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【不眠症カフェ】 Insomnia Cafe

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【ベトナム戦争】 駐在時の想い出

2008.07.20
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長欠中に海外旅行を二度ほどした
その一つがヴィエトナムである
私は商社マンだったのだが、最初の勤務地が、ヴィエトナムのサイゴン、今のホーチミンである(以降、サイゴンと称する)

私がサイゴン駐在の時代は、ヴィエトナム戦争の最中であって、私が駐在を終えてサイゴンから日本に帰国して、今度はインドネシアに赴任した頃、南ヴィエトナムの首都、サイゴンが陥落、共産主義政権である北ヴィエトナムが南ヴィエトナムを征服した

私自身はサイゴンが夢に見るほど好きだったのだが、その後ずっと、訪問することは能わなかった
サイゴン陥落の後しばらくは混乱の中でヴィエトナムへ入国することが難しかったし、第一、私自身が、その後、インドネシアなどの駐在になったり、ヴィエトナムが商社にとって、ビジネスの対象では無くなったり、いろんな理由でヴィエトナムとは縁が無くなったのである

私のサイゴンにおける生活・思い出は、今まで数度にわたって日記に書いてきた
数十年にわたって恋しくてたまらなかったそのサイゴンを最近、ついに訪問してきたのである
そのヴィエトナム再訪を書いてみたいと思う
しかし、書くといっても、皆さんに報告すると言うより、自分本位に、センチメンタル・ジャーニーである、この再訪を記憶にとどめるための作業として書いてゆきたい
サイゴンに関する過去ログもついでに復刻しよう
サイゴンとは、特に昔のサイゴンは、私自身にとってシャングリラ、桃源郷であって、永遠のテーマなのかもしれない






最終更新日  2008.07.20 13:48:51
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2007.12.25
本当は今日、ちゃんとブログを書きたかったのだが、その内容が、ちょっと関係図書を読んでからの方が、いい内容のものが書けそうなので、ここは、がまんして、また【復刻日記】にする。

       □□□□□□□□

【復刻日記】 海外での麻薬?体験


「おれとヘロインの間にさあ、何かがあってもいいような気がしたんだ」
村上 龍著  『限りなく透明に近いブルー』

私のリンク先で、「知性」と名付けたお気に入りフォールダーに入っているFLURさんの6日の日記のタイトルだ。
『限りなく透明に近いブルー』は私も読んだはずなのだけれど、なにかブランドもの紹介みたいな小説で、あまり印象に残らなかった。
そうか、ヘロインなどについても語っていたのか?

もちろん、私もヘロインなんかには手を出した事はない。
ただ、海外で、「ひょっとしたらあれは麻薬の一種だったのではないか?」と疑う様な経験はした。

~~~~~~~~~

私が入社してするヴィエトナムのサイゴン(ホー・チ・ミン)に赴任した頃。

夜、よくサイゴンの繁華街に飲みに行った。
飲みに行く・・・と書くと簡単だが、実際はかなりの危険をかいくぐる事になる。

まず、宿舎の前で乗り物をひろう。
乗り物としてはシクロ(人力車)は長距離は無理。
まあ、長距離も言ってくれるんだろうけれど、針金のように痩せているシクロの運転手を見ると不憫で長距離は頼めなくなる。

シクロマイ(バイクの前に座席をつけたような乗り物)。
これはけたたましい爆音で爆走するので、暑いサイゴンの夜には快適な乗り物。

タクシー。
これはなぜかみな決まって超小型ルノー。
みなさんは知らないだろうけれど、ルノーがフォルクスワーゲン・ビートルの向こうを張って製造した超小型車、でもそれがすでに年代物になっていてボロボロ。

~~~~~~~~~

ま、とにかくこのシクロマイか、タクシーに乗ってサイゴンのピチピチ・ミニスカート・愛嬌度最大のサイゴン・ガールの待つ繁華街に向かうのだが、途中が危険一杯なのだ。
治安が悪いわけではない。
何しろ街中に兵隊・憲兵・警官が溢れているから犯罪者もそうそう自由に歩き回れない。

しかしその兵隊・憲兵・警官が随所に検問所を作っていて、これが「怖い」場所なのだ。
アト・ランダムに通行者を留めて、「怪しい者」をチェックする。
私たち外国人だとIDとしてはパスポートを見せる事になる。
ビザはちゃんとしているし、何も不備はないはずなのだが、彼らは決まって文句をつける。
ヴィトナム語を少し話す私も、その「ニャオニャオ」と聞こえるヴィエトナム語は聴き取れない。
ま、聴き取れるように話しているわけでは無くて、要はお金が欲しいのだ。
小遣い稼ぎなのだ。

それはこちらもわかっているから、パスポートを見せる時にはパスポートに紙幣をはさんで手渡す。
目の前で堂々とはさむのだ。
それをじっと見ている彼らは「ニャオニャオ」言うのを止めて、パスポートを誠実にながめて紙幣をスッと引き抜くと「行け!」とアゴをしゃくる。

このように私は海外ながら贈賄の罪を数え切れないほど犯してきた罪人である。
(威張る事もないか?)

