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2021/01/27(水)15:39

【宗教】【来世】 人は死んだら「霊魂」にならないし、「死者の世界」も存在しない… 仏教がそう“断言”する意外なワケ

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​​​​​​​【宗教】【来世】人は死んだら「霊魂」にならないし、「死者の世界」も存在しない…仏教がそう“断言”する意外なワケ1/3(日) 21:01配信現代ビジネス​橋爪 大三郎(社会学者)​ 仏教にある「思想の自由」  仏教はインドで始まり、中国に伝わり、日本にも広まりました。 ​仏教では、人間は死んだらどうなると考えるのでしょう。​ ​ 仏教は、一神教と違って、思想の自由があります。​どう考えてもいいのです。そこで、死んだらどうなるかについても、いろいろの考え方がある。 順にみていきましょう。  ゴータマが修行して、真理を覚った。ここから仏教が始まります。何を覚ったのでしょう。生老病死、四苦八苦など、人間のあり方がこの世界の因果法則に従っていること。つまり、インドの人びとの考え方と同じです。 仏教がユニークな点は、ゴータマがバラモン(瞑想する資格のある人びと)ではないことです。 ゴータマは、王家に生まれたクシャトリヤ。ヒンドゥー教によれば、王となって務めを果たし、来世でバラモンに生まれて修行すべきです。 でもゴータマは、現世で真理を覚りたいと思った。そして、出家して修行し、覚ってしまった。「カーストと関係なく、誰でも修行して覚ってよい」が、仏教の大事な主張なのです。​ ​    ―― alex99 ――​​ 失礼ながら、ここまでの事 カースト 修行して悟りを得る、うんぬんは ヒンドゥー教と仏教徒の間の事 私のような無宗教な人間にとっては、どうでもいい 私は、人格者としてのゴーダマ(釈尊)のファンではあるが(笑) 他人の悟り(ゴーダマの悟り)が 「唯一絶対の悟りだ」とまでは思わない まあ、それは、人間には無理だと思っている ましてやその悟りが、インドのそれまでの宗教思考が 土台になってのものであるなら それは、ちょっと、私としては、そのまま全部は受け入れがたい ​ヒンドゥー教への挑戦 これは、ヒンドゥー教への挑戦です。ヒンドゥー教は言います。現世では善行を積み、修行は来世で、バラモンになってからやってください。あなたがたに瞑想する資格はないはずです。 これに対して、仏教は言います。人間なら誰でも、修行して覚ることができる。カーストに関係なく。現に、ゴータマが覚ったではないか。 ゴータマが覚ったと信じ、ゴータマに従う人びとが集まって、仏教のグループを形成しました。 仏教のグループが、修行し瞑想して、覚る資格があるのかどうか、疑問がくすぶりました。そこで仏教は、「出家して、異性と交わらない清らかな生活を送っているので、資格がある」、と主張しました。家族を営むバラモンよりも清らかだ、という理屈です。    ―― alex99 ――​​ ここでまた、引っかかるよな~(笑) 「異性と交わらない清らかな生活」が「資格」 何を言ってるの?(笑) 私の高校時代の思考レベルじゃないかっ!(笑) これが、当時の、ゴーダマの死後、その教えを広めようとした 教団関係者(笑)の時代錯誤な思考 それが、仏教を作り上げたのだ 言ってくが、ゴーダマは、仏教など作っていないよ 彼はただ、彼の教えを説いただけ 後世の教団関係者(笑)たちが、その教えを美Jネスにした それが仏教と言うビジネス もっとも、その後、さらに ー 大乗仏教 ー 小乗仏教 ー スリランカ仏教 ー チベット仏教 などに枝分かれしたが ようするに、いろんな会社に分散しただけ  覚ったゴータマは、仏(覚った人)となって、輪廻を脱け出ているので、バラモンよりも上である、とも主張しました。    ―― alex99 ――​​ 輪廻なんて言ってるようじゃ、ゴーダマもダメだわ(笑) アインシュタインの方が賢いわ しかし、そのアインシュタインもキリスト教にこだわりが 死んだらどうなるか こうして成立した仏教は、死んだらどうなるかについて、つぎのように考えるようになりました。