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【不眠症カフェ】 Insomnia Cafe

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【ベトナム戦争】 駐在時の想い出

2018.10.05
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★★ 
復刻記事 ベトナム戦争時の想い出 #8
 死の軍用ハイウェイを走る


​​
私達駐在員は、駐在中、原則としてサイゴン市という小さな地域に押し込まれていた
駐在員事務所の所長命令でサイゴンから外へは出ないように命令されていた

サイゴン市内まで北ベトナム正規軍によって攻撃されることのある
戦火のベトナムだったからそれは当然の判断だった

ただ、例外もあった
日本大使館主催の「アンコールワット遺跡ツアー」というのが一度あったのだ
ヴィエトナム正月を利用しての隣国カンボジアのアンコールワットへの観光ツアーである
今思えば、大胆な試みだったのでは無いかと思う

私は参加したかった
しかし私はその時、あるサイゴン外部を工事現場とする
ある建設プロジェクトの工事現場の担当を兼ねていた

その工事は、戦禍の影響もあり、建設計画より建設が遅れ
発注者の南ヴィエトナム政府から、遅延ペナルティーを取られる事が必至と予想され
そのことを案じた本社が工事のスピードを上げるように命じて来て
その結果、われわれは、う゛ぇいとナムの旧暦の正月も休まずに働き
私は当然、そのツアーには参加できなかった
これは、今考えても残念な事で、結局、今に至るまで、私はあのアンコールワット観光ができないままである


カンボジアはその後、ポルポトのクメール・ルージュが実権を握り
国民の大量虐殺が始まり
アンコールワットは日本のカメラマンも死亡したもっとも危険な地域になっってしまった


今はアンコールワットへの観光が盛んである
そのうちに私も参加してみたいと思っている

~~~~~

その工事現場は、サイゴンから数十キロ離れた米軍の巨大な空軍基地に隣接していた
私は経、直接の工事の担当では無かったが
現地下請け業者への工事費の支払いや工事現場のベトナム人労働者の給料支払いなどの
担当業務があった

そのために、週に、二・三回、現場へ通った

ーーーー

サイゴンからその米軍基地へ行くには
米軍が建設した軍用のハイウェイを数十キロ走らなければならない

この軍用ハイウェイというのが危険きわまりないものだった

このハイウェイでは、米軍の軍用車両のみならず
ベトナムの一般人の車やバイクなども走っている生活道路でもあった


しかし、主に走行しているのは米軍の軍用車両である
米軍の軍用資材を搭載した巨大なトレーラーがコンボイを組んで数台または数十台連なって走る
大型トラック、ジープ、装甲車、戦車、これらの軍用車両が、全速力で飛ばす

ベトナムの日差しの中、軍服の上着を脱ぎ捨てて
赤く日焼けした裸の上半身むき出しで若い米軍兵士が
巨大で長い軍用トレイラーのハンドルを握って、暴走に近いスピードで疾走する
その軍用車両の本流のなかを、トコトコ、ノロノロと走るベトナムの民間車両が混じる

この風景は見ているだけで壮絶である

ーーーー

その現場チームが使用していた車両は、合計三台である
全部が日本から持ち込んだトヨタ製の車両であって
一台は、日本人技師団を運ぶマイクロバス
運転手は現地採用の満州族の中国人
もう一台は、セダンで、運転手は、華僑
最後の一台は、ステーションワゴンで、運転手はベトナム人

私自身は、早朝現場に出発するチームに同伴するときはマイクロバス
一度、サイゴン市内の駐在員事務所に出勤してから、現場で支払う現金をトランクに詰めて
ウニ主筋してから、午後現場に向かうときは
セダンか、もしくは、ステーションワゴンを利用した

この軍用ハイウェイの交通量が激しいのは午前中である
その時間帯に走るのはマイクロバスである

この倍黒バスに同乗して、交通量の最も激しい朝
この軍用ハイウェイを走るのは、命がけである

軍用ハイウェイと言っても、片側一車線である
猛スピードで突っ走る米軍の軍用車両に混じるベトナムの一般車両
サイズもスピードも異なる車両の渾然とした交通の流れのなか
われわれの車両も進まなければならない

特に、懸命に、しかし、よちよちと走るベトナムの一般車両
こういうスピードの遅い車を追い越さないと、なかなか目的地に着かない

しかし、このハイウェイは、そのほとんどの部分が片側一車線しかない
だから追い越しはあぶない
追い越しの瞬間には、対向車線の対向車が猛スピードで接近してくる
対向車と言っても、ベトナムの一般車ならまだ言い
それが、米軍の軍用トラックであるとか
巨大な見上げるような軍用トレイラーである場合は
すれ違うだけで恐怖である

追い越しを完了すると、その直後に
対向車が「ビュ~ン!」と風を切って行き過ぎる

マイクロバスは、その余波を受けて、揺れる

約1時間半、この繰り返しである
Kのように、このハイウェイで走行では、対向車にはらはらし通しだった
何しろ相手は、米軍の感情で巨大な軍用車両である
時には、戦車であるときまである
衝突はともかく、接触しただけで、マイクロバスは空中に跳ね上がったり
横転するだろう
それでも、中にいるわれわれ乗員は無事、・・・などというわけが無い(笑)

だが、人間というものは、慣れるものである
あのナチスの強制収容所、アウシュヴィッツにおいてさえ
収容された死を待つばかりの囚人達が
そのうちに、それなりに、その恐ろしい世界に順応していった
そういう話を聞いた事がある

私もそのうちに
「ビュン!」という対向車の風きりの音と
マイクロバスの軽いよろめきを子守歌のように(笑)
居眠りまでする様になったのである

とはいえ、その居眠りから目を覚ますと
板子一枚下は地獄、と言う世界である事に変わりは無い
まあ、もう、恐怖感アドは消え去ってはいるのだが

私はそのうちにこう考えた
確かに対向車と正面衝突したら私は一瞬で死ぬだろう
しかし現実には、いくら私が対向車に注意しても
事故を寸前にふせぐ事は不可能である

すべてを運転手の冷静な判断と運転技量に任せ
運を天に任せるより無い

自分の力でできないこと、変えられないことにに一喜一憂しても
結果はなにも変わりがない
一種の悟りである
普通は禅寺で、かなりの修行をしないと到達しない境地である(笑)

以降私は社内ではもっぱり眠ることにした
「ビュン ビュン」という対向車の風を切る音を子守歌にすると
本当に眠いのである

私と同時期にベトナムで米軍に従軍取材した開高健が
戦闘の恐怖の後遺症で鬱になって小説を書けなくなったと言う

私は懸命にも運命を天に任せたから鬱は無い
それに、はじめから小説など書けない(笑)

~~~~

ある朝の社内でのこと
われわれのマイクロバスのすぐ前を走っていた米軍の軍用トラックが
突然、妙な不安定な動きをはじめた

左右に蛇行し始めたのだ
よく見ると後輪のタイヤが横揺れしている

米軍の標準型のトラックは重量物を搭載するために
後輪タイヤはダブルで、さらにそれが前後にペアになっていて
後輪は左右合計8個のタイヤが装着されている
つまり、前部のタイヤ2輪をくわえると、合計10輪のトラックである

その後輪のタイヤがグラグラしはじめている
見ている間に(走行中だから見るしか無いのだが)
タイヤが外側のものから外れ出した

ひとつ、ふたつと外れて、ハイウェイから道路脇の水田に飛び込んでゆく

数秒して、突然、その巨大なトラックが宙に飛び跳ねた
生命が危険な瞬間に遭遇すると
脳の時計がスローになって注意を喚起するためだろうが
眼に映る映像がスローモーションになる