この検問所の前を通過する時にチェック対象にされると「ピ~~ッ !!!」と、笛を吹かれる。
運転手がパッと車を止めると彼らが車に寄ってくる。
普段はこれでいいのだが、中には自分の車が笛を吹かれていると言う事に気がつかない運転手がいる。
結果的に検問拒否 → 逃走 と見られてもしょうがない。
「ピ~~ッ !!!」「ピ~~ッ !!!」と激しく連呼?されてもまだ他の車だと思っているバカ運転手がいる。たまにいる。
そうなると兵隊・憲兵・警官のピストルや自動ライフルが火を噴く。

乗客の私は必死に運転手の方を揺すって「止めろ!止めろ!止めろ!」と連呼しながら弾丸をさけてかがみ込む。

実際に弾丸は私の肉体にめり込まなかったので、今こうして書いているのだが、こんな検問所が一・二カ所はあるのだ。
兵隊検問所を通過しても次は憲兵検問所、更に次はポリスちゃん。

こういう経験を通じて、今の冷静沈着でワイロ体質の私がいる。

~~~~~~~~~

話がまた回り道だが。
ようするにそーゆー危険をくぐり抜けて、美女ぞろいのサイゴン・バーで快楽の限りを尽くして(おおげさか?)、帰路につくことになる。
障害物競走のような検問所をくぐり抜けて宿舎でタクシーをおりる。
男のお酒の後はラーメンと決まっている。
サイゴンにも街にはソバ屋があって美味しいソバがたべられるのだが、宿舎は住宅地だからソバ屋は無い。
しかし、屋台という強い味方があるのだ。
宿舎の近くの路地で夜泣きうどんが屋台を出す。
そこで私はきらいな?アルコールの酔いをさましながら、コメからできたヴィエトナム・肉入りうそん、香草が必ずひとつかみ入っている【フォー】、これをすする。

毎晩通っているとなじみの客と話す機会もある。
私はその当時つたないヴィエトナム語を少し話したから(語彙は少ないが発音は正確・・・に近いと言う私の特技)、会話もなりたったのだが。
一番仲がよくなったのはあるお爺さんだ。
この人は酒を飲んでいる様子もないのに、うどんを毎晩食べに来る。

「美人で若い女の子、いるでしょう? 紹介してよ」
ある晩、私の一番得意な会話に入っていった。
「うん、その内にな・・・」

お爺さんの確約をとりつけて私はうれしかった。
次回からは
「いつ?いつ紹介してくれるの?」
そう迫り続ける私に、そのお爺さんはついにこう言い出した。
「そんなに美人と会いたければ、私の家に来い」
「行く 行く」

私はしっぽを振りながらお爺さんの後について行った。
まもなく一軒家に着いた。
なかなかの家だ。
豪邸とまでは行かないが、お爺さん、資産家だね。
部屋に通されたら、お爺さんと同年配のお爺さんが(ややこしいかな?)、二・三人テレビを見ている。
挨拶をしてテレビを一緒に見た。

どうも若い美女がいるという雰囲気ではない。
これでは老人倶楽部ではないか?

「お爺さん、約束の美女は?」
こう切りだそうと思った私の心を見透かしたように、屋台ソバ友人のお爺さんが手招きをする。
黒いビロードで囲まれた小部屋に案内された。
これは立派に妖しい雰囲気といえる。
清純な美少女と言うより、妖麗な女王系の肉体派が登場しそうだ。
(肉体派、好きです)
(清純な美少女を食前酒に、妖麗女王肉体派をメインというのもいいな~)
(スケスケの黒のレースのドレスなんかで、美脚が足の付け根まで見えて・・・。)
(いかんな、私は想像力がありすぎる)

そういうふうにウキウキしている私の目の前にお爺さんテレビ同好会の連中が入って来た。
おいおい、せっかく妖麗肉体派女王(形容詞の順番がちがっているかな?)が出てくるのにお爺さんの目の前では、することもできないではないか!!!

激怒する私の前に、アルコールランプと木の枕と象牙の大きなパイプが配られて。
なにやらアスファルトの様な小さな黒いかたまりを針の先に刺して、アルコールランプであぶり出した。
その溶けたものをパイプの先につけて吸って見せてくれる。
「うまいのかい?」
うまいと保証してくれる。
木の枕に頭を載せて寝そべって象牙のパイプを吹かす。
味はなんだかチョコレートのようなものだった。

爺さんテレビ視聴・喫煙同好会を去る時に、お爺さんが「今晩は眠れないかも 吐く事もあるかも」と言う。
「なんだなんだ?」

その夜はぐっすり眠れたし吐き気もなかった。

あのお爺さんには数度自宅に招待を受けて、喫煙のおつきあいもした。
象牙色の肌をした妖麗美女はやはり出てこなかった。
代わりに象牙のパイプをなでるだけだった。
いまいましい。

考えてみるとあれは阿片(オピオム)だったかもしれない。
でも習慣にはならなかった。
ならなかったから、いまの生真面目な私があるわけだが。


~~~~~~~~~

中東のある国で、水煙草を吸った。
あの長いホースのついたやつだ。
屋外にカフェテリアのような水煙草喫煙屋があって、料金を払うと水パイプを貸してくれるのだ。
やはりチョコレートのような味がする。
一回でかなり長期間吸う事ができる。

吸い終わって宿舎に帰ろうとすると、ちょっとフラフラする。
しばらくは食欲が無くなる。

一度、この店で店員が水パイプの本体部分(アラジンのランプみたいな形だが)を開いて、煙草の素?を入れている所を見つけた。
インド産と書いてある小さな缶詰の中から、いつかどこかで見たようなコールタール上のものを取りだしてパイプに詰めている。
それをカメラで撮影しようとしたら店員が大あわてで制止した。

ひょっとして、あれも阿片なのかな?
アラブでは一般の男性はみな吸っていたけれど。
それが彼らの楽しみで,水タバコ屋は社交の場でもあったのだけれど。







最終更新日  2007.12.25 11:38:15
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2007.12.21
今や、【復刻日記】の専門家化した私です。(笑)



■ 【復刻日記】 サイゴンのバー


すこし当時のサイゴンの街にいっぱいあったバーの状況を説明しておこう。


サイゴンはフランスの植民地だから、街路樹がうっそうとしげる通りが、格子状に入り組んだ美しい町だ。

以前書いたように町にはヴィエトコンの侵入やテロ行為を警戒する完全武装の兵士が歩哨をしているし、警官や憲兵による検問所も多い。
夜はヴィエトコンの侵入を防ぐ意味で絶えず郊外に向けて砲撃が続いて、ド~ン ド~ンという砲声が響き、夜空の底がその瞬間、ギラッと輝く。


