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【不眠症カフェ】 Insomnia Cafe

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【ベトナム戦争】 駐在時の想い出

2011.10.10
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私は、ベトナム戦争最中のサイゴン(現ホーチミン)に駐在していたことがあって、その想い出についてはいろいろ書いた
それらは、過去ログの『ベトナム ベトナム戦争の想い出】というジャンルに収納してあるが、まだ書いていない思い出もある
これからも、それらを思い出しながら、書いてみたい

   ―――― ◇ ――――

ちょっと所用があり、続きは、後ほど書く予定

   ―――― ◇ ――――

書こうとはしているのだが、風邪気味だし、これから、医者と歯医者(笑)
それに、ブログへの熱意が減退しているので、他人のブログへのコメントを入れる方が楽で
まあ、なにも義理と義務のないブログだから・・・
(こればっかり)

夜にでも書こうと思ったら、今日は、帰宅したら、録画してある予定のザックジャパンのサッカー、タジキスタン戦を見る予定だから、また遅れる

   ―――― ◇ ――――

ちょっと熱があり、歯医者も医者もキャンセル

ブログって、こんな事を書くものじゃないな

エントリーを改めて、書き直そう








最終更新日  2011.10.11 16:03:35
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2011.06.12
ベトナム戦争 死の軍用ハイウェイを走る 【復刻日記】

久しぶりにbonbonusさんがコメントをくれた
そのbonbonusさんとARVNさんがベトナムの麺・フオーに関して会話を交わしている日記を見つけたので、再々復刻してみる
私は、ARVNさんのコメントが入っているとは知らずに、レスを書かずに失礼してしまった
ARVNさん!
もしごらんでしたら、ご連絡下さい

その他、私がサイゴンにいた頃に、やはりサイゴンにいた新聞記者の方からのコメントもあった
確か、メールアドレスがあったので、探して連絡してみよう

いろいろな国に行っても、やはり、私にとって、一番懐かしいのは、この頃のサイゴンの想い出である








最終更新日  2011.06.12 20:40:08
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2010.11.20
時間が無いので、復刻日記としたい


ベトナム戦争 戒厳令の夜 復刻日記

ベトナム戦争 戒厳令の夜
~~~~~~~~~~~

curfew 【カーフュー】と言う言葉がある

【curfew】 はフランス語である
しかし、国際的に通用する軍事用語である

語源はフランス語の covrefeu
英語では cover fire
暖炉などの火を消えないように灰を被せる・・・
いわゆる「熾火(おき火)」のことである

ただ、熾火以外の意味がここでは重要である
○ 戦争などの緊急事態に出される夜間外出禁止令
   ー a wartime curfew 【戦時下夜間禁止令】 
   ー military curfew 【軍事的夜間禁止令】 

他に、【門限】【日暮れの鐘】などという意味もあるが、この際、重要ではない

~~~~~

私の駐在時のサイゴンでは【夜12時から朝の6時】まで、カーヒューが布かれていた
市内には検問をする軍隊・憲兵・警官などがあふれている
禁止令にそむいて深夜に外出していた場合も、一応は「何者だ?」というような推何(すいか)はするはずだ
しかし、そのまま射殺されてしまっても仕方がないのである
戦時下の軍事的夜間外出禁止令なのだから
事実、そう言うケースが多かったと思う
当時、日本人医師が二人出向していたサイゴン病院の医師の話では、夜間のカーヒューの時間に自動小銃などで撃たれ、腹部に数十発もの銃弾を撃ち込まれた患者が運び込まれたりしたという

だから歓楽街で飲むのは楽しいが、サイゴンの歓楽は【キッカリ12時まで】なのだ
【ゆきはよいよい かえりはこわい】
まさにそう言う状況である
そういう環境の中で私は、【節度ある】歓楽をこなしていたのである(笑)

~~~~~

このころの南ベトナムは単純な世界ではない
複雑な世界である
二重構造の世界でもある

昼間の時間帯では南ベトナム政府軍と米軍がベトコンや北ベトナム軍を激しく攻撃している
しかし夜間になるとベトコンがサイゴンの町に忍び込む
まるで昼夜でクルッと逆転するオセロゲームの様なものだ

それに加えて、日常は何食わぬ顔をして一般人として暮らしているが、実はベトコンに通じているスパイも多い
いわゆる【スリーパー】である
眠っているふりをしている【諜報員】である

それだけではない
私の赴任の直前、北ベトナム正規軍が全軍をあげて南ベトナム各地を攻撃、サイゴンをも包囲・突入した大軍事行動もあった
一気に南ベトナムの解放を狙ったのだ
これは軍事的に時期尚早で失敗したが、南側に、米軍側に大きなショックを与えた

こういう軍事情勢だから、サイゴン市内で夜間外出するものは、即、敵と見なされる
curfew というのは戒厳令の一種なのだ
まさに五木寛之の小説の題名ではないが「戒厳令の夜」ということになる

カーヒューの夜は、12時をすぎれば、それこそ猫の子一匹通らない静寂である
針一本落としても響く静寂と言ってもいいかもしれない
ときおり騒音を立てて、軍隊のトラックや装甲車や戦車が通るのみである

~~~~~

当時の遊び友達の一人に日本料理レストランの経営者がいた
彼は毎晩のようにわれわれの宿舎に麻雀に来る
たいていは強豪ぞろいの我が社の諸先輩にひねられて惨敗する
その麻雀が終わったら、今度はナイトクラブに遊びに行く
私は麻雀はしないが、その後のナイトクラブ行きにはよくつきあった

~~~~~

当時のサイゴンには高級ナイトクラブが数軒あった

○ 中華街では華僑系の【アルカン・シェール】というナイトクラブがあった
サイゴンでは
○【トゥー・ディ・ヴォワー】、フランス語でいう【象牙の塔】である
英語で言えば【アイヴォリー・タワー】
と言っても、もちろんそのナイトクラブでホステスが一生懸命勉強しているわけではないが
○それに【ヴァンカン】という店もあった

この【ヴァンカン】の特色としてフランス系混血美女が多かった
グラマーな肉体派の混血美人が好きな人はここに来る
私の先輩の「グエン・カオ・キさん」も、ここが好きだった

~~~~~

「グエン・カオ・キさん」というのは通称である
本人は繊維担当の駐在員なのだが、その容貌からみんなにそう呼ばれていた
グエン・カオ・キとは、当時の南ベトナムの副大統領である
ジェットパイロットでもあるカオ・キ氏は、大統領のグエン・バン・チュウ以上の有名人である

この繊維担当駐在員が「グエン・カオ・キ」にそっくりなのである
ふたりとも、やや細身で、顔が小さくて、チョビ髭を生やしている
ふたりとも、女性から見て魅力的かどうかはさておいて、おしゃれではある

和製カオ・キさんも、私同様、麻雀はしない
だから・・・というわけではないが、夜のサイゴンが好きである
紅灯の巷が好きである
毎日、飲みに行くのが好きである
私も麻雀はしないし、紅灯の巷が好きだから、私たちはよくつるんでサイゴンの街に出かけた

和製グエン・カオ・キさんは、おしゃれで、多分、船場の【いいしのボンボン】なのだろう
予科練上がりだと噂のある胆力のある店長とはお互いに肌が合わない
それにカオ・キさんは愛人がいない
私も愛人がいない
これも毎日、飲みに行く理由の一つである

カオ・キさんも私と同じで、華僑系の女性があまりすきではない
だから、中華街ではなく、サイゴンのナイトクラブに飲みに行くのである
ナイトクラブを二軒ほどハシゴをして、おとなしく帰る
私のように、荒くれの米兵がたむろする危険なバーには行かない

このカオ・キさんには、先輩から聞いた面白いエピソードがある
ボンボンのカオ・キさんは、フランス系のスポーツクラブに入っていて、そこでテニスをする
ある日、カオ・キさんがコートに立っていると、なんと本物の副大統領のグエン・カオ・キがあらわれて、和製カオ・キさんのとなりのコートに立ったというのだ
私たちはこの二人がそっくりだと社内で話していただけだったのだが、やはり【だれがみても】二人はそっくりだったらしい
コートの周りの見物人から、しばらくたって忍び笑いが広がったというのである