その場合が、そうだった

トラックは大きく空に跳ね上がり、身をよじるようにしながら
ゆっくりとハイウェイの横の方向に飛び
最後に約10メートルほどはなれた水田に、仰向けの形で落ちた

追突の危険も忘れて私も停車した
そのトラックは水田に仰向けになっていた
車体の三分の一ほどは水田の泥の中に陥没してしまって
運転していた米兵は、ブレーキを踏む時間もなかったのだろう


仰向けになったトラックの後輪が、まだブンブンと回転を続けている
エンジンは停止していないのだ
トラックの焼けたラジーターが水田の水と接触し
水蒸気が運転室の底あたりから吹き上がっている


米兵が運転席から出てくる気配はない
ただ車輪が空転を続けるだけである

しばらく息をのんで見つめて、それから出発した
われわれは救助すべきクレーンなどの重機を持っているわけでも無いし
ここはまだ戦場なのだ
われわれに出来る事は何も無い

ーーーー

日本で過去に起こった事故にトラックのタイヤが走行中に外れたというものがあった
そのタイヤに当たった人間が死亡している
トラックなどのタイヤというものは、実際には、巨大な、ものすごい重量物である
この巨大重量物が、高速で、回転しながらぶつかってきたら、人間は即死であろう

この軍用ドラック事故の場合も
もし私の車にタイヤが接触したら、私の車も横転、または大破していたかも知れない
だろう

トラックが宙を飛んで、私の車の上に落ちてきても私の命はなかっただろう
私は幸運だったのだと思う
この場合、つい「私」と、私だけの事を考えてしまう(笑)

~~~~~

またハイウェイでの別の話である

ある時、われわれのマイクロバスが十字路にさしかかった
その時なぜか、横からの交差路からバイクが直角に進入してきた
そのバイクは私の前を走行する車にはねられた
その車がどんな車だったかは覚えていない

やはり、スローモーション動画に見えた

「大脱走」という有名な映画がある
スティーブ・マクィーン扮する米兵がナチス捕虜収容所から脱走する
軍用オートバイを盗んで、そのオートバイで脱走する
マクィーンがオートバイで大きくジャンプして、鉄条網を飛び越える場面がある
ポスターなどにも使われている有名な場面である

われわれが遭遇したこの場合
中国製と思われるその貧弱なバイクが大きくジャンプした

マクィーンより数倍の高さの大ジャンプである
マクィーンは自力のジャンプだったが、この場合は衝突した車の勢いでの大ジャンプだった

その灰色のバイクはペシャッと、私の目の前の地面に着地した

バイクはほとんどバウンドしなかったが
運転していた農民風の男は地表にたたきつけられてから
二・三度、操り人形のようにバウンドし
それから、静かに横たわった


彼の頭が少し首をかしげたようになって、こちらを見ていた

即死だったろう
即死でなくても命はなかっただろう
人間の命とは、儚い(はかない)ものである

~~~~

また、ハイウェイでの事である

前方に、道脇に半ば横転しているバスが見えた
薄汚れた黄色と白の中型の古いバスである

停車してみてみると
このバスはまともなバスではない

その横腹が大きくえぐれていた

えぐれた箇所に、缶詰のイワシのように死体が集まって並んでいた
米軍の巨大トラクターなどとの接触で、えぐられたのだろう

~~~~

工事現場には、工場に据え付けられる大型機材の搬入がある
運送は、仏領時代からインドシナに拠点を置くフランスの船会社の陸送部門が担当した
この運送、搬入には私が立ち会う事もある

現場で建設作業を指導する日本人技師たちは
戦時中ということで、午後5時頃にサイゴンに向かって帰る

搬入作業が遅くなる時は、私と陸送会社の人間のみが現場に残った

搬入終了の受取書に私がサインをすると、皆でサイゴンに帰る
陸送の大型トレイラーの空になった荷台にのって帰る
日没の時間で、長い地平線に夕焼けが映えている

そのうち日が暮れて、暗闇の中の走行になる
この軍用ハイウェイにはストリートライトが無い
無灯火の暗闇である

夜間の照明は走行する車両のヘッドライトだけである
はじめは進行方向の暗闇の視界に
豆粒のように小さなヘッドライトが現れる
対向車なのである
そのうちにそのヘッドライトは、
あっという間に大きく輝き「ビュン!」という風きり音をのこして対向車がすれ違って行く

夜間の走行車両は、すべて軍用車両である

映画「トランザム」などに出てくるような超大型トラクター・軍用トラック・水陸両用装甲車それに戦車である
これらと接触すれば上に述べたイワシの缶詰状態になる

特に戦車・装甲車などの戦闘車両は、野戦用だからライトが小さい
向こうにはこちらが見えているのだろうけれど、こちらからはほとんど見えない
暗闇からいきなり黒い車体がニュッと現れる
戦車に踏みつぶされたら、イワシの缶詰ぐらいではすまない
せんべい状態・イカののしイカ状態にちがいない

こんな時ときどき、私は
本当に生きて日本に帰国できるのだろうかと思った








最終更新日  2018.10.05 20:41:17
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2018.09.30
​​★★ 
復刻記事 ベトナム  #5 
ベトナム戦争 戒厳令の夜​​

2008.07.31

curfew 【カーフュー】と言う言葉がある
【curfew】 これはフランス語である
しかし、国際的に通用する軍事用語である

語源はフランス語の covrefeu
英語では cover fire

暖炉などの火を消えないように灰を被せる・・・
いわゆる「熾火(おき火)」のことである

ただ、熾火以外のもうひとつの意味がここでは重要である
○ 戦争などの緊急事態に出される夜間外出禁止令
   ー a wartime curfew 【戦時下夜間禁止令】 
​   ー military curfew 【軍事的夜間禁止令】 ​
他に
【門限】【日暮れの鐘】などという意味もあるが、この際、重要ではない

~~~~~

私の駐在時のサイゴンでは
【夜12時から朝の6時】まで、カーヒューが布かれていた


何しろ戦争のさなか
おまけにベトコンの侵入が頻繁にあり
プラスティック爆弾のテロも頻発

したがって
市内には検問をする軍隊・憲兵・警官などがあふれている

禁止令にそむいて深夜に外出していた場合
一応は「何者だ?」というような推何(すいか)はするはずだ

しかし、そのまま射殺されてしまっても仕方がないのである

何しろ証人となるべき第三者は誰もそこにはいないのだし
戦時下の軍事的夜間外出禁止令なのだ
事実、射殺されるケースが多かったと思う

当時、日本人医師が二人、サイゴン病院に出向していて
ある朝、私が病院を訪問した時に聞いた医師の話では
夜間のカーヒューの時間に自動小銃などで撃たれ
腹部に数十発もの銃弾を撃ち込まれた患者が
運び込まれたところだ、という

だから
歓楽街で飲むのは楽しいが
サイゴンの歓楽は【キッカリ12時まで】なのだ

【行きはよいよい 帰りはこわい】
まさにそう言う状況である

そういう環境の中で私は、【節度ある】歓楽をこなしていたのである(笑)

~~~~~

このころの南ベトナムは単純な世界ではない
、複雑な世界である
二重構造の世界でもある
昼間の時間帯では南ベトナム政府軍と米軍がベトコンや北ベトナム軍を激しく攻撃している
しかし夜間になるとベトコンがサイゴンの町に忍び込む
まるで昼夜でクルッと逆転するオセロゲームの様なものだ

それに加えて
日常は何食わぬ顔をして一般人として暮らしているが
実はベトコンに通じているスパイも多い

いわゆる【スリーパー】である
眠っているふりをしている【諜報員】である

事実、ベトナム戦争が北ベトナムの勝利で終結したあと
人づてに聞いた話では
我が社のサイゴン事務所のローカル雇用の現地人
ベトナム人もいればか興味いたのだが
その約半数が北側のスパイとしてカミングアウトしたという

その顔ぶれを聞いて、私は驚いた
事務所の中でも最も有能で、資本主義的である(笑)印象の
チーフ・クラークが、北の諜者だったという
まさに驚きであった

もっと個人的に驚きだったのは
私の・・・、私の彼女が北の要人として現れた、と言う
あまり、この話は、したくない(笑)


​それだけではない
北ベトナム正規軍が全軍をあげて南ベトナム各地を攻撃、
サイゴンを包囲・突入した大軍事行動もあった

後にいわゆる「テト攻勢」と称されるものである
一気に南ベトナムの解放を狙ったのだ
これは軍事的に時期尚早で失敗したが
南側に、米軍側に、大きなショックを与えた

こういう軍事情勢だから
サイゴン市内で夜間外出するものは
即、敵と見なされる

これは仕方が無いところだっただろう

curfew というのは戒厳令の一種なのだ
まさに五木寛之の小説の題名ではないが
「戒厳令の夜」ということになる

カーヒューの夜は、12時をすぎれば
それこそ猫の子一匹通らない静寂である

針一本落としても響く静寂と言ってもいいかもしれない
ときおり騒音を立てて、軍用トラックや装甲車や戦車が通るのみである

