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【不眠症カフェ】 Insomnia Cafe

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【日本】 での想い出

2015.09.18
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過去ログを再録


   ―――― 過去ログ ――――


「神田川」の世界

さっき、ある日記を読んでたら、フォークの「神田川」の話題が書いてあった。
私はこの歌をリアルタイムで聞いていたかどうか? 記憶は無いのだが、
歌詞の内容が私の大学生時代をほうふつとさせるものなので、なつかしい

私の大学時代なんて、本当にむかしむかしの物語だから、
今の大学生の生活とはずいぶんちがう

入学して直後はしばらく西荻の伯父さん宅でやっかいになった。
しばらくして同じ西荻で下宿したが、その下宿のババアと折り合いが悪くて、
同じ中央線の武蔵境のアパートに移った。
そこで2年過ごして、後半の2年は新宿戸山町のアパートに移った。

上京した時はいろんな不安に加えて、視界の中の基本色が
私の実家近くのものとちがっていて、それに違和感を感じた。
特に関東平野の関東ロームの黒い腐植土にびっくりして、何となく暗い気持ちになった。
私の実家は大阪でも神戸・宝塚に近くて、
そこには六甲山地があって、その六甲山地は花崗岩の山だから白い土だ。
山ではなくて普通の土地の色も、白っぽい。
視界の底辺を支える(おおげさだが)土地の色がちがうと
結構心理的にインパクトがあると思う。
当時の山手線の車両も、鉄さびのような暗色
とにかく、東京は暗い
そういう印象だった


大阪育ちの私には東京の食べ物の濃い味にもおどろいた。
まず、受験の時に二・三日だけ下宿した家で出してくれた店屋物の親子丼ぶりの味が濃かった。
学食や生協で食べた東京風のうどんにもビックリした。
関西でうどん汁というと昆布出汁で色はほとんど付いていないのに、
東京のうどんは「たまり」というのか、真っ黒だった。
箸でちょっとかきあげると、まっ黄色い卵の黄身と白いうどんがポワ~ンと浮き上がってきた。
味も特に無くてなじめなかった。
讃岐うどん全盛の東京で、今こういう古典的・伝統的なうどんは健在なのだろうか?
この正統派うどんもこの頃のあまりの冷遇ぶりにすねて、
もっと濃い味になっているのではないかと心配である。

下宿にしろ、アパートにしろ、賄い付きでなかったから外食するか? 自炊するしかない。
どちらも侘びしく孤独で恥の多い作業である。

学食や生協で食べるのが学生としての本分かも知れないが、
すでに昼食をたべている場合や、大学を離れた場合は
どこかで食べなければいけない。
蕎麦やうどんでは腹が持たない。
カレーライスばかりも飽きる。
だから栄養のバランスのとれた定食のある一膳飯屋に行かなければならない
しかし、この一膳飯屋に一人で入るということは、
一日の内で一番恥多きプロセスで、これは苦痛だった。

高校時代はもちろん外食などしなかった。
一家揃ってレストランに行くことはあったが、
それは家庭の団らんの洗練版・豪華版にすぎない。
高校時代に下校途中にわざわざ駅前まで行って
たこ焼きの屋台によって密かに食べたたこ焼きは
まさに美味だったが、たこ焼きというものは暗がりの中で、
何らかの後ろめたい理由があって、舌をやけどしながら、
フーフーと急いで食べる場合だけがうまいのだが、
余裕充分な状況で明るい場所で、ちょっと冷えかけのものを食べてもそんなにうまいものでもない。
後ろ暗い時間に後ろ暗い状況でたこ焼きを食べろ!
この日記の読者だけに伝える、私からの「たこ焼き賞味の極意」である。

今までひとりで外食したこともない私にとって、
労働者階級の濃い世界の殿堂のような一膳飯屋の汚れた暖簾をくぐるという行為には
とてつもない勇気が要った。
暖簾の前を二三回言ったり来たりして呼吸を整えた後、
最後に左右を見回して、
友達や知り合い・親戚・関係者・教職者・警察関係者などがいないか、
一瞬のうちに判断してから暖簾をくぐる。

矛盾するようだが一人の場合はまだいい。
だれか友人・知人と一緒に歩いていて、
別れる前にこんな一膳飯屋の前を通る時には、
こんな店は全然知らないし、
まして店の中でワリバシで「レバニラ炒め定食大盛り+白飯お代わり」
などを食したこともない・・・という態度で
そのいきつけの店を裏切りながら通り過ぎることになる。
心なしか、店の中からおばさんがこちらを軽蔑した目つきで見ているような気がする。

なんとか「自宅が東京」という特権階級の友人をまいてから、
まだ用心して本屋で立ち読みをしたりして時間をつぶして、
万が一にも彼がもどってくる事は無いという時間帯に突入したら、
おもむろに定食屋に確信を持って進むのである。

食べ終わって、また暖簾をサッとくぐって町に飛び込み、
またなにごともなかったという表情で町を歩く。
アパートに付く前に一般住宅の前を通る。
家々からは幸せの黄色い電灯がついている。
彼らは全員卑怯にも、一膳飯屋忍び入りの苦行など無しに美味な夕食を楽しく、
さんざめきながら食しているのだ。
本当にこの世の中には神も仏もないものだと思う。
「彼らに呪いあれ!」

こんな高貴な孤独に耐えている私の胸に響く歌があった。
ミルバやザ・ピーナッツが歌っていた「ウナセラ・ディ・トーキョウ」である。

       ―――― ◇ ――――

♪ 悲しいことも 無いのにどうして 忘れたのかしら
ウナセラ・ディ・トーキョウ
あ~あ

(中略)

