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【不眠症カフェ】 Insomnia Cafe

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【東欧】での想い出

2018.05.09
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  ーーー 複刻記事 ーーー

 ​​幽霊駅 そのころの東ベルリンの地下鉄には幽霊駅があった​​


テーマ:考えたこと 想い出したこと 読んだ本(329)

カテゴリ:【東欧】での想い出


ちょっと趣を変えて、旧共産圏の東ドイツでのビジネスの話です。


この話は以前にも書いたので、一応【復刻日記】とも言えますが、東西冷戦が終わって、もう時効となったので、今なら書けることもあるわけで、かなり書き足しをしています。

        □□□□□□□□


 ドイツが東西に分かれていた時代の事です。
 私は東ドイツ(共産主義体制の方のドイツ)と、ある工場施設の輸出商談の交渉をしていました。
 日本側は私の商社とあるメーカーがチームを組み、商社のリーダーは私でした。
 相手側は、東ドイツの貿易公団です。
 貿易公団も一種の商社で、最終的なユーザーは東ドイツの工場。

 私が滞在していた頃は、ベルリンもまだ西ベルリン(西側)と東ベルリン(共産圏側)に分かれてました。
 私の会社のオフィスのある西ベルリンから、オフィスの無い、客先の東ベルリンへ毎日通勤?していました。

 毎日の交渉は、朝9時から、夕方6時頃まで、びっしりです。
その内容を東京に報告する
それは時差があるので主にファックスでやっていました。
それに対して、折り返し返ってくる東京の返答を、翌朝、受け取らなければいけません。

その返答の内容とは、メーカーからの技術的な解答だったり、客先に示すプラントの部分の値段だったり、様々です。
 東京への詳細な報告書を書くだけで2時間ほどかかります。

だから、時間的なことを考えれば、もちろん東ドイツのホテルに宿泊した方がいいのです。
しかし、それを東ベルリンのホテルでしていたのでは、盗聴している東ドイツ側に情報が筒抜けになります。
だから、毎日、交渉が終わったらいったん西ベルリンに帰ってから、深夜、交渉の報告を東京にファックスで送ったのです。
 翌朝は、東京からの返答のファックスを見て、東ドイツの客先に向かう。
これは睡眠時間がほとんど取れない、厳しい毎日でした。

    ~~~~~~~~

 東ベルリンの雰囲気は華やかな西ベルリンから180度ちがっていました。
だいたい中欧・東欧の冬は、日も短く、雲が低く、昼間と言えど夕方のような薄暗さ。
 温度も零下10度程度の厳寒です。

それよりもなによりも、当時はまだ東ベルリンから西ベルリンへの脱出者がいたころでしたから、国境や駅は、非常に暗いし、東ドイツの完全装備の兵士が大勢立っていて、実に重苦しいものでした。

 電車で西側から東側に入る寸前、高架の上から川沿いに伸びるいわゆるベルリンの壁が見えて来ます。
 壁の周辺は地雷原になっている事が多く、ここで脱出を試みた多くの人びとが射殺されたのです。
 中には西側にトンネルを掘って脱出した人々もいます。
そんな題材のドイツ映画「トンネル」という映画があるそうですが、私は未見です。
 「寒い国から帰ってきたスパイ」「第三の男」
 鉄のカーテンをめぐるストーリーの映画も多いですね。

 通勤と言っても暗い雰囲気の東ベルリンの駅に到着してからパスポート・コントロール(入国管理事務所)でONE DAY VISAをもらい、税関を通り抜けるまで、それだけで片道たっぷり一時間かかるのです。
ホテルからのDoor to Door なら、片道二時間以上かかるのです。

    ~~~~~~~~

ビジネスの面でも東ドイツの人間は、これ以上ないほどのハード・ネゴシエイターで、
そういう相手と厳寒の中、通勤を含めて朝から晩まで、受注の見込みが見えないまま数ヶ月ハードなネゴ(交渉)をしたのは精神的にも肉体的にも辛い経験でした。

 客先で出してくれる昼食も、固い食パンにサラミとピクルスをのせたオープンサンド二枚と、ガス入りのミネラルウォータ、それに紅茶だけというスパルタンなもの。
面白かったのは、東ドイツ側の人間は、このオープンサンドをナイフとフォークを使って、切って食べていたことです
われわれも、なんとなく、この食事法を真似るようになりました

    ~~~~~~~~

そんな長いハードネゴが延々と続く中、ある日相手側の部長(女性)が、休日に博物館見物に誘ってくれました。
 実はこんなに長いあいだネゴをしていても、競争している会社の状況がさっぱりわからず、だからといって公式のネゴの席ではとても聞けるものではなく、困っていた私たちに彼女がチャンスを与えてくれたのです。
どういうことかと言いますと、私たちに同情した彼女が博物館の中で人混みに紛れながら何気なく会話をする中で、少々のヒントをくれたのです。

スパイなどが情報を渡す場合もあえて公衆の中でメモをやりとりする事が多いようです。
 博物館の群衆の中でなら、東側の当局に怪しまれる事があまり無く、しかも、私達の会話を聞き取る事が出来ないような。
そういう場所を選んでくれたようです。

    ~~~~~~~~

 長い長い商談が大詰めにさしかかって(少なくとも私たちはそう思っていました)、そろそろ契約調印かと私たちは思った私は、本社の取締を呼んで、ライプチッヒの見本市期間中に調印すべく待ちかまえていました。

しかしながら、その商談は、最後の最後の段階で、予想外の思わぬ出来事が起こりました。

 東独では毎年、夏にライプチッヒで大きな見本市が開かれます。
 契約の調印は、その当たりらしいという情報が入っていたので、私は日本の本社の取締役を呼んで、調印式でサインしてもらう手配をしたのです。
サインのための高価な万年筆も購入しました。

 取締が到着して、東独の貿易公団の人間に挨拶をしていると、ある党幹部が突然現れました。
 彼は初対面の人間ですが、彼からの自己紹介で、数社ある貿易公団を総括するトップの人間であることがわかりました。
その席上で、彼はなんと、当社の取締に、公団への寄付金を要求したのです。
あとで聞く話では、その種の「寄付金」は、公団の秘密資金に回されるのだと言うことでした。
 多分、そうなんでしょう。
 日本の役所もやっているような。


 悪いことに当方側の取締役は、営業出身ではなく、ずっと総務・人事畑を歩いてきた頭が特別固い人で、先ず含みを持たせた返答を相手側にして、時間稼ぎ、様子見をすればいいものを、この要求をアッサリはねつけてしまい、後で考えれば、ここで実質的に当方の敗北が決まりました。
 取締役は面子をつぶされたと言い、私は叱責を受けました。
これで私の出世は無くなりました。(笑)
それまで、中東で、数件の巨額のプラントを受注していたのにね。(笑)
商売が生業の商社にも、中には、こういう、どうしようも無いセンス皆無の人間がいて、しかも、そういう人間が取り締まりにまでなったりするのですから、かないません

この取締は、当社のインドネシアビジネスの話をよく聞かされていて感心していたとのこと
知っている人もいるでしょうが、インドネシア・ビジネスというのは、いわば、賄賂のビジネスです
どこの商売でも賄賂は多かれ少なかれありうるものですが、インドネシアのビジネス慣習には、賄賂がしっかり組み込まれていて、日本のみならず、各国も、そんなビジネス慣習の中で商売をやる訳で
したがって、客先とつーかーの仲になれば、利益率の大きな商売が出来ます
この取締は、この最も過酷な東欧商売に、インド遠視阿南の大きな利益率の商売を期待していたのです