~~~~~

当時の遊び友達の一人に日本料理レストランの経営者がいた
彼は毎晩のようにわれわれの宿舎に麻雀に来る
たいていは強豪ぞろいの我が社の諸先輩にひねられて惨敗する
その麻雀が終わったら、今度はナイトクラブに遊びに行く
私は麻雀はしないが、その後のナイトクラブ行きにはよくつきあった

~~~~~

当時のサイゴンには高級ナイトクラブが数軒あった

中華街では
○ 華僑系の【アルカン・シェール】というナイトクラブがあった

サイゴンでは

○【トゥー・ディ・ヴォワー】、フランス語でいう【象牙の塔】である
英語で言えば【アイヴォリー・タワー】
と言っても、もちろんそのナイトクラブでホステスが一生懸命勉強しているわけではないが
○それに【ヴァンカン】という店もあった
この【ヴァンカン】の特色としてフランス系混血美女が多かった
グラマーな肉体派の混血美人が好きな人はここに来る
私の先輩の「グエン・カオ・キさん」も、ここが好きだった

~~~~~

「グエン・カオ・キさん」というのは通称である
本人は繊維担当の駐在員なのだが、その容貌からみんなにそう呼ばれていた
グエン・カオ・キとは、当時の南ベトナムの副大統領である
ジェットパイロットでもあるカオ・キ氏は
大統領のグエン・バン・チュウ以上の有名人である
この繊維担当駐在員が「グエン・カオ・キ」にそっくりなのである
ふたりとも、やや細身で、顔が小さくて、チョビ髭を生やしている
ふたりとも、女性から見て魅力的かどうかはさておいて、おしゃれではある

和製カオ・キさんも、私同様、麻雀はしない
だから・・・というわけではないが、夜のサイゴンが好きである
紅灯の巷が好きである
毎日、飲みに行くのが好きである
好きであると言うより、毎晩出かける

私も麻雀はしないし、紅灯の巷が好きだから
私たちはよくつるんでサイゴンの街に出かけた

おしゃれな和製グエン・カオ・キさんは人当たりも柔らかく
多分、船場の【いいしのボンボン】なのだろう


予科練上がりだと噂のある胆力のある店長とはお互いに肌が合わない
それにカオ・キさんは愛人がいない
私も愛人がいない
これも毎日、飲みに行く理由の一つである

カオ・キさんも日本人としては珍しく
私と同じで、華僑の女性があまりすきではない

だから、中華街ではなく、サイゴンのナイトクラブに飲みに行くのである

社内的には、夜の外出先として、サイゴンの米兵が群がるバーは、一応、禁止になっていた
ナイトクラブを二軒ほどハシゴをして、おとなしく帰る
私のように、荒くれの米兵がたむろする危険なバーには行かない
このカオ・キさんには、先輩から聞いた面白いエピソードがある
ボンボンのカオ・キさんは、フランス系のスポーツクラブに入っていて、そこでテニスをする
ある日、カオ・キさんがコートに立っていると、なんと本物の副大統領のグエン・カオ・キがあらわれて、和製カオ・キさんのとなりのコートに立ったというのだ
私たちはこの二人がそっくりだと社内で話していただけだったのだが、やはり【だれがみても】二人はそっくりだったらしい
コートの周りの見物人から、しばらくたって忍び笑いが広がったというのである
後で、和製カオ・キさんにこの事実を【確認】してみたら、カオ・キさんはだまったまま、「フフフ・・・」と笑った
~~~~~
ナイトクラブの話が続く
ナイトクラブの最大手はなんといっても、カティナ通りにあった【マキシム】である
サイゴンの目抜き通り、東京なら銀座通りにあたる【カティナ通り】
これはフランス植民地時代のフランス風呼び名である(しゃれてるよね~)
この南ベトナム時代には、ベトナム語で「トゥー・ドォー」、つまり【自由】という名称で呼ばれていた通りだ
もっと正確に言うと「ツゥー・ドゥオー」とうのは南ベトナム訛りの発音である
標準語であるハノイのベトナム語でなら、「トゥー・ゾォー」と発音しなければいけない
(一応うんちくを披露しておこう)
なお、このカティナ通りは、現在の共産政権の下では改名され【ドンコイ通り】となっている


このマキシムはサイゴンのナンバーワンの店である
正統派で格式高い
ショーも豪華で本格的である
それほど面白くもない、ベトナム版ミニ・ミュージカルのような演芸がある
昔の松竹SKD または祇園の芸者ショーみたいな感じだと思っていればいい
それに有名歌手の歌がつづく

真っ暗な中にアオザイを着たベトナム美人のホステスが暗闇に一杯ひかえている
私達がテーブルにつくと先ずママさん(中国風にタイパンと呼ぶ)が応対してくれて指名のホステスを呼んでくれる
ホステスは大抵番号で呼ばれていて、例えば「15番」という風に番号で指名する
味気ないようだが、そのうちにその番号になれる

当時のベトナムでは、ナイトクラブでも、米兵バーでも、裏はともかく、割にお行儀のよい世界だった
らんちき騒ぎはない
ホステスが隣に座ってお話をするか、ダンスをするかぐらいである
もちろん、ねんごろになれば別ではある

ステージではヴィエトナム流行歌の歌手が、南部独特の哀切な叙情的な曲を歌う
北のハノイの人たちは堅苦しくてきまじめで勤勉な人間・・・といわれている
南ベトナムの、サイゴンの人たちは違っている
明るくて、お茶目で、きわめていい加減で、こちらにもし隙があればだまそうとする(失礼)
(言い過ぎた) _| ̄|○


それが、歌となると、とたんに悲しげに身をよじって、身も世もないと言う風情ですすり泣く様に唄う
思い通りにならない、はかない悲恋を切々と歌い上げるのだ
南の人たちは良くも悪くも感情的だから、日頃は明るくふるまっていても、じつはこの世の哀しさや恋の切なさを強く感じているのだろうか
この辺の矛盾というか、亀裂というか、不条理というか、そういうものが私にはいまだによく解明できないままである

私はこのベトナムの歌が大好きである
私はヴィエトナムの歌・気候・女性・いろんな人々・料理・・・すべてが好きである

~~~~~

そんなこんなで、そろそろ11時も過ぎて、いよいよ恐怖のシンデレラ・タイムとなる

12時からは恐怖のカーヒュとなるのだ
普通ならそこで慌てて帰るのが正常な人間のすることなのだが・・・
このレストラン経営者はやっかいな性格の人である
こういう危険な状況でも、最後の最後まで粘るのだ
ホステスや従業員たちが帰ってもまだ飲みたがる
結局12時まであと十数分という時になって、やっと車に乗る
「おいっ!あと10分しかないよ!頼むよ!」