こんな体制でも、サイゴンの街は、平和で退廃的なフランスの植民地といった雰囲気だった。
ヴィエトナムの人々は強靱な精神力を持っているし、第一明るい。
どんな状況においてもその明るさを失わないから、客観的に見て閉塞状態のサイゴンの街が退廃的ではあっても、極めて活気のある街になっていた。

気候も素晴らしい。
中東のような人間の生存を許さないような酷暑という気候ではない。
おだやかな亜熱帯と言うところだろう。
台湾あたりの気候と似ているのではないだろうか?
日本のような寒さの冬ではないが、一応旧正月(テト)の頃は、背広を着てもちょうどいいぐらいの温度にはなる。
それに食べ物がおいしい。

ヴィエトナム料理はこの頃日本でもよく食されるようになったが、近隣のタイなどに比べると日本人好みの薄味で、中国料理をエスニックにしたようなもの。

それに旧宗主国のフランス料理が素晴らしい。
フランス料理のレストランが数軒あり、フランス系やイタリア系の店主の経営で、私が後にパリで食べたフランス料理とどちらが上かというと、判定が難しいぐらいだ。
ただもちろん亜熱帯地方の植民地のフランス料理という傾向はあったと思う。
ただ、本場フランスではブランデー(コニャック)を冷やさずに室温で飲むのが常態のようだが、ヴィエトナムでは冷やして飲む。
またはロックにして飲む。
特に華僑の人々はブランデーが好きで宴会というと必ずブランデーが出る。

~~~~~~~~~

バーについて書こう。

サイゴンの目抜き通りには、バーが林立していた。
戦地から帰ってくる米兵が軍服のまま入って、ミニスカートのバーガール相手に飲むのだ。
そんな米兵にはバーガールが寄ってきて「サイゴン・ティー」を飲みたいとせがむ。
この「サイゴン・ティー」はただ色が付いただけの紅茶だけれど、このティーをおごられたバーガールは、そのティーの代金分だけが自分の実入りになる。
シンプルなシステムだ。
客がかわいいバーガールと話をしたいと思えば、このサイゴンティーをおごらなければならない。
横須賀とか横浜にも、この米兵バーがあったが、多分同じシステムだと思う。

~~~~~~~~~

私たちは原則としてサイゴン以外の地域に出ることを禁じられていた。
だから生活はサイゴンの中だけと言うことになる。
夜など麻雀をする人もいるが、私は麻雀をしないし、そうなると退屈で仕方がないから、私はこのかわいいバーガールのいる米兵バーに通った。

本当はこのバー通いも支店長はいい顔をしなかった。
原則として禁止されていた。
危険だからだ。
私の他に米兵バー通いなどした日本人は少ないと思う。
以前日記に書いた副大統領殿のクローン人間である先輩でも、一流のナイトクラブには毎晩通っていたが、こんな殺伐とした米兵バーには通わなかった。
思えばこんな危険な場所に入り浸りだった私には、イラク人質の自己責任をうんぬんできる立場にいないわけである。

客はほとんど軍服のままの米兵、中には拳銃も腰ベルトから吊したままというグリーンベレーもいる。
バーガールをめぐって米兵同士がケンカをしたりもする。

~~~~~~~~~

ある朝、事務所で朝のコーヒーを飲みながら現地の新聞を読んでいた。
ふと目にとまる記事があった。
「バーでプラスティック時限爆弾爆発 米兵一人死亡」という記事が目にとまった。
そのバーの名前をよんでびっくりした。
昨晩、私が飲んでいたバーだ。

もうすこし、遅くまで飲んでいると、この私も爆発の犠牲者になった可能性がある。
しかし、ここで大騒ぎをしては、私がバーに行ったことがバレる。
私は何もなかったようにそのまま新聞を読み続けたのだった。






最終更新日  2007.12.21 18:34:41
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2007.12.18
その当時のサイゴンの交通機関を説明しよう。

★ タクシー
戦後一時日本でも走っていたルノーの超小型車。
フォルクスワーゲンのビートルに対抗する国民車だった。
敗戦後のドイツのポルシェ博士が、フランスに設計をさせられたもの。

★ シクロ
要するに人力車。
シクロとはサイクルのフランス語。
ガリガリに痩せて褐色に日焼けしたヴィエトナム人が座席の後ろに座って漕ぐ。

★ シクロマイ
シクロのバイク版。
バリバリ!という爆音と共に高速で爆走する男性的?な乗り物だ。

~~~~~~~~~

バーの女性から招待を受けた私は、初経験ながらも勇敢に(自分で自分をほめるのが私の特技)このシクロマイの運ちゃんに彼女からもらったアドレスのメモを見せた。

「わかりやした!旦那!」と(恐らく)彼は答えてシクロマイを走らせた。
このシクロマイからの路傍の風景はなかなかのものだ。
前に遮るものもなく、風を切って突っ走る。
もっとも正面衝突などすれば、即死の危険度最大なのだが。

まもなく米兵相手のバーが数軒並んだ空港近くの地区に着いた。

大音響のジュークボックスと、けばけばしいミラーボール、のきらめく中で彼女は昼間より更に美しかった。

店内の客は全員カーキ色の軍服を着た米兵ばかり。
帯剣し、中には短銃を腰に下げたMP(憲兵)までいる。
グリーンベレー(特殊部隊)もいる。
戦場から、今帰ってきたばかりなのだろう。