♪ あの人はもう 忘れたのかしら とても悲しい
♪ 街はいつでも 後ろ姿の しあわせばかり
ウナセラ・ディ・トーキョウ
あ~あ

       ―――― ◇ ――――

本当にこの時間、魔の夕食時に、私とすれ違う人達はみな、
自宅で家族と共に夕食を囲むという、しあわせそうな後ろ姿ばかりである。
一瞬、背中をかきむしってやりたい気持ちになる。

       ーーーー ◇ ーーーー

アパートで自炊というのも言うまでもなく侘びしい。
一膳飯屋苦行とどちらがわびしいかは計量化してみないと、
数値化してみないと正確にはわからないが、わびしさの性格が違うようだ。

当時は電気冷蔵庫を持っている学生なんていなかった。
ちょっと寄り道になるが、この「電気」冷蔵庫という表現に、
注意深い読者なら気がつくはずだ。
電気でない冷蔵庫もそれより昔には、あったのだ。
これは普通に単に「冷蔵庫」と呼ばれていた。
氷屋さんが夏になると毎日、角形の大きな氷を配達してくれる。
これを冷蔵庫のトップにある氷室に入れるだけでいい。

ともかく、当時の学生の持っている文明の利器と言えば
平均して下記の「四種の神器」だったと思う
○ ラジオ
○ 電熱器(蚊取り線香状のニクロム線を電気を通電して熱する)
○ 卓上蛍光灯スタンド
○ 電気コタツ または 石油ストーブ

なんともシンプル極まる生活である。
ただし私はといえば、特権階級だったから(??)、
今だから言えるが、この上に二種の神器を隠し持っていた。

○ テナーサックス
○ 赤井のテープレコーダー 16インチスピーカー付き

モダンジャズの同好会に入っていたので、これはどうしても必要だったのだ。

自炊の話にもどるが、学生は料理の仕方なんて知らないのだから、肉野菜炒めが定番となる。
これは当時のすべての学生の普遍的な真実だったと思う。

この肉野菜の部分について、実情を分析すると、
野菜はそのままでいいのだが、肉については注記した方がいいかも知れない。
肉は高いからその代わりに、魚肉ソーセージがピンチヒッターとして登場する。
さらに実情を究めると、実はピンチヒッターでは無くて、
魚肉ソーセージの方がレギュラーなのだ。
肉の方がピンチヒッターで恥ずかしそうにベンチにいることになる。
「この財政状況だと私の出番は無さそうね」と、自分から二軍に行ってしまうこともある。
こうなるともう呼び戻せないから魚肉ソーセージがレギュラーとして定着する。

この頃はコンビニでこの昔なつかしいレギュラーを散見する。
しかしもう、レギュラーの座は張れないで、いつもは二軍だが、
監督の温情で久しぶりに一軍ベンチに入った超ベテランと言った風情だ。
だれも本当は大活躍を期待していないんだけれど、
年に一二度ぐらいは一軍にあげてやらないと隠れファンがうるさいと言うことかも知れない。

飲み物はお茶だが、ぜいたくな学生は牛乳の配達を受けていた。
私も堂々のぜいたく学生で、牛乳+新聞の配達という豪華版だった。
しかし暑い夏などはジュースとなる。
渡辺のジュースの素という秘密兵器があって、
これは毒々しいオレンジ色の謎の粉体で、これを水に溶かして飲むと、
味も毒々しいが無理に考えるとジュースという実感が出てくる。
少なくとも毒々しく、甘い。
毒々しいの三拍子である。

自炊を共同でやることは、アパートの住人同士が友人になったら可能となる。
どうせほとんどの住民が同じ大学だし、金もないので夜はすることもなく退屈で、
誰かの部屋に集まっては夜遅く、あるいは朝までダベル事になる。

親しくなりすぎるとお互いいたずらもしてしまう。
特に私なんか、いたずらが生き甲斐だったから、
ある時、真面目な男のパンツを脱がしたことがある。
その男は大男で運動神経は皆無だったけれど、
ものすごく力持ちの男だったが、ある拍子でふざけているうちに、
ついついみんなで彼を押さえつけてパンツを脱がした。
彼の裸の下半身はある理由で
トップ・シークレットというか聖域だったようで、彼は激怒した。
手元の木刀で私を本気で殴った。
彼とちがって運動神経の固まりとも言える私は
サッと邪悪な木刀を避けたが、部屋の扉は運動神経が無かったのか、
木刀に直撃されて深い傷を負ってしまった
卒業してそのアパートを出る時には、どうしてわかったのか? 
家主の奥さんにひどく叱られた上に高い補修費を支払わされた。

トイレ・台所(と言ってもシンクがあるだけ)は共同。
もちろん風呂なんて無い。
だから近くの銭湯に通うことになる。
これは、一膳飯屋の「がまの油タラタラ」状態とは全然ちがう。
アパートの友人達と一緒に湯屋に出かけるのは楽しい。

       ―――― ◇ ――――

♪ 貴方は もう忘れたかしら
赤い手拭い マフラーにして
二人で行った 横丁の風呂屋
(中略)
小さな石鹸 カタカタ鳴った
(中略)
窓の下には 神田川
三畳一間の 小さな下宿