彼もさすがに必死になって(遅い!)夜のサイゴンの街を爆走する
手に汗を握る境地だ
私の宿舎に着くのが、すでに12時だったりする
そこから彼はさらに自宅へ戻らなければいけないのだ
キキ~~!! とタイヤをきしませながら彼の車が消え去る
機関銃の引き金に指をかけた兵隊に出会わなければいいのだが

~~~~~

後年、私はインドネシアのジャカルタで彼と再会した
サイゴンの店はたたんで、ジャカルタで商売をしている
毎晩あんな事を繰り返しても、何とか射殺されずに生き延びていたらしい
しかし、悪い癖は直っていなかった
ジャカルタでもまた、ルーレットなどで真夜中までつきあわされてしまった







最終更新日  2018.10.01 17:58:11
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2018.09.28
​★ 
復刻記事 
ベトナム#6
ゴメスの名はゴメス スパイの群れの中で​

カテゴリ:【ベトナム】ベトナム戦争時の思い出
2013.03.19


CSの日本映画専門チャンネルで気になる番組を見つけたので録画した
1967年に日本テレビ系列で放映されたテレビドラマ・全5話を
ネットに載せたものである


原作は結城昌治
監督は高橋治(後に直木賞作家となる)
題名は 【ゴメスの名はゴメス】

----
なぜ気になったかというと

・ 私自身が、昔、この原作の小説を読んだこと
・ 元々小説である原作の舞台が「ベトナム」であったこと

  ただし、このテレビドラマでは、舞台は「香港」に置き換えられている
  当時、ベトナム戦争だったベトナムを舞台にしては撮影が不可能だったのが理由だろう

原作は、評論などで「ベトナムの湿った熱気が漂う」と評されていたので
ベトナム戦争時、サイゴン(ホーチミン)に駐在していた私としては
そこに、郷愁と興味を感じて一読したのだが

私のような実体験者からすれば、この作品から受ける印象として
「ベトナムの湿った熱気が漂う」
と言うほどの雰囲気・描写ではないと感じた記憶がある

原作者がベトナムに行った事が無く
いわば想像で書いたものだから、やむを得ない点もあるとは思うのだが
(当時は外国渡航は難しかったし、ましてやベトナムである)

同じように
戦争中のサイゴンを舞台にした映画

例えば
「グッド・モーニング・ベトナム」にも同じような
「どこか、ちがうんだよな~」
「あのベトナムじゃ無いんだよな~」
と言う違和感を感じた

まあ、後者は,タイでロケしたらしいので
仏領の雰囲気の濃いサイゴンらしい雰囲気を出せないのも
当然と言えば当然

他のベトナム戦争を舞台にしたいろんな映画も
必ず見る事にしているが,同じようなものである

では、どこがちがうのか?と言えば、はっきりその理由を言える

場所は、同じ東南アジアでは有っても
いわゆる「仏領植民地」特有の
独特の、洒落て垢抜けした、どこかけだるく退廃的な、少し投げやりな雰囲気
そういうものが欠けているのである
まあ、それにくわえて、東南アジアでは珍しい、実戦の雰囲気、も欠けている


私は、このブログで「ベトナム戦争の想い出」というジャンルを作って
20編ほどの記事を書いているが
これは、単なるブログ記事として書いているのであるから
文芸的な情緒描写などはしていない

しかし、あの、昔のサイゴン独特の饐えたような湿気の空気は、
ぜひ、エッセイなどで書いてみたいと思う

       ―――― ◇ ――――

この古いテレビ映画
もちろん、白黒画面であり、粒子も粗い
この映画自体について少し感想を書いてみよう

まあ、要するに、スパイの暗躍する魑魅魍魎の世界
(このテレビ映画では香港に置き換えられているが、
 原作はサイゴンである)
が舞台のサスペンス・ストーリーなのだが

そのストーリーとは :

イスラエルで地質調査の出張での2年間を過ごした坂本(仲代達也)
彼が帰国途上、香港在住の親友であり同僚の香取に会いに香港に立ち寄る
しかし、空港に出迎えてくれた香取は,なぜか?その直後に姿を消す

彼を追って仲代達也は
ギャングとおぼしき人物達、魑魅魍魎達の間を懸命に走り回る


原作は結城昌治による日本初のスパイ小説と、当時、高く評価されていた
その陰影のある登場人物達がそれまでの日本の小説には無いものを持っていた
と言う事が言われていた記憶がある

しかし、私からすると、あまりリアルでは無い
というのも
日本で想像によってこの小説を書いた原作者と違って
私自身は、実際にベトナム戦争当時のサイゴンに駐在し
複雑な軍事・政治・民族情勢に揺れる混迷と激動のサイゴンで生活していた
従って、私としては、とても、この小説をリアルだとは感じられない
しかし、実際のベトナムを知らない当時の日本人にとっては
これで充分だったのだろう

くわえて
この作品の主ポイントは
怪しげなスパイ風の人物達なのだが

これも、私自身が、それとはしらずとも
スパイに囲まれて生活していた
と言う実体験がある
具体的に言うと、
事務所の現地従業員の半数がスパイだった
と言う驚天動地の事実が、後で判明

おまけに、恋人まで後でわかったのだが、スパイだった(笑)
という
驚天動地以上の(笑)経験をした私からすれば、
「現実は、こんな単純なもんや、おまへんで~」
というところだ(笑)

そう言えば、東欧でも,スパイにつきまとわれた
これも、本当

その内、スパイ特集でも書くか?(笑)

有名な英国系の作家達
イラン・フレミング、サマーセット・モーム、グレアム・グリーン、ジョン・ル・カレ達も
英国のMI6のスパイ(工作員)だったのだから
世にスパイは多いのだ(笑)
少ないのは日本だけ(笑)

ただ、この小説は,スパイ小説・ミステリー小説だったのだろうが
テレビ・ドラマの方は、冒険ハードボイルド調である
しかも、仲代達也が、やたらに力んだ、正義感の主人公というやつ
別の言い方をすると、世の中がわかっていない単細胞(笑)
まあ、地質学者では仕方ないか?(笑)

ーーーー

昔、このブログでこういう一節を書いたことがある
----
演劇・文学などのフィクションにおける「character論」においては、
● 「flat character」 と 「round character」 と言うことが言われる。
フラットな人物像とは、いわば二次元・平面のような、
人間としての「特性」の少ないもの。
現実的には陳腐なステレオタイプの人間像を指すわけで、
近ごろの言い方をすれば「キャラが立っていない」状態を指す。

● それに対してラウンドな人物像とは、
立ったキャラで、球形の、三次元の、
つまり奥行きのある人間像であり、
特性が多く、しかも矛盾したリアルな特性も含む人間像


フィクションではこのラウンドな人間像を創造できるかどうか?
という所が key point になる。

ーーーー

まあ、そういうことだ
非常に危険な状況であることが見て取れて,
また周囲のほとんどすべての人間に
「危険で殺されるから、これ以上、本件に関わるな!」
と警告されるのに
それを一顧だにしないという仲代達也の不可解な勇気(笑)
まあ、安手なサスペンスによくある典型的な主人公だが(笑)

「あんたは、古代的な、英雄物語の主人公かい?」
と言いたくなるような、非現実的なほどに勇敢な人間像
高橋監督の演出、ちょっと単純すぎる


やはり、私の好きな,松本清張の推理小説の主人公のように
平凡な一般人が、ふと、いつのまにか
事件に巻き込まれる方が、ずっと感情移住が出来るではないか?

主人公が、少しの事にも怖がる、弱気な男の方が、
ずっと、スリルがあるではないか?
(つまり、私だが)(笑)


● 松本清張の「平凡な主人公」というのは
推理小説界の大発見だ(笑)と、本気で思う

状況でスリルを感じ、さらに、気の弱い主人公の内面に
感情移入してスリルを倍加させる
そういうスリルバイ層の仕組みが、松本清張サスペンスにはある

ーーーー

このテレビドラマでは
同情的に見れば
悪漢どもの陰を際立てさせるために
主人公を単純な正義感で日本人離れした強気の行動型
にしたのだろうが
それは、松本清張を知る私の視点からは(笑)
完全に失敗している

こういう質の悪いハードボイルドには、どうも、なじめない
私は,陰のある人間が好きだな~
陰を慕いて・・・(笑)

いや、
「影を慕いて」だった(笑)




 ―― 日本映画専門チャンネルのHPより ――
ゴメスの名はゴメス(TVドラマ・全5話)
出演
仲代達矢/芥川比呂志/栗原小巻/岸田今日子
監督 原作
高橋治 結城昌治
脚本 公開年
星川清司 1967
上映時間 放送話数
42分 全5話
あらすじ

失踪した会社の同僚の行方を探すために香港に赴任した坂本(仲代)は、到着早々不可解な出来事が続き、ついに坂本を尾行していた男が「ゴメスの名は…」という言葉を残して殺された。同僚の安否は、そしてゴメスとは何者なのか…。香港やイスラエルの砂漠を舞台に、熾烈なスパイ戦を通じて“不安な現代”を浮彫りにした結城昌治の本格派スパイ小説をドラマ化したサスペンス。35ミリフィルムで撮影され、再編集版が「ゴメスの名はゴメス 流砂」のタイトルで同年に劇場公開された。
   ――― ある読書会のブログから ―――

00年07月01日(火)
■[レポート]ベトナムの光彩~結城昌治「ゴメスの名はゴメス」を読んで~ 
松浦綾夫

ベトナムの光彩

 紀元前1世紀から中国に支配されたベトナムは安南と呼ばれ、19世紀にフランスの植民地となり、その後日本の支配下に置かれた。戦後、南北にひきさかれ、米ソ対立の主戦場と化し、そのあいだ枯葉剤の散布など、近代戦争の実験場となった。
 つまり、生半可な国ではない。ずっと支配されどおしの国としてあった。
 マルグリット・デュラスの「愛人」は、フランス植民地下時代のベトナムに住んだ少女(デュラス)が年上の富裕な青年に抱かれる話だった。
 開高健の「輝ける闇」にもベトナム戦争の従軍作家を志望した「私」が現地の若い娼婦と濃密な性愛をくりかえす。