私を認めた彼女が私を手招きでカウンターに呼び寄せた。

   ~~~ 続く ~~~~~






最終更新日  2007.12.18 11:49:18
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2007.12.17
今日は、いくつ目の日記かな?
ずいぶん書いたが、なんい、【復刻日記】だから平気なのだ。

       □□□□□□□□


【復刻日記】
見たこともないほどの、ものすごい美人がそこに立っていたのだ


 
■ 私が赴任して一週間経過した日曜日に、中国系のメイドが私を呼びに来た。
「シーサン お客ですよ」

シーサンというのは広東語で「先生」。
「ミスター」とか「旦那さん」とか言う意味だ。

赴任したばかりの私にお客とは不思議だったが出てみて驚いた。
見たこともないほどの、ものすごい美人がそこに立っていたのだ。

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ヴィエトナム女性は平均して容貌が非常にかわいい。
かならずしも「美人」ではなくて、まずほとんどの女性がかわいい。
性格も明るくて、とても愛嬌がある。
それにアオザイが似合うほどだから、ホッソリとした柳腰。
竹久夢二が泣いて喜ぶタイプが多い。
(母の日には母の好きな竹久夢二のアルバムを2冊も「見せる」という親孝行をした。)
ヴィエトナムに来た日本人の男性は、かならずヴィエトナムの女性が気に入る。


仏領だったインドシナ三国というのがある。
仏印という呼び方もあった。
ヴィエトナムにカンボジア、それにラオスの三ヶ国だ。
私の見るところでは、ヴィエトナムと他の2ヶ国は人種的に異なる。
ヴィエトナム人の大部分は、キン族という民族で、非常に小柄で、骨格はきゃしゃだ。
みなさんがご存じのヴィエトナム女性の民族衣装でアオザイというのがある。
あんな身体にピッタリの衣装が似合う・・・と言うより着用できるのは。きゃしゃでほっそりしたヴィエトナム女性ぐらいだろうと思う。


これに対してカンボジア人は、骨太でガッチリした骨格である。
クメールというアンコールワット遺跡を作った民族がいるが、カンボジア人は明らかにクメール系だ。
ラオスもそうらしい。
それにその隣のタイ人もクメール系の血が濃いと思う。
言語的にはラオス語はタイ語の田舎弁という程度の類似したグループに属するらしい。


かわいいくてホッソリしたヴィエトナム女性が旧宗主国のフランス人と混血すると、アジア最強の美人が出来る。
フランスは世界各国の植民地で、フランス式の瀟洒な「並木道」と「売春宿」を作ったと言われている。
そのせいもあるのか?それともフランス人の男性がかわいいヴィエトナム女性と結婚したケースが多いのか?ヴィエトナムにはフランス人との混血が多い。
さすがに地方にはあまり多くないようだが、サイゴンなどの都会には多い。

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私を訪問?してきた女性は、このフランス+ヴィエトナム混血美人だった。
恐る恐る彼女と話をしてみると、彼女は親しかった「トニー」を訪ねてきたと言うことだ。
その「トニー」なるアメリカ人は、ジェット戦闘機のパイロットだという。
「なるほど」と思った。

私の宿舎は以前、米国の空軍将校の宿舎だったという話を聞いていたからだ。
クローゼットを開けて私の衣類を詰め込もうとしたら、機関銃のものらしい弾丸が
バラバラっと出てきたことがある。
「トニーは今はここにはいない」と説明すると、「それならそれでいい。私はここのバーに働いているから遊びに来てくれ」と言って、あるバーのアドレスをくれた。

とにかくこの彼女は、素晴らしい美人だった。
ヴィエトナムよりフランスの血の方が強い西洋的な美人で、ほっそりとはしているが背が高くて、大きな瞳が牝鹿の様だった。
その夜、私はすぐそのバーを訪問した。
いままで外出の経験もないのにいきなり単独外出だ。






最終更新日  2007.12.17 22:00:40
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生まれて初めて国際線の航空機に乗ったものの、前夜の徹夜に近い引き継ぎがこたえて、美人のスチュワーデスに感心したのもつかのま、深~い睡魔におそわれて、気がついた時にはマニラ空港に着いていた。

ちょ~ど、熱帯特有のスコールが通り過ぎて焼けていた滑走路がみるみる雨にぬれて黒くそまっていった。
このマニラ空港では降りる乗客が降りて、乗り込んでくる乗客が乗り込むだけで機はすぐに出発、次のバンコックに着いた。


ここで給油などをするらしくてかなりの待機時間があって、私たちはバンコック空港にトランジットとして降りた。
しかし、とにかく驚いた。

呼吸困難になるほどの湿気と温度なのだ。
むっとするどころでは無い。
体中の毛穴から汗が噴き出てきた。
言っておくが、当時のバンコック空港ですよ。
先代のバンコック空港ですよ。
空調なんかもなかったんだもの、それは大変でした。
第一、 日本から出発した空港だって羽田空港なんだから。
第二、 乗った飛行機も複葉機なんだから・・・とまでは行かない。
調子に乗るのは止めて先に行きましょう。

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話は突如変わるけれど、ずっと後の話、私が中東出張からの帰路、バンコックからJALに乗り換えた時、バンコック空港から横山やすし+西川きよし、両氏が乗り込んできた。
どういう仕事でバンコックにいたのかはわからないけれど、とにかく両氏がバンコックからのりこんできた。
二人とも一人づつのお付き風の人を連れて、離れて行動していた。
心持ち二人とも、ブスッとした表情だった。
まあ、喜劇役者ってほとんど内面(うちづら)が悪くって、家庭などでは暴君で大変だという話を聞いたことがあるけれど、それも昔のことかも知れない。
ただ、基本的に外で人を笑わせることに一生懸命であれば、自宅ではぶすっと不機嫌でなのは当たり前かも知れないと思う。
私でもきっとそうなると思う。

実はそのフライトではそのまま、日本には帰れなかった。
ちょうど台風が襲来していて、日本には着陸できないと言うことで急遽、沖縄の那覇空港に着陸、那覇のホテルで一泊してから翌日日本に帰着した。
多忙な二人のことだから、おそらくスケジュールに穴が空いたのじゃないかな?と思う。

----------------

バンコック空港では熱帯特有の濃密な空気に口パクパクになりながらも、しっかり名物のタイ・シルクのネクタイを買って機内にもどった。

いよいよサイゴン上空にさしかかった。
しかしサイゴンの街の上空には、鉛色の雲が重くのしかかっていて(自分ながら陳腐な手垢の付いて表現)、街は雲の切れ目からチラチラとしか見えない。
スコールに濡れて鮮やかな赤い屋根と緑の街路樹が見える。
機はユラユラ揺れながら降りていって、ついに滑走路にタッチダウンした。

出迎えには日本系の代理店のヴィエトナム女性が来てくれていた。
ここにもスコールが来た後らしくて、空港から宿舎への途上ではすべてが濡れていた。