   ~~~~~~~~

 東独側の貿易公団も、私たちを担当していた公団の他に数社あったのですが、このプラント・プロジェクトに関しては、ライバル公団の方が政治力が強く、、我々の見積もり条件や価格はライバル・グループに知らされていて、現状としては負けらしいという状況がわかったのです。

 東独側は、それまで長い間、われわれと真剣に交渉しているふりをしながら、われわれから技術資料を始め、あらゆる情報を入手して、その一方で、本命の某社と契約する予定だったのです。

そういえばあの女性部長も、私が「調印式のために取締役を東京から呼ぶ」と彼女に告げたとき、彼女はなぜか?「呼ばなくてもいいのではないか?」と、少し微妙な、気の毒そうな表情をしていました。
もし、私が、もっと鋭ければ、この時に我々の置かれたポジションを察することができたかも知れません。
いや、やっぱり無理だったかな?

    ~~~~~~~~

まあ実際のところ、それまでの超ハードネゴで、当方の採算は赤字ギリギリとなってしまっており、その後東独側から要求された東独事務所の新たな設立などを飲めば、さらに赤字が確実でした。

それまで私がリーダーとして受注した数件の中東プロジェクトでは、すべて何億円という大幅な利益を出しており、担当メーカーの工場も、○○景気と呼ばれる利益を享受していたのですが、この共産圏の商内は、全く様相がちがいました。

 東独商内のノウハウを持っていなかった私、および我が社の限界でもあったのですが、それは東独にプラントの実績がほとんど無かった我が社の限界でもあったのです。

 一般に共産圏のメーカーとのビジネスは、一件のみでは利益が出ないもので、数件まとめて、トータルで、だんだんうまみが出てくるものだったようです。
はじめの一件は赤字でも名刺代わりに受注し忠誠心を示し、事務所を設置してから、いろいろな関係が構築され、相互のあうんの呼吸で、利益の出るビジネスが与えられた様です。
 別の言い方をすれば、双方が癒着することにより、双方に利益がでる。
 癒着は共犯ですから、共犯の仲間意識が出てくる。
そこまで信頼感?共犯関係を勝ち得るまでが大変なのです。

 今考えれば、中東が主戦場だった私は、ビジネス・ノウハウが全然異なる共産圏のビジネスに手を出すべきではなかったのです。

 ~~~~~~~~~

 話は変わりますが、共産圏の国の中では、訪問してみると、やはり東ドイツが一番緊張感がありました。
 国民性・優秀性もその原因。、
 逆に言えば、いろいろな事情で怖かったという事です。
その後の共産圏でのビジネスでは、その他の国々でも、ちょっと怖い体験はいろいろありましたが。
 何度か、スパイ、またはその手先らしき人物から、電話や実際のコンタクトがあったり。

 ~~~~~~~~~

 閑話休題
そのころの東ベルリンの地下鉄には幽霊駅というものがありました。
 東西を区切るベルリンの壁の下あたりに駅があるのですが、
その駅は東側から西側への逃亡を防ぐため閉鎖されていて無人、もちろん停車もしません。
そのまさに幽霊のような暗い無人の駅を地下鉄で通過する時など、実に陰惨な雰囲気でぞっとしたものです。

 ~~~~~~~~~

 少し前に東ベルリンを訪問した時には、昔の暗い雰囲気がガラッと変わって、西欧化していました。
あの幽霊駅も、使用されているということでした
 今となっては、あの暗く重い空気の東独そのものも無くなってしまって、私の想い出の中に残るだけです。
あの幽霊駅のように、通り過ぎる時に見えるだけで、実際には下車できない想い出のような。

こんな事を書いていると、いろんな記憶が、チリチリとした冷気と共によみがえってくる様な気持ちになります。

 「寒い国から帰ってきたスパイ」
こういう題名のル・カレの傑作スパイ小説があって、映画にもなっています。

この想い出記事では
国際ビジネスの裏側をかなり詳細に書いた
今は亡き東ドイツ
私にとっては、苦い想い出の国である










最終更新日  2018.05.09 16:37:29
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2018.02.13
以前の想い出記事の続きである
書き直しでもある

昔のことで、いろんな事があった
なぜかこの思い出話では
ただあったことを思いだして書いているだけなのだが
このブログの読者にはあまり興味がわかないことだろうが

その想い出をうまく整理して書けない
散らばったものを拾い集めて整理しまとめる
そんな感じである

意味の無い、私だけの個人的な想い出なのでこうなるのかも知れない

今回も、最後まで書けないまま次回に持ち越しである
いつ終わるかわからない(笑)

今まで私は、思い出話は、一話完結で書いてきたのに
こんな途切れ途切れで、繰り返しの
尺取り虫のような書き方は初めてである
でも、こういう書き方も、あり得るかな?






​カタルーニャのジュディス 東欧での夏の想い出  ​​

カテゴリ:【東欧】での想い出


若い頃の話だが
ポーランドに短期滞在していた時期があった

東欧には珍しく、プラント案件(繊維工場)が二・三件、あって
出張していたのだが

 せっかくだったので、ポーランド語を習得してやろうと
 ワルシャワ大学の外国人向けのポーランド語の夏季短期講座を受講した

場所は市内のワルシャワ大学の構内の校舎のひとつ

校舎と言っても、大きくて古色蒼然とした宮殿風だった

 その校舎には、昔、若い頃のショパンが音楽講師だった
父親と家族と共に住んでいた事がある、と、聞かされたが

講座の申し込みのために
中欧や東欧独特の広く緩やかな階段を上っていった
まるで甲冑を着けた中世の騎士が昇りそうな雰囲気である

古い建物なので、階段にも廊下にも照明などはあまり無い

 がらんとした大きな部屋の窓際に大きな机があって
若い女性が座っていた
 そばに秘書の様な中年女性が少し小さめの机の前で座っていた

近づいていって、ポーランド語の夏季講座の申し込みの部屋はどこか?と英語で聞いた
 まだ、ポーランド語などはしゃべれないので英語である
 すると、その女性が「ここで受け付けます」と英語で答えた
 柔らかく微笑するでも無く少しすました表情である

 そこで受講の手続きをした

講座の開始の日が来た
講座は、夕方の時間に始まる
教室に入ってみると、十数人の受講者が着席している
 ほとんどが白人だが、数人、東洋人や黒人もいる
男女の比率は、男性の方が多そうである

 まもなく、講師が入ってきた
驚いたことに、あの受付の(笑)若い女性である

受付の女性と書いたが
受け付けてくれただけで
受付の女性では無かった
ややこし言い方になるが(笑)

だだっ広い大きな部屋の大きな机に座って
横に助手らしい年配の女性が小さな机で座っていたので
彼女は、このワルシャワ大学の教授、またはそれ相当の地位の人だったのであろう

初授業開始の前の簡単な自己紹介でわかったことだが
彼女は、このワルシャワ大学では無く
欧州でも最古の大学のひとつで
ワルシャワ大学より格上の(笑)
クラクフ大学の日本語科を御卒業された才媛なのだ、という事がわかった
才媛と書いたのは、クラクフ大学卒だから優秀なのは当然だが
頭がいいだけでは無くて
同時に美人でもあるので、そういうのを才媛というのだ(笑)

しかし、彼女
私が講習の申し込みをしたときにはかなり無表情で
必要最小限の会話にとどめ
私が日本人である事はわかっていたはずなのに
「あら! 私、大学では日本語専攻だったんですよ
これもご縁ですから、ちょっと、お茶でも如何?」
ぐらいどうして言わなかっただ?
大きな部屋を与えられている教授様なので威張っているのか?
と言うのが私の気持ちであった
お茶云々は余計だが(笑)


言い遅れたが(笑)
彼女は、繊細な感じのする美人だった
絶世の美人、と言うほどでは無いが
一般的には、誰もが美人と思うであろうクラシックな美貌で
色白ではあるが、雪のように白い、と言うより
透明感のある皮膚をしていた

授業では、私を受け付けた時のように、あまり表情を変えない人なのだが
それはどうも、無理にそうしているようで
ときどき、精神的な動揺を隠せない所など
感受性が強い女性である事がわかる