 「ゴメスの名はゴメス」もまたたいそうエロティックな小説だ。
 冒頭、日本からベトナムへ来たばかりの「わたし」が会社の同僚・香取をたずねて出てきたのは、二十歳くらいのリエンという女だった。香取の現地妻だったようだ。実は「わたし」は香取に気づかれないよう香取の妻と関係をもっていた。そして、黒い髪を長く伸ばし、黒い瞳が印象的な、どこか子どもっぽいリエンを最後には「わたし」も抱く。フランス人とベトナム人の混血であり、ダンサーであるヴェラ(娼婦であり、のちにスパイとわかる)とも「わたし」は官能的なデートをする…。
 幾重にも、肉が重なる。しかも、実存がかかった交わりだ。
 なぜベトナムはこうもエロティックなのだろう。
 ベトナムという国の支配・被支配の歴史。隷属した人々の怒りやゆがんだ心性は「ゴメス」のなかでもあちこちで滲む。だが、全体の鍵をにぎる兵隊帰りで一度は死んだ記者・森恒が魅せられたように、ベトナムの明るい陽射しと熱帯植物の繁茂が、まがまがしいまでの健康さが、その暗鬱さを忘れさせてしまう。東洋人らしい黒髪に黒瞳の、南国的な色鮮やかなアオザイに、安南陶磁のような白い歯をのぞかせ人なつこい微笑みを浮かべる女たち。「紫、金、真紅、紺青、ありとあらゆる光彩が今日最後の力をふるって叫んでいた」(「夏の闇」)と開高健が描いたベトナムの夕陽。陽光あふれる土地に生きる、健康な肉体をもつ女たちとねじれ、軋み、傷んだ家=国のありかた――。
 「ゴメスの名はゴメス」では、見えざる敵に追われるようになった「わたし」が、ベトナムの背後の、もっとおおきな「帝国」間の対立や策謀に巻きこまれてゆく。おってもおってもとかげの尻尾きりのように、敵の正なる姿は見えてこない。「わたし」は結城昌治のほかの作品の主人公のように、愚直なほどに、誰彼となく、話を聞きまわる。聴く。「暗い落日」から「軍旗はためく下に」までつらなる、聴く、という流儀だ。
 「わたし」はこれから始まろうとする戦争、そして日本が植民地統治した時代の、もう終わった戦争、ふたつのねじれのなかで翻弄される部外者である日本人の立ち位置が描かれる。リエンは可憐だ。生い立ちからして不幸で、ただ養父のいうままに男に抱かれるしかない。その生をうけいれることしかできない。その肉体こそベトナムの姿とかさねられているのかもしれない。結城昌治の小説の<女たち>は運命的に悲運をおわされ、しかし気高く生きようとする女たちが多い。そういう女は小説のなかで美しく輝く。
 これは日本のスパイ小説の嚆矢とされている。だが、そうした結構よりも、ベトナムで 「わたし」が出会う人々の、生まれた国や出自によって異なる信条、さらに人間が存在すること自体の不気味さ、個人が生きることの不在感のほうが強く印象に残る。
 「軍旗はためく下に」でかなり早い時期に戦時の日本兵の加害者としての行為を、聞き書きというスタイルであらわした結城昌治の問題意識は「ゴメスの名はゴメス」にも揺曳している。日本の戦争、ベトナムの戦争、二つのパラレルな戦争のあいだで、一個の人間の生をこえてしまうおそろしいもの、暗い影が、どこまでもつきまとってくる。
 呼びかけている。








最終更新日  2018.09.28 20:03:47
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2018.09.27
​ベトナム・シリーズの復刻記事​


バラバラで無秩序で重複の多いベトナム記事を
通し番号を振って総合復刻しよう
と言う試みがスピードダウンしている

今日はなんとか、一作、復刻しよう

いざ復刻となり読み返してみると
ブログを始めた事路の文章が
幼稚で前のめりで
読者への説明不足で
懐が深くない書き方をしている

私は気取った文芸的な開高健のようなきらめくような文章を
書こうと思えば少しは書けるのだが(大きく出すぎた)(笑)
ブログは文芸作品では無いと思うので
実用的な文体で書きたい

・・・と書いてみたが
文体など実は全く意識していない
他のブロッガー達も層だろうな

ブログは何を伝えたいのか?
であって
どうつたえたいか?
ではない
伝えたい事に前のめりになるあまり
文体には、気を使う余裕が無いのだ

それにしても、昔の記事を再読してみると
拙い文章だ、と思う
と言う事は逆に言えば
今は過去に比べて
多少は進歩しているのかも知れない

ーーーー

ベトナム回顧録
まだ書いていなかった、マイナーな想い出になるが
そういうものも書き足してみたいと思う








​​​​






最終更新日  2018.09.27 11:08:36
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2018.09.22
​★★ 
過去ログ 
ベトナムの想い出 #2 
赴任の夜歩いた戒厳令のサイゴンの街​​

カテゴリ:【ベトナム】ベトナム戦争時の思い出

ベトナム戦争シリーズ 過去ログ 第二弾
​​
ベトナム・カテゴリーの記事は
元々、思い出した事を順不同で秩序無く書いたもの
それに、懐かしさのあまり
何度も反芻するように復刻を繰り返している
この際、順序を追って、すべての記事を復刻することとする
また
まだ記事にしていない想い出も新しい記事として書いてみたい

​​
   ―――― ◇ ――――
一昨日の日記で、南ヴィエトナムの首府・サイゴン
(現在のホーチミン市)に赴任したことを書いた。

当時のヴィエトナムはヴィエトナム戦争の戦火が燃えさかっている時だった。
ヴィエトナム戦争とは
サイゴン(現在のホーチミン)を中心とする南ヴィエトナムと
ハノイを首府とする共産主義国家の北ヴィエトナムが
いわば北朝鮮と韓国の様な形で戦争をしていたのだ
こういう当時はみなが知っていた事も
現在では私が説明しないといけない時代になった

ヴィエトナム戦争はこの2国だけの戦争だけではない。
南ヴィエトナムの中では北ヴィエトナムと連携したゲリラ組織
いわゆるベトコン
(正式には,南ベトナム解放戦線)
(米兵達は略して「VC」と呼んでいた)
が暗躍していたし
南ヴィエトナムを助けるために
数十万人の米兵が派遣されて北ヴィエトナムと戦っていた。


ベトコンの南への浸透ぶりはすごくて特に夜間には活躍した。
南ヴィエトナムは
「昼間は南ヴィエトナム政府が、夜はベトコンが支配している」
と言われていた。 

ーーーー

赴任した日、夜、食事を追えてから,一人で、宿舎から出て散歩をしてみた。
ヴィエトナムはフランスの植民地だったから
サイゴンに限らずヴィエトナムの大都市は
フランス式の並木道のある瀟洒な街並みである。


ただし

街灯があまり無いので,大部分は漆黒の闇。
遠くで米軍が夜間を利用して接近してこようとするベトコンを
威嚇するために
絶えず打ち続けている大砲の
ワーニングファイアーの響きが

「ドーン ドーン」と定期的に腹に響いている。
そうした砲撃の瞬間には、夜の底がピンク色に輝く。

しばらく街路を歩いていると
完全武装の南ベトナム軍の兵隊が目についた。

近づいてみるとヘルメットに防弾チョッキ、迷彩服、軍靴・・・、
それに弾帯を身体に巻いている。

手にはM-16ライフルを握っていて、私が近づくと警戒の身振りで
ライフルを握り直している。

そこにはコンクリート製の円筒形の交番のような施設が作られていて
縦断を防ぐ北ベトナムおよび
砂袋で周りを囲まれている。

それほどの警戒ぶりなのだ。

それもそのはず、サイゴンはその前の年
旧暦の正月(ヴィエトナム語では「テット」と呼ばれる)には
北ベトナムとベトコンの部隊が
サイゴンの中国人街および米国大使館などに攻め込んで
激しい市街戦を行った。

これは俗にテト攻勢とよばれている。

ベトコンと言っても同じヴィエトナム人だから一見してわかるわけではない。
今のイラクよりわからない。
今のイラクならシーア派の街とスンニ派の街が分かれているが
ベトコンは普段の生活は一般人の生活をしているのだから
見分けが付かない。


それが夜間に暗躍して時限爆弾・プラスティック爆弾をしかけたりする。
だから、このような厳しい警戒になっている。



この完全武装のチェック・ポイントの前を恐る恐る通っていると、
自分でも気が付かないうちに、急に激しい恐怖感に襲われ、
膝がガクガクして,宙を歩くような感覚になった。

これは、私が予想もしなかった感覚・心理状態だった
あらためてここは戦場だという事を強く実感した。

おまけに
宿舎の前は交差点になっていて
そこにチェッキング・ポイントがある。


警官や兵隊が常駐していて「怪しい」というものが通りかかると検問する。
通りかかるといってもこの交差点を通る人間はほとんどがホンダに乗っている。
ホンダというのは、ヴィエトナムにおけるミニバイクの代名詞だ。
だから、ヤマハのホンダ、スズキのホンダ、カワサキのホンダもあるわけだ(笑)

検問されてもたまたま止まらないホンダがあると
まず「ピーッ!」と警笛が鋭く吹かれる。


それでも止まらないと

(意図的であろうと、自分だと言うことに気がつかなかったとしても)
問答無用で「バン バン バン」と拳銃またはM-16ライフルの警告射撃である

はじめは警告であり威嚇射撃だが、その内に本当に狙って打つ。
宿舎の自室にいても、この威嚇射撃が一時間に一度ぐらいは行われる。
私の部屋の鎧戸越しに、中数メートル先で、そういう光景と射撃音が繰り広げられるのだ。
これもそのうちに慣れてしまうのだから、人間というものは恐ろしい。

この検問態勢も、夜の12時までそれから、翌朝の6時まで
それまでは、夜間外出完全禁止のカーフュ、厳令の世界である
動くものは、影でも撃たれる


赴任してしばらくした頃
ある朝、日本人医師を訪ねてサイゴン病院に行ったら

ちょうと、戒厳令で機銃掃射を受けた男が担ぎ込まれていて
医師の話では、腹部に数十発の銃弾が撃ち込まれていたという
問答無用の世界である
~~~~~~~~~