道路も泥だらけだったし、路の両側の建物も湿っていたし、その建物や道路脇にいる人間が半裸で猿のように群れて、濡れて、こちらを見ている。
これには軽いショックを受けた。
「う~~む! 遙るけくも、来たものかな~」と思った。






最終更新日  2007.12.17 21:15:45
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2007.12.16
ヴィエトナム関係の【復刻日記】をまとめてアップしようと思う。

今日は、私がサイゴンへ出発した時の話。

       □□□□□□□□


【復刻日記】


「私の頭上をミサイルが飛んでいきました。父さん、どうか助けて!」

これは今日見つけたMSNジャーナルの「ニュースなひとこと」のひとつ。
クウェートからイラクへ入る国境にあるトイレには、イラクに送り込まれる各国兵士の殴り書きでいっぱいで、これはそのなかのひとつだという。
ここで上空を飛ぶミサイルを見て本当にこれから戦場に乗り込むんだと思うとパニックになったのだろう。

頭上をミサイルが飛んでいったという状況は私も、何度も経験したことがある。
正しくはミサイルではなくてロケット弾だったが、とにかく状況はほぼ同じだ。
このロケット弾は、ゲリラのヴィエトコンが、時限装置でサイゴンの街を狙って発射する。
その時私はたいてい昼寝(シエスタ)中だったが、「??」ぐらいでまた「ZZZZ・・・」だった。
しばらくすると、遠くで「ド~ン」という爆発音がきこえる。
サイゴンのどこかに着弾したのだろう。

ある日、サイゴンの中国人街「チョロン」へ行ってみると、ビルの一角が崩れて、火災のあとが黒くすすけていた。
ロケット弾でやられてのだ。

場所はヴィエトナムのサイゴン(現在のホー・チ・ミン)。
時期はヴィエトナム戦争のただ中。
私はそのころ入社したての新米社員としてサイゴンに駐在していた。


       ーーーー ◇ ーーーー

いずれはヴィエトナム戦争というものを簡単に紹介しようと思うのだが、とにかく南北ヴィエトナムがそれぞれアメリカと中国の、ひいては西側と東側の後ろ盾を得て、一種の代理戦争的な趣も見せながら戦った泥沼の戦争だった。

       ―――― ◇ ――――

前にも書いたけれど砲弾が「雨アラレと降る!」と日本の新聞では報道されていたサイゴンだが、私は海外であればどこにでも、ぜひ行きたかったし、冒険とか危険には憧れていた。
例の「危険な玩具」!にはまださわったこともなかった頃だ。

とにかく駐在が決まったときには夢心地だった。

出発前夜も夜遅くまで打ち合わせが続き、当日は睡眠もほとんど取れなかったが、それでも元気に羽田空港からエール・フランス機に搭乗した。
ヴィエトナムは元フランスの植民地だった歴史から、その頃日本からはエール・フランスしか飛んでいなかったと思う。

座席に着くまでもなく、鼻にかかったフランス人スチュワーデスのアナウンスが頭上のスピーカーから流れる。
ときどき通りかかる日本人スチュワーデスさえ、なにかバタくさくて美しい。

その時代のスチュワーデスは花形度が今よりはるかに高くお嬢様学校や有名女子大卒の人が多く、その上かなりの美人度だったのだが、この機中ではさらにその上を行っていたわけで、仕事が激務過ぎてガールフレンドもいなかった私(自然に言い訳が先立つのはなぜか?)には乙姫様の竜宮城に来たようなものだった(この表現も古い)。
とにかく帰郷の時に使用した国内線の日航や全日空とは雰囲気が違う。

       ―――― ◇ ――――

よく飛行機に乗ると不安で眠れないと言う人がいるが私にその心理はわからない。
立派な科学者までが「あんなに重たいものが空中に浮かぶと言うことが考えられない」とまで暴言を吐くが、この人達の自己矛盾というものは救い難いではないか?

揚力というものがあるでしょうが、揚力が!!
学校で揚力というものを習って理解できていない人は、この楽天に来てはいけないことになっている。
ま、これは余計だが・・・。

       ―――― ◇ ――――

新コーナー【本日入荷の本】。


■【「Shall we dance?」アメリカを行く】(周防正行)「文春文庫)
楽天の「かま玉うどん」さんの書評を読んで。
Shall we dance?監督の周防氏が米国でこの映画の興行をめぐって悪戦苦闘する。
これから読むつもり。

■【きまま わがまま お洒落学】(原田武志)「チャネラー」
ちょっと拾い読みまでだが楽天の「ムッシューアラダ」氏が豊富な欧州体験と美的センスで蘊蓄を傾けた本物の本。欧州体験もない若者がニセモノの知識をさも物知り顔に書く本ばかりだが、これは西欧の上流階級のお洒落の常識をふんまえて正確に書かれたもの。

■【ロウ管の歌】(先川信一郎)「道新選書」
この本の現住所が分からないので(見つからないと言うだけの話)もういちど古本で求めた。
初代ポーランド大統領の兄がサハリンに流刑されるが民族学者の彼はアイヌの歌・踊り・古い口承をロウ管蓄音機に残す。そのロウ管が最近ポーランドで発見され日本で復元され、アイヌ文化に多大な貢献をした。
数奇なロマン。






最終更新日  2007.12.16 21:52:32
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2007.12.14

また【復刻日記】。

先ほどアップした【復刻日記】では、「もう少しで死にかけた話」と書きながら、具体的なエピソードまでは、書けなかったので、連続だが、もうひとつ【復刻日記】を。


□□□□□□□



【復刻日記】 死のシンデレラ・タイム・【カーヒュー】


「カーヒュー」という言葉がある。
curfew フランス語

ネットで調べてみよう
○ 外出禁止令(時間帯)、
○ 門限、
○ 日暮れの鐘
○ 戦争などの緊急事態に出される夜間外出禁止令
○ 未成年の深夜外出禁止法令、
○ あるいはその時間帯
○ その時間を告げる鐘やチャイムの音、
○ 夕暮れに鳴る鐘の音

語源はフランス語の 【covrefeu】、
つまり cover fire の意味で、暖炉などの火を消えないように灰を被せる、いわゆる「置き火」らしい。

私の駐在時のサイゴンは、夜12時から朝の6時まで、完全な夜間外出禁止令(カーヒュー)が布かれていた。

このサイゴンの場合は、単なるcurfewというより、下記の様に表現した方が適当かと思う。

○ a wartime curfew 戦時下夜間禁止令 とか 
○ military curfew 軍事的夜間禁止令

この外出禁止令に背いて夜間外出をするとどういうことになるか?
検問をするには軍隊・憲兵・警官などがいる。
一応、推何(すいか)(何者だ?というような問いかけ)はするだろうけれど、運が悪ければそのまま射殺されてしまう。
夜中の急病人などはどうするのだろうと、よく考えたものだけれど。

当時、日本人医師が二人出向していたサイゴン病院の医師の話では、カーヒューの時間に撃たれ、腹部に数十発の銃弾を撃ち込まれた患者が運び込まれたことがあるという。

歓楽街に遊びに出るのはいいが、こんな事情でサイゴンではそれも12時までだ。
いや、12時には自宅に帰宅していなければ射殺される恐れがあるのだから恐ろしい。

