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記事  「過去の遺物」ポケベルの今 “第2の人生”防災ラジオへの転身ってどういうこと?

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​​記事  「過去の遺物」ポケベルの今 “第2の人生”防災ラジオへの転身ってどういうこと? ~東京テレメッセージ・清野社長に聞く「ポケベル2018」~ 文春オンライン 2018年07月23日 10:14 辰井 裕紀  ​​     ポケットベル。1968年から日本でサービスが開始されて以来、営業マンなどにひそかに使われてきたいわゆる「無線呼び出し機」。それは1990年代、突如女子高生を中心に人気が爆発して社会現象となった。 「14106=愛してる」「3341=さみしい」  当時は数字しか入力できないため「14106=愛してる」「3341=さみしい」などと暗号のようなメッセージが送られ、カナ入力ができるようになっても14文字ほどの制限があるなど、今では考えられないほどの制約の中で意思伝達が行われていた。 しかし1998年ごろから携帯電話・PHSがまんべんなく行き渡り、ポケベルはなすすべなく衰退。2007年にドコモが事業から撤退し、2018年現在、日本でポケベルを扱っている会社は、「東京テレメッセージ」だけとなった。  その日本のポケベルを守る最後の砦である東京テレメッセージの代表取締役、清野英俊さんにお話を伺った。 話を聞くと、ポケベルは座して死を待つだけでなく、実は大いなる逆転劇を遂げる道の途中にいることがわかったのだ。 いまでも、20年以上前の機種が使える!  まずはポケベルを触らせていただいた。「ベルカム」という機種で、ポケベル全盛期の普及モデル。カナ18文字まで受信することができる。携帯電話は以前の方式の機種が使用できなくなることがあるが、このポケベルでは20年以上前の端末も当たり前のように使うことができた。  はじめての操作で、「変換表」を見ながらおっかなびっくり固定電話のプッシュボタンをポチポチと押していく。「2018ネンポケベルハゲンエキ」の文字は見事に表示された!  当時から安かった月額料金は、いまも2000円程度。なお端末は以前4万円程度したが、いまは端末1000~2000円ほどの格安で買える。  現在、新規受付は停止状態だそうだが、「D-FAX」というFAXの到着通知をメールで受け取るサービスに加入すると、文字は表示されず、呼び出しだけを行うシンプルなポケベルを持つことができるそうだ。 利用者は約1500人に。どうして医療関係者が使ってるのか  清野社長に聞いた。 ――いまポケベルってどれぐらいの利用者がいるんですか? 清野 1500人ぐらいです。だいたい医療関係者が使っていますね。 ――なぜ医療関係者が使うのですか? 清野 まず電磁波を出さないこと。携帯電話・PHSは送信機器であるために強い電磁波を発しますが、ポケベルは受信機なのでそれがありません。医療機器など精密なものに対して、電磁波が影響を与える可能性があると考えられてきましたので、そこで重宝されているんです。もう一つの理由は、ポケベルの電波は奥まった建物でも受信しやすいから。病院や学校などは構造的に頑丈に造られていて、電波が入りにくい。中でもレントゲン室は電波がとても入りにくいので、レントゲン技師がポケベルを持っていたりするわけです。 ――災害時に利活用されることも多いとか。 清野 実は災害時、ポケベルは最後まで残る通信手段になることができるんです。東日本大震災でそうだったように、携帯電話はみんながいっぺんに電話やメールをすると、遅れたり届かなくなったり、通信制限が起きます。メールですと2~3時間遅れて届くようなこともありましたよね。さらに携帯電話の基地局はあちこちにあり、地震が起きるとメンテナンスが難しいんです。スマホで使うWi-Fiルーターも、停電すると使えません。  ところがポケベルの電波は遠くまでとどくため、基地局は数箇所でOK。そこの電源さえ落ちなきゃ良いんですよ。23区ならポケベルは、2つの基地局でカバーできます。巨大地震の際にも電源はまず落ちません。 ――そう言える根拠は何なのでしょう? 清野 23区のポケベル基地局の1つは東京電力本社の屋上にあるんです。東電ですから、首都直下地震が起きても、きわめて電源が落ちにくい構造になっている。つまり東京で最後まで電気が落ちないとされている場所の一つなんです。 ――しかし、なぜポケベルの基地局が東電にあるのですか? 清野 東京テレメッセージを作った会社が東電だったからです。ですからウチの基地局は首都圏にありますが、ほとんどが東電の施設にあります。 防災ラジオは「声の出るポケベル」  このポケベルは、いま防災行政無線に代わる防災システムに応用されて脚光を浴びている。その受信機が、あのポケベルとはまるで違うフォルムの、この「防災ラジオ」である(こちらは「1500台」にはカウントされない)。  