 
  ーーー 続く ーーー








最終更新日  2018.02.13 15:36:21
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2018.01.21
​​共産主義経済は、なぜ、資本主義経済に負けたのか?」
こう言うテーマの記事を書こうと思っているが


その前に、まず、
共産主義の基礎知識として
共産主義国の経済の中で
暮らした私の実感を
下記の過去ログによって、知ってもらおうと思う

ただし、
この記事において私は
共産主義体制での個人の生活が
希望や可能性が皆無であるが故に、かえって
無責任でノー天気で、楽な側面がある・・・
と、肯定的とも受け取られかねない書き方をしてしまった

また、食料品などが根本的に不足しているので
食料品の買物には、行列に長時間並ぶなど過酷な状況があった
それらを書き漏らした
これは、反省材料

その点を考慮しながら、読んでみてほしい




  ーーー 復刻記事 ーーー


​​共産主義国で暮らすとこうなる​​​​

カテゴリ:【外国】での想い出



共産主義国で住む人間の生活実感

 別に共産圏ビジネスは本職じゃ無かったんだけれど、共産圏諸国でかなりの期間、暮らした実績のある人間として、当時の、つまり昔の、共産圏で暮していた人間の俗な実感を、みなさんに教えてあげよう

東西冷戦が終わって久しい今日この頃だが
共産圏経験のある人など、ほとんどいない日本人にとって
いまどき、ちょっと遅い感はあるが、
こ~ゆ~情報は貴重だと思う

 

       ―――― ◇ ――――

昔の共産主義国で住んだ人間の生活実感

ただし、これは私が経験した「東欧」の共産主義諸国に限るわけで
下記の共産主義諸国についてはよくわからない

○ 生き地獄の北朝鮮
○ カストロが意地で死守するキューバ
○ 金満・欲望地獄で、人治共産制(笑)の中国(笑)

       ―――― ◇ ――――

 ○ 同じ貧乏でも、みんなが平等に貧乏だと、焦りや、嫉妬が無いから、楽なものだ

○ 競争が無いから向上心も不要、楽なものだ

○ どうせ金満生活なんか、一生懸命働いても不可能だから、努力などしなくていいから、毎日のんびり

○ 工場でも「カイゼン」とか、「ゼロ運動」とか、「トヨタのかんばんシステム」などの努力目標が無いから、楽なものだ

○ 清貧を日々実践する、清貧を絵に描いたような日々(笑) 自分で選択したわけじゃないけれど

○ 反体制活動さえしないで、余計なことをしゃべらなければ、それほど「圧政」の実感は無い

○ ただし、計画経済下では、物資不足で、配給で長い列に並ばなければならない これが辛い

○ いつでも想定外の「肉」などの掘り出し物に対応出来るように買い物袋の携行が欠かせない

○ 外国人にとっては、商品のバラエティーこそ全く無いものの、なにしろ物価がバカ安だから、本国では極貧という人間でも(笑)ここでは王様気分

○ 産休は半年ぐらいもらえる

○ 産休を一年だって、だれも文句は言わない

○ 夏休みは、まるまる二ヶ月ほど

○ どこへ旅行しても、交通費も、宿泊費も安い(収入もそれだけ低いが)(笑)

○ 計画経済だと、供給量と質が限定されるので、欲しいものはワイロで入手する だからワイロが罪悪だと思う者はいない

○ 共産党員はいばっているが、いばらせておけばいい(笑)

○ 先祖が貴族などと言う出自の卑しい者は(笑)学校の成績も差別される

○ 農奴出身者や代々労働者などという人間が、ここでは(労働)貴族(笑)

○ でも、元上流階級・インテリ出身者やその家族は、やはり知的能力や意識やモラルが高い

○ だから、農奴出身や労働者専門階級(笑)は、やはり本当は劣等感を持っている

○ 本気でプロレタリアート・バンザイと思っている者は少ない

○ 商売気のない医者や教員などのインテリ層にとっては、住みやすい世界

○ ブランドものや、高級品、贅沢品は原則として売ってないから、物欲は刺激されない

○ 服装も共産主義諸国共通のダサイものだが、なかには毛皮などの高級品(に見れる)ものを来ているものがいる しかしそれは共産主義になる以前の時代の、時代物だから、よくみると古色蒼然(笑)

○ それで制限のなかでもお洒落はしたいのが女性の性 限られた範囲内でお洒落を試みるが、まあ、多少のデザインの差だけ(笑) やりすぎると、奇抜なものだったり、悪趣味になる

○ 資本主義世界の激しい生存競争で生き抜く能力がないくせに、それに憧れる

○ 初期の共産主義時代には、資本主義諸国と同等の工業製品や建物などを誇っていたのだが、競争の無い世界では、進歩が無いから、すべてが老朽化して旧型になってしまって、みすぼらしくなって、資本主義国の繁栄?に遠く置き去りにされる

○ ポーランドなどでは、昔、米国に移住した(金持ち?)の親戚を「アメリカのおじさん」と呼んで頼りにする

○ 現地通貨は価値と権威が無い ドルが強い通貨として珍重される
だから、闇相場があり、闇の交換屋が街頭に立っている

○ 前世紀の遺物のような進歩の無い自動車でも一家にとっては誇らしい それにちゃんと動く(笑)

○ 共産圏の最新型自動車は、原価や効率など無視した製造法で作られているから、車体は重くて分厚い鉄板で出来ていて、事故にあってもビクともしない(笑)

○ もっとも東ドイツでは主な材料が固めた段ボールという車が堂々と人気車だった

○ ポーランドはフィアット製の乳母車のサイズの超小型車もあったが、堂々と高速道路を走行

○ 全体にスピードを出せる車が少ないから、交通事故も比較的、少ない

○ 物資不足だから、職場で働くのはそこそこにして(笑)、買い物の列に並んだり、少々のアルバイトをしたりする

○ といっても、土地と物価が安いから、郊外に別荘を持っている人間も多い その別荘の家庭菜園で野菜を作り、物資不足を補う

○ 街にはレストランが少ない さらに値段が高いから食事は家庭ですます

○ 職場の昼食時、オフィスの外に出てレストランに入る人間はほとんどいない 自宅からサンドイッチやチーズやリンゴなどの弁当持参

○ レストランも外国人が宿泊する高級ホテル以外はまずい

○ 値段が高いと言っても、闇マーケットのある外貨を持っている外国人にすれば格安

○ デパートも数少ないものの一応あるにはある(笑) しかしそこで売っている国産品は、デザインがダサイし、品質が悪くて外国人にとっては魅力ゼロ

○ 外国人は金を持っているし立派な服装をしている
といっても、外国人のみなが魅力的で美男美女でもない 国産の(笑)女性達に「鄙には希な美人」が多いというのが数少ない自慢

○ オペラ・バレエなどの芸術には人民の味方(笑)である国が力を入れていて、入場料は非常に安い 外国人にとってはありがたいことのひとる
ただ、花形スターは、すぐ外国に引き抜かれてしまう


○ 旅行をしても、観光地には特になんにも無い ありのままの自然があるだけ

○ 闇ドルの売人が横行する わずかの差額をかせぐらしい 韓国など、いまでも空港でドル買いがいるが、いったい、もうかるのかな~?