~~~~~~~~~


ここまで書いてきて、BBSをのぞいてみたら bikeikoさん(その後、変名して今は Kelly さん)が、
「いきなり射殺されるのでは、恐ろしくて外出できませんね」と書いているが、
「外出できない」では無くて
「外出してはいけない!」のだ。

以前書いたように、夜間にはヴィエトコン(共産ゲリラ)が跋扈していたり、極端な例では大部隊でサイゴンを攻めてきたり(いわゆるテット攻勢といわれている)から、夜間外出禁止令をやぶって夜間外出して居るものは即、共産側の【敵】と見なされるのだ。
curfew というのは戒厳令の一種なのだ。
まさに、五木寛之の著書の題名ではないが、「戒厳令の夜」ということになる。

だから12時をすぎれば、軍隊のトラックや戦車以外は、それこそ猫の子一匹通らない静寂となる。

~~~~~~~~~


夜遊び友達の一人に、ある日本レストランの経営者がいた。
彼は宿舎に麻雀に来て、麻雀が終わったら、その後にナイトクラブに行く。
私は、そのナイトクラブ行きに、よくつきあった。

サイゴンのナイトクラブは、大手のものが数軒あった。
最大手はカティナ通りにあった【マキシム】。

銀座通りのような【カティナ通り】、これはフランス植民地時代のフランス風呼び名で、ヴィエトナム風には【トゥー・ドォー】、自由という名の通りだ。

もっと正確に言うと、【トゥー・ドォー】とうのは、サイゴン訛りの、南ヴィエトナム訛りの呼び名で、ハノイの正統ヴィエトナム語でこれを呼べば【トゥー・ゾォー】と発音しなければいけない。
(一応うんちくを披露しておこう)


この【マキシム】は正統派で、サイゴンで一番格式高い。
ショーも豪華。
真っ暗な中に、アオザイを着たヴィエトナム美人のホステスが一杯いて、私達がテーブルにつくとママさん(中国風にタイパンと呼ぶ)が応対してくれて指名のホステスを聞いてくれる。
ホステスは大抵番号で呼ばれていて「15番」という風に番号で指名する。

ヴィエトナムでは、少なくとも当時のヴィエトナムでは、ナイトクラブでも、米兵バーでも、少なくとも表面的には、とてもお行儀のよい世界だった。
ホステスが隣に座っても、お話をするか、ダンスをするかぐらい。
ステージではヴィエトナム流行歌の歌手が、すすり泣くような哀しげな叙情的なヴィエトナムの曲を歌う。

そんなうちに、そろそろ11時も過ぎてシンデレラ・タイムとなる。
普通ならそこで慌てて帰る所なのだが、このレストラン経営者はやっかいな性格の人で、最後の最後まで粘るのだ。
ホステスや従業員が帰る時になってもまだ飲みたがる。
結局12時まであと十数分という時になって、やっと車に乗る。
「おい!あと10分しかないよ!頼むよ!」

彼もさすがに必死になって夜のサイゴンの街を爆走する。
手に汗を握る境地だ。
私の宿舎に着くのが12時だったりする。
そこから彼はさらに自宅へ戻らなければいけないのだ。
キキ~~!!とタイヤをきしませながら彼の車が消え去る。

後年、私はインドネシアのジャカルタで彼と再会した。
毎晩あんな事を繰り返しても、何とか射殺されずに生き延びていたらしい。
しかし、悪い癖は直っていなくて、ジャカルタでも真夜中までつきあわされてしまった。