       ―――― ◇ ――――

私達の石けんもカタカタ鳴ったが、可愛い女子学生はいなかった。

いや、ひとりけしからんやつがいた。
私の高校からの親友で一緒に進学したのだが、
入学して半年するともうガールフレンドが出来た。
同じ大学のある運動同好会で知り合ったらしい。
この男は私とちがってハンサムでもないヤツで、
女の姉妹がいないくて男の中で育っているヤツだから無骨なヤツで、
女性に対する好奇心が凶器のように肥大していて
とてもイヤラシいヤツだから、
・・・モテないだろうと・・・油断していた私が悪かった。
その女の子はとても小柄だがとても可愛いのである。
愛し合っているらしい二人のかもし出す雰囲気がとても醜い。

おまけに大学近くのアパートで半同棲という大罪を犯しているようなのだ。
ついにこーゆー間違ったことをしているカップルには
断じて意見をしなくてはいけないという義憤に駆られて、
ある夜、級友と共に彼のアパートを急襲してみた。
神田川沿いの道の行き止まりの木造アパート、その二階に彼の部屋があった。
入ってみるとやはり彼女がそこにいた。
可愛い女性と面と向かってみると、一瞬で私の義憤は霧散したばかりか、
彼女との会話を通して彼女の級友に可愛い女性はいないのか?
を聞き出そうという偵察モードに入ってしまった。
私には臨機応変という才能があるのをその時始めて知った。

偵察モードの一端として部屋の窓を開けてみたら、
真っ暗な闇の中から、神田川のちょっと汚れた流れの臭いが漂ってきた。








最終更新日  2015.09.19 01:24:56
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2014.11.19
私は、もう現役ではないから
特に、喫茶店に入って、コーヒーを飲んだり
人と待ち合わせたり
仕事をさぼったり(笑)
の用途で、喫茶店に入ることはないし
スタバなるものにも、一度だけしか、入った事が無い

今の若い人々がスタバに感激するなどと言う事が全くわからない
というのも


私が若かったころは

・ 美味しいコーヒーを入れてくれて
・ 落ち着いた、居心地のいい店内
・ 必ず、店の看板娘という美人がいる

そういう店が、会社の回りに、かなりあって
昼食が終わったら
そういう店に行くのが楽しみだったからだ

その点、
スタバには、きれいなネーチャンもいないし
だいいち
スタバは、日本の、そういう昔ながらの喫茶店を、部分的に真似したものなのだ


私は、日本が、一番、コーヒーの美味しい国だと思っている

米国なんて、コーヒーは、水代わり
昔の米国のコーヒーなんて、薄いし飲めたものでは無かった
オフィスには、大きなコーヒーメーカーがおいてあって
みんな、自分の、大きなマグカップを持っていて
好きなときに、飲んだのだがアメリカンだったし

英国・ロンドンのオフィスでは
キッチンがあって
そこに、電気ケトルがあって
みんな、自分で
紅茶やインスタントコーヒーを作っていた
部長の私には(笑)、美人秘書が(笑)紅茶を入れてくれたが

----


喫茶店と言えば
私が、新入社員だった頃は
美人喫茶、というものが、まだ、あった

・ コンパル
・ プリンス
この2店が代表的だったが
カウンターがあって
その内側には
映画女優のような美人がズラリと並んでいる
そういう喫茶店(笑)だった

SM喫茶というのもあったそうだが
私は、行った事がない
行ってみたかった(笑)
少なくとも
SMバーというのがあると言うことは、今回わかった(笑)


え~~と
それから
電話喫茶というのもあった
店内の各席に電話機があって
各席に内線が振ってあって
話しをしたい女性が座っていたら
そこへ電話をすると言うシステム
私も、一度、入ったが
電話をかけることもなく(笑)
電話をかけられることもなく(笑)
その喫茶店を出た(笑)




   ―――― 記事 ――――


スタバの攻勢にも動じない東京の自営喫茶店たち

AFPBB News

【AFP=時事】米コーヒーチェーン大手スターバックス(Starbucks)は先月、同社にとって売上高で世界第2位の日本市場にさらなる攻勢をかけるべく、日本法人のスターバックスコーヒージャパン(Starbucks Coffee Japan)を完全子会社化すると発表した。すでに全国で1000店舗以上を展開し、まもなく進出する鳥取県で全都道府県を網羅することになるスターバックスだが、誰もが好意を抱いているわけではない。

 東京・銀座にある老舗喫茶店「カフェ・ド・ランブル(Cafe de L'Ambre)」を経営する100歳のオーナー、関口一郎(Ichiro Sekiguchi)さんはスターバックスのコーヒーの作り方はなっておらず、おいしくもないと断じた。

 コーヒー以外のメニューは扱っていないにもかかわらず、木調の内装で整えられた薄暗いランブルの店内は、関口さんが日本一と太鼓判を押す一杯700円のコーヒーを飲みに訪れた客たちで賑わっている。深い風味をたたえた濃いめの芳醇なコーヒー。値段はスターバックスの少なくとも2倍はするが、それを払う価値があると来店客たちは考えている。

 個人経営の喫茶店の多くがそうであるように、ランブルは常連客によって支えられている。元プロレスラーのアントニオ猪木(Antonio Inoki)参議員議員もそのうちの一人だ。近所にある「カフェーパウリスタ(Cafe Paulista)」には、元ビートルズ(Beatles)の故ジョン・レノン(John Lennon)さんと妻のオノ・ヨーコ(Yoko Ono)さんがかつてよく訪れていた。

 ランブルの常連客の中には、関口さんや従業員が丁寧に煎った豆を使っていれたコーヒーを50年間、毎日飲みに通っている客もいるという。

 関口さんが店を開いた1948年当時、それまで緑茶が長らく親しまれてきた日本では、進駐米軍の影響からコーヒーが人気を博するようになっていた。現在日本は、昨年のコーヒーの消費量が44万6392トンに達するなど、米国、ブラジル、ドイツに次ぐ世界第4位の消費国となった。