後で、和製カオ・キさんにこの事実を【確認】してみたら、カオ・キさんはだまったまま、「フフフ・・・」と笑った

~~~~~

ナイトクラブの話が続く
ナイトクラブの最大手はなんといっても、カティナ通りにあった【マキシム】である
サイゴンの目抜き通り、東京なら銀座通りにあたる【カティナ通り】
これはフランス植民地時代のフランス風呼び名である(しゃれてるよね~)
この南ベトナム時代には、ベトナム語で「トゥー・ドォー」、つまり【自由】という名称で呼ばれていた通りだ
もっと正確に言うと「ツゥー・ドゥオー」とうのは南ベトナム訛りの発音である
標準語であるハノイのベトナム語でなら、「トゥー・ゾォー」と発音しなければいけない
(一応うんちくを披露しておこう)
なお、このカティナ通りは、現在の共産政権の下では改名され【ドンコイ通り】となっている

このマキシムはサイゴンのナンバーワンの店である
正統派で格式高い
ショーも豪華で本格的である
それほど面白くもない、ベトナム版ミニ・ミュージカルのような演芸がある
昔の松竹SKD または祇園の芸者ショーみたいな感じだと思っていればいい
それに有名歌手の歌がつづく

真っ暗な中にアオザイを着たベトナム美人のホステスが暗闇に一杯ひかえている
私達がテーブルにつくと先ずママさん(中国風にタイパンと呼ぶ)が応対してくれて指名のホステスを呼んでくれる
ホステスは大抵番号で呼ばれていて、例えば「15番」という風に番号で指名する
味気ないようだが、そのうちにその番号になれる

当時のベトナムでは、ナイトクラブでも、米兵バーでも、裏はともかく、割にお行儀のよい世界だった
らんちき騒ぎはない
ホステスが隣に座ってお話をするか、ダンスをするかぐらいである
もちろん、ねんごろになれば別ではある

ステージではヴィエトナム流行歌の歌手が、南部独特の哀切な叙情的な曲を歌う
北のハノイの人たちは堅苦しくてきまじめで勤勉な人間・・・といわれている
南ベトナムの、サイゴンの人たちは違っている
明るくて、お茶目で、きわめていい加減で、こちらにもし隙があればだまそうとする(失礼)

(言い過ぎた) _| ̄|○

それが、歌となると、とたんに悲しげに身をよじって、身も世もないと言う風情ですすり泣く様に唄う
思い通りにならない、はかない悲恋を切々と歌い上げるのだ
南の人たちは良くも悪くも感情的だから、日頃は明るくふるまっていても、じつはこの世の哀しさや恋の切なさを強く感じているのだろうか
この辺の矛盾というか、亀裂というか、不条理というか、そういうものが私にはいまだによく解明できないままである

私はこのベトナムの歌が大好きである
私はヴィエトナムの歌・気候・女性・いろんな人々・料理・・・すべてが好きである

~~~~~

そんなこんなで、そろそろ11時も過ぎて、いよいよ恐怖のシンデレラ・タイムとなる
12時からは恐怖のカーヒュとなるのだ
普通ならそこで慌てて帰るのが正常な人間のすることなのだが・・・
このレストラン経営者はやっかいな性格の人である
こういう危険な状況でも、最後の最後まで粘るのだ
ホステスや従業員たちが帰ってもまだ飲みたがる
結局12時まであと十数分という時になって、やっと車に乗る
「おいっ!あと10分しかないよ!頼むよ!」