この宿舎の前には仏教寺院があった
小乗仏教特有の柿色の衣を羽織った僧侶が出入りしていた。

当時は仏教徒は、南ベトナム政府と敵対的な関係にあった。

そのせいもあってだろうか?
ある夜、完全武装の部隊がこの寺院を囲んで
この寺院のパゴダというのか・
仏塔に向かって、何時間も機銃掃射を行った。


夜間になると数発に一発入っているえい光弾が
赤いアイスキャンデーのように輝きながら寺院の中にすこまれている。

このえい光弾は夜間の射撃の弾道を確認するもので
それを修正させる機能をもっている。

私が、宿舎の前に出てこの戦闘をのんきに見物していると
それが気にくわなかったのか?
向き直った兵隊が、こちらに向かって撃ってきて

その銃弾が私の足元に着弾してパッとコンクリートから砂煙が出て

その銃弾は、宿舎の厚い鉄の扉に当たって、カ・カ~~ンという鋭い音を立てた。

その後は、あわてで扉の中に隠れて
その後は、鉄の扉の上布にある覗き穴から観戦?した。


この戦闘で死者が出たのかどうかは
新聞を読んでも何も載っていなくて
私たちにはわからないままだった。

    






最終更新日  2018.09.22 21:03:17
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2018.09.21

★★
復刻日記 
サイゴンの想い出 #1
サイゴンへの出発と到着​​
​カテゴリ:【ベトナム】 ベトナム戦争での思い出

ベトナムカテゴリーの過去ログを
もう一度、何度でも(笑)
復刻してみる

まずは、サイゴンへの出発である



   ーーー 復刻記事 ーーー

 


私が商社に入社して二年目、戦時下の南ベトナムのサイゴンへの赴任が決まった
当時、サイゴンは、日本の新聞では「砲弾が雨アラレと降る!」と報道されていた場所である

しかし、私は駐在が決まってうれしかった

海外ならどこでもいいから、行きたかった


その当時はまだ成田空港が建設されていない時代である
羽田空港からエールフランスのプロペラ機でサイゴンへ出発した
羽田へは、同じ課の全員が見送りに来た
座席に着くやいなや、鼻にかかったフランス人スチュワーデスのフランス語によるアナウンスが頭上のスピーカーから流れてきた


国内線にはそれまでも数度、搭乗したことがあったが国際線は初めてである
その国内線でさえもその時代のスチュワーデスは花形で
お嬢様学校や有名女子大卒の美人ぞろいだった
ところが、このエールフランスの国際線のスチュワーデスはもっと上なのである
日本人スチュワーデスも、とてもバタくさい
激務に追われてガールフレンドもいなかった私には刺激が強すぎる「美人環境」である