 だが関口さんは、多くの日本人がコーヒーを飲んでいても、口にしているのは質の悪いコーヒーだと話す。本当に良い喫茶店は全国に5店ほどしかないという。当然、ランブルはその中の1軒だ。

■魅力はチェーン店にはない「人間味」

 スターバックスと違って店内での喫煙が認められているのも、ランブルのような古いタイプの喫茶店が経営を続けられる一つの要素かもしれない。キセルでたばこを吸う関口さんも、店内を禁煙とする新しいタイプの喫茶店のやり方は間違いだと考えている。おいしいコーヒーを飲んだ後にはたばこを吸いたくなるものなのだという。

 ランブルがある銀座の目と鼻の先、築地(Tsukiji)の魚市場にほど近い古いビルの2階に店を構える喫茶店「アローマ(Aroma)」。この店もやはり、たばこの煙で包まれていた。

 日本がバブル景気に沸いていた30年前に開業した同店は、多くの自営喫茶店同様、今も開店当初の雰囲気をとどめている。観葉植物の鉢植えや複製絵画で飾られた鏡張りのサロン。カウンターの裏では、丸いガラス製サイフォンがぽこぽこと音をたて、店内には「スタンド・バイ・ミー(Stand By Me)」のメロディーが流れる。それぞれのテーブルの上にはコーヒーフレッシュが積まれた容器と、灰皿が置かれている。

 高齢の女性がストローでアイスコーヒーを飲み、フレンチトーストをかじっている。その横では休憩中の若い看護師の女性2人組が立て続けにたばこを吸っていた。大手のカフェチェーンが経営する似たり寄ったりの喫茶店とはまったく対照的なこの店を選んだ客たちだ。

 娘と一緒にアローマを経営するコシバ・ジュンコ(Junko Koshiba)さん(63)は来店客にサービスのバナナをふるまいながら、チェーン店は人間味がないけれど、この店では話そうと思えば他の客と言葉も交わすこともでき、温かい雰囲気があると話した。

東京・銀座にある老舗の喫茶店「カフェ・ド・ランブル(Cafe de L'Ambre)」でコーヒーを楽しむ100歳のオーナー、関口一郎(Ichiro Sekiguchi)さん(2014年10月8日撮影)。(c)AFP=時事/AFPBB News© AFPBB News 提供 東京・銀座にある老舗の喫茶店「カフェ・ド・ランブル(Cafe de L'Ambre)」で…
 アローマのブレンドコーヒーには、ランブルの熟成した滑らかさはないが、コシバさんは昔ながらのスタイルを貫く自分の店のような喫茶店が、スターバックスや国内大手のドトール(Doutor)、カフェ・ベローチェ(Caffe Veloce)などによって淘汰されることはないと自信を見せる。チェーン店でモバイルPCや携帯電話を見つめていたのでは味わえない真のリラックス感を、アローマでは味わえるという。







最終更新日  2014.11.19 09:06:13
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2012.12.07
今日の名言

昨日から
「今日の俳句」
というものをはじめた
当分、続けて行こうと思う

ただし、俳句だけでは爺臭いので(笑)
今日は、
「今日の名言」


● 今から一年も経てば、私の現在の悩みなど、おそらくくだらないものに見えるだろう

   サミュエル・ジョンソン

ジョンソンさんは、THE ENGLISH DICTIONARY を編纂した偉人である
たしか、英国留学中の夏目漱石が一時、師事したんじゃなかったかな?

つまり、時間薬と言うことだな
確かにそうだ
これほど効く薬はない

しかし、忘れると言えば
「忘却とは忘れ去ることなり」

「君の名は」の中のナレーションだが、どう言う意味だ?(笑)
昔はこれでもよかったんだ(笑)

おかしいと思って「ヤフー知恵袋」をのぞいたら、こう言う回答があって納得した

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この言葉には続きがあります。「忘却とは忘れ去ることなり。忘れえずして忘却を誓う心の悲しさよ」です。菊田一夫原作のラジオドラマは、その放送時間に<銭湯を空にした>として有名です。
主人公の春樹と真知子が、互いに愛し合いながら、すれ違ってなかなか会えない。忘れてしまったらどんなに心が軽くなるだろう。だけど忘れられない--という二人の心を詠んだものです。毎回、放送の冒頭で朗読されました。

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君の名は、で主人公の雨宮なんとかとヒロインのなんとか、が再会を約して分かれるのは,数寄屋橋だ
しかし、川が埋め立てられて,今は橋も無い
私が、大学に入学した頃、たしか、かろうじて、橋の跡だけが数寄屋橋ショッピングセンターのところに残っていたはずだ

それに、あの辺には,営団地下鉄の「西銀座駅」があった
この駅は変な駅で,すぐ消えてしまった
いや、駅名が変わっただけかな?
有楽町前かな?

