちろんだ。おれたちのプログラムをまったく受け付けない人間も少なからずいる。そういう人間は二種類に分けられる。ひとつは反社会的な人間だ。英語で言うアウトキャスト。こいつらは建設的な姿勢をとるものは何によらず、頭から受け付けない。あるいは団体の規律に組み込まれることをよしとしない。そういう連中を相手にしても時間の無駄だ。お引き取り願うしかない。もうひとつは本当に自分の頭でものを考えられる人間だ。この連中はそのままにしておけばいい。下手にいじくらない方がいい。どんなシステムにもそういう『選良』が必要なんだ。順調にいけば彼らはゆくゆく指導的な立場に立つことになるだろう。しかしその二つのグループの中間には、上から命令を受けてその意のままに行動する層があり、その層が人口の大部分を占めている。全体のおおよそ八五パーセントとおれは概算している。要するにその八五パーセントをねたにおれはビジネスを展開しているわけだ」 (同前、p215~216)
佐藤:先ほどの「型」の話でいうと、学校の教科書を読んで「型の知識」を身につけていくのは、まさにこの「85%」をつくっていく作業なんです。「自分の頭で考えなさい」と言いつつ、実際は組織に忠実な人間をつくっていく。 井戸:アカは明らかに85%のほうを相手に商売する「エリート」のほうの人間ですよね。 佐藤:ええ。組織に忠実なのはいいのですが、その中にあっても、本当の意味で「自分の頭で考えられる人間」になれるかどうかが大事です。それが「型」で終わるか、「型破り」までいけるかの差になります。 井戸:では、残りの15%のうちで、自分の頭で考えて行動するほうの「選良」つまり「エリート」のほうに行くためには、どうすればいいんでしょうか。
井戸: 「型」を知らずに、自分で好き勝手やっている人間は、独創的に見えて、所詮「でたらめ」であり、それでは「エリート層の商売ターゲット」になってしまう。先ほどの「八五パーセントをねたにおれはビジネスを展開している」というセリフも、東大に行けるくらいのアカだからこそ言える言葉なわけですね。 すべてのベースは「小学6年生の教科書」にある 佐藤:「型の知識」の中でも、とくに大切なのは「小学6年生の社会科の教科書」の下巻、いわゆる「公民」のテーマに出ているものです。大学までの勉強や企業研修でやっている内容は、実はこの「小学6年生の教科書」で書かれている内容、つまり基本の「型」を精緻にしたものなわけですから。 井戸:たしかに「憲法改正」「選挙」から「国会議員の仕事」「三権分立」まで、社会人として知っておくべき「基本」は、すべて小6の「公民」の教科書で書かれていることですね。 佐藤:だから、「型」となる基礎知識をいっきに身につけようと思えば、小学6年生の教科書に当たるのがいちばん手っ取り早いんです。そのうえで、自分自身の頭で時間をかけて蓄えて、自分で考える力、すなわち「教養」を養っていくわけです。 井戸:本を読むだけで教養のレベルが高まるということではないんですね。 佐藤:そう思います。あるいは自己啓発セミナーに行って、そこのテキストをいくら読んでも教養にはならない。教科書で「型の知識」を身につけたうえで、自分で考える力をつけなければいけない。それが「本物の教養」というわけです。 井戸:政治の世界でも実は自己啓発セミナーに行く人は多いんです。すると意外なことに、東大法学部卒業みたいな人がハマる。成績優秀で、マニュアル通りにエリートコースを歩んできた人たちです。一方で体育会系とか、自分で「これ」というものを持っている人は、そちらには流されない。 マニュアル通りに生きてきた人たちは、誰かが答えを持ってきてくれて、それがあたかも自分の幸せにつながると思い込んでしまうところがあるのかもしれません。 佐藤:われわれは最終的には、自分で「絵を描く」ことができる人間にならないといけないわけですね。どんなに下手な絵でもいいから、自分で絵を描く。でも、だからといって「型の知識」を身につけなくてもいいというわけではありません。「型」を身につけたうえで、そこで終わる人か、自分の頭で考えられる人になれるか、ということです。 井戸:そう考えると、村上春樹はすごいですね。私もこの本は読みましたが、そういう読み方があるとは気づきませんでした。特にこの部分はすごいことを言ってるんですね。 佐藤:こちらが考えていることを、また違う角度から表現しているのは本当にすごいと思います お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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