○ 資本主義の国に較べて、圧倒的に娯楽が少ない せいぜい映画とか芸術鑑賞などの清潔系の娯楽しかない 飲み屋や風俗系が不足している(笑) 猥雑さや淫らさ(笑)の無い世界というのは、多様性に欠けて実に退屈なものだ 風俗など、例えば私のように絶対利用しなくても(本当?)、あるというだけで豊かな気持ちになる(オイオイ) こういう点で、共産圏の国に長く住んでいると、退屈でヒマをもてあまして、西側に息抜きをしに出かけたくなる

       ―――― ◇ ――――

同じ共産主義国でも、体制の締め付けが厳しい国もあれば、そうでない国もある
例えば、東ドイツなどだが、
 そ~ゆ~違いには、ここでは、触れていない
当局にスパイを勧誘されたりしたことにも触れていない
知り合った人に、変に、妙に、しつこく接近されたりすることにも触れていない

 それについては、また別に書こうと思う

 

​​​






最終更新日  2018.09.21 22:17:07
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2017.12.17

若い頃の話だが
ポーランドに短期滞在していた時期があった
東欧には珍しく、プラント案件(繊維工場)が二・三件、あって
出張していたのだが

せっかくだったので、ポーランド語を習得してやろうと
ワルシャワ大学の外国人向けのポーランド語の夏季短期講座を受講した
場所は市内のワルシャワ大学の構内の校舎のひとつ
校舎と言っても大きな古色蒼然とした宮殿風だった

その校舎には、昔、若い頃のショパンが音楽講師だった
父親と家族と共に住んでいた事がある、と、聞かされたが

講座の申し込みのために
中欧や東欧独特の広く緩やかな階段を上っていった
古い建物なので、階段にも廊下にも照明などはあまり無い

がらんとした大きな部屋の窓際に大きな机があって
色白な若い女性が座っていた
そばに秘書の様な中年女性が
少し小さめの机の前で座っていた

近づいていって、ポーランド御講座の申し込みの部屋はどこか?と英語で聞いた
まだ、ポーランド語などはしゃべれない
すると、その女性が「ここで受け付けます」と英語で答えた
若々しくて美人である
ただ、柔らかく微笑するでも無く
少しすました表情で私を見る
そこで受講の手続きをした

講座の開始の日が来た
講座は、夕方の時間に始まる
教室に入ってみると、十数人の受講者が着席している
ほとんどが白人だが、数人、東洋人や黒人もいる
男女の比率は、男性の方が多そうである

まもなく、講師が入ってきた
驚いたことに、あの受付の(笑)若い女性である


  ーーー 続く ーーー








最終更新日  2017.12.17 18:16:46
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2017.12.08

​​これから、毎日、過去ログを復刻してみようと思っている
過去を、過去の自分の文章を振り返ってみることは
ある種、効率的である
一粒で二度美味しい、かもしれない(笑)



  ーーー 過去ログ ーーー


​​幽霊駅 そのころの東ベルリンの地下鉄には幽霊駅があった
​​


テーマ:考えたこと 想い出したこと 読んだ本(328)

カテゴリ:【東欧】での想い出


この所、私の初の赴任地であるヴィエトナムの思い出話ばかり書いているので、ちょっと趣を変えて、旧共産圏の東ドイツでのビジネスの話です。


この話は以前にも書いたので、一応【復刻日記】とも言えますが、東西冷戦が終わって、もう時効となったので、今なら書けることもあるということで、かなり書き足しをしています。

        □□□□□□□□


そのころの東ベルリンの地下鉄には幽霊駅があった


 ドイツが東西に分かれていた時代の事です。
 私は東ドイツ(共産主義体制の方のドイツ)と、ある工場施設の輸出商談の交渉をしていました。
 日本側は私の商社とあるメーカーがチームを組み、商社のリーダーは私でした。
 相手側は、東ドイツの貿易公団です。

 貿易公団も一種の商社で、最終的なユーザーは東ドイツの工場。

 私が滞在していた頃は、ベルリンもまだ西ベルリン(西側)と東ベルリン(共産圏側)に分かれてました。
 私の会社のオフィスのある西ベルリンから、オフィスの無い、客先の東ベルリンへ毎日通勤?していました。

 東独側との毎日の交渉は、朝9時から、夕方6時頃まで、昼食時間以外は休憩も無し
その内容は東京に報告しなければならない。
それはファックスでやっていました。
それに対して、折り返し返ってくる東京の返答を受け取らなければいけません。
その返答の内容とは、技術的な解答だったり、客先に示すプラントの部分の値段だったり、様々。
 

時間的なことを考えれば、もちろん東ドイツのホテルに宿泊した方がいいのです。
しかし、それを東ベルリンのホテルでしていたのでは、盗聴している東ドイツ側に情報が筒抜けになります。
だから、毎日、交渉が終わったらいったん西ベルリンに帰って、ファックスのある事務所から深夜、交渉の詳細な報告を東京にファックスで送ったのです。
この作業に、二・三時間かかります
食事は、それからホテルにかえって、ホテルのカフェテリアで食べていたはずです

 翌朝は、朝に、西ベルリンの事務所に向かい、東京からの返答のファックスをピックアップして、それを読み、難関の国境を越えて東ドイツの客先に向かう。
睡眠時間がわずかしか取れない、厳しい毎日でした。

    ~~~~~~~~

 東ベルリンの雰囲気は華やかな西ベルリンから180度ちがっていました。
だいたい中欧・東欧の冬は、日も短く、雲が低く、昼間と言えど夕方のような薄暗さ。
 温度も零下10度程度の厳寒です。

それよりもなによりも、当時はまだ東ベルリンから西ベルリンへの脱出者がいたころでしたから、国境の駅(フリードリッヒ・シュトラッセ駅)は、非常に暗いし、東ドイツの完全装備の兵士が大勢立っていて、実に重苦しい雰囲気でした。

 電車で西側から東側にあるこの駅に入る寸前、高架の上から黒い川面の川沿いに伸びるいわゆるベルリンの壁が見えて来ます。
 壁の周辺は地雷原になっていて鉄条網が長く続き、、ここで脱出を試みた多くの東ベルリンの人々が射殺されたのです。
また、なか中には西側にトンネルを掘って脱出した人々もいます。
そんな題材のドイツ映画「トンネル」という映画があるそうですが、私は未見です。
「寒い国から帰ってきたスパイ」
「第三の男」

 鉄のカーテンをめぐるストーリーの映画は、どれも寒く暗い雰囲気のものでした


東ベルリンのフリードリッヒ・シュトラッセ駅に到着してから
パスポート・コントロール(入国管理事務所)で長い列に並んで
ONE DAY VISAを取得し、
それから税関を通り抜けるまで、それだけでたっぷり時間がかかります。

ホテルからのDoor to Door で計算すれば、片道二時間以上かかるのです。

    ~~~~~~~~

ビジネスの面でも東ドイツの人間は、
ドイツ最強の旧プロイセンの人達ですから
これ以上ないほどのハード・ネゴシエイターで、
また、杓子定規で、重箱の隅をつつく様な執拗さ

そういう相手と厳寒の中、通勤を含めて朝から晩まで、受注の見込みが見えないまま数ヶ月ハードなネゴ(交渉)をしたのは、中東での酷暑の中でのものとは
また異なった、精神的にも肉体的にも辛い経験でした。

 客先で出してくれる昼食も、固い食パンに、サラミとピクルスをのせたオープンサンド二枚と、ガス入りのミネラルウォータ、それに紅茶だけというスパルタンなもの。

    ~~~~~~~~

しかしそんな中で、ある日相手側の部長(女性)が、休日に博物館見物に誘ってくれました。
 実はこんなに長いあいだネゴをしていても、競争している会社の状況がさっぱりわからず、だからといって公式のネゴの席ではとても聞けるものではなく、困っていた私たちに彼女がチャンスを与えてくれたのです。
どういうことかと言いますと、私たちに同情した彼女が博物館の中で人混みに紛れながら何気なく会話をする中で、少々のヒントをくれたのです。

スパイなどが情報を渡す場合もあえて公衆の中でメモをやりとりする事が多いようです。
 博物館の群衆の中でなら、東側の当局に怪しまれる事があまり無く、しかも、私達の会話を聞き取る事が出来ないような。
そういう場所を選んでくれたようです。

    ~~~~~~~~

 長い長い商談が大詰めにさしかかって(少なくとも私たちはそう思っていました)、そろそろ契約調印かと私たちは思い
私は、本社の取締を呼んで、ライプチッヒの見本市期間中に調印すべく、調印のサイン用の高価な万年筆まで購入して待ちかまえていました。