~~~~~~~~~

私自身が死にかけたことも数回ほどある。
その一つだが・・・。

ある晩、私は借りたバイクに乗って繁華街に出かけバーで飲んでいる内に夜間外出禁止令の時間になりそうなので帰宅しようとした。

宿舎近くにさしかかったところにロータリーがあって、酔っていることもあってロータリーの縁にあたってしまった。
ロータリーというのは丸い円形の形をした交差点を時計回りに、または逆回りにまわるもので、もともとは西洋で馬車が交差点ですれ違うために発明された形式。
だから、ゆっくり侵入して、他の車と歩調を合わせながら今度は自分の道へ脱出してゆくようになっている。
英国などではこのロータリー(これは米国風な呼び方で、英国では round about と呼ばれるが)が多い。

私はスロー・ダウンしなければいけないロータリーに、スピードを落とさずに侵入したばかりに、ロータリーの縁石にぶつかり、そのまま空中を飛んでロータリーの向こうに飛び込んでしまった。
その飛び込んだ先が大変な所だった。

米軍のバスやトラックの基地で、その廻りには鉄条網が張り巡らされていて、頭上には通常、監視兵がいた。
私はその鉄条網に飛び込んでしまって、全身鉄条網に切り裂かれてしまった。
幸運にもその時には監視兵がいなかった。

その頃、バイクに爆弾を積んだ女性が米軍基地に突入する「ホンダ・ガール」という今で言う自爆テロがあって、その時の状況なら私が「ホンダ・ガール」と見なされて射殺されても仕方がない所だった。
タイヤが空転して、ガソリンタンクからガソリンがこぼれているバイクを引き起こして、全身血まみれで宿舎に戻った。

翌朝サイゴン病院に行って日本人医師に治療を頼んだが、元獣医のこの医者は「そんなもの傷のうちに入らない」といって傷口を縫合してくれなかった。
だから今も私の身体にはいまでも鉄条網の傷跡が残っている。
ハッキリわかるのは左腕の大きな傷口だけだけれど。

これ以降、私は車の運転をあきらめて、長い間車を運転しなかった。

~~~~~~~~~


【死にかけた話】はいくらでもあるんだけれど、今日はもう一つ「死に損なった」話をしよう。


ある時、私はある仲のよかった日本人エンジニアと一緒にヴィエトナムの有名歌手が出演する、あるクラブへ歌を聴きに行こうとしていた。
そのクラブはカティナ通りにあった。
サイゴン河の川岸でタクシーを降りて私たちはクラブの方へ歩いて行った。
もう少しでクラブという所で、私達の前を小麦色の脚をしたミニスカートの美少女が横切った。
当時はミニスカート全盛の時代だったし、暑い気候のサイゴンではなおさらだった。
ミニスカートをはく少女というのは、フランス系の女学校のお嬢さんか、バーガールが多かった。

そのミニスカートの魅力的なお嬢さんはすぐ近くのバーに入っていった。
彼女はバーガールらしい。
それなら、サイゴンティーさえおごればお話相手になってくれるはずだ。
サイゴンティーは、所場代なのだ。
私達は以心伝心、二人でそのバーに飛び込んだ。

彼女にサイゴンティーをおごって、会話を交わしていると、突然大音響と共に足の底から突き上げるような振動が走った。
私が握っている缶ビールが波打つほどのものすごい衝撃だった。
瞬間、何が起こったのかわからなかったが外が騒がしくなった。
出てみるとあのクラブから煙が出ている。

近づいてみるとそのクラブの建物は、中身を抜いたマッチ箱のようになっていた。
窓ガラスもすべて破れ、壁も歪んでいる。
道路には人間の身体やバラバラの手足が散乱している。
プラスティック爆弾が爆発したらしい。

ものすごいサイレンの音を響かせながら米軍の憲兵のジープが何台も飛び込んできた。
昔、テレビでラット・パトロールという第二次世界大戦のアフリカの砂漠を舞台に、ジープでドイツ軍を攪乱する米国舞台の活躍を描いたものがあった。
そのテレビ映画に登場するジープと同形のものがこのサイゴンの米国MP(陸軍憲兵)に使用されていた。
後部座席に回転する機関砲座を備えたジープ。

このジープにMPが人間を片っ端から放り込んで、近くのフランス病院向けて突っ走っていった。
ぼんやりして、野次馬の群れに入っていると突然、警官が数人現れた。
彼らはなにやら大声で叫ぶと空を向けて一斉に拳銃を発射しだした。

私はすぐわかった。
共産ゲリラは時限爆弾をしかけ、爆発した現場を見ようと集まる野次馬めがけて二次攻撃をかけるという。
警官はそれを防ごうと群衆を威嚇しているのだ。
近くにいた人間が殴られたり、つかまえられたりしている。

必死で群衆の中を逃げた。
ここで捕まるわけには行かない。
ようやく空いたタクシーをつかまえると、宿舎向けて全速力で走ってもらった。

宿舎に帰って、二人でビールを飲みながらも、しばらく二人は無言だった。
あの時、あのバーガールにひかれて、あのバーに立ち寄っていなければ、私達はあのクラブの爆発に巻き込まれていた訳だ。

負傷ですんだか? それとも運悪く【即死】していたか?
それはわからない。
人間の運命とはわからないものだとしみじみ思った。
それに本件もまた(笑)、支店長に明かすわけにはゆかない。
自己責任としておこう。


この重い暗い秘密を背負ったまま(笑)、私はまた毎夜、夜のサイゴンのバー街に出かけた。






最終更新日  2007.12.14 17:14:09
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【復刻日記】というのは便利なので、ついつい利用してしまう。

ヴェイトナムでの経験の【復刻日記】を。

       □□□□□□□□



■ 【復刻日記】ヴィエトナムで経験した「もう少しで死にそうだった」経験を書いてみたいと思う



一昨日の日記で、ヴィエトナムに赴任したことを書いた。
ヴィエトナムでの経験については順々にいろいろ書いて行きたいのだが、今日はヴィエトナムで経験した「もう少しで死にそうだった」経験を書いてみたいと思う。

当時のヴィエトナムはヴィエトナム戦争の戦火が燃えさかっている時だった。
ヴィエトナム戦争とはサイゴン(現在のホーチミン)を中心とする南ヴィエトナムとハノイを首府とする共産主義国家の北ヴィエトナムが、いわば北朝鮮と韓国の様な形で戦争をしていたのだ。

ヴィエトナム戦争はこの2国だけの戦争だけではない。
南ヴィエトナムの中では北ヴィエトナムと連携したゲリラ組織、いわゆるベトコンが暗躍していたし、南ヴィエトナムを助けるために数十万人の米兵が派遣されて北ヴィエトナムと戦っていた。

ベトコンの浸透ぶりはすごくて、特に夜間には活躍した。
南ヴィエトナムは「昼間は南ヴィエトナム政府が、夜はベトコンが支配している」と言われていた。