彼もさすがに必死になって(遅い!)夜のサイゴンの街を爆走する
手に汗を握る境地だ
私の宿舎に着くのが、すでに12時だったりする
そこから彼はさらに自宅へ戻らなければいけないのだ
キキ~~!! とタイヤをきしませながら彼の車が消え去る
機関銃の引き金に指をかけた兵隊に出会わなければいいのだが

~~~~~

後年、私はインドネシアのジャカルタで彼と再会した
サイゴンの店はたたんで、ジャカルタで商売をしている
毎晩あんな事を繰り返しても、何とか射殺されずに生き延びていたらしい
しかし、悪い癖は直っていなかった
ジャカルタでもまた、ルーレットなどで真夜中までつきあわされてしまった








最終更新日  2016.09.03 15:38:57
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2010.11.17
まだ一つ、半かじりの外国語を忘れていた
インドネシア語である

インドネシア語は日本人にとって、習得が簡単な言語
発音はカタカナでOK、文法も無いも同然、語彙も単純
インドネシア語について、ウィキペディアは、簡単にこう記述している
----
公用語はインドネシア語であり、インドネシアの国語となっている。
会話言語ではそれぞれの地域で語彙も文法規則も異なる583以上の言葉が日常生活で使われている。
----
これでは説明不足であるので、私が補足

このインドネシア語は、もともとスマトラ語
インドネシアでは、多言語なので、共通語の必要性があると、軍政統治を敷いていた旧日本軍がスマトラ語をインドネシアの共通語としたのである
スマトラの近隣、マレーシアも、同じ言語であったので、結果として、マレーシア語とインドネシア語は、同じ言語という事になる

ただし、歴史的な背景から、マレーシア語は、旧宗主国英国の語彙が、インドネシア語は旧宗主国オランダの語彙が混入していることが違いと言えるかも知れない

海外移住やロングステイを試みても、言語の障害で挫折する人が多いと聞く
その点、インドネシア語とマレーシア語は、語学音痴の日本人でも、大丈夫である
少なくとも、鹿児島弁や琉球語や、秋田・青森弁よりは易しい
(こ~ゆ~ことを無責任に断言してしまって、いいのだろうか??)(笑)


       ―――― ◇ ――――


ベトナムは、仏教文化国であると同時に、漢字文化圏の南限であるとも言える
仏教文化国といえば、タイもそうである
カンボジアとラオスは、タイの田舎みたいなものである
(こ~ゆ~ことを無責任に断言してしまって、いいのだろうか??)


インドネシアも、部分的に仏教文化がある
例えば、バリ島などは、ヒンドゥー・仏教・イスラム文化の混合である

しかし、タイもインドネシアも、漢字文化圏ではない
しかし、ベトナムは漢字文化圏である

というのも、フランスの植民地になってから、漢字はアルファベットにとって変わったが、語彙は、オーストロアジア語族のネイティヴ語彙(固有語)は別にして、約1000年もの長きにわたって征服されていた中国文化の残滓である滞積した漢字系の語彙が語彙全体の約70%を占めていて、もちろんそのままであるから、漢字文化圏なのである
だから、ベトナム語の語彙は、日本人にとっては、非常に覚えやすい
漢字の語源を想像すればよいのだ

ただし、ベトナム語には「声調(トーン)」と言うものがある

同じく声調を持つ中国の北京官話は、声調が四つである
これに対してベトナム語は六つの声調を持つ
同じ「マー」という発音でも、声調が六つあると、それぞれ別の単語になる

広東語は声調が六つである
ただし、私の印象では、広東語の声調は、ベトナム語の声調よりは、あいまいというか、安易というか、日本人が適当に話しても、結構通じる感じである
あの、カンフーのジャッキー・チェンなどが、しゃべっている投げやりな言葉が広東語である
むかし、タモリの「四カ国語麻雀」という芸があったが、中国語は北京官話だったか、広東語だったか?

広東語に比べて、ベトナム語の声調は、鋭く、抑揚が大きい

そう言えば、私が、サイゴンにいた頃、ある有名なカンフーの映画スターが香港からサイゴンに来て、大騒ぎになったと言う
あるバーの混血の美女が、私はそのカンフーにそっくりだというのである
彼女は、彼とのツーショットの写真を見せてくれたが、その顔にもその名前も記憶にない
彼女は、カンフーのガールフレンド(短期滞在なのに、早っ!)だったという
私は、どうも本当にそのカンフーに似ていたらしく、それ以降、私がサイゴンのバー街を歩くと、バーガール達が(外に出て来て涼んだり、客引きをしたりしている)一斉に声をそろえて、そのカンフーの名前で私を呼ぶので困ったことがある

       ―――― ◇ ――――


言語の話にもどるが
習得に苦労は要らないインドネシア語と比較して、声調があるベトナム語は、日本人には、難物である
私は、音感がいい方なので、声調には苦労しなかった
ベトナム語を読めば、アルファベットに声調の記号が付いているし、会話なら耳で覚えるといいだけである
と言っても、私がサイゴンに駐在していた頃、他の日本人で、声調を意識して、正しく声調有りでベトナム語を話していた人の記憶は無い(笑)
声調など知らなかっただろう
そもそも、アジアの現地語などに興味がある人が少ない
教養のある文化人は案外少ないものなのである(笑)
みんな、カタカナ系の(笑)フラットな声調のベトナム語で通していた

私がサイゴンにいた時、私は、オフィスでは一応(笑)英語、運転手と女中とは広東語、夜のバーやナイトクラブでは、ベトナム語
みな、「しゃべっていた」と書くにはおこがましいほどの(本当)、ほんの片言だ

       ―――― ◇ ――――


日曜は、テニス選手のマリー・ピエルス(Mary Pierce)に似た、しかし、とてもグラマーな、美人のフランスの先生から、フランス語を習っていた
彼女は、マリー・ピエルスより、ずっとボディーの曲線がきつかった
分かりやすく言うと、胸とヒップが、必要以上に、大きかった
(必要の定義が必要だが)

授業中、目の前の白い深い胸の谷間が気になって集中できなかった
授業直前にシャワー浴びていると、こちらが困る

あの先生は、あんなの美人でグラマーだったのに、どうしてベトナムなどに独身でいたのだろう?
今も解けない謎である

私は、そのうち、夜の街の彷徨に忙しくて、そのうちにフランス語をやめてしまった
「あなたは発音が素晴らしい」
マリー・ピエルス先生は、そう言ってくれたが
もし彼女が「あなたは、文法の理解が素晴らしい」
と言ってくれたら(文法コンプレックス)、フランス語を続けていたかも知れない
それに、もし彼女が「◎◎◎◎◎◎◎◎・・・(注 フランス語)」と言ってくれたら、そ~ゆ~サインを出してくれたら、夜遊びもやめたんだが

サイゴンのオフィスでは、終業後、迫田さおり選手と仲間由紀恵さんを足して割ったような(割ってはイカン!)清楚な美人の南方系華僑の先生から広東語を習っていた
しかし、彼女は人妻だった
授業が終わると、ご主人が迎えに来た
もし彼が来なければ、私は、広東語を続けていたかも知れない
(こればっかり)



この他、ポーランド語を含めて、どうして私は、こんなに美人の先生ばかりに教えてもらったのに、外国語が身につかなかったのだろう?
やはり、「外国語」と「女性」を受け付けない体質だったのだろう
(オイオイ)

       ―――― ◇ ――――


フランス語ついでに
サイゴンでは、夜、ベッドで、ベトナムとイギリスの混血の美人から、フランス語の補修講座をしてもらった
(イカン!)(つい告白)

彼女は、ベトナムでは珍しい父親が英国人の混血(普通はフランス系)
ダラットと言う軽井沢のような避暑地にあるフランス系の超有名なお嬢さん学校出身で(日本の聖心女子大、みたいなもの)、フランス語とベトナム語と英語のトライリンガルであった
大学ではフランス語専攻だった同僚が「彼女のフランス語にはとてもかなわない」と言っていた
私とは、流暢な??英語での会話である
ベッドでの補習授業?で、私が、フランス語の教科書を、わざとスペイン語訛りで(私の大学での第二外国語はスペイン語だったので)読むと、彼女は身体をよじって、鼻にしわを寄せて、コロコロと笑い転げた
そうすると、彼女の身体にピッタリ張り付いたアオザイのウエストの部分にしわが寄って、タイ人と中国人の血も混じっているという母親の血を引いた滑らかな彼女の濃い肌がのぞいて・・・
(以下自主規制)

       ―――― ◇ ――――


その数年後
私が日本に帰国して北ベトナム軍がサイゴンを占領した後、そのサイゴンから帰国したばかりの、旧日本軍諜報機関系の(怪しい)ある人と会ってサイゴンの思い出話をしたことがある
その席上で、その人が話してくれた事を聞いておどろいた

「君のあの彼女が、サイゴン陥落後、北側の幹部として現れた」
と言うのである
つまり、彼女は、私とつきあっていた当時、本当は、北ベトナムかベトコンのスパイだったということになる
それに、私達のサイゴン支店の現地従業員の半分が、ベトコンか?北ベトナム側のスパイと判明したとも言う
スパイだったという、その支店のメンバーの意外性にも絶句した

それにしても、彼女は、なぜ私に接近したのだろう?
そうして、どうして突然、姿を消したのだろう?
私が、ある重要プロジェクトの担当だった事に関連があるのだろうか?

今考えてみれば、彼女は、そもそも、ただものでは無かったような気がする
そこいらにいる普通のベトナムの女ではなかった
上流家庭の出身で、別居中?の主人は、やはり混血で、有名な映画スターだと言っていた
「あなたのように背が高くて大男で、でも髪が金髪」

サイゴンの街を彼女と歩くと、よく、数人の野次馬のような男達が彼女の後について来た
彼女も、かなり知られていた存在だったのかも知れない

それに彼女は、度胸があった・・・
恥ずかしいが、私より、はるかに(恥)
いつも、何事が起こっても平気で、笑っていた
剛胆と言っていいかもしれない

ただ、ある日、彼女が【あなたの子供が出来た】と私に言ったとき、私はどうしていいかわからなかった
その時だけ、彼女は泣き伏した

       ―
――― ◇ ――――


ベトナム統一後に彼女が現れた話をその男から聞いた時、私は、その内容があまりにも意外で唐突で、それにいまだに彼女に強く特別な感情を持っていることを彼には隠したい気持ちもあって、それ以上、詳しいことを聞き出すのに、躊躇してしまった
このことは、今でも後悔している

その後、もう一度、その人と会う機会があって、今度は、彼女のことを詳しく聞き出そうとしたら、なぜか??彼は「そんなことを言った覚えがない」というのだ!
そんなはずは絶対に無い!
あれほど、具体的な話しぶりだったのに・・・

その後、私は脱サラ退社して、彼とは会う機会もなく、いまだに事の真偽は謎である
東欧で、かなりの数の諜報関係の人物達と接触があったが、ベトナムでも私は、知らずしてかなりの数のスパイ達と暮らしていた事になる

       ―――― ◇ ――――


彼女は、私の人生に於ける謎である
謎の女である
それも、胸の痛む謎である

だから私は
サイゴン・ベトナムを舞台にした名作
ー 結城昌治のミステリー「ゴメスの名はゴメス」を読んでも
ー 開高健の「輝ける闇」などの名作を読んでも
決して! ミステリアスだとも、感動的だとも思わない

彼女の南洋の女特有のしっとりと滑らかで暖かいからだと、
シエスタ(昼寝)の時間に窓ガラスを強く打つサイゴンの街の煉瓦色の屋根屋根を過ぎゆくスコールと、
セックスの後に南国の果実のような彼女特有の濃い体臭の漂う芳香の部屋
その記憶が、決して夢ではないと思うからである

彼女は、私の肩と胸のくぼみに頭を置いて、
「ここを lover`s pillow 恋人の枕というのよ」
と言いながら眠りについた
これも、今となっては、二度と帰らない「胡蝶の夢」である

       ―――― ◇ ――――


胡蝶の夢

昔者荘周夢に胡蝶と為る
栩栩然として胡蝶なり
自ら喩しみて志に適えるかな
周たるを知らざるなり
俄然として覚むれば、則ち?々然として周なり
知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを
周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん
此を之れ物化と謂う

(さっぱり、わからないので、ウィキを)

荘周が夢を見て蝶になり、
蝶として大いに楽しんだ所、夢が覚める
果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、
あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか

       ―――― ◇ ――――


きょうは、酒を飲みながら、外国語についてダラダラと思い出して書いている内に
うっかり、今まで秘して決して語らなかった(笑)、ヒジョーに、不適切な告白を
つい、してしまった

きょうは、これくらいに、しといたるわ!









最終更新日  2018.03.21 10:51:51
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2010.08.12
昨日、◎◎さんのブログに入れた私のコメント


怖くて、この写真は見られないんですが(笑)、アフガンで夫のDVから逃げたら、夫を侮辱したという罪で鼻と耳を削がれたという女性の写真は、昨日 TIME誌の表紙で見ました
ちなみに、アフガンでは最近、
◎夫が要求したら四日に一度は妻はセックスしなければいけない
と言う法律が出来て、女性が反対しているとか

この写真は見れませんが、ベトナム戦争では死体や、人間が死ぬ瞬間はたくさん見ました
◎入ろうとしたナイトクラブが目前でプラスティック爆弾で爆破され、人の手足が街路にまでバラバラに飛び散った
◎軍用道路でバスが交通事故で横転 中の乗客全員が、缶詰のイワシの様になっていた
◎交通事故で、目の前のオートバイが空を飛んで地面にたたきつけられて
その他多数(笑)

こ~ゆ~状況では、死を見ても無感動になります
開高健がサイゴンで、少年兵の処刑を見て、それ以来、心にトラウマをかかえたという事になっていますが、あれは、あえて言えば、芸術家のウソです
当時のベトナムでは「死」を目撃するのは日常でしたから