----------・ 仏(覚った人)は、輪廻を脱け出ているので、死んだあと、もうほかの生き物に生まれることがない。けれども、因果のネットワークのなかにはあるので、 宇宙と一体化している。・ ふつうの人間(覚っていない人)は、因果のネットワークのなかで、輪廻する。---------- いずれにせよ、人間は死んだら、霊魂になるわけでもなく、死者の世界もありません。これが仏教です。    ―― alex99 ――​​ ただし、分子生物学では、一種の輪廻みたいな 分子れBるのサイクルはあるんだけれど それを輪廻と言いくるめられないようにしないと(笑)  このあと仏教は、さまざまな考え方を発展させて行きます。 主流の仏教は、ゴータマが大昔から輪廻を繰り返し、修行を続けて仏になった、と信じるようになりました(ゴータマは、こんなことは言っていないはずです)。ならば、仏教の修行者や一般の信徒は、仏になるまで、輪廻を繰り返すことになります。 仏を拝み、輪廻を繰り返す。 これでは、神を拝み、輪廻を繰り返すヒンドゥー教とほとんど同じです。そのうち、仏は神の化身だとヒンドゥー教が言い出し、 仏教はヒンドゥー教に吸収されてしまいます。    ―――― 日本の仏教 ――――独自に発展した日本の仏教 ​中国や日本に伝わった仏教は、独自に発展しました。​浄土宗、禅宗、真言宗、に注目しましょう。    ―――― 浄土宗 ―――― 浄土経典は、釈迦仏(ゴータマ)のほかに、西方に阿弥陀仏というブッダがいると説きます。  ―― alex99 ――​​ このへんで、仏の治インフレが始まる(笑)ただし、 そして、阿弥陀仏のいる極楽浄土に往生すれば、容易に仏になれると教えます。よって、死んだら輪廻にして、またこの世界にまた生まれるのではなく、「死んだら、往生して極楽に生まれる」と考えます。 ​修行しなくても、往生して仏になれるのは、魅力的です。​  ―― alex99 ――​​ このへんから、楽な新興宗教の始まり(笑) 平安時代には大流行りになって、貴族は往生を願いました。やがて庶民にも広まって、念仏宗になります。    ―――― 禅宗 ――――「死んだらどうなるか、気にしない」 禅宗は、中国で盛んになって、日本に伝わりました。​経典を読むよりも、坐禅と瞑想を重視します。   ​  ―― alex99 ――​​ このへん、セイロン仏教徒似ている  ゴータマは、経典など読まず、坐禅をすることで仏になった。禅宗は、その坐禅のやり方をインドから伝えている。坐禅をしている人間は、仏である。仏なら、生死を超越している。ーーという具合に、禅宗では考えます。 誰でも坐禅ができ、誰でも仏になれる。仏なら、生き死にを超越しているのだから、死んだらどうなるか気にしなくてよい死んだらどうなるか、気にしない」、が禅宗の考え方です。    ―――― 真言宗 ――――死者の世界がある、とは考えない あと、変わった考え方をするのは、真言宗です。 真言宗は、密教です。密教は、ブッダの秘密の教えを重視します。それは、人間が実はもう仏であること。仏になることを目指して輪廻を繰り返し、長い修行を続けることができるのは、人間がもう仏だからというのです。 修行して仏になるのが仏教のはずなのに、密教は、もう仏であると教える。それなら、仏教と言えるのか、きわどい考え方です。ほとんどヒンドゥー教と言ってもよい。 真言宗も、人間はもう仏なのですから、「死んだらどうなるか、気にしなくてよい」、という考え方になります。    ―――― ◆ ―――― このように、仏教は、死んだらそのあとどうなるか、さまざまに考えます。ただし、死者の世界がある、とは考えません。この点は、インド文明の考え方に従っています。 ​​​​​​​ ―― alex99 ――​​ 神道では「黄泉の国」がある 死者の世界である イザナギが亡き妻を求めて訪れている ギリシャのオルフェとユリディスの物語と酷似

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