私のカラオケで御世話になっているフランク永井が「西銀座駅前」という題名で歌っている
しかし、同時に,あの名曲「有楽町で逢いましょう」も歌っている
後者の方が先に作曲されたはずだから、西銀座駅が駅名を有楽町に変えただけ・・・と言う私の当てずっぽうは、恐らく間違いだ

やっぱり、忘却とは忘れ去る事なり(笑)


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ところで、この「君の名は」は、盗作に近い
ロンドンのウォータールー橋を舞台にした、踊り子のヴィヴィアン・リーと美男将校のロバート・テイラーの第二次大戦中の悲恋を下敷きにしたものだ

「君の名は」は、大東亜戦争敗戦寸前の東京
女性は、こういうメロドアラマが好きである(笑)

私は、ヴィヴィアン・リーは、アイリッシュの血統だが、どこかエキゾチックなところがあると思っていたら,伝記を読むと,インドの血が混じっている
自分も人妻なのに,既婚者のローレンス・オリビエとダブル不倫して結婚
だが、後に精神のバランスを失って、ニンフォマニアになる
食事を共にしたばかりの客人の男性とする平気で関係するなど
いいな~(コレコレ)

なお「ニンフォマニア」って、ATOKでも変換できない
恐らくATOKのソフト担当者はニンフォなのだろう(笑)

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ロックバンド・クィーンのヴォーカル、フレディー・マーキュリーも、どこか、エキゾチックだと思っていたら、やっぱり
ペルシャ系インド人でゾロアスター教徒で、ゲイなのだ
ゲイは余計か

ボンベイ(今のムンバイ)の支店長社宅から見ると、ゾロアスター教徒が鳥葬をする「鳥の塔」という原発の排気筒の様な巨大なものが天空高くそびえていて、鷲なのか?その塔の上空を数羽が円を描いて飛んでいた
おそらく、死体が運び込まれて,鷲が食べやすいように粉々に砕かれて,鷲の正餐にまっていたのだろう

インドでは、ペルシャ系インド人はペルシャ人を意味する「ペルシー」と呼ばれ、数としては少ないが非常に裕福な層に属する人や政治的な影響力をもった人々の割合が多い。

英国が英国的統治の方法の分割統治として、ペルシーを東インド会社に雇用したり、インド人と英国人の昼間の位置に置いたのが,ペルシーの地位を高めた



フランス当時時代の旧インドシナ(ヴィエトナム・カンボジア・ラオス)では、ヴィエトナム人がフランス人に重用されたと同じ事
カンボジア人とラオス人は,いまだにヴィエトナム人を恐れ、頭が上がらない

ヴィエトナムには
カンボジア人3人でヴィエトナム人1人に対抗出来る
ラオス人3人で,カンボジア人ひとりに対抗出来る
ということわざがある
これら、3民族の立ち位置を良く表した言葉だと思う

私は,ラオス人は知らないが
ヴィエトナムにいた時、カンボジア人(クメール人)の女性を見かけた
身体は、華奢なヴィエトナム人とちがって、ガッチリした体格だがおとなしい
活動的でおしゃべりで目から鼻に抜けるヴィエトナムの女とは正反対である

昨日テレビで見た、世界中を旅した旅行大好き女性によると、一番おとなしくて優しいのはラオス人だという
むべなるかな・・・である

ラオス語って,タイ語の田舎弁みたいなものらしい

サイゴンにいた頃、米軍が作成したらしい、ソノシート(懐かしいだろう?)(笑)で作った初歩ヴィエトナム語・カンボジア後・ラオス語・タイ語を持っていたんだが
覚えるつもりで
今は,家の中のどこにあるかな?


忘却とは忘れ去る事なり(笑)

チョイヨ~イ!(ヴェトナム語の片言を思い出した)



   ―――― ウィキペディア ――――


ウィキから「君の名は」

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あらすじ [編集]

第二次大戦、東京大空襲[1]の夜。焼夷弾が降り注ぐ中、たまたま一緒になった見知らぬ男女、氏家真知子と後宮春樹は助け合って戦火の中を逃げ惑ううちに、命辛々銀座・数寄屋橋までたどり着く。一夜が明けて二人はここでようやくお互いの無事を確認する。名を名乗らないまま、お互いに生きていたら半年後、それがだめならまた半年後にこの橋で会おうと約束し、そのまま別れる。やがて、2人は運命の渦に巻き込まれ、お互いに数寄屋橋で相手を待つも再会がかなわず、やっと会えた頃には真知子はすでに人妻となっていた。しかし、夫との生活に悩む真知子、そんな彼女を気にかける春樹、2人をめぐる人々の間で、運命はさらなる展開を迎えていく。
特徴 [編集]
真知子と春樹が再会しそうになる(半年ごとの数寄屋橋での待ち合わせなど)が、不都合が起きて会えない。この「会えそうで会えない」という事態が何度も繰り返された。後のドラマでもよく見られる描写(演出)である。本作は、このパターンの典型にして古典となっている。
脚本家・菊田一夫の代表作。1952年にラジオドラマで放送され、多大な人気を獲得した。「番組が始まる時間になると、銭湯の女湯から人が消える」といわれるほどであったという(ただし、この銭湯でのエピソードは、「アメリカでの事実[2]を基にして、松竹の宣伝部が作った虚構である」という説も根強い[3])。
松竹で映画化された際は、主人公のショールの巻き方が「真知子巻き」と呼ばれ、女性の間で流行した。これは、北海道での撮影の合間、主演の岸惠子があまりの寒さにショールを肩からぐるりと一周させ、耳や頭をくるんでいたことによる。この姿はカメラが回っている時にも使われることになり、「真知子巻き」が誕生した。またガラス越しのキスも流行した。
NHKラジオ連続放送劇 [編集]

番組の冒頭で「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」という来宮良子のナレーションが流れる。音楽は古関裕而で、伴奏のハモンドオルガンも自ら演奏した。当時のラジオドラマは生放送だったため、劇中のBGMも古関裕而が毎回即興で演奏していた。
キャスト
後宮春樹:北沢彪
氏家真知子:阿里道子
他に古川緑波、七尾伶子など

