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2021/05/06(木)02:26

スイスの時計産業とユグノー教徒

🔴 C 【文化・歴史・宗教】(279)

​​​​スイスの時計産業とユグノー教徒 ​​​2.時計産業の歴史と危機 (1)時計産業誕生の歴史財務省総合政策研究所 レポート財務総合政策研究所 総務研究部 総務課長 佐藤 栄一郎スイスの時計産業の歴史は 14 世紀にさかのぼるが、本格的に花が開き始めたのは 16 世紀になってからである。それ以前より、スイスのジュネーヴでは職人の卓越した技術による宝飾細工が盛んであったが、ジャン・カルヴァン(Jean Calvin)の宗教改革によって富をひけらかすことをよしとしない風潮が生まれ、実際に、宝飾品を身に着けることが禁止されたジュネーヴでは、宝飾細工の職人は窮地に陥った。同じ頃、フランスでは、ユグノーと呼ばれるカルヴァン派と体制派の間で 30 年以上にわたる「ユグノー戦争」(1562~1598 年)が勃発し、弾圧・国外追放を受けた多くのユグノーがジュネーヴやベルンなどスイスの都市に亡命した結果、当時パリなどで盛んであった時計産業のノウハウが、ユグノーを通じて流入することとなった。スイスの宝飾細工職人は時計産業に生き延びる道を見出し、ここに時計と宝飾の技術が融合しスイスの時計産業が花開くこととなる。 1601 年にジュネーヴで時計産業のギルドが発足して以降、多くの事業者がこの都市を目指したが、一 部はジュラ山岳地域に居住した。この地域では部品供給が不足していたことから、多くの農家が部品業者に転身し各々が専門とする部品供給の役割を担い、また、組立業者が最終的に検査して完成させるという生産工程が形成された。この時期、ヴァシュロン・コンスタンタン、ブレゲ、ジャガー・ルクルト、ブランパン、パテック・フィリップ、ピアジェといった有名ブランドが誕生している(Clavijo et al., 2014)。こうして、スイスの時計産業の中心地となっていったこの山岳地域は、現在でも時計産業が集中している地域としてジュラの弧(l’Arc jurassien)と呼ばれており、スイス全土に 26 あるカントン(州、準州)のうち、ジュラ山脈が広がるヌーシャテル、ベルン、ジュネーヴ、ジュラ、ヴォ―、ゾルトゥルンの 6 つのカントンだけで、スイスの時計産業全体の 92.2%の雇用、86.9%の企業が集中している(2019 年)(CP, 2019)。​​​​​

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