~~~~~~~~~

このコメントに対して、ハルジさんから
「私にはウソとも思えない
こ~ゆ~場面を見ると、その時には無感動でも、後でボディーブローの様に効いてくるものです」
と書かれた

それもそうだと思うが
私も、他人のブログだから得意の長文を遠慮したので、説明をはしょっているところがある
以前に、ベトナム関連のカテゴリーで、ベトナムでの開高健について2・3のエントリーで書いている
そこでは、私は「開高健はベトナムに行く前から、鬱で悩んでいた」と言うことを書いている
まあ、もともと鬱の人がベトナムで過酷な戦場体験をしたのだから、それだけでも鬱が重症化しただろうし、この少年兵の処刑も、そうだったかも知れない

ベトナムに行っても、ボディーブローも効かず、鬱にもならない私は、やはり芸術家の素質がないのだ
(そ~ゆ~事では無いかも知れないが)(笑







最終更新日  2011.10.18 08:16:08
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2009.06.18
ベトナム戦争 死の軍用ハイウェイを走る 【復刻日記】

更新する余裕が無いので、ヴィエトナム関係の【復刻日記】である


       ―――― ◇ ――――


ベトナム戦争 死の軍用ハイウェイを走る【復刻日記】
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


私は駐在中、原則としてサイゴン市という小さな地域に押し込まれていた
駐在員事務所の所長命令でサイゴンから外へは出ないように命令されていた
サイゴンまで攻撃されることのある戦火のベトナムだったから、それは当然の判断だった

ただ、例外もあった
日本大使館主催の「アンコールワット遺跡ツアー」というのが一度あったのだ
ヴィエトナム正月を利用しての隣国カンボジアのアンコールワット観である
私は参加したかった
しかし私はその時、ある建設プロジェクトの工事現場の担当を兼ねていた 
その工事が計画より建設が遅れ、政府から遅延ペナルティーを取られる事が予想されていた
そのことを案じた本社が工事のスピードを上げるように命じてきた
正月も休まずに働いた結果、そのツアーには参加できなかった

カンボジアはその後、ポルポトのクメールルージュが実権を握り、国民の大量虐殺が始まり、アンコールワットは日本のカメラマンも死亡したもっとも危険な地域になった
今はアンコールワットへの観光が盛んである
そのうちに私も参加してみたいと思っている

~~~~~

その工事現場は、サイゴンから数十キロ離れた米軍の巨大な空軍基地に隣接していた
私には経費の支払いや工事現場のベトナム人労働者の給料支払いなどの担当業務があった
そのために、週に数回、現場へ通った

サイゴンからその米軍基地へ行くには、米軍が建設した軍用のハイウェイを数十キロ走らなければならない
この軍用ハイウェイというのが危険きわまりない

このハイウェイでは、一般のベトナム人の車やホンダなどのバイクも走っている
しかし、主に走行しているのは米軍の軍用車両である
米軍の軍用資材を搭載した巨大なトレーラーがコンボイを組んで数台または数十台連なって走る
大型トラック、ジープ、装甲車、戦車、これらの軍用車両が、全速力で飛ばす
ベトナムの日差しの中、軍服の上着を脱ぎ捨てて、赤く日焼けした裸の上半身むき出しで若い米軍兵士が巨大な軍用車両のハンドルを握って、暴走に近いスピードで疾走する

流れの中でも、トコトコと、ノロノロと走っているベトナムの民間車両が混じる
こういう車を追い越さないと、なかなか目的地に着かない
このハイウェイは、そのほとんどの部分が片側一車線しかない
だから追い越しはあぶない
追い越しの瞬間には、対向車線の対向車が猛スピードで接近してくる
追い越しを完了すると、その対向車が「ビュン!」と風を切って行き過ぎる
約1時間半、この繰り返しである

このハイウェイで走行では、対向車にはらはらし通しだった
だが、私はそのうちにこう考えた

確かに対向車と正面衝突したら私は一瞬で死ぬだろう
しかし現実には、いくら私が対向車に注意しても、事故を寸前にふせぐ事は不可能である
すべてを運転手の冷静な判断と運転技量に任せ、運を天に任せるより無い
自分の力でできないこと、変えられないことにに一喜一憂しても、結果はなにも変わりがない一種の悟りである

以降私は眠ることにした
「ビュン ビュン」という対向車の風を切る音を子守歌にすると眠いのである

私と同時期にベトナムで米軍に従軍取材した開高健が、戦闘の恐怖の後遺症で鬱になって小説を書けなくなったと言う
私は運命を天に任せたから鬱は無い
それにはじめから小説など書けない(笑)

~~~~

ある日のこと
すぐ前を走っていた米軍の軍用トラックが、突然、妙な不安定な動きをはじめた
少し蛇行し始めたのだ
よく見ると後輪のタイヤが横揺れしている
米軍の標準型のトラックは重量物を搭載するから、後輪タイヤはダブルで、さらにそれがペアになっていて、後輪は左右合計8個のタイヤが装着されている合計10輪トラックである
そのタイヤがグラグラしはじめている

見ている間にタイヤが外側のものから外れだした
ひとつ、ふたつと外れてハイウェイから道路脇の水田に飛び込んでゆく
数秒して、突然、その巨大なトラックが宙に飛び跳ねた

生命が危険な瞬間に遭遇すると、脳の時計がスローになって注意を喚起するためだろうが、眼に映る映像がスローモーションになる
その場合が、そうだった
トラックは大きく空に跳ね上がり、ゆっくりとハイウェイの横の方向に飛び、最後に約10メートルほどはなれた水田に落ちた

追突の危険も忘れて私も停車した
そのトラックは水田に仰向けになっていた
車体の三分の一ほどは水田の泥の中に陥没していたそのトラックを運転していた米兵は、ブレーキを踏む時間もなかったのだろう
仰向けになったトラックの後輪が、まだブンブンと回転している
その焼けたラジーターが水田の水と接触し、水蒸気が運転室の底あたりから吹き上がっている
米兵が運転席から出てくる気配はない
ただ車輪が回転を続けるだけである
しばらく息をのんで見つめて、それから出発した

日本で過去に起こった事故にトラックのタイヤが走行中に外れたというものがあった
そのタイヤに当たった人間が死亡している
トラックなどのタイヤというものは、実際には、巨大な、ものすごい重量物である
この巨大重量物が、高速で、回転しながらぶつかってきたら、人間は即死であろう

この軍用ドラック事故、もし私の車にタイヤが接触したら、私の車も横転、または大破していただろう
トラックが宙を飛んで、私の車の上に落ちてきても私の命はなかっただろう
私は幸運だったのだと思う

~~~~~

ある時、私の車が十字路にさしかかった
その時なぜか、横からの交差路からバイクが直角に進入してきた
そのバイクは私の前を走行する車にはねられた
やはり、スローモーション動画に見えた

「大脱走」という映画がある
スティーブ・マクィーン扮する米兵がナチス捕虜収容所から脱走する
軍用オートバイを盗んで、そのオートバイで脱走する
マクィーンがオートバイで大きくジャンプして、鉄条網を飛び越える場面がある
ポスターなどにも使われている有名な場面である

この場合も、中国製と思われるその貧弱なバイクが大きくジャンプした
マクィーンより数倍の大ジャンプである
マクィーンは自力のジャンプだったが、この場合は衝突した車の勢いでの大ジャンプだった
その灰色のバイクはペシャッと、私の目の前の地面に着地した
バイクはほとんどバウンドしなかったが、運転していた農民風の男は地表にたたきつけられてから、二・三度操り人形のようにバウンドし、それから、静かに横たわった
彼の頭が少し首をかしげたようになって、こちらを見ていた

即死だったろう
即死でなくても命はなかっただろう

人間の命とは、儚い(はかない)ものである