話題が飛ぶが、
よく「飛行機に乗ると不安で眠れない」と言う人がいる
私には、その心理がわからない
立派な科学者までが「あんなに重たい金属製のものが空中に浮かぶ・飛ぶと言うことが考えられない」・・・とまで暴言を吐く
 この人達の思考能力というものは救い難いではないか?
「揚力」があるでしょうが、揚力が!!」
「学校で習った揚力というものがっ!」

 私はいつも、この種の人たちをこのように、内心、密かに罵倒しているのである
申し訳ない
前夜の徹夜の業務引き継ぎがこたえて、離陸するなりすぐに深い睡魔におそわれた

気がついた時にはもうマニラ空港である

着陸するとすぐに熱帯特有のスコールが襲来した
大粒の雨が窓を激しく打って
南国の太陽に焼けた滑走路の色がみるみる雨にぬれて黒く変わって行く

日本では見たことのない風景である

機はマニラ空港をすぐに離陸、次にはタイのバンコック空港に着いた
バンコックでは給油があって、私たちは、期のタラップを降りて
滑走路を空港のトランジットラウンジに向かって歩いた
機外に出て驚いた

それまでに経験したことが無い、息が詰まるほどの湿気と温度なのだ
すぐに体中の毛穴から汗が噴き出てきた

当時のバンコック空港は旧空港で、空調もなかった
空港全体、今まで知らなかった熱帯特有の重い湿った臭いがした
かび臭くもあった
空港の売店で名物のタイ・シルクのネクタイを買って機内にもどった


 いよいよサイゴン上空にさしかかった
 サイゴンの上空は一面に鉛色の雲におおわれていて
街はときおり雲の切れ目からチラと見えるだけである

そのうちに機は雲の下にまで降下した
スコールに濡れて鮮やかな、赤い屋根や緑の街路樹が窓一杯に広がって
どんどん近づいてきた


機はそのままユラユラ揺れながら降下を続けて
ついにサイゴン空港の滑走路にタッチダウンした


出迎えには日本系の代理店のベトナム女性が来てくれていた
テキパキとして怜悧そうである
スコールはすでにやんでいたが、
空港から宿舎への途上、すべてのものが濡れていた


赤っぽい粘土の道路も泥だらけでぬかるんでいる
両側の建物の壁も雨に濡れて湿って変色していた
その建物や道路脇に人間が並んで猿のように群れている
その人間達が半裸でこちらを見ている
南洋とはいえ、上半身裸である
 これには軽いショックを受けた

「う~~む! 遙るけくも、来たものかな~」と心の中で思った











最終更新日  2018.09.22 21:07:06
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2018.09.20
【復刻日記】
サイゴンの想い出 #3 
見たこともないほどの、ものすごい美人がそこに立っていた


先ほどアップした復刻記事は、この復刻記事の続きだったのだ
(複雑だが)
一応、この記事も復刻しておく

URLは、やはり、コメント欄に置くのでクリックしてください








最終更新日  2018.09.23 23:29:01
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【復刻日記】
サイゴンの想い出 #4
すごい美人に会いに行ったこと
​​
​昨日の私のブログのアクセスランキングに
めずらしく、この私のベトナム記事の一つが入っていた

カテゴリー 【ベトナム】ベトナム戦争時の想い出
と言うカテゴリーをトップの位置に置いた効果かも知れない

うれしくなって、復刻記事をさらに復刻してみる(笑)

と言っても、本文は再現せずに
URLをコメント欄に置くだけにする

読みたい人は、コメント欄のURLをクリックしてください

これから、ベトナム・カテゴリーの記事を順番に復刻してみよう
同時に、まだ書いていないベトナムの想い出を新た恣意記事にしてみよう
何しろ、これは、私のライフワークだと思っているので









最終更新日  2018.09.23 23:30:27
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​​カテゴリー 【ベトナム】ベトナム戦争時の想い出


このカテゴリーを、私のカテゴリー・リストの
一番上に置く事にした

というのも
元々私がブログをはじめた動機というものが
「読書日記を書く」という
未だに果たせていないものと共に
私の最初の海外赴任地であった
当時の南ベトナムのサイゴン(今の地名はホーチミン)での想い出を
ブログで書きたいという想いだった

今度あるきっかけでそのことを思い出し
「私で無くては書けないブログ記事」とは何であろう?
と思ったとき
それは、サイゴンの想い出以外には無いと
そうあらためて思ったのである












​​






最終更新日  2018.09.20 02:01:02
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2018.04.17

  ーーー 複刻記事 ーーー

​ベトナム戦争と開高健の鬱​


少し長くなるが、ある開高健関係の記事を引用する


~~~~引用開始~~~~

■ ラピタ 2003年6月号 『開高健が見たベトナムを旅する』

  ベトナムは小説家・開高健にとって特別な国だ。
 小説家はその生涯に3度(65年、68年、73年)ベトナムを訪れているが、この国は小説家の内面に生涯消えることのない一撃を食らわせた。
34歳にして「これから後の人生はオマケだ」と思わされた国、いっときの歓楽に身をゆだねなければ生きていけなくなってしまった国、それが開高健にとってのベトナムだ。
  
 日の丸持って戦場へ
 (前略)
  現在はベトナム鉄道局が入っているこの建物の前で、今から40年前、1965年1月29日の早朝、1人のベトコン少年が公開処刑された。銃殺だ。10人の憲兵が10挺のライフルで少年を撃ち、直後に将校がこめかみにとどめの一撃を打ち込んだ。
  その現場に、朝日新聞の特派員としてベトナム戦争に従軍していた開高健も居合わせた。
 『銃音がとどろいたとき、私のなかの何かが粉砕された。膝がふるえ、熱い汗が全A身を浸し、むかむかと吐き気がこみあげた。』(『ベトナム戦記』朝日新聞社刊)
  このシーンは小説家の脳裏に鮮明に焼き付いて生涯消えることがなかった。
35年後に発表された遺作『珠玉』(文藝春秋刊)のなかにも、この処刑シーンが登場する。
 『引金がひかれると学生の首、胸、腹などにいくつもの小さな黒い穴があき、血がひくひくしながらいっせいに流れだして、腿を浸し、膝を浸す。学生はうなだれたままゆっくりと頭を二度か三度ふる。』


  この時期にベトナム行きを決意した理由について、小説家は出発直前のインタビュー(雑誌『文藝』65年2月1日号掲載)のなかでこう語っている。

 「酢につかったみたいな東京の生活あきあきしてきた」からであり、「いっぺん歴史の転換というものを見てみよう」と思ったからであり、その場に立ち会って「ひとつ作品を書いてみたい」と望んだからだ、と。
 戦争の現場に入っていくのは怖くないですか、という質問には次のように答えている。
 「ものすごくこわいですよ。夜中に考えていたら、僕はもう体が凍えてしまってね。』『本当にキンタマが縮みあがって(笑)しまうわけなんです。』

  恐縮緊張する股間が多少なりとものびのびできるよう、お守り代わりにベトナム語で『私ハ日本ノ記者デス』『ドウゾ助ケテ頂戴』と書かれた日の丸の旗を持参することにしたことも、小説家はインタビューのなかであかしている。
  この日の丸を常にポケットに忍ばせ、朝日新聞社の故・秋元啓一カメラマンと共に、小説家は約100日間南ベトナムを歩き回った。町、村、川、ジャングル、戦場を精力的に見て歩き、兵士や仏僧、学者たちの話を聞き、農民、老人、女、子供に会い、フォーをすすり、カニを食らい、ハトにかぶりつき、毎晩秋元キャパと2人でウィスキーのボトルを一本空けた。
  現地での見聞、体験は『週刊朝日』に「南ベトナム報告」として連載され、連載終了と同時にそれが『ベトナム戦記』(朝日新聞社)として出版された。その3年後、68年には『ベトナ戦記』を下敷きにした書き下ろし小説『輝ける闇』(新潮社)を発表している。
  この2つの作品『ベトナム戦記』と『輝ける闇』を読むと、ベトナム戦争に従軍した小説家がその内面に無数の銃弾を浴びたことがよくわかる。
  とりわけ大きな銃創となって残ったのがベトコン少年の公開処刑であり、そして小説家自身が巻き込まれたジャングルでの壮絶な銃撃戦である。

  2月14日。ジャングルの奧にあるベトコン基地の掃討作戦に参加していた小説家と秋元キャパは、ジャングルのなかでベトコンに包囲され、激しい銃撃を浴びせられ、命からがら逃げ延びるという経験をする。総勢200人の部隊で無事に生き延びたのはわずか17人だけというから、まさに九死に一生である。

  以来、小説家はこの日を自らの“命日”と決め、戦友の秋元キャパと2人で盛大かつ徹底的に酒を飲むことを恒例としていた。そんなときである、「あれ以降の人生はオマケみたいなものだ」という言葉がフッと小説家の口から漏れるのは。(以下、略)