~~~~~~~~~


赴任した夜、宿舎から出て散歩をしてみた。
ヴィエトナムはフランスの植民地だったから、サイゴンに限らずヴィエトナムの大都市はフランス式の並木道のある瀟洒な街並みになっている。
街灯があまり無いので一部は漆黒の闇になっている。
遠くで米軍が夜間を利用して接近してこようとするベトコンを威嚇するために絶えず打ち続けている大砲の響きが「ドーン ドーン」と定期的に響いている。

しばらく街路を歩いていると完全武装の兵隊が目についた。
近づいてみるとヘルメットに防弾チョッキ、迷彩服、軍靴・・・、それに弾帯を身体に巻いている。
手にはM-16ライフルが握られていて、私が近づくと警戒の身振りでライフルを握り直している。
その横には、コンクリート製の交番のような施設が作られていて、そおれは砂袋で周りを囲まれている。
それほどの警戒ぶりなのだ。

それもそのはず、サイゴンはその前の年、旧暦の正月(ヴィエトナム語ではテト(テット)と呼ばれる)にはベトコンの部隊がサイゴンの中国人街を中心に攻め込んで激しい市街戦を行った。
これは俗にテト攻勢とよばれている。

ベトコンと言っても同じヴィエトナム人だから一見してわかるわけではない。
今のイラクよりわからない。
今のイラクならシーア派の街とスンニ派の街が分かれているが、ベトコンは普段の生活は一般人の生活をしているのだから、見分けが付かない。
それが夜間に暗躍して時限爆弾・プラスティック爆弾をしかけたりする。
また、夜間に郊外の田んぼに、時限装置のついたロケット砲を設置したりする。
だから、このような厳しい警戒になっている。

実はこの完全武装のチェック・ポイントの前を恐る恐る通りながら、急に激しい恐怖感に襲われて膝がガクガクして,宙を歩くような感覚になった。
あらためて「ここは戦場だ」という事を実感した。

おまけに宿舎の前は交差点になっていて、そこにチェッキング・ポイントがある。
警官や兵隊が常駐していて「怪しい」というものが通りかかると検問する。

通りかかるといってもこの交差点を通る人間はほとんどがホンダに乗っている。
ホンダというのはミニバイクの代名詞だ。
ヤマハのホンダ、スズキのホンダ、カワサキのホンダもあるわけだ。

検問されても止まらないホンダがあると、まず「ピーッ!」と笛が吹かれる。
それでも止まらないと(意図的であろうと、自分だと言うことに気がつかなかったとしても)問答無用で「バン バン バン」と拳銃またはM-16ライフルが発射される。
はじめは威嚇射撃だろうけれど、その内に本当に打つ。

宿舎の自室にいてもこの威嚇射撃が一時間に一度ぐらいは行われる。
これもそのうちに慣れてしまうのだから、人間というものは恐ろしい。

~~~~~~~~~


この宿舎の前には仏教寺院があって、小乗仏教特有のオレンジ色の衣を羽織った僧侶が出入りしていた。
当時は仏教徒が政府と敵対的な関係にあった。

そのせいもあってだろうか?ある夜、完全武装の部隊がこの寺院を囲んで何時間も機銃掃射を行った。
夜間になると数発に一発入っている「えい光弾」が、赤いアイスキャンデーのように輝きながら寺院の中に吸い込まれて行く。
この「えい光弾」は夜間の射撃の弾道を確認・修正するもの。

まだ夜にならない夕刻、宿舎の前に出てこの戦闘をのんきに見物していると、それが気にくわなかったのか?兵隊がこちらにも撃ってきて、私の足元に着弾してパッとコンクリートから砂煙がでて宿舎の鉄の扉に当たった。
大あわてで扉の中に隠れて覗き穴から観戦?した。
この戦闘で死者が出たのかどうか?わからないままだった。







最終更新日  2007.12.15 00:25:48
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2007.12.13


【復刻日記】 サイゴンのレストランで聞く「ブルー・ライト・ヨコハマ」は 私が教えたもの


なお、亜さんから悩ましいオリジナル漢詩を、過去日記【春宵一刻直千金 亜さんの日記】に贈呈していただきました。
コメントの最深部あたりを、ご覧ください。


私も負けずに??、故古今亭志ん生の麗笑落語【鈴振り】をコピーしておきました。






最終更新日  2007.12.13 13:35:11
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