~~~~

道脇に半ば横転しているバスが見えた
薄汚れた黄色と白のバスである
このバスはまともなバスではない
その横腹が大きくえぐれていた
えぐれた箇所に、缶詰のイワシのように死体が集まって並んでいた
米軍の巨大トラクターなどとの接触で、えぐられたのだろう

~~~~

工事現場に、工場用の大型機材の搬入がある
運送は、仏領時代からインドシナに拠点を置くフランスの船会社の陸送部門が担当した
この運送、搬入には私が立ち会う
現場で建設作業を指導する日本人技師たちは、午後5時頃にサイゴンに帰る
搬入作業が遅くなる時は、私と陸送会社の人間のみが現場に残った

搬入終了の受取書に私がサインをすると、皆でサイゴンに帰る
陸送の大型トレイラーの空になった荷台にのって帰る
日没の時間で、長い地平線に夕焼けが映えている
そのうち日が暮れて、暗闇の中を走行する事になる

この軍用ハイウェイにはストリートライトが無い
無灯火の暗闇である
夜間の照明は走行する車両のヘッドライトだけである
はじめは暗闇の視界に豆粒のように小さなヘッドライトが認められる
そのうちに、あっという間に大きく輝き「ビュン!」という風きり音をのこして対向車がすれ違って行く

夜間の走行車両は軍用車両である
映画「トランザム」などに出てくるような超大型トラクター・軍用トラック・水陸両用装甲車それに戦車である
これらと接触すれば上に述べたイワシの缶詰状態だろう
特に戦車・装甲車などの戦闘車両は野戦用だからライトが小さい
向こうにはこちらが見えているのだろうけれど、こちらからはほとんど見えない
暗闇からいきなり黒い車体がニュッと現れる
戦車に踏みつぶされたら、イワシの缶詰ぐらいではすまない
せんべい状態・イカののしイカ状態だろう

ときどき、私は本当に生きて日本に帰国できるのだろうかと思った






最終更新日  2018.03.09 09:10:34
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2009.06.17
tak-shonai さんが、ブログに乗りにくい情報というものがある、という事を書いている
ブログというのはインターネット上に存在していて、そこにアクセスするには、PCの知識とワープロの技術が必要である
ある年令以上の人には、これはかなり高い壁かも知れない
そのせいなのか、例えば戦前・戦中の想い出などがブログに書かれることはあまりない
ネット上では、そういう時代の記憶が途絶えているのである

その点、私の「ベトナム ベトナム戦争の想い出」というカテゴリーに記した私の経験談は、案外貴重なものかもしれない
私自身、ネット上でベトナム戦争中の記憶を綴ったブログを今まで探してきたのだが、ついにそういうものには行き当たらなかった

       ―――― ◇ ――――

本日、この前の日記に、ARVNさんという方が、私のヴィエトナムに関するブログ記事を読んだというコメントを書いてくださった
ゲストさんで、私のヴィエトナム記事にコメントを寄せてくださった方は初めてなので、実にうれしかった
それにARVNさんご自身、ヴィエトナムになんと20回も行かれたと言うほどの、ヴィエトナムずき

これに刺激されて、ヴィエトナム関連の想い出をもう少し、絞り出してみようと思う
まず、いままで【復刻日記】にしていなかった記事を

       ―――― ◇ ――――


デプチャイとは、ヴィエトナム語で「ハンサム」「男前」という意味である
【復刻日記】

♪ 私のラバさん 酋長の娘
  色は黒いが 南洋じゃ美人

こんな古い歌がある。
ラバさんとは、「lover」、つまり恋人・愛人のことであろう。


「酋長の娘」

石田一松 作詞・作曲
(西暦1930年、昭和5年)

わたしのラバさん 酋長の娘
色は黒いが 南洋じゃ美人

赤道直下 マーシャル群島
ヤシの木陰で テクテク踊る

踊れ踊れ どぶろくのんで
明日は嬉しい 首の祭り

踊れ踊れ 踊らぬものに
誰がお嫁に 行くものか

昨日浜で見た 酋長の娘
今日はバナナの 木陰で眠る


「明日は嬉しい 首の祭り」って、怖いじゃない!
だって「首の祭り」って「首刈の祭り」でしょ?


それはともかく、この歌詞など、今となっては多少人種差別的な感じもするが、いずれにしても民族特有の美意識というものがあって、ところ変われば品変わるというか、国によって好まれる容貌というものがちがうという、文化人類学研究の珠玉の成果がこの言葉だと・・・、そんなわけは無いが、私も南洋じゃ美人・・・では無く、ある地区限定で、というか、ある国限定で、男前だったことがあるのである。


私はいつも「ヴィエトナムは最高」と書く。
それは気候風土が温暖だとか、食い物が美味しいとか、ネーチャンがキレイだ・・・等で、フォーク・クルセイダースの「帰ってきたヨッパライ」の様な理屈を書いたが、実はそれまで、女性に振られるばかりでモテたことの無かった私が、現地のオネーチャン達に「男前・ハンサム」と呼ばれた国がヴィエトナムであるからこそ、私はヴィエトナムをほめたたえ、日本のメーカーの海外立地も、反日感情のうずまく中国から、美人国ヴィエトナムへぜひ転換すべきだと声を大にしているのである。


以前書いたようにサイゴン(ホーチミン)には、旧宗主国フランスの文化であるバーが多かった。
そこにはミニスカートで小麦色の肌の美人達がお客を待っている。
私がバーに入っていくと、オネーチャン達が、「デプチャ~イ!」と声を上げるのである。

デプチャイとは、ヴィエトナム語で「ハンサム」「男前」という意味である。
「デップ」が美しいという意味、「チャイ」は英語の「やつ Guy」というところだろうか?

これが一軒のバーだけなら、たまたまかもしれないが、ほとんど、どのバーに入ってもオネーチャン方にそう呼びかけられた。
私が南洋じゃ、イヤ、ヴィエトナムではハンサムであると言うことは、このオネーチャン達がけなげに証明してくれたのである。
そればかりか、それに浮かれて毎晩、バー通いを始めたのである。
ヴィエトナムのバー・ガールさんたち、ありがとう!


ここで珠玉の格言を作ってみよう。
【人は、おだてられて進歩するものである alex】




バーに入った客は、自分の飲み物以外に、サイゴン・ティーと呼ばれる紅茶を女の子におごり(このお茶代が彼女たちの収入になる)、女の子との歓談の時間を確保することになる。
客の方からおごりたいと申し出たり、女の子の方から「おごってちょうだい」とねだられたりである。

バーの客は、今戦場から帰ってきたばかりの兵士達である。
その他、MP(憲兵)もいたし、特殊部隊のグリーンベレー達もいた。
戦闘服のままの大男達が、拳銃や大きなナイフを腰にぶら下げて、頑丈な軍靴でガツガツと床を踏みならしながら歩く。

魅力的な女の子がいると、客同士で争いになることもある。
兵士があまり懐の豊かではないのと、金払いがよくないことを知っているバーガール達は、金払いのいい「デプチャイ」?の!私の方を優先する。

一度、きれいな女の子が私を選んだとき、負けた?兵士が、ポパイのような重量級でイメージとしては軍曹という感じの大男だが、負けた悔しさにビールの缶をギュッと片手で握りつぶしたのには肝を冷やした。
あのころ、ヴィエトナムではビールのアルミ缶が出始めていたので、多分そのアルミ缶だったのだろうけれど、それにしても怖かった。


ある時、あるバーで、混血の美女とお茶していたとき、彼女が「貴方は私の彼氏とそっくりなのよ」と言い出した。
その彼氏とは香港のカンフーのスターで、最近サイゴンに、多分、映画祭のあいさつか何かで来ていて、彼女と恋仲になったのだという。
その証拠という2ショットの写真も見せられたが、俳優の容貌は記憶に無い。
名前もおぼえていない。
何でも隻腕の(片腕の)剣士なのだという。
ただ、私はカンフー映画を見に行ったことが無かったし、興味がなかったし、日本にもあまり紹介されていなかったし、「ふ~~ん、そうなの」というだけだったが、その美女には大いに関心があった。
その証拠に、彼女とのバーでの会話をテープにとってある。
騒がしいバーの雰囲気の中、彼女の優しい声の訛りのある英語がかすかに聞こえるテープである。

       ―――― ◇ ――――

それ以降、私はデプチャイと呼ばれなくなった。
代わりに私は、そのカンフー・スターの名前で呼ばれるようになった。

夜、バー街を歩いていると、バーから出て道路沿いに並んでいるバー・ガールが、「○○○○!!」と、そろって、カンフー・スターの名前で、私に声をかけるのである。
どうも全員にそう認知されたらしい。
なんだか晴れがましいというか、照れくさいというか・・・。
私にとってはデプチャイの方がよかった。
その剣士俳優の映画を観たこともないし、顔も知らないのだから。


実は、最近、あるメル友にこの話をしたら、そのカンフー男優映像をメールに添付してくれた。
はたして私に似ているのかどうか?私自身にはよくわからない。
自分の顔がどんな顔なのか?案外わからないものである。


私も小さいころチャンバラをもっとやっておけばよかった。
せっかく習いに行ったのに先生が乗り気でなく、やりたかったのにやれなかった剣道をやっていればよかった。
そうすれば、香港で日流剣士として名をなしたかも知れない。
そうして、サイゴンへ晴れの凱旋をして、あの美女が、私の胸に飛び込んできたかもしれない。








最終更新日  2018.03.09 09:09:41
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2008.08.07
ベトナム再訪 失望のサイゴン
~~~~~~~~~~~~~