しかしながら、その商談は、最後の最後の段階で、予想外の思わぬ出来事が起こりました。
 東独では毎年、夏にライプチッヒで大きな見本市が開かれます。
 契約の調印は、その当たりらしいという情報が入っていたので、私は日本の本社の取締役を呼んで、調印式でサインしてもらう手配をしたのです。
サインのための高価な万年筆も購入しました。

 取締が到着して、東独の貿易公団の人間に挨拶をしていると、ある党幹部が突然現れました。
 彼は初対面の人間ですが、彼からの自己紹介で、数社ある貿易公団を総括するトップの人間であることがわかりました。
その席上で、彼はなんと、当社の取締に、公団への多額の寄付金を要求したのです。
あとで聞く話では、その種の「寄付金」は、公団の秘密資金に回されるのだと言うことでした。
 多分、そうなんでしょう。
 日本の役所もやっているような。


 悪いことに当方側の取締役は、営業出身ではなく、ずっと総務・人事畑を歩いてきた、営業センスなど全く無い固い人間で、先ず含みを持たせた返答を相手側にして、時間稼ぎをすればいいものを、この要求をその場でアッサリはねつけてしまい、ここで実質的に当方の敗北が決まりました。
 取締役は面子をつぶされたと言い、私は叱責を受けました。
これで私の出世は無くなりました。(笑)
それまで、私は中東で、数件の巨額のプラントを受注していたのにね。(笑)

   ~~~~~~~~

 東独側の貿易公団も、私たちを担当していた公団の他に数社あったのですが、このプラント・プロジェクトに関しては、ライバル公団の方が政治力が強く、我々の見積もり条件や価格はライバル・グループに知らされていて、現状としては負けらしいという状況がわかったのです。

 東独側は、それまで長い間、われわれと真剣に交渉しているふりをしながら、われわれから技術資料を始め、あらゆる情報を入手して、その一方で、本命の某社と契約する予定だったのです。

そういえばあの女性部長も、私が「調印式のために取締役を東京から呼ぶ」と彼女に告げたとき、彼女はなぜか?「呼ばなくてもいいのではないか?」と、少し微妙な、気の毒そうな表情をしていました。
もし、私が、もっと鋭ければ、この時に我々の置かれたポジションを察することができたかも知れません。
いや、やっぱり無理だったかな?

    ~~~~~~~~

まあ実際のところ、それまでの超ハードネゴで、当方の採算は赤字ギリギリとなってしまっており、その後東独側から要求された東独事務所の新たな設立などを飲めば、さらに赤字が確実でした。

それまで私がリーダーとして受注した数件の中東プロジェクトでは、商社としてだけでもすべて何億円という大幅な利益を出しており、担当メーカーの工場も、○○景気と呼ばれる利益を享受していたのですが、この共産圏の商内は、全く様相がちがいました。

 戦い慣れた中東とは違い、東独にプラントの実績がほとんど無かった我が社の限界でもあったのです。
まあ、共産圏貿易と言っても、対ソ連貿易以外、日本の実績など、ほとんど無いのですが

 一般に共産圏のメーカーとのビジネスは、一件のみでは利益が出ないもので、数件まとめて、トータルで、だんだんうまみが出てくるものだったようです。
はじめの一件は赤字でも名刺代わりに受注し忠誠心を示し、事務所を設置してから、いろいろな関係が構築され、相互のあうんの呼吸で、利益の出るビジネスが与えられた様です。
 別の言い方をすれば、双方が癒着することにより、双方に利益がでる。
 癒着は共犯ですから、共犯の仲間意識が出てくる。
そこまで信頼感?を勝ち得るまでの長期的なスパンでの見通しと、忍耐が大変なのです。
一件のプラント契約ですぐ利益を望むこと自体が、間違いだったわけで

 今考えれば、中東が主戦場だった私は、ビジネス・ノウハウが全然異なる共産圏のビジネスに手を出すべきではなかったのです。
と言って、東南アジア以外の地域でのプラント商内の契約交渉ノウハウをを持つ人間があまりいない当社ですから、中東で実績を上げ「アラビアのロレンス」と呼ばれた(笑)私が、土地勘の無い東欧に出て行かなければ仕方が無かったのですが

 ~~~~~~~~~

 話は変わりますが、共産圏の国の中ではやはり東ドイツが一番緊張感がありました。
 厳しい国民性・優秀性、共産主義への忠誠心もその原因。
秘密警察が非常に機能していた
商談の交渉員の中にも、当然、秘密警察の要員がいたはずです

共産圏の恐ろしさでは、チェコが、東独に次ぐかな?
しかし、チェコ人は、面従腹背(笑)という、いわば、ずる賢い国民性
それだけに独特の複雑さがありました

ポーランドは抵抗勢力、ワレサの連帯があり、国民の信頼を集めるカトリック教会があり、国民性自体も反抗的(笑)
共産党政権も、手をやいていました
国民同士では、共産党政権の悪口を言うのが当たり前というお国柄(笑)

チャウチェスクのルーマニアは、体制自体は恐ろしいものの、東欧の海に浮かぶラテン民族ですから、どこか陽気なところがありました
女性が美人だったし(笑)

一言に、ソ連の衛星国と言えども、国によって様相が異なりました

 ーーーー

 
この東独での経験をかわきりに、その後の共産圏でのビジネスにも、少々関わりましたが、受注は出来なかった
まあ、貧乏国が多いので、そもそも、商売の可能性自体が低かったわけで
徒労とも言えるわけですが

 ーーーー

その他の共産圏の国々でも、ちょっと怖い体験はいろいろありました。

 何度か、当局、スパイ、またはその手先らしき人物から、電話や実際のコンタクトがあった。
美女が仕掛けるハニートラップが無かったので、引っかかりませんでしたが(笑)

 ~~~~~~~~~

 閑話休題
そのころの東ベルリンの地下鉄には幽霊駅というものがありました。
 東西を区切るベルリンの壁の下あたりに駅があるのですが、
その駅は東側から西側への逃亡を防ぐため閉鎖されていて無人、もちろん停車もしません。
そのまさに幽霊のような暗い無人の駅を地下鉄で通過する時など、実に陰惨な雰囲気でぞっとしたものです。

 ~~~~~~~~~

 少し前に東ベルリンを訪問した時にはガラッと変わって、西欧化していました。
なんだか、夢を見ている様な気分になるほど、変貌していました

あの幽霊駅も、使用されているという。
 今となっては、あの暗く重い空気の東独そのものも無くなってしまって、私の想い出の中に残るだけです。
あの幽霊駅のように、通り過ぎる時に見えるだけで、実際には下車できない想い出のような。

こんな事を書いていると、いろんな記憶が、チリチリとした鋭い冷気と共によみがえってくる様な気持ちになります。

 「寒い国から帰ってきたスパイ」
こういう題名のル・カレの傑作スパイ小説があって、映画にもなっています。
私は、スパイではありませんが(笑)







最終更新日  2017.12.08 22:08:32
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2016.09.03
過去ログ 共産主義国で暮らすとこうなる

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最終更新日  2016.09.03 16:35:58
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2016.02.03
もう、余生が短いせいか?昔の事が懐かしく思い出される
私にも,若い頃があったのだ!
ということで
十年以上前に書いた過去ログなのだが
以前にも復刻したのだが
また、復刻してみよう
「死にかけた話」のひとつ


   ―――― 過去ログ ――――


ヴィエトナムでの「死にかけた話」は未だあるんですが、
今回は趣を変えて旧共産圏の某国での「死にかけた話」。


あるパーティーにその土地の奥さん連中に誘われて参加したのですが。
なぜ奥さん連中に誘われたのか?を先ず説明しましょう。

ベルリンの壁の崩壊前の東西冷戦の時代です。
旧共産圏はレストランも原則的に国営ですからあまり美味しくありませんでした。
そこには競争原理が働いていないからです。
それに比べ少数派の私営ライセンスを持っている店はかなり美味しいのですが、そもそもレストランの数が少ない。
市の地図を見てみるとその中にフォークとナイフのシンボルでレストランの位置が示されています。
その数がほんの数えるほどです。
それに値段も高いから(外国人にとっては貨幣価値の関係で実に安いのですが)なにか「ハレ」の事でもない限り、あまり現地の人々はレストランには行かないのです。

