【不眠症カフェ】 Insomnia Cafe

2021/05/31(月)00:49

【復刻】 ​大航海時代のポルトガル 宣教師フロイスの日記 哀しみの旋律ファド (そうして ボサノバ)

🔴 B 【ブログ 過去ログ復刻】(53)

​​​​​​​​【復刻】 ​大航海時代のポルトガル 宣教師フロイスの日記 哀しみの旋律ファド (そうして ボサノバ)​ アフリカからの奴隷労働者のリズム音楽を中心に欧州の舞曲などが融合したSAMBAそのSAMBAをJAZZなどの要素を加えて洗練させリズムをさらにシンプルにし叙情的な歌詞をのせて歌うSamba Bossa Nova)が成立、流行リオの有産階級のサロン音楽であり学生の音楽でもありハッキリ言えば白人中心の音楽そういう意味で、従来の黒人奴隷ルーツの庶民の生活の中のブラジル音楽とは少しNOVAな(新しい)BOSSA(傾向)であるSAMBAの楽器構成は打楽器中心だがBOSSA NOVAではもっとシンプルになり、ギター中心コード展開が美しくはっきりしている殊に、私にとって印象的なのは軽いシンプルなリズムに乗ったヴォーカルの優しく哀愁を帯びたささやくような唱法そこには、ブラジル人のルーツである「ポルトガル」更には、そのポルトガルの「哀愁の旋律ファド」そのファドに流れる「サウダーデ」という哀しみ感情がこもっていると思うそれらの要素について以前、私が書いた過ログがあるので復刻してみよう    ​―――― 復刻記事 ――――​2008.12.29大航海時代のポルトガル 宣教師フロイスの日記 哀しみの旋律ファド私が以前、「お薦め web site」に入れていたある人物がその日記の中で「昔のポルトガル商人の古い日記を読んでいる」と書いていた大航海時代のヴァスコ・ダ・ガマあたりの時代のものなんだろうが私も読みたいと思う私にとってポルトガル人というと、まずルイス・フロイスである16世紀の日本にイエスズ会の宣教師として来日膨大な「フロイスの日本史」を書いてくれた後、長崎で亡くなっている信長や秀吉にも謁見し、世界のいろいろな情報を彼らに披露して重宝されたフロイスはそんな信長や秀吉の容貌や性格その他もろもろの情報を first hand で日記に書き込んでいてそれが今や極めて貴重な時代の証言となっている私も「フロイスの日本史」の全集をもっていて、以前はちびちび読んだそのフロイスの生涯の簡単な年表を、私なりに作ってみた    ―――― フロイス年表 ――――1532 リスボンに生まれる1543 (ポルトガル船が種子島に漂着 鉄砲伝来)1548 イエスズ会に入会 ゴア(インド)に向かう1557 ゴアで哲学・神学を修得1562 日本へ出発1563 日本到着 31才1569 織田信長に二条城で謁見1583 日本史執筆開始1586 大坂城で秀吉に謁見1592 マカオへ出発1595 マカオから帰国1596 日本史執筆完了1597 二十六聖人の殉教 殉教を記録 長崎で死亡       ―――― ◇ ――――イエスズ会というとフランシスコ・ザビエルであるそのザビエルのみならず、イエスズ会はバスク人中心に運営されてきたイエスズ会というのは、特に発足当時はファナティックな宣教意識を持った、武力でもってでもキリスト教化をいとわない戦闘的な宗教団体だったまたバスク人というのはフランスとスペイン国境のピレネー山脈あたりに住む欧州の謎の民族スペインからの分離独立を目指してテロを繰り返している民族でもある血液型がRHマイナスという特徴があるこの血液型を持った人はバスク人のDNAを持っている、とも言われる奇妙なことに彼らの言語がそもそも印欧語に属さない謎の言語である欧州で印欧語に属さない言葉なんて他には少ないアジア系のフィンランドのラップ語とハンガリー語ぐらいである多分、バスク人は印欧語を話す欧州の人々より先に欧州にやって来た先住民なのだろうバスク語には印欧語には無い「息を吸い込みながら発音する」という音があるという一説によるとこの音は、長い期間、洞窟内で暮らした民族に特徴的な音だという私の推測では、洞窟内ではふつうに発音すると反響してうるさすぎるので、息を吸い込みながら発音するという発声法が出来たのではないだろうか?あくまで私の個人的な仮説だしアフリカの最も古い民族ブッシュマンも子の発音方法を持っているひょっとしてブッシュマンの系統の人たちが「出アフリカ」をして、欧州へたどっりついて・・・そういう想像もしてみたいつまりバスク人は、氷河期に寒波を避けて洞窟内で暮らしていたのだろうと思うまた、クロマニヨン人の直系の子孫とも言われているフランスではバスク人は味覚の鋭い人々として知られていてレストランやビストロの経営者・シェフが多い       ―――― ◇ ――――ポルトガルは東洋にも、もちろん大きな足跡をのこしているインドネシアにもポルトガル領があったし(マカッサルだったかな?)