私は最近、ベトナムを再訪した
数十年のインターバルをおいての再訪である

回想の中の街と再訪した現在のリアルな街は同じではない
昨年、久しぶりに東京へ行って、二週間ほど滞在した
その間に早稲田を訪問してみた
卒業以来、二度目の訪問である
ちょうど入試が行われていた日で、キャンパスの中に入れなかった
私の学部や図書館に入ってみたかったが叶わなかった
吉永小百合を見かけた教育学部にも入ってみたかったが叶わなかった(冗談である)
大隈老侯の銅像も小雨の中、遠望したに過ぎない
それも残念だったが、それにもまして失望したのが、大学周辺である

JR高田馬場駅を下車したら、早大正門前までのバスの乗り場がどこなのかわからない
駅前に高層ビルが林立していて、風景が全く変わってしまっている
やっと乗ったバスの料金が高い
昔は往復で15円だったのに・・・(これは私が強欲である)
大学までの途上、バスの窓から見る沿道の風景が全く変わっている
見覚えのある風景が全く無いのである
いや、一カ所だけあった
インド大使館である
街というものは変貌するものだな~とつくづく思った

キャンパスに入れないので、裏門周辺を散策してみた
ここも大変貌である
よく入った定食屋も無くなっている
それに他の店も入試で大学生が来ないから店を閉めている
やっと韓国食堂!を見つけた
学生相手の定食屋にも韓流が入り込んでいるのだ
入ってみると店員は中国人、出た料理は韓国料理とは言えないような代物である
結局見覚えのある店は裏門脇の制帽を売っている店だけである
私はここであの特徴のある角帽を買ったのだが、あの角帽の行方など、今となってはまったくわからない(笑)
人間というものは一生をかけて実に様々なものを買うもので、その総量たるや、ものすごいはずだ
が、ふと気がつくと、まだ身近に、手元にあるものなど、ほんのわずかなのである
長い人生のどこかで、捨てたり、整理したり、置き忘れたりしてきたのだろうとは思う
人間が環境破壊の生物であるところが、こういうところにも・・・
いや、都市変貌の話であった
まあ、こういう話はいいか

~~~~~

サイゴンは昔、フランスの植民地だった
フランス人が作った街である
街全体にフランスの旧植民地の街に共通した、独特の、瀟洒な、垢抜けた風情が残っていた
ひらたく言えば、おしゃれでハイカラな雰囲気である
私のいた頃は、通りには背が高い大きな、緑が深い街路樹がうっそうと繁っていた
火炎樹、タマリンドという名の街路樹だと思う
タマリンドの緑に映える路をアオザイの裾をひるがえした佳人が、薫風にそよぐように行く
大げさでなく、そういう街だったのである
シクロのおっちゃんが陰のように行き過ぎても優雅に思う
そういう街だったのである

~~~~~

話が少しズレるが、大学で仏文を専攻した仏文出身の日本人作家というグループがある
仏文作家・・・とでも仮称してみようか?
仏文作家は、仏文、フランス文学を専攻して作家活動をする
そうすると、どうしても自分の専攻したフランス文学の色合いが描写としてにじみ出る

私からするとフランスは正に印象派の世界である
フランスの陽光は明るいだけではない
明るいだけなら、スペインのギラギラした陽光もある
闘牛の血をすぐに吸いつくすような乾いた大地に濃い影をくっきりと刻む
T・S・エリオットが「四月は残酷な月である」と書いたが、スペインの光は残酷な光である
色彩は重く暗い

それに対してフランスの光はきらめきながらも明るくやさしい
それに色がすごい
色彩を100%色彩として生かす
ちょっと古いが、映画で言えば総天然色である
色彩の魔術である

ルノアール、マネ、モネ・・・
印象派に見るフランスの色彩と光は、ディファクト・スタンダードと言っていい
鮮やかすぎないが、もちろん、くすんではいない

まあ、いろんなことを言ったが、こういう風土に育まれたフランス人は視覚に優れていると思う
美術に秀でた民族である
そのフランス人の書く小説も色彩感が鋭い
特にカミュなどは・・・
カミュは対岸のアフリカのマグレブの一角、アルジェリア出身だから、ちょっとスペイン的な強い光かもしれないが
・・・他はよく知らないのである
サルトルには、それほど色彩感を感じない
サルトルはちょっと目が悪いからな~
あ いけない いけない

本場フランスの作家達の色彩感に関して書こうと思ったが、気がついたら私はそれほど理論武装していなかった
しかし、日本の仏文作家に関してはかなり言えるぞ
開高健である
福永武彦である
・・・ ううっ!
他が出て来ない

では詩人である
堀口大学である
・・・ ううっ!
他が出て来ない

堀口大学は平気ですごくエロティックな詩を書いているな~
これは本題ではない
堀口大学と画家のマリー・ローランサンは恋人同士だった
これを知っている人はどれだけいるだろう?

話が回り道をしているが
仏文作家に共通するのはその文体の洗練と色彩感である
特に色彩感である
あるとき、友人のひとりが私に福永武彦の本(おそらく「廃市」かな?)をチラッと見せて、「この作家、だれかわかるか?」と聞いてきた
その友人は、読書会などに出ている【不健康】な人間だったが、私に文学に強いところを見せつけようとしたのだ
「だれかはわからないけれど、これは仏文出身の作家だね」と私は答えた
文体の色彩感が「仏文」だったからである
その友人は驚いたらしくて、それ以降、私を少しは認めるようになった
ここでちょっとした自慢をはさんでおく