でもそういう国では必ず家庭料理が旨い。
必要は発明の母、少ないレストランの数は美味しい家庭料理の母・・・。
私は独身だったのですが、レストランで一人で食べるのでは味気ない。
自分でマーケットに買いに行って自炊もしたのですが、やはり男の自炊は料理の種類もミニマムですし、美味しい料理を作り出す境地にまではなかなか上達しません。

ある時、仕事上で知り合った現地のある男性の家庭に招かれ家庭料理をごちそうになり、楽しいおしゃべりをしながら(このクラスの奥さん達はけっこう英語も話しました)美味しい料理を思い切り食べたのです。
私が出されたウォッカを飲みながらモリモリ(ガツガツかな?)食べるとその奥さんは非常に喜んでくれました。
彼女たちの旦那さん達はこの奥さん達が手間をかけた美味しい料理に対する感謝のジェスチャーが、ふだん大いに不足していたらしいのです。
「もっと食べなさい もっと・・・」と、食事をすすめてくれるのです。
(もちろん私もおみやげにワインやウィスキーや花を持って行きましたが)。

食事だけではなくて・・・。
奥さん連中は中年期、いわゆる倦怠期の人達で旦那さん達からは彼女の「美」に対しての賞賛のジェスチャーが大いに不足している様で、さらに子供たちも巣立っていわゆる「空っぽの巣症候群」(元は英語でそれを正確に思い出せないけれどvacant nestかな?)奥さん連中はいろんな不満からアル中になっている人も多かった。
気の毒。
私は食事の恩義もあり、こういう「元美女」の昔の栄華?をしのびながら「あの奥さんはまだまだ美しい」とお世辞を言ったのです。
事実昔の写真や肖像画を見ると美人でした。

これ以降、ときどき、「あなた、食べにいらっしゃい」と奥さん連中のプチ・パーティーや休日の別荘などに招かれるようになって、本当に美味しい食事をごちそうになりましたし、家族旅行などにも参加したりもしました。
今でも彼女達に電話して「あの人は今どうしている?」など、懐かしい人達の話をすることがあります。

~~~~~~~~~

で、ある日の夕方、冬で雪が積もっていました。
彼女たちの友達の一人が主催するパーティーに私も誘われたのです。
着いてみるとその国の人々が中心で、私としてはどの人が英語をしゃべれるのかわからないまま、しばらくは暗~くひとりで酒だけを飲んでいたのです。
奥様方は hen’s party というのか、女性同士でおしゃべりに夢中です。

その内にその家の主人がアコーディオンを弾き出し
リクエストを募ったので、私はその国の愛国歌というか悲しい軍歌というか?そういう歌をリクエストしたのです。
その曲は私も知っていて、死んだ兵士の血がひなげしの花の様に赤く・・・という歌詞だったかな?
一人で飲んでいた私は酔いもあったのか?その曲を皆と一緒に歌いながら、どうしたことか?私の目から水分が、つまり涙がボロボロ出てきたのです。
外国人のくせにその曲を聞いて歌って泣くという愛国的な??私に、周りの人々がちょっと引いたのを覚えています。

その後すぐダンスの時間になって奥さん連中が誘いに来たのですが、私はこれでもシャイというか?ダンスが下手というか?(全然違う理由だろう?)、未だ踊っている人が少ない状態では踊れない人間なのです。
「申し訳ないが、後でね」・・・と断っていたのですが。

そのうち、身体にピッタリとした黒いレースのドレスを着たブロンドの女性が私に近づいてきて、
黙って私の手を取って・・・
私は気がつくと彼女と踊っていたのです。
(この国の女性はほとんどブロンドなのですが)

私はダンスにあまり自信が無かったので、彼女の反応を見ようと彼女の顔を見てみると、とても優しい表情でニッコリ笑うのです。
しかも彼女、美人です。
その国の女性は一般的にやや小柄で、小粋でどちらかというとほっそりした女性が多いのですが、彼女はどうもゲルマン系の血が入っているらしく、その国の人間の中でも背の高い方である私と、ちょうど釣り合いの取れる長身で、しかもしっかりした体つきで、ゴージャス系の美貌、いわゆるクラッシー(上流)な容姿です。
(東欧にはドイツ騎士団の領土があり、ドイツの植民もありゲルマン系のドイツ系やオランダ系の人がいました)。
顔つきは違うのですが、雰囲気はちょっとマレーネ・デートリッヒを思わせる感じです。
彼女の笑顔に元気づけられて二・三曲踊って、もう止めようかなと思ったのですが、彼女は止める様子がありません。
「私はダンスがへたでしょう?」と聞いてみたら「いえ、上手よ」とお上手を言ってくれました。
彼女がますます美人に見えてきました。
6曲程も踊るとタンゴの曲がかかり、これには私はまるっきりついて行けなかったので席にもどりました。
それからようやく英語を話すスエーデン人の少年を見つけ出して話し相手が出来ました。

しばらくすると、くだんのブロンド美人がまた寄ってきて今度はその家の内部を案内してくれたのです。
自分の家でも無いのに・・・です。
その家の夫婦の寝室にまで入って行って、そこの壁に掛かっている家族や共通の友人達の写真についての説明をしてくれるのです。
私としてはすこぶる付きの美人が優しく親切にしてくれるのでなんの不満もありません。

と・・・、その時、
奥さん連中の一人があわただしく入ってきて、私に「もう帰ろう!」というのです。
私としては「え~~?どうして」です。
まだまだパーティーは続くはずです。
それにこんな美人と親しくなったのですから、できればパーティーの最後までいたい。
何かハプニングもあるかもしれません。

ブロンド美人が何か奥さんに文句を言って、奥さんが言い返していました。
私は結局その奥さんの厳しい表情に押されて、手も引っ張られて
他の奥さん連中と一緒にそそくさとかえることになりました。
車の中で奥さん連中がむっとしている様な雰囲気なのです。
私が彼女たちとのダンスを断りながら、その一方であの美人とは何曲も踊ってしまったからでしょうか?
恐ろしくて、それ以上、尋ねることは止めました。

~~~~~~~~~

それから半年ほど経ってまたその奥さん連中と飲んでいました。
私がなにげなく「あのパーティーはあれからどうなったの?」と聞いたところ、一人の奥さんが急に険しい表情になって!、「実はあなたはあの時、ビッグ・トラブルに直面していたのよ」というのです。
「あなたがダンスしていた女性は秘密警察の将校の奥さんだったのよ。
あの奥さん、あなたとダンスをした後で『彼とどうしても make love したいわ!』って言い出したのよ。
そうしたら、彼女の夫がそれを聞いて、怒ってピストルを持ち出して『その男を殺してやる』って言い出して大騒ぎになって
あの家の主人が彼をなだめている間に
私たちが、あなたを急いで連れて帰ったのよ。
私達はあなたの命の恩人よ!
それに私達とのダンスは断りながら、彼女とばかり踊って・・・」。

奥さんの旦那さんの一人が傍でこの会話を聞いていて、
「秘密警察の将校?それはすごい地位じゃないか?」と他人事の様に感心していました。

しかし私は・・・

が~~~ん!!

「日本人出張者の射殺死体が発見された」・・・という新聞記事が目に浮かびます。
私の死体はドライアイスを詰められて日本に無言の帰国をする。
多数の女性がすすり泣きながら迎える・・・。
(これは無いか?)