もちろん香港の隣のマカオはインドのゴアとならんでポルトガルにとっては東洋の要衝そういえば、ボンベイ支店の現地職員にもゴアの出身者がいてダ・シルヴァなんていかにもポルトガル系の名前を持っているカトリック信者だったしかし、米国の妹の近所の住人の姓もダ・シルヴァである彼女はセイロンの出身、肌の色は浅黒い彼女の父親は英国人だが母親は現地人である現地の名門の出身だという確かに米国に住んで長いのに英国英語をしゃべるポルトガルはセイロンにも勢力を伸ばしていたらしいマカオにはいまだにポルトガル語をしゃべるポルトガルの血をひいた中国人のマイノリティー社会があるというそのテレビのドキュメンタリー番組を見たことがある徳島で亡くなったポルトガルの総領事モラエスも小泉八雲に似た境遇の知日外国人文人である日本に同情的なレポートを、ポルトガル総領事として本国に送っているまた文人としては、小説などを書き残している徳島市内にモラエス通りという通りがあり、そこにかれの旧居があったらしいその通りと並行した通りから山の方に入ったところに私の母方の祖母の先祖代々の墓地がある士族で神道の家系の者だけを葬ってあるという特殊な墓地であるポルトガルというと種子島銃でもある通説ではポルトガル人が種子島に持ち込んだ鉄砲(種子島銃)がすぐに日本に普及したと言うことになっているが日本の堺で大量生産された鉄砲はポルトガル方式の鉄砲でないようだ弾込め方式などの方式が違うという多分、中国とかそのあたりから導入した、もっと進化した鉄砲の技術を日本は別ルートで取り入れてそれを改良したらしいそうして日本人はたちまち数千丁の鉄砲を作ってしまったこれは当時世界最多の鉄砲の所持率だったしかし、ポルトガル式の火縄銃ではないと言うことなのだからポルトガルに対する感謝も半分でいいポルトガルには行ったことがない行ってみたい特にリスボンの隣の大学町で古い町のコインブラコインブラって、響きが美しいポルトガル・ギターには二種類あって・リスボン型・コインブラ型の2種に分かれるネック部分がまっすぐか?曲がっているか、という違いがある       ーーーー ◇ ーーーー去年、米国で、姪の結婚式があって私も招待されたケープ・コッドというケネディー家などの別荘もある高級避暑地なのだがそこのホテルでの3日間にもおよぶ長丁場の結婚式だったのだけれどその結婚式にポルトガル人たちを招待したその時期、米国で、私と義弟がアントレ・プレナーとして起業している WATER-FRONT のコンパウンド建設その現場で雇用しているポルトガルからの出稼ぎ労働者たちであるその彼ら、ポルトガル人の人々と話していて、アマリア・ロドリゲスの話がでた出たと言うより彼らがポルトガル人だと言うことで私としてはある種のサーヴィス精神もあって彼女の話題を出したのだが昔の映画に「過去のある愛情」というフランス映画があるフランソワーズ・アルヌール ダニエル・ジュラン主演のポルトガルを舞台の男女の愛情のもつれを描いた映画だがたしかまだ高校生だった私は、この映画を映画館にまで観に行ったというより「聴きに行った」と言う方が正しいかも知れないというのも、この映画の主題歌「暗いはしけ」という歌をアマリア・ロドリゲスというポルトガルの女性歌手が歌っていてこの歌はポルトガル独特のファドといわれるジャンルのものなのだがその当時は世界的なヒット曲になっていて私はその歌をラジオで聞いていてぜひ彼女が出演して歌っているというこの映画を観たかったわけだ実際に行ったことがないのにこう言うのもいけないかも知れないが隣国スペインと比較してポルトガルは、なんとはなしに貧弱というか侘びしい印象がぬぐえない写真などで見るポルトガルの典型的な映像は黒い衣装をまとった猟師の女房などというものが多いからそういう印象になるのかも知れないそんな風情には、ヨーロッパと言うよりイベリア半島を数百年にわたって支配したムーア人(アラブ人)の面影も見えるような気がするファドというのは哀調を帯びた歌だスペイン風な激しいものとは対照的に淡い味わいでまるで風になびく哀愁という風情があるこれにもやはりアラビアのエキゾティックな旋律が混じり込んでいるような気がするやはりポルトガルにはそういう軽い、そして哀愁を帯びたという持ち味があるのかポルトガル領だったブラジルの音楽、ボサノヴァも淡くて軽い名画「黒いオルフェ」の主題歌「カルナヴァルの朝」もサンバではあるがファドの哀愁が濃く溶け込んでいる       ―――― ◇ ――――ポルトガル語で「サウダーデ」という言葉がある英語で近い言葉は solitude だろうけれど、それだけではないこの言葉は実に深くて微妙で・・・幅の広い意味のある言葉らしい平凡社のスペインポルトガルを知る辞典には次のようにでている       ―――― サウダーデ ――――懐かしさ・未練・懐旧の情・愛惜・郷愁・ノスタルジー・孤愁しかし、いずれの訳語もサウダーデの表す多面体的な意味のいづれかの面に対応するものであってそれが持つ意味の総体を示す訳語ではないサウダーデとは、自分が愛情・情愛・愛着を抱いている人あるいは事物(抽象的なものを含む)が自分から遠く離れ近くにいない、またはいない時あるいは自分がかつて愛情・情愛・愛着を抱いていた人あるいは事物が永久に失われ完全に過去のものとなっている時、そうした人や事物を心に思い描いた折に心に浮かぶ、切ない・淋しい・苦い・悲しい・甘い・懐かしい・快い・心楽しいなどの形容詞をはじめ、これらに類するすべての形容詞によって同時に修飾することのできる感情、心の動きを意味する語であるそこには、単にそうした人や事物を思い描いた時に、心に浮かぶ感情だけでなくそうした人や事物をふたたび眼の前にしたいと願う思いも含まれているサウダーデはこのように複雑で豊かな意味を持つ語であるから外国語で1語によってその意味を表すことは不可能であることも訳語としてあげられている種々の語の意味の一面しか表しておらず思い出す対象によって訳語が異なるざるを得ないことも明らかであろうまた大切にしていた物を手放さざるを得なくなった時心に感じる痛み・悲しみを伴う感情もサウダーデであり家族・親友・恋人などと永く別れるときの惜別の情もまたサウダーデである       ―――― ◇ ――――これでは長々しくて大変だけれど、私が簡潔にまとめると「愛着のあるものから離れていることから生ずる執着を含んだ喪失感・悲哀感」なのではないだろうか?つまり英語で言うと nostalgy や missing feeling や in solitude それらが、その核にあるのではないだろうか?       ―――― ◇ ――――ポルトガルは欧州の最先端、どん詰まりであるその先は茫漠たる大西洋であるコロンブスが数十日かけて到達した米大陸はその彼方であるが視界にはない英国のコーンウォールの先端に文字通り 「LAND END」 という名前の岬がある(米国の姪が結婚式をしてケープ・コッド近辺にも同名の避暑地がある 一度、行ったことがあるが、ゲイの人たちの街として有名?)陸地が切り落ちていて、そこからは見渡す限りの大西洋であるまだ見ないリスボンにも(リスボアというのがポルトガル語の発音)やはりそんな荒涼として風景があるような気がする大航海時代に船乗り達が未知の大海に乗り出した土地だそんな前例もない世界の果てへの恐ろしい航海に船出して行った夫や父親、恋人など・・・そんな彼らを想いつづけて帰りを待ち続けた切ない感情がポルトガルの女性達の心の中に染みついてファドになったのではないだろうか?       ―――― ◇ ――――「火宅の人」の作者、壇一雄が一時ポルトガルに滞在していたことがあって昔に週刊朝日に連載していた随筆に自ら書いていたがポルトガルではイワシの塩焼きが安くて、またことさら美味であるというさらにそれにレモンを搾ってかけると・・・・・・言うまでもあるまい       ―――― ◇ ――――またアメリカでの結婚式パーティーでのポルトガルの人達との話にもどる他の東海岸エリート白人連中に比べて遠慮がちなポルトガルの人々を気遣って私はアマリア・ロドリゲスの歌が聞きたさに「過去のある愛情」を観に行ったことおよび壇一雄が好きだったというイワシの塩焼きがぜひ食べたいものだ・・・などとしゃべると、彼らがいきなり私に抱きついてきて「今度来たときには私たちの家に来てくれ!イワシの塩焼きをご馳走する  ポルトガルのワインも最高だよ」というのだそれだけでは無い一人が自分の荷物の中からアマリア・ロドリゲスのCDを数枚とりだして「プレゼントする」といって聞かない「せっかくのCDじゃないか?」と遠慮すると「ここではいくらでも安く売っているから大丈夫」というたしかにこの州にはポルトガル系住民や移民が多くいわゆるポルトガル・スーパーまでもあるのだCDもオリジナルでは無く、焼いた複製である遠慮無くいただくことにした       ―――― ◇ ――――フロイスからアマリア・ロドリゲスまで本日の「大航海」もやっと終えて、無事に帰港となったああ、しんど!​​​​​​​​

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