2022/08/20(土)08:32
【ぶらり街歩き】ベトナム・ホーチミン・ドンコイ通りを歩いて散策
【ぶらり街歩き】ベトナム・ホーチミン・ドンコイ通りを歩いて散策♪撮影日:2021年1月7日
https://www.youtube.com/watch?v=lnj448LPD-o
この「ドンコイ通り」は、いわばサイゴン(ホーチミン)の銀座通り私にとっては懐かしい場所であるしかし、私の駐在時代、つまり、半世紀以上昔、では、誰もドンコイ通りなんて呼んでいなかったフランス名の「カティナ」またはベトナム地名で「トゥー・ドー」もっとも、「トゥー・ドー」はサイゴンなどの南ベトナム訛りなのでハノイ方言で発音すれば「トゥー・ゾー」となるがサイゴンでは、誰もそんな呼び方はしていなかった当時のハノイは、敵国・北ベトナムの首府っで会ったことだし
この動画主、律儀で真面目に「トゥー・ドー」を案内しているこの動画を見ると、私の知っている昔そのままの建物は3軒の大きな一流ホテルだけである・ Continental Hotel・ Caravelle Hotel・ Majestic Hotel
それに、当時のカティナ通りは、もっとタマリンドの木々が多く生い茂っていて、その影も濃かった今のような摩天楼(笑)のような現代的な巨大ビルなど皆無だったその代わりに、フランス風の洒落たガラス通しのカフェや小さなホテルがあって、辻々に、編み笠にを被ったおばさん達が小さな折り畳みテーブルに並べたアメリカのタバコを売っていたそれに、マキシムというサイゴン最大のナイトクラブ、昔の東京で言えば、赤坂のコパカバーナ、like なナイトクラブがあって私の彼女も、デヴィさんみたいにそこで勤めていたことがあって
この彼女は、北ベトナム軍がサイゴンを陥落させて統一ベトナムを樹立した後に、北ベトナムの幹部として coming out したという驚愕の事実が・・・(笑)しかし、これは、不肖私が驚愕しただけの事で(笑)、当時のサイゴンはそういう事がざらで私が通勤していた駐在員事務所でも、現地人スタッフのおよそ半分が、統一後、北ベトナム、またはベトコン(南ベトナム解放戦線)のスパイだったと coming outこれも私にとっては驚愕だった
当時の南ベトナム、その首府サイゴンは、昼間は南ベトナム政府とその軍隊が統治、しかし、夜には、北ベトナムやベトコンが統治(笑)していたという異常な世界ここから私の、なかば嫉妬、ベトナムは旧仏領だから、フランス語でジェラシーと言おうか?(笑)嫉妬交じりのいつもの「ベトナムでの開高健批判」になるのだが(笑)こういうパラレルワールドの実体験は、あの開高健先生の従軍レポ「ベトナム戦記」にも、その他のベトナムを舞台とした三部作の小説にも書かれていない開高健が、一度、米軍の作戦に参加して、北だか、ベトコンだかに包囲されて、ぉの部隊の米兵の大半が死亡、開高健は、恐怖で小便をチビリながら(オイオイ)九死に一生を得たそういう話は確かにすごいが・・・例えば、開高健が小説の中でサイゴンの女と寝るくだりあれは、私から言わせれば作り事、リアルじゃない仏文出身者独特のエログロを抜いた綺麗ごとの描写おまけにその女性、売春婦なのかな? の名前が、ベトナム女性なのに、
なぜか?漢字での名前になっているそれは、ふつう無いベトナム(越南)が数百年の中国支配を脱して、ベトナム語は漢字を排してアルファベット表記となったベトナム人の名前は、確かに、中国起源のものである朝鮮人の名前が、やはり、中国起源であると同じである其の数百年の中国の支配を経て、ベトナム語の語彙、特に政治と軍事の語彙は、漢語由来のもが大半であるただし、それらはベトナム読みになっているから、すぐにはそれとわからない場合も多いそれに日本の漢字がそうであるように、中国出自の漢字と言っても、
その時代の支配王朝の発音は、大きく異なる
例えば日本の漢字にも、呉音・漢音・唐音がある■呉音・・・主に百済人によつて伝えられた中国南方系の読み方。■漢音・・・奈良~平安時代に伝えられた中国北方系の読み方。■唐音・・・主に鎌倉時代に伝えられた江南浙江地方の読み方。ベトナムの漢語由来の語彙が、この日本の呉音・漢音・唐音にどう対応するのか?私は知らないただし、ベトナムは、すでにフランス植民地時代に、チュノムも、漢字も廃している例えば、ベトナム人女性に多い「マイ」という名前「ホア・マイ」は、中国語では「梅の花」であるだからマイちゃんは、いわば、梅ちゃんであるただし、ベトナム人がこれを中国語で「梅」と意識することはない第一、ベトナム人で漢字の literacy のある間など、今はほとんどいないましてやわざわざ、自分の名前を中国語=漢字で名乗る事も無い第一、マイが梅であることを知っているのか?もわからないもう、マイは、ベトナム女性の名前としてベトナムウ人の意識の中に溶解しているのだそれなのに、開高健が自分の情婦(笑)をまるで、華僑の女の様に中国名で呼ぶことこれから見ても、開高健は、ベトナムで戦闘には絡んだが、女んは絡まなかった(コレコレ)
という、なによりの証拠だろうあの悪妻で有名な牧羊子が怖かった?日本の特派員特有の、自分は高級ホテルに陣取り、実際の取材は、
現地語が喋れる現地人の助手に任せ、そのレポートを編集して自分の記事として東京に送るそういう伝統的な「日本の特派員」であったのだろうと、私は推測する
言葉も、ベトナム語は全く話せず、旧宗主国であるフランス語または英語で済ませたに違いないまあ、開高健は仏文出身者なので、いくばくかの(笑)フランス語はしゃべれたのだろうこう書くと、なんだか私が大ファンである開高健の批判になっているようだが、
事ベトナムに関しては、私は開高健の書くものからは
日本の新聞記者(特派員)と現地米軍の関係しか読み取れない私の様に、自分の肉体を犠牲にしてベトナム女性に差し出し(オイオイ)
ベトナム人の本質を探索するという尊い作業を怠っているどうも私は、懐かしのカティナ通りから、横丁に入り込み過ぎたようである