それでも実は私はあのブロンド美人についてもう少し詳しい話を・・・、
どこに住んでいるとか、
電話番号は?とか・・・、そういうことを少しでも、
なんとか
教えてもらいたい・・・ところだったのですが、
奥さん連中の厳しい視線を前にして、もう何も聞き出すことは出来ませんでした。

それにしても私も危ないところだったのね~。
それに彼女はどうしてパーティーの場でそんなことを言い出したんだろう。
彼女、キレル人なんだな~。
なんだかハリウッドの淫乱な女優、エイヴァ・ガードナーの話を聞いているようです。
「若き獅子たち」で淫乱なドイツ将校夫人を演じたマイ・ブリットも思い出します。

あの秘密警察の夫も美人だが淫乱な妻に苦しんだのだろうな~。
(淫乱という言葉が好きなんで乱用しています)。
ひょっとしたらもう何人も射殺しているかもしれない。
(それは無いか?)
少なくとも、ああいうことも一度ならず起こったんだろうな~。
それに彼女、どうして初対面の東洋人の私と・・・・。
これは謎のままです。

それにしても、虫のいい話ですが
安全な状況でもう一度彼女に逢いたいな・・・
という気分も、正直言ってあります・・・。
あっ!そんなこといっても昔の話だった。

   ―――― ◇ ――――

この話には、あとでいろいろコメントを戴いたのですが
確か
「惜しいところまで行ったんですね
 でも、あなたが彼女と昇天したら
 すぐ,その秘密警察のご主人に射殺されて
 二度目の本当の昇天ですね」
と言う、怖いコメントもありました








最終更新日  2016.02.04 05:00:33
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2012.12.21
チェコとポーランドは、チェコの旧パートナーであるスロヴァキアと共に、西スラブの国々である

ちなみに、スラブ人の国家は、おおよそ下記の3グループに分けられる

◇ 東スラブ
ロシア・ウクライナ・白ロシア

◇ 西スラブ
ポーランド・チェコ・スロヴァキア

◇ 南スラブ
スロヴェニア・クロアチア・セルビア・マケドニア・ブルガリア

他にもあったかも知れない

なお、ルーマニアは、バルカンの南スラブの中の孤島のような国だが、スラブ民族ではなくて、ローマ帝国ゆかりのラテン民族である
もっとも、民族・言語も、相当、スラブ化しているが



   ―――― ◇ ――――


下記は、トイモイさんの、「プラハ 2」という記事に寄せた私のコメント


----


プラハには、あるプロジェクトの契約交渉で数ヶ月、滞在しました
私は、ポーランド語が少し出来るのですが(チェコ人はポーランド人とほとんど同民族ですので)チェコ語はポーランド語と60%ぐらい通じて面白かった

ワルシャワは全く面白くない醜い都市ですが、プラハはある意味、世界一

ただし、隣国でもチェコ人とポーランド人は国民性がかなり違っています
チェコ人は合理的で面従腹背
ポーランド人は、無鉄砲で意地っ張り

第二次世界大戦時の行動でも、それが言えます
チェコはナチスに無抵抗でプラハは破壊を免れた
ポーランドのワルシャワは蜂起した懲罰として、空爆で街ごと破壊し尽くされた

タクシーで運転手がぼろうとする時、その運賃は違うだろうと指摘すると、チェコ人は「それじゃあなたの言う運賃でいい」と言い、ポーランド人は「勝手にしろ!」と腹を立てて料金も取らずに走り去る

「チェコ人は面従腹背の民族」だとは、日本大使館の書記官もハッキリ言っていたことで、私も全く同感です
つまり、スラブ人としてはリアリストでクレヴァーなんですが、それだけに、あまり可愛げは無い
ただ、やはりスラブ人だけに、一皮剥けば、感情的な民族です






最終更新日  2017.02.12 07:49:20
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2009.10.27
東欧の想い出 【復刻日記】

takrankeさんが読んでくださっているようなので、旧共産主義国ネタを続けている
旧東ドイツの体験談のリライト作業が進まないので、この【復刻日記】にする

       ―――― ◇ ――――

【復刻日記】東欧の想い出

私は仕事の関係で旧共産主義の東欧諸国にも長期出張したことがあるが、ベルリンの壁の崩壊以前の時代の正統的な?共産圏ではテレビのチャンネルも2チャンネルぐらいしか無かった。
もちろん公共放送、それも白黒。
だから、全国民がほとんど同じ番組を見ていたわけである。

ラジオもだいたいそんなもので、みんなが同じ番組を聞いているものだから、夏休みの昼間のガラーンとした建物の間で、その番組の音声が各家庭から響いて共鳴していたのを思い出す。

長い夏休はフランスの専売特許ではない。
共産主義の数少ない余録として、共産圏の労働者諸君はけっこう長い期間の夏休みが取れた。
夏にはほとんどの人が街からいなくなる。
(産休は数ヶ月あって、これは女性にとってうらやましい話しだと思う)

東側と言えど、別荘を持っている人はざらにいたし、別荘を持っていない人も組合の施設に宿泊したり、農家に一時的に間借りをしたりと方法はさまざまでも、とにかく海や田舎に向かう。

私はポーランドに滞在中の夏休みにはワルシャワ近郊の避暑地の別荘に泊めてもらうことが多かった。
共産圏・東側・東欧の夏なんて寒いのではないかと思われるかも知れないけれど、カラッと湿気が無くて温度も結構上がって、日本の夏よりはるかに過ごしやすい。
日本の軽井沢とか北海道の夏と言えば当たらずとも遠からずだが、しかしもっと温度は上がる。

経済破綻に陥った当時の東欧だから避暑地といっても物質文明の恩恵を受けたものではなかったけれど、かえってひなびた雰囲気で、避暑地の自然そのものを味わえるひっそりとした夏だった。
貧しい玩具を売る屋台やジュースやアイスクリームを売る店、ビールのカフェぐらいがせいぜい。
子どもは川へ泳ぎに行ったりだが、おとなの楽しみは寄り集まってのおしゃべりだ。
もう一つある。
夜のテレビの映画放映である。
黒沢作品はあちらでは非常に人気があって、昼間の話題からすでに「今晩は黒沢の映画があるよね」などと言う。
私もそんな機会に「七人の侍」をテレビでた。
観ていて奇妙に感じたのは、私達が洋画を字幕で観るのとはちょうど反対で、セリフはオリジナルの日本語で、字幕が現地語になるから、鑑賞は非常に楽(?)だった。
もっともテレビそのものの性能も劣悪だし、テレビ局の放送の発信装置も旧式で画面はとても西側のそれとは比較にならない程度のものだが、それしかないとなるとそれほど不満は感じないものだ。

ラジオの方となると、夜8時頃の定時になるとポーランドの人たちがラジオにかじりついて聞く番組があった。
短波放送かなんかで聞きづらいものだから、彼らは旧式で大型のポータブルラジオを耳に押しつけて聴いていた。
それはロンドンのポーランド亡命政府からの、たしか、「自由ポーランド放送」とかいった放送だった。

ドイツの侵攻以降、ポーランド政府は地下に潜り、やがてはロンドンにその本拠を置く事になり、その放送はその亡命政府からのもので、言論統制されていた当時のポーランド国民にいろんな「真実の」情報を提供していたわけである。

この亡命政府には多くのポーランド人が参加し、ドーバー海峡をはさんだ英国とドイツ軍の有名な空戦(ある意味でドイツ敗戦の大きな原因となった)「バトル オブ ブリテン」にも多くの優秀なポーランド人パイロットが義勇軍として参加、大活躍した。
しかし戦争が終わると英国はこのポーランド人パイロットの活躍をほとんど認めないまま歴史の闇の中に葬ってしまった。
プライドの高い英国としては英国人パイロットだけの手柄にしたかったわけだ。

私は一度ワルシャワからロンドンへの機中で隣の座席に座ったロンドン在住のポーランド人老夫妻と話す機会があったのだが、奇しくもそのご主人が、くだんの「バトル・オブ・ブリテン・パイロッ」トの一人だった。
・・・といってもそれを当のご本人からでは無く、なにくれと彼の世話をしている奥様から聞いた。
その戦功から英国永住権はもらったのだろう。
ご主人は、もう痴呆が進んでいる様子で、ただただ黙って窓から外をながめていた。