主題歌
「君の名は」
作詞:菊田一夫
作曲:古関裕而
歌:高柳ニ葉(放送版)
販売用のレコードは織井茂子によって吹き込まれている。


君の名は
監督 大庭秀雄
脚本 柳井隆雄
原作 菊田一夫
音楽 古関裕而
撮影 斎藤毅
編集 杉原よ志
製作会社 松竹
公開 1953年9月15日
上映時間 127分

全3部。通しで上映すると6時間を超えることから、総集編(再編集版)もある。
監督: 大庭秀雄
製作: 1953年 - 1954年
キャスト
氏家真知子:岸惠子
後宮春樹:佐田啓二
綾:淡島千景
悠起枝:月丘夢路
加瀬田修造:笠智衆
浜口勝則:川喜多雄二
浜口徳枝:市川春代
勘次:市川小太夫
信枝:望月優子
梢:小林トシ子
あさ:野添ひとみ
水沢謙吾:須賀不二男
水沢奈美:淡路恵子
横山:三井弘次
副島渡:大坂志郎
ユミ:北原三枝
柳永次郎他
撮影地: 北海道美幌町・弟子屈町、三重県志摩市(大王町、志摩町)・長崎県雲仙温泉、新潟県佐渡市他

主題歌・挿入歌
「君の名は」(歌:織井茂子)
「黒百合の歌」(歌:織井茂子)
「忘れ得ぬ人」(歌:伊藤久男)
「数寄屋橋エレジー」(歌:伊藤久男)
「君は遥かな」(歌:佐田啓二、織井茂子)
「綾の歌」(歌:淡島千景)
ほか
「君の名は」に関する歌の作詞・作曲は、すべて菊田一夫・古関裕而のコンビによる。


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阿里道子さんは、実に美声の声優さんだった

「えり子と共に」というしゃれたラジオドラマにも出演していた
その挿入歌が「雪の降る街を」

ただ、この「雪の降る街を」
メインテーマは、ショパンのショパン幻想即興曲ヘ短調 Op.49の一部の有名な旋律の盗作でしょ?(笑)


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今日の俳句・名文句、が長くなってしまった(笑)

俳句が長歌になってしまった(笑)









最終更新日  2012.12.08 00:44:05
コメント(2) | コメントを書く
2012.05.16
この頃は外食をすることも少なくなったし、飲みに行くことも少なくなった
外食をすることが少なく無く、飲みに行くことも少なく無かった頃の過去ログを再録してみよう
この中華レストランも、無くなったな~



過去ログ 昨夜は、外食に出たら、ちょっとしたハプニングがあって日記を今まで書けなかった









最終更新日  2012.05.16 07:04:53
コメント(15) | コメントを書く
2012.02.17
気恥ずかしいシリーズだが、書きかけたからには、完了させなければ
もう、私小説家の覚悟である(笑)
しかし、これは、私の墓標だから(笑)


私は旅行が好きだったし,彼女もそうだった
ただ、私はそのころ仕事が忙しかったので,一人ではなかなか国内旅行になど行こうという気持ちにはならなかったのだが,彼女の方は、せっかく日本に来ている事だし、それに彼女の外国人ネットワークで,あそこに旅行すると面白いという様な情報を入手してきては、私を旅行に誘うのである
だから、もし私がひとりなら、行かなかった様な、いろいろなところを旅行したものである
信州・八丈島・それに東京都内の隠れた面白い場所など

彼女はアサヒ・ペンタックスという、当時、カメラ好きの人間に一番人気があったカメラを持っていて、私と一緒に旅行に行った時など、実に楽しそうに撮影をしていたのである
それを見て,私も急にカメラが欲しくなり、ニコンを買った
私の後輩にカメラが趣味という男がいて、入社以前にニコンFを持っていた
私は、その男性的なフォルムにひかれた
それだけでなく、彼女にも、おそろいと言う事でニコンを買ってしまった

ある旅行をしていたら、民宿で一緒になった人が、プロ・カメラマンだった
ちょうど、私も知っているある旅雑誌の取材をしているところだった
「ちょうどいい」と言うことで、私たちは、彼のモデルにされてしまった
その雑誌に、我々の写真が掲載されたはずである

彼のレンズ構成は
28ミリ広角・50ミリ標準・135ミリ望遠
と言う、当時としては標準的なものだった
私は、それに倣って(少しモディファイして)
28ミリ広角・50ミリ標準・55ミリマクロ・80-200ミリ望遠ズームという構成にした
それからは、カメラが面白くなって、彼女との個人的旅行や会社の同僚との個人的な撮影旅行や、海外出張にも携行するようになった

と言っても、特に、カメラに腕があるわけでもない
当時の月間カメラ雑誌、アサヒカメラ・カメラ毎日(今は廃刊)・日本カメラなどにのっている写真をイメージして撮影してみる程度である
ただ、「私にも撮れます」という実感がうれしかった
今思えば、撮影が難しいデジタル一眼レフカメラと違い、昔のフィルム一眼レフは、易しかった
シャッターさえ押せば、なんとか写っていた(笑)

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彼女とのつきあいは、私に取って個人的にも影響があった
当時は、ベトナム戦争たけなわで、米国に反体制・ヒッピー文化が花咲いた時代である
彼女と、その外国人(ほぼアメリカ人だが)コミュニティーも、なにがしら、その風潮に影響を受けていた
その影響で、当時の私も、ややヒッピー的だったかも知れない
まあ、日本の社会全体にもそういう風潮はあった
私の彼女との生活については、私が明かさなかったので会社には知れなかったが、生活態度(笑)や価値観にヒッピー的なものが表れていたらしく「ヒッピー商社マン」と私を呼ぶものもいた(笑)
もう1人、ヒッピー的なヤツがいて、大学の後輩で親友だったが、インド駐在から帰ると、インドの服装そのままという豪快な所を見せた(笑)
彼とはよく「我々は遊牧民族だ 他の奴等は農耕民族」とあざけって(私はこれが得意)(笑)、社内では浮いていただろう