要するに「フランス文化」の洗練と色彩感は、植民地にも反映している
それは英国のボンベイやシンガポールとも、
ドイツの青島とも、
ポルトガルのマカオとも、
スペインのマニラとも、
ロシアの大連とも、
オランダのジャカルタとも、
ちがっている
「フランス」の旧植民地そのものである
フランスの女は、例えしろうとでも、何でも・・・しそうな・・・色気がある
パリでそう感じた
清純な(に見える)少女でも、かんたんに男と寝る
映画を見て、そう感じた

~~~~~

今回、そのサイゴンを数十年ぶりに「再訪」した
そうして、サイゴンの変貌ぶりに失望した

深夜到着したホーチミン(サイゴン)
空港から市内のホテルまでの途上
全く街並みに見覚えがない
現在どこを走っているのかもわからないのである
この空港から街への変貌ぶりは、サイゴンを再訪した誰かが書いて居たとおりである

しかし・・・、あれほどおしゃれな、フランス風の瀟洒な風情の街並みだったのに、今のサイゴンはせかせかした、薄汚いだけの街になってしまっていた
火炎樹の、タマリンドのうっそうとした街路樹もかなり切り倒されてしまっていて、街の見通しはよくなったが、その街路を軍隊アリの大群のような、洪水のようなバイクの群れがブンブンとうなりながら流れ続けている

なんだか、昔日の面影はないが落ちぶれたりとはいえ一応色香を残したマダム・・・の様な風情だったサイゴンが変わってしまった
生活力はあるが、ガサガサした、生活にやつれた、パートの仕事で走り回る「おかみさん」に変貌してしまったような感じである
(パートに出てるみなさん 失礼いたしました _| ̄|○ )

~~~~~

ベトナムの人々は、見かけによらず強靱な精神力を持っている
原点が原点だからダメモトで、あきらめがいい
私たちにとってはひどく痛いことでも、あきらめる
1000年の中国、100年のフランス、それに続く日本、英国の占領、さらにベトナム戦争
そういう苦難の歴史を通して意のままにならない人生を悟っているのかもしれない
あきらめた後は前向きに働く
それに第一、明るい
どんな状況においてもその明るさを失わない
だから、客観的に見て閉塞状態のサイゴンの街が退廃的ではあっても極めて活気のある街に見えたのだと思う

気候も少しは暑いが、長距離を歩くのでなければ、街歩き程度なら、快適で素晴らしいと言える
中東のような人間の生存を許さないようなサディスティックな気候風土ではない
おだやかな亜熱帯と言うところだろう
台湾あたりの気候と似ているのではないだろうか?
ハノイには一応、四季のようなものがあるという
私が住んだ南のサイゴンでも、日本のような寒い冬は無い
しかし、旧正月の頃には、背広を着てもちょうどいいぐらいの温度にはなる
それに、何にもまして、食べ物がおいしい

ヴィエトナム料理はこの頃日本でもよく食されるようになった(らしい)
近隣のタイの辛い料理に比べると日本人好みのあっさりした薄味である
といいながら、私はそのタイ料理を食べたことがないの
悪質である

それに多民族国家で、よかれ悪しかれ隣国諸国といろんな!関係があったおかげで、ヴァラエティーに富んだ料理になっている
中国の広東料理を土俗的にエスニックにしたようなものと言えばいいだろうか
ただ、正直に言うと、「ベトナム料理がおいしい、すきだ」というわりには、私はこのサイゴン駐在中にそれほどベトナム料理を食べたわけではない
これも悪質である

宿舎での食事はベトナム人のおばさんがコックとして作ってくれた
ただ、そのおばさんが作ってくれるのは今から思えば、純粋のベトナム料理ではない
よく思い出さないのだが、なんだか各国混合の料理のようだった
旦那さんが元日本軍人で戦後ベトナムに残留した人だから日本料理の要素もあった
それにわれわれの希望もあって日本風でもあった

ただ、このおばさんの作る料理をへたにほめてはいけない
ある料理を「おいしい」とほめると、翌日からずっと連続してその料理が出てくるのである
日本人は、毎日メニューが変わるのが当たり前と思っているが、世界各国、必ずしもそうではない

たとえば、ドイツとか東欧では(たぶん北欧諸国でもそうだろうと思うのだが)夕食は簡素である
サラミとチーズにパン、それにちょっとの野菜
そんなものである
簡素な上にメニューがほぼ決まっているのである
パーティーや来客などのハレの場でなければ、夕食はこんなものである
朝食も同じように簡素で、同じメニューである
それでもこの頃は少し変わってきているらしいが、基本的には日本のように夕食が量が多いメインの食事で豪華版という事がない
メインはむしろ昼食なのだが、会社勤めの人は、会社の食堂で食べるから、それほど豪華版は望めない
欧州のゲルマン系の人たちというのは、ふだんは私達が思い込んでいるほどの大食漢ではない
こんな食事でどうしてあの巨体が保てるのか?不思議に思う
(ただしパーティーなどに出席した時などは、日頃の貧食?小食ぶりとは正反対に、腹一杯に詰め込む
やはりその時の食事量はハンパでなくて、とても日本人はかなわない

ただし、同じ欧州の白人でもラテン系はちがう
何しろ、食事とセックスが生きがいという人たちだから・・・
どうちがうって、あまりよく知らないのだが・・・
昼飯なども時間をやたらにかけてワインなどを飲んで、まったく・・・
まあ、よく知らないのだが・・・

~~~~~

ベトナムではベトナム料理以外の外国料理がすばらしかった
ベトナムを1000年もの間、奴隷のように締め上げた中国の中華料理
それにベトナムを100年もの間、虐げたフランスのフランス料理
それぞれ本場物より上ではないかといううまさである

サイゴンのフレンチレストランについては昨日書いたから省略しよう
ただ、昔は、フランス料理を食べ終わったら、チーズの盛り合わせとチョコレートとクァントローを楽しんだ
パリでそれを頼んだらヘンな顔をされて、ヘンなものが出てきた
田舎ものめ!
いや、逆なのかな?
それとも、もうオールドファッションな風習なのかもしれない






最終更新日  2008.08.07 09:17:39
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2008.08.06
ベトナム戦争 サイゴンで聞く「ブルーライト・ヨコハマ」
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昔のヒット曲で「ブルー・ライト・ヨコハマ」という曲がある
オリジナルは石田あゆみで、当時のヒットチャートのトップだったと思う
元スピードの上原多香子が最近カバーしているというが、これは聞いたことがない

実はこの曲には、サイゴンでの想い出がある

~~~~~~~~~

私のベトナム・サイゴン駐在時代のこと

ベトナムは旧仏領だから、サイゴン(今のホー・チ・ミン)には、高級フランスレストランが数軒あった
名前を覚えているだけでも
「ラ・カーヴ(洞窟という意味だ)」
「カルーソー(イタリア系のオーナーだったから)」
「トゥー・ディ・ヴォワー(象牙の塔という意味)」
・・・などがあった

ついでに書いておくが、中華街の大きなナイトクラブは「アルカンシェル」
大きな中華レストランは「同慶(どんかん)」があった

何度も書いているが、ベトナムは食べ物がとても美味しい
個人的には、食が世界一美味で安価な国だと思う
サイゴンではベトナム料理・フランス料理・中華料理、すべてが美味しかった

~~~~~

サイゴンにはチョロン(フランス読みではショロン)という中国人街がある
もともと中国系の人口が多いベトナムだから、チョロンの中華レストランで食べる中華料理は絶品
後に、ある中華料理に詳しい人に聞いた話だが
あの当時の(つまりベトナム戦争当時)の中華料理は香港の中華料理より上
つまり世界一の水準だったという

日本からの出張者だったり、お客だったり、建設現場の日本人技師の送歓迎会だったり
そういう宴会の機会では必ず中華街での中華料理だった

今思い出してもすごかったと、思い出すのが【フカヒレ】だ
超特大の大皿に、山のように盛り上げられたフカヒレが、丸いテーブルの真ん中にド~~ンと出された
その後、私も時々中華料理を中華街などに出かけて食べるときに【フカヒレ・スープ】を注文してみる
【フカヒレ】ではなくて、【フカヒレ・スープ】である
【フカヒレ】をド~~ンとなど、今では考えられないし、第一、中華料理屋の方でも用意していないだろう
この【フカヒレ・スープ】だって、ほんのお義理程度の、短いソーメンのようなフカヒレ(らしきもの)が数本、スープの中でユラユラと、恨めしげに漂っているだけだ
あの【フカヒレ】は思えば贅沢の極致だったと言ってもいい

そういえば、私が工事現場の工具や資材を買い付けるために、サイゴンの中華街に出かけた時など、街路の石畳に無造作にひからびたフカヒレが数枚放り投げてあって、それにハエがたかったりしていた光景を思い出す
おそらく中華料理店や食材店が一時的に乾燥させていたのだろうと思う
それほど当時のサイゴンでは普通の安価な食材だったのだと思う