大戦末期のイタリア戦線のローマ近くにそびえる丘の上にある堅塁モンテカシーノ僧院での史上最も激しかった歴史的な戦いというものがある。
連合軍側がいかに攻めに攻めてもドイツ軍が頑強な抵抗を示して、死屍累々となった戦場だが、長い長い戦闘の後、多大な犠牲をだしながら僧院に踏み込んでその国旗を掲げたのはこの亡命政府系ポーランド軍だった。

アンジェイ・ヴァイダ(ワイダは英語読み)の名作「灰とダイヤモンド」。
その一場面で女性が「モンテカシーノの赤いケシの花」という歌を直立不動の姿勢で歌いますね。
あれはモンテカシーノの戦いで戦死した多数のポーランド兵たちの流した血を赤いケシの花にたとえた歌なので







最終更新日  2016.09.03 16:40:45
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2009.03.01

■ チェコ・プラハの国立オペラ劇場での贈賄疑惑 【復刻日記】

ブログを書くと言うのも、時間を取られるし、ブログの倦怠期と感じる時もある
忙しくて書けない時もある
疲れて書けない時もある
なぜ書いているのか?
まるで読者へのサービスのために続けているような気持ちになって休みたい時もある

毎日書いている人はみな、そういう時があるはずだと思う
私など【復刻日記】を交えているので、まだ楽をしている方だが
しかし、ほとんどの毎日更新組は、そういう倦怠感とか疲労感について書かないな~
そう言う人達は超人だと思う
まあ、内容にもよるけれど


リフレッシュのために小旅行にでも行こうと思いながら、諸事情でなかなか行けにでいる

今日も【復刻日記】で省エネである

       ―――― ◇ ――――


元旦に「ウィーン・フィル・NEW YEAR・コンサート」を途中から観た・・・、と言うか、聴いた。
ベルリン・フィルのシルヴェスター・コンサートも格式があるが(こちらの方は今年、三大テナーコンサートでの指揮で有名なラトルが指揮)、なんとなく、根拠無く、正月はウィーン・フィルでしょう。(意味不明)

このウィーン・フィル新春コンサートは、このところ毎年、日本のテレビで放映するようになった。
指揮のロリン・マゼールが、各国語のあいさつに日本語も入れている。
「アケマシテ オメデトウ ゴザイマス」と、ちゃんと言っていた。
それはそうだろう。
観客というか聴衆というか、お客さんの中で、「日本人」が多いのだ。
白人でないがゆえに一層目立つのだが。
日本のお金持ちの、それも文化を意識するお金持ちの、一つのステイタス・シンボルになっているような雰囲気なのだ。
嫉妬心の強い私など、思わずこの方々の悪口を書きたくなったが、・・・ハーハー・・・。

思い直して・・・ コホン! ほめよう!
こう言うのはいいのではないかな~。
みなさん、落ち着いた品性のある熟年夫婦(カップル)だし、他の悪趣味な新春じゃないものね。
文化的には最高!

マゼールは、バイオリンを弾きながら指揮。
えっ? ヴァイオリン、弾けるの?
いや、その前に歌ったりしたらしいのだ。
考えてみたら音楽家だから、歌えて弾けてもいささかも不思議は無いのだが、ついつい指揮者は、棒を振っているだけの人だと思いこんで、・・・失礼しました。
このヴァイオリンがすごかった!
ちょっと音色が、倍音がかっていたけれど(どうしてかな?)、そのフィーリングがすごくよかった。

そう言えば、マゼールはアンジェラ・ゲオルギューを見いだした人なんだった。
彼女を自宅に呼んでテストして、その歌唱に驚いたというのだが、本当は彼女の美貌に惹かれていなかった?マゼールさん。

・・・と言う風に、とてもよかったのだが、途中で見はじめたので例年の指揮者との比較ができないままにおわってしまった。
それに今回は、演奏会の結びの恒例となっている、あの満場の手拍子の!「ラデツキー行進曲」を、スマトラ沖大津波に配慮し、演奏を自粛してしまった!
それはないよ!マゼールさん!
反対なんじゃないの?
景気のいいラデツキー行進曲でみなを元気にすればいいじゃないの
だいたい、自粛って、どんなものでも私は嫌いだな
おもねているか、かんちがいである

椿姫の「乾杯の歌」とともに、「ウィーンの森の物語」「美しく青きドナウ」「ラデツキー行進曲」が大好きだった母(介護中)に、テレビの音を大きくして聞かせてみた、あまり反応を示さない。
三大テノールのビデオを聞かせても同様。
人生とは哀しいものだ。

~~~~~~~~~

この演奏が催されるウィーンの「楽友会館」という邦訳が、なんていうのかな~ 微笑ましい。
多分、直訳なのだろうと思うのだけれど。

楽友会館の内部は、それこそ西欧文化の極致を金銭的に表現したもののようで、先日、NHKで放映された「ドナウの旅」(だったかな? 言ってきますけれど!!、私はNHKの味方です プロレスの味方ではありませんが) での、シェーンブルン宮殿の、人類の文化と豪奢の極致というような装飾だらけの、キンキラキンと同じだ。
すごい すごい!
日本のシンプル・質素な皇居とは正反対だ。

これを見て、チェコ・プラハの国立オペラ劇場を想い出した。
私はプラハに長期出張していたことがあって、その時に、スメタナの「売られた花嫁 
Prodana nevesta」などを見に行ったのだ。
その当時の共産圏は芸術の入場料が外国人にとってはメチャメチャ安くてありがたかった
芸術振興という共産主義諸国の政策はよかった

ついでですがプラハはすごい街ですよ。
百の塔の都と呼ばれていて、中世の街並みがそのまま残っていて、まるで中世にタイムスリップ下みたい
だから、ハリウッドの時代劇はほとんどプラハでロケするという。
それにチェコの映画技術というのは戦前から定評のあるところ。
というところで、チェコ出身の映画女優、ヘディー・ラマーを想い出した。

チェコ・プラハの国立オペラ劇場。
戦前はドイツ劇場と呼ばれていたオペラ劇場で、内部のキンキラぶりもかなりなもの。
「売られた花嫁」を聞きに、劇場へ行ったはいいのだが、立ち見席しか取れない。
しかたなく、とりあえず入ったが、開幕前にゴンドラ席の裏へ行ってみた。

突如、なんの脈絡もなくお勉強ですが、共産主義経済というものはそもそも、計画経済だから需要量に見合った商品しか生産しない。
その点、資本主義は需要量に関係なく生産するから余剰が出て、競争原理が働く。
その結果、品質・デザインなどがよくなって、共産主義国の製品をしのぐ。
結果的に共産主義経済は資本主義に負けて崩壊した。

・・・ということを書きたいのではなくて、共産主義国では計画経済なので需要ギリギリの製品しか生産しないから、その製品を手に入れるためにはワイロしかない。
かくて共産主義国では生きて行くためにはワイロが必須だった。

・・・と言うことを書きたいのではなくて、共産主義国ではワイロが非常に効果的だったのだ。

で、ゴンドラ席のうらあたりには、案内のおばちゃんたちがうろうろしていて、このおばちゃんに「面倒みてよ!」とお願いしたら、よろこんで「空いているゴンドラ席」に案内してくれるのだ。
切符は売り切れのはずなのに「空いているゴンドラ・バルコニー席」があるというのもおかしいが、それが不条理の共産主義社会なのである。

で、「売られた花嫁」も、豪華なゴンドラ席で観劇させていただきました。
おばちゃんに渡したお小遣いも、私にとってはほんの小遣い銭程度なんだけれど、オバチャンもハッピー、私もハッピーで win win situation だった。

共産主義よ、再び!
・・・なんていうと、怒る人がいる。







最終更新日  2016.09.03 16:34:11
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