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と言うわけで、当時の私は、昼間は日本人の同僚と、放課後は(笑)外国人と一緒という、文化的な二重生活であった
これは、私自身も、今はじめて気がついたことで、考えて見ると、私は、変な世界にいたものだ
と言うか、そういう世界は、ある意味、いまだに続いているが
ただ、私自身は、まったく、そういう生活に違和感を持っていなかった
外国駐在で、私自身、いつも異邦人という感覚だったが、その延長線上を望んだのかも知れない
私が、結婚する以前に付き合った、はっきりと「ガールフレンド」と言える女性は、合計(笑)2人だけである
たったの2人・・・である
皆さんの予想より少ないと思うが(笑)
第一、普通の人よりもずっと少ない(笑)
だだ、この2人共にアメリカ人というところは、変わっているかも知れない

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どうして、ほとんど外国人の女性としか付き合わなかったのか?
今、自己分析してみるが・・・

もともと、生まれ育った場所の環境から、白人女性に魅力を感じていたことが、少し影響していたかも知れない
今は反省して、更生して(笑)、黄色人種の女性、黒人の女性(ただし混血タイプ)に、大いに魅力を感じているが

その他に、これが重要だが(笑)、日本人女性と付き合うと、遅かれ早かれ、結婚というものに、真剣に(笑)対峙しなければならない
私は、元来真面目なので(笑)、つきあい出すか出さないうちに、
「もしこの女性に求婚されたら、またはつきあいの末に結婚することになったら、それでいいのか?」
と言う、疑問や不安が、黒い雲のようにわき出したのである
私に取って、結婚などと言う、重大な恐ろしい決断など、出来るわけがなかった
これは、学生時代からすでにその兆候があって(笑)これは、一種の、生真面目な、神経症だと、自分では(笑)、考えるのだが

その点、外国人女性がガールフレンドである世界は、自由である(笑)
彼女たちは、結婚を前提としてはいないのだから、ノビノビとおつきあいが出来る
(これが、結局は間違いであることに私は、後ほど気づいたのだが)(笑)

それに、彼女たちは、異邦人であって(笑)、当時、私の嫌いだった日本の精神風土とは別の世界にいた
だから、会社から帰って彼らの世界にひとたび浸れば、会社での仕事上の悩みや、成績の悩みや(笑)、そういう現実世界を、完全に忘れ去れる利点があった

こう考えてみると、私は、どこか、現実生活から、逃げというか、逃避の姿勢があったようである
外国人女性(男性は含まない)笑)が好きというのも、外国が好きというのも、旅行が好きというのも、エキゾティックな僻地が好きというのも、冒険好きと言うよりは、考えようによれば、
一種の現実からの逃避かも知れない
まあ、現実逃避を一切しない人間は、いないとは思うが(笑)

もひとつ
当時の商社は、激務であった
商社というものは、人間が資産なので、工場設備なので、社員が働くか否かがポイントである
だんだん、時代と共に、改善はされたが、新入社員のころは、ほぼ毎日残業で、それも、9時・10時までというのもざらであった
帰宅するとぐったりして、休日もグダグダと寝ている事が多かった
だから、まともなガールフレンドと付き合う時間が無かった(笑)
事実、毎日毎晩、残業の鬼だった先輩が婚約するというニュースを聞いて、あの人はいつデートする時間があったのだろう?といぶかったものである(笑)

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さらに、最後に
私は、女性に限らず、日本人とのつきあいが、全般に少ない
いまだに、あまり無い
ただし、ネット上では、さすがに(笑)、おつきあいは日本人である
もちろん、会社の同僚とは一緒だったが、彼らは商社マンである
商社マンは外国経験・異文化体験を経てきているから、一般の人とは少し違う

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日本女性とおつきあいをしていると、どうも、居心地が悪い
いや、良すぎて悪いのかも知れない
お互い日本人という、世界的にはかなり特殊な人間である
非常にホモジーニアス(同質性が強い)
以心伝心の世界を持つ
つまり、「日本人ならナニナニして当然」という、規範性・規律性の強い文化の中で生きている
だから、私の考えていることは相手もわかるし、相手が考えていることは私にもわかる
わかりすぎるのだ
だから、お互い、安心しながら、しかし、気を遣う
言いたいことも、あまり言わない
案外、自由のない、窮屈な世界なのである
それに比べて、外国人は・・・
もちろん、メチャメチャに違うと言うことはない
同じ人間なのだから
しかし、「お互いは違っても当然」という、お互いの基本的な了解がある
異質性が前提にある
それが、私には、楽なのである

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私が、このブログで自説を書くと、「alex99は偏屈で(それは正しいが)(笑)、わざと人と違った考えを披露する」という事を書く人が多い(笑)
しかし、それは誤解だ(笑)
私は、わざと、人と違った考え方をして、人と違った意見を書くのではない
もともと私は、そういう人間なのだ
それに、私の母が外国文化好きだったし、ガールフレンドも先妻も外国人だったし、職業も商社だったし、外国経験も長いし
そういう環境があった