各自治体の拠点から発信した文字メッセージを受信し、音声でお知らせ。重要度が高いメッセージは、最大音量でお知らせすると同時に赤色緊急灯が点滅する。リピート再生もでき、通常のAM/FMラジオとしても使用可能だ。 ――以前のポケベルと比べて、防災ラジオで進化したこととはなんですか? 清野 ポケベルで送るのはあくまで文字だけでした。ところが10年前から、受け取った文字を、音声として聞けるようになったんです。これが機械的な発音では無く、人の声のように自然に聞こえて。ポケベル復活のための大きな進歩です。以前は14文字送るのがせいぜいだったのに、今では最大で全角304文字まで送れます。これは、元総務省技官だったうちの技術者がプロトコルを作って、実現してくれました。 147万都市、京都の防災無線にポケベル波が採用決定 ――京都市の防災無線として2019年3月から使われるようですが、京都市に受け入れられた要因は何でしょうか? 清野 日本で、国の規格である防災行政無線を入れていない自治体は全体の2割あるんですよ。350ぐらいある。全国の自治体は1740ほどありますからね。入れていないところに、大きな政令指定都市もあるんですよ。京都市、札幌市、福岡市、横浜市も。  特に京都市は敦賀、美浜、大飯、高浜4つの原子力発電所に近く、3・11後にインフラ整備については急速に議論がなされるようになったようです。ところが防災行政無線を入れようとすると、意外と広くて山深いエリアですし、ざっと50億円以上のお金をかけても十分ではないんです。そこでポケベルの技術が注目された。こちらは10億もかけずに整備することができる。それではと採用されたのです。 豪雨に弱い長崎市では「防災行政無線」に代わって採用 ――京都以外の主な採用例はありますか? 清野 たとえば長崎県長崎市。ここは1982年に、299名の死者・行方不明者を出した長崎大水害が起こるなど、地形が独特で、土砂崩れなどの豪雨被害を受けやすいとされます。集中豪雨になると屋外拡声器からの声が聞こえないため戸別受信機は必須です。ところが防災行政無線での戸別受信機は1つあたり整備単価が10万円以上。一方で、ポケベルの防災ラジオは18,000円。ざっと8万円の差ですよね。長崎市って約20万世帯あるので、もし全世帯に入れたら160億円の差が出るんですよ。  それでもずっと防災行政無線が使われていたんですが、2017年の九州北部集中豪雨が起こり、長崎市は「ゼロベースで考えよう」と。もう今年度に着工します。 最後のポケベル会社だから、できたこと ――ところで清野さんはもともと外資系ファンドに勤めていた方なんですよね? 現在のお立場になられたのはそもそも、東京テレメッセージにファンドマネージャーとして資金提供をしたところからだそうですが、なぜ「過去の遺物」扱いされていたポケベルに注目されたのでしょう。 清野 ひとつはポケベルに対して先入観がなかったのが大きいですね。私は女子高生にポケベルが流行っていた時代にアメリカにいたもので、ポケベル自体について全くと言っていいほど知識がなかった。だから携帯全盛期にあって「過去のツール」のような扱いをされていること自体、感覚としてよくわからなかった。もう一つは総務省のベテラン技官から「これは防災無線に最適」だと推されたこと。これがきっかけでポケベルというものに注目しはじめました。調べてみると、これはうまく転換して成長させることができるかもしれないと確信に近いものを感じたんです。 ――チャンスだと。 清野 そう。2007年にはNTTドコモがポケベル事業から撤退して、東京テレメッセージだけがポケベル技術を応用できる企業になった。この年からファンドとしてお金を出すことに決めたんです。ただリーマンショックによりファンドは日本から撤退することになってしまった。このままではせっかくのポケベル波もこれまでと思い、私も香港系のヘッジファンドとかあちこちに、「ポケベル波は絶対にビジネスになる!」と語って回ったんですが、誰も相手にしてくれなかった。そして3.11の次の年、2012年に、これはもう自分がやるしかないと決めて、社長に就いたんです。 ――これほどポケベル技術を防災に応用するビジネスに熱心なのは、ご出身が福島ということもあるのでしょうか? 清野 そうですね……。あると思いますよ。こんなところで社長を引き受けたら、とんでもない火ダルマになるとは思いましたけど、それでもリスク取ったのはそういう気持ちもあったからでしょうね。ファンドの仕事をしながら「リスクを取らないことがファイナンスの鉄則だ」と分かっているのにもかかわらずですから。この不思議な巡り合わせを自分の役割と考え、ビジネスとして、そして防災の未来を切りひらくような展開ができればと思っています。 写真=佐藤亘/文藝春秋 (辰井 裕紀)​

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