 ~~~~引用終わり~~~~


さっき、ベトナムの再訪記を書くに際して、ヴィエトナムまたはベトナムをキーワードにネット検索をしていた

 すると、開高健とベトナムが出てきた
 それに上記の記事が見つかった
 とたんに、書きたくなったのである
何を書くかと言うことは、今まだ決めていない
筆の・・・いや、キーボードにまかせてみよう

~~~~~


 私は開高健のファンである
日本の小説家としては、一番好きな作家であると言える
他に、司馬遼太郎・山口瞳、それに山本周五郎なども(最近、ブームが去ってからはすっかり忘れていたのだが)、それぞれに好きではある

「日本の小説家」と一応書いたが、私は彼を小説家として好きなのではない

私の意見では、開高健が小説家だったのは、その前半生である
上で説明があるように、重度の鬱になってからは、小説が書けなくなり、ようやく書けるようになってからは、小説では無く、もっぱら洒脱なエッセイを乱作していた

私は小説とエッセイとは異次元のものだと思っている
私だけの独断だが、小説は構成力と想像力や想像力が必要な大変な力仕事である
高麗人参は畑の養分を強烈に吸い取ってしまって、その後にはしばらく作物の収穫が期待できないと言われている
小説もいわばそのようなものではないか?
その作家の脳内の創造に関連する養分を吸い取ってしまうので、おいそれと次の作品を創作するに能わないのではないか

 その点、エッセイは脳を萎縮させない
創造という力仕事をする必要もなく、それまでの人生経験と言う蓄積を感情の発露に和えてサラサラと注ぎ出せば、それすなわちエッセイでは無かろうか?

 開高健のエッセイも、もう小説が書けなくなった、小説脳が枯渇してしまった開高の逃げ場であった
私は開高の小説をそれほど読んでいない
私が好きな開高は、エッセイの開高である
風流人としての開高である
彼のエンサイクロペディア的博識とフランス文学専攻の洒脱な洒落たセンスと大阪人特有の率直なユーモア
 これらは私の好物である

~~~~~~~

 開高健はベトナムで大変な経験をしているう
米軍の戦闘行為に従軍して、一度は九死に一生を得ている
奇跡の生還である
正確な時系列を知らないが、開高が鬱を発症したのは、あるいはこの戦場体験が引き金かもしれない

 ただ私は、もともと開高健は鬱体質だったのだろうと思う
 やはり、鬱になりやすい背景や性格があるのだろう
私は、この開高健と、そうして妻の(悪妻だったそうだが)(笑)上記のサイトでの下記のコメントを読んで、これは「逃げだな」と思った
 ベトナム体験を「心の銃創」などと被害者的にとらえ、芸術家がたどる悲劇的な道程と美化している

~~~~~

 上記サイトからの別の引用であるが
★ 妻であり詩人であった牧洋子(故人)の次のような言葉が紹介されている。
  『苦しいときでも、例えばジョークで、いつもエンターテインしようとした男でした。
  そんないっときの歓楽に身をゆだねているような男でした。
  それはやはり、ベトナムで見た少年の処刑ですよ。
  あらから何をやってもいつも空しいという思いから抜け出せなくなってしまった。』

 ~~~~~

 悪妻の(笑)牧洋子の、この文章もいやだ
品がない
押しつけがましい

「開高健がいつもジョークをとばし、一時の歓楽に身をゆだねたのは、ヴィエトナムでの少年の処刑を見てからだ」・・・と理由付けをすることによって、悪妻の(こればっか)牧洋子は、夫「開高」の「鬱」の原因を、ベトナムに求め、悲劇の芸術家の妻でいたかったのだろう
(私も性格が悪い)(笑)

 処刑現場を見たにせよ、戦場で死にかけたにせよ、「あれから何をやってもいつも空しいという思いから抜け出せなくなってしまった」なんて~
 芸術家ぶらないでよ~ (って、私、ヒドイ?)

 私もベトナムでは何度も死にかけた
確かにベトナムは危険だらけだった
 それでも私のベトナム体験は、私の人生の中で、夢のような楽しいものとして存在している
(私も異常かな?)

まあ、芸術家は一般人とは違って繊細な人たちだとされる
「心の傷から流れ出る血をインクにして、原稿を書くと言われる」
 (これは私の創作だが)  _| ̄|○

一方私は、開高を非難することで、結果的に、私が超絶的に俗な、無神経な人間であることを証明しているのだろうが・・・

私もベトナムでは何度も死にかけた
開高と同程度に凄惨な現場にいた
 ほとんど毎日、死ととなり合わせだった
 それはこれから復刻する「サイゴンの想い出」で読んでいただければわかる

~~~~~

ここまで一直線に書いてきて、私も気がついた
「私は男らしいが、開高は情けない男だ」と、子供のように幼稚なことをわめいているだけだ・・・という事に気がついた
鬱に対しての医学的理解・シンパシーも足りない(笑)

う~~ん!
 私もレベル低いな~(泣)

 ~~~~~~~~

しかし、ちょっといいわけをさせてもらおうか

● 私は、「愛するベトナム」を、「私も共有するベトナムでの戦争体験」を、悪者にされたくなかったのだと思う
鬱をベトナムのせいにして、それを芸術家の宿命のごとく語ることにムカッとしたのだ

● それにもともと私は、「傷ついた」などという言葉・表現がきらいなのだ
 このナルシスティックな、少女趣味なこの言葉がきらいなのだ
自分を被害者化することによって自分の存在理由を確保する
 ・・・そういう姿勢がきらいなのだ
(よく、自分から巧妙に自動車に体当たりしておいて、慰謝料をとる詐欺に似ている・・・とまで思う

結局どうも、それだけの、私に似つかわしく単純な話なのだと思う
 ブログにアップするほどの内容ではないのだが、もうここまで書いてしまった(笑)

 ~~~~~~

 次の日記では、今ちょうど思い出した、未発表の(まだまだあるのだ)(笑)「死にかけた話」を、さらに「新稿」として発表しようと思う
復刻日記ではなく

私も、こりない男である(笑)


 ~~~~~

 付け足して書くが、こういう記述を見つけた
 やはり開高健は、私が推測したように、ベトナム以前の若い時期から鬱にくるしめられていたのだ
 これで、私の「ベトナムのせいにするな!」という本文の正当性が証明された
 うれしい(笑)


★ 開高健の苦悩 (2)

   開高健もまた若いときから鬱病に苦しめられ、自殺願望を持っていた人であった。
  「私は若いときから始終、自殺衝動に襲われていたけれども、自殺はできなかった。
チャンスはいくらでもあったはずなのに、どのひとつもつかめなかったので、いまこの辺でこんなことをして暮らしている。」
 (『風に訊け』、278ページ。集英社文庫)

 








最終更新日  2018.04.17 21:15:43
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