~~~~~

で、フランス料理だが、これも美味しかった
後にパリに行ってフランス料理を食べたが、比較して言うと、サイゴンのフランス料理の方が美味しかったような気がする
まあ、懐かしさ・想い出が付加される分、サイゴンの方が有利なのだが・・・

ただし、サイゴンは南国だからワインは赤でも冷やして飲む
ブランデーも同様
華僑の人達は、ブランデーが紹興酒と味が似ているせいか? ブランデーが大好きで、なにかというとブランデーを飲む
私たちも、中華街での宴会では、決まってブランデーを飲んだ
ヘネシーとかマルテルとか、クールヴォワジェなどのブランデーの銘柄の名前を聞くと、懐かしいし、その香りまでが記憶の中に浮かぶ

~~~~~

ある日、日本からの遠来の客を迎えて支店長以下、支店の日本人全員で、あるフランス・レストランで食事をした
そのレストランはバンドが入っていて、その伴奏でサイゴンの一流女性歌手がアオザイ姿で歌を歌ってくれる
歌われるは物悲しいベトナムの恋の歌謡だ
サイゴンはベトナムの南部に属していて、その南部のベトナム人は、ハノイなどの北部、古都であるフエ等の中具の人間がきまじめで勤勉なのに比べて、お茶目で陽気である
そこまではいいのだが、それに「いい加減」という特性がつく
調子がよくて、約束を守らないことも多い
よく言えば「ラテン」気質なのだ

それなのに、その彼らが曲を作り歌うとなると、どれもこれも、哀切な美しい恋の歌である
それも成就した恋ではなく、恋い焦がれているのに悲しい運命であきらめなければいけない・・・というような切ないムードが主調である
生暖かい絹のような小雨の降る、竹林に囲まれた瀟洒な家の窓辺で、恋に泣く細身の佳人・美女が、時々身をよじって密かにすすり泣く・・・、そういう風情なのである

きっかけは何だったか忘れたが、その歌手の一人が私の隣にやって来て「あなたの好きな日本の歌はなになの?」とささやいた
私はあまり日本の歌を聞くという方でもなかった
ただ、宿舎にあったあるLPレコードが好きだった

それは「いずみたく」の作曲した歌を集めたものだった
いずみたくは、日本の「アーヴィング・バーリン Irving Berlin」と称された数々の素晴らしい曲を残した作曲家である
例えば
「見上げてごらん夜の星を」
「夜明けのうた」
「恋の季節」
「世界は二人のために」
「手のひらを太陽に」
「希望」
等々である

その中でも特に好きな曲があった
「いいじゃないの 幸せならば」という曲だ

YouTube でその歌を聴きたい人は下記をクリック

 クリック
  ↓
「いいじゃないの 幸せならば」

なぜ、好きなのかと聞かれても、よく説明できない
相良直美が、物憂いムードで、ちょっと投げやり気味に歌っている都会的なバラードだ

ちょっと歌詞を引用してみる
----------------
岩谷時子作詞・いずみたく作曲

あのとき あなたとくちづけをして
あのとき あの子と別れた私
つめたい女だと 人は云うけれど
いいじゃないの 幸せならば

あの晩 あの子の顔も忘れて
あの晩 あなたに抱かれた私
わるい女だと 人は云うけれど
いいじゃないの 今が良けりゃ

あの朝 あなたは煙草をくわえ
あの朝 ひとりで夢みた私
浮気な女だと 人は云うけれど
いいじゃないの 楽しければ

あしたは あなたに心を残し
あしたは あなたと別れる私
つめたい女だと 人は云うけれど
いいじゃないの 幸せならば
----------------
 
言ってみれば、悪女っぽい女の歌なのだろう
この軽い倦怠感、アンニュイな雰囲気がおしゃれだった

~~~~~~~~~

私がこの曲をちょっと口ずさむと、彼女がその曲を教えて欲しいという

翌日、彼女が宿舎に来た
テレビにも出る有名歌手なので、メイド達は物陰から興味津々で見ている

このレコードを掛けて彼女に聞かせた
彼女が「このレコードの曲はみんな好きだから、このレコードを貸して欲しい、それに歌詞をアルファベットにして欲しい」という

翌日彼女が来た時に、歌詞をアルファベットに直してタイプしたものを渡した
一晩かけて、作業したのだ
それに他の日本のレコードも貸した
彼女はとても喜んでそれを持ち帰った
その際に、当時日本で大人気だった「ブルーライト・ヨコハマ」の歌詞もタイプした

~~~~~

彼女はその後、この一連の日本の歌を持ち歌にして、レストランなどで大人気になったという
日本人客は思いがけなくヴィエトナムで日本の歌を歌ってくれる彼女に感激
おまけに美人だから、もてもてになったらしい
私がその後にレストランに行った時も、「いいじゃないの 幸せならば」「ブルーライト・ヨコハマ」などを歌ってくれた

ある日、彼女が私を宿舎に訪問してきた
私の誕生日だから、今日はご馳走してあげるというのだ
私自身は自分の誕生日なんて忘れていたのだけれど
どこだったか忘れたが、フランス・レストランで食事をした
私が勘定を払おうとしたら、彼女が私の手を押さえて、払ってくれた
私はサイゴンで二回、誕生日を迎えたけれど、彼女は二回とも私をレストランに招待してくれた

~~~~~

ある日、彼女が宿舎に来た
夫に暴力を振るわれたと泣くのだ
片方の眼の下に青いあざが出来ている
明日はテレビの生出演があるのに・・・と言って、さらに泣く
気の毒だがどうしようもない
それに彼女に夫がいるという事実に複雑な気持ちだった
翌日のテレビを見たが、何とか眼の下のあざは、めだたなかった

私が帰国することになった
彼女が自宅に招待するという
夫は韓国人の新聞記者で今は出張中だという
彼女の歌のテープを何巻ももらった
彼女のプロマイドと、私の好きなヴィエトナムの歌の楽譜も何枚もくれた
これは今も大切に保存している
特に好きな「秋の死」と言う歌は歌えもする
「秋という季節が死んでしまって 一葉の花弁が散る」というような歌詞である
サイゴンの有名な歌謡クラブで、この歌を作詞作曲した男性が歌うのを聴いたことがある
はじめはベトナム語で、次にはフランス語で歌った
フランス語で歌う方が、この曲にぴったりな感じがした
そんな曲である

彼女の手料理で食事をしていたら、幼い女の子がいた
帰国したらその子に、日本製の三輪車を買って送ってあげようと約束した
その約束は守らなかった

~~~~~

ずっと後の話になるが、私のあとに駐在員としてサイゴンに赴任した同期の男と話をする機会があった
彼の話では、彼女は相変わらず日本人の間で大人気だという
レストランでは舞台から降りて来て彼にいろいろ話しかけてくれたと、彼は得意そうに言う
特に「ブルーライト・ヨコハマ」などを歌うと日本人客が湧くのだという

う~~ん
私は何も言わなかったが、その話を聞いていると、胸がシクシクした







最終更新日  2011.10.18 08:32:28
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2008.08.05
ベトナム戦争 飲んでいたバーが時限爆弾に
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私は長文のalexだが、今日は短文で

ある朝、サイゴンの事務所で朝のコーヒーを飲みながら現地の英字新聞を読んでいると、ある新聞記事に目がとまった
「バーでプラスティック時限爆弾爆発 米兵一人死亡」という記事である
そのバーの名前を見てびっくりした
昨晩、私が飲んでいたバーだ
名前は確か【ホワイト・プッシー】だった
プッシーは子猫である
子猫以外の意味もある
くわしくは書かない
ビーバーにも他の意味がある
くわしくは書かない

あ 私、だんだんくわしく書き始めている
このへんでやめよう

~~~~~

その爆発は、かなり夜遅くだったようだ
もし私が、もうすこし遅くまで飲んでいると・・・私も犠牲者になった可能性がある
しかし、ここで大騒ぎをするわけには行かない
私がバーに行ったことがバレてしまう

私は何もなかったように、コーヒーをまず一口飲んでから、それからそのまま新聞に顔をかくして読み続けたのだった








最終更新日  2013.09.04 05:23:49
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