しかしやはり、私が嫌いなのは「他人と同じ」と言うことである(笑)
あたかも自分の存在価値がないように感じる
ただし、そんな私だが、服装だけは、おとなしい
カジュアルな服装は、アメリカンカジュアルだと思う
ちょっとかしこまる場合は、結果的に英国風(と言うほどでもないが)
極めて普通の服装である
尖ったセンスの服装はしない
そういう欲求もない
私に取って、服装は表現の手段ではなく、環境に合わせるものである
服装は制服である
そう思っている
なぜそうなのか?は、よくわからない
たぶん、一目で、外見では、判断されたくないのだと思う
中身に過信を持っているのかも知れない(笑)
だから、変わった、派手な服装をしている人を見ると、思わず、軽蔑に近い感情を抱くことが多い

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彼女のアパートの二階には、やはり、アメリカ人が住んでいた
中年の独身男性で、彼には、半同棲の若い日本人の学生の愛人(笑)がいた
つまり、彼らはゲイであった
彼女とゲイの彼とは、アメリカ人同士だし仲のいい友人である
私も、当然のように、二階の2人(笑)と違和感なく友人になった
一緒に食事を作って食べたり、飲んだり、良く行き来をしていた
こ~ゆ~生活は、会社には、決して報告してはならないものである(笑)
日本の会社では、こういう人間は要注意とされる
しかし、結局、誰も知らなかったと思う

ただ、独身寮に帰らなくなった事は、ふだんは全く意識していなかったのだが、一応、独身寮に籍を置いているので、たまに帰ると(笑)、多少きまりの悪い思いをした
通勤電車で寮の住人と出会うと、最悪である
潜在意識に於いて、罪の意識はあったのである(笑)
ときどき、1人でこっそりと暗い寮に帰って、住人達に冷たい視線を浴びる悪夢を見る(笑)

ただ、たまに、会社から早く帰宅(笑)すると、自由でうれしかった
まだ日が長い夏の夕方など、彼女が帰宅するまでの時間、アパートの隣にあるスナックのマスターとキャッチボールをしたりした
さらに隣の別のスナックで、ママに、その店の常連の女性(美人であった)とのつきあいを強く勧められて、困った(笑)
みな、私の彼女との生活は知らないのである
いろいろ、思い出すものである(笑)

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彼女は、2年後?、だったかな?に、米国の大学院に進学することになって帰国した
彼女の父親がそこの出身で、どうしても進学して欲しいと、彼女に懇願してきた
彼女は、実は私と結婚したかったのだが(後に再会した時にも、そう語った)、私も、それは感じていたのだが、例によって、結婚恐怖症だったし、中東のビジネスに携わるようになって、海外出張の頻度と長さがどんどん増してきて、日本を留守にすることが多くなり、彼女との生活が少なくなっていた
彼女が東北地方に旅行してから東南アジア経由(観光)で米国に帰る時、銀座で一緒にすき焼きを食べて、上野駅で列車の彼女を見送った
列車の最後尾の赤いテールランプが遠ざかる場面を、今でも覚えている







最終更新日  2012.02.17 15:36:33
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2012.02.11
旅行に先立って,カメラを用意していたら,カメラにまつわる思い出について、急に書きたくなった
恥多き昔話を記録にとどめておこう
余生も短いのだから(笑)

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私は、幼年時代からカメラにはなじんでいた
小学校の遠足などには父親のカメラ、あの時代には写真機と言った方がいいかな?を携行して、それなりに写真を撮った
当時は露出計で露出を測ったり,こどもなりに、だいたいのカンで露出を決めただけなのだが,昔のカメラと印画紙でも、ほとんど失敗はしなかったものである
これは、別に私だけでなくて、クラスの女生徒達でさえ、皆カメラを持ってきてちゃんと撮影していた
同級生達は、私をのぞいて(笑)、みな、裕福な家庭の子女だったので、カメラぐらいはあたりまえだった

しかし、フィルムカメラで、天候は、晴天・曇り・・・ぐらいの区別でやっていたのだから、大した事ではないかも知れない
それでも、なんとか写真は撮れた
私のカメラは父の持ち物で、普通の35ミリレンジファインダーカメラだったが、当時は二眼レフという,今ではもう、ほとんど見られない旧式のカメラも流行っていた
一番初めて触って、遠足などの持って行ったのは、父親のミノルタ製の蛇腹沈胴式のものだった

しかし私は、特にカメラが趣味という訳でもなかった
思い出してみると、高校にカメラ部というものがあったが,正直言って,写真を撮るということには、てんで興味がなかった
だから、商社に入社して、ヴィエトナムに駐在していた時にも,自分ではほとんど写真を撮らなかった
街頭に立っているポラロイドカメラを持ったカメラ屋にデート中の女性との2ショットを撮ってもらうのがせいぜいというところだったのだ
考えてみると,せっかくの貴重な記録のチャンスを逃がしてしまったものだと思う

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そんな私が,社会人になってから、ある女性と知り合ってからカメラが趣味になった
その女性はアメリカ人の若い女性で,その彼女の父親が有名なプロのカメラマンだったので、彼女もカメラが趣味だったのだ

ある時ある機会で彼女と知り合って、その翌日、彼女が書いてくれた地図にあった彼女のアパートを訪問した
そこは、井の頭線のある駅からすぐの場所にある一軒家を上下別々に貸している木造アパートだった
その時何をお互いに会話したかはよく覚えていないが、一つ思い出すことがある
彼女は、自分が撮った写真などを壁にピンで留めていたが、その中に、米国の友人が写っている写真があって、その写真にその友人がこういうことをペンで書き添えてあった
「ディア 君は、あの魚を生で食べる国に行ってしまうんだね」
「魚を生で食べる国とは何だ!」と反感を感じたコメントだったが、アメリカで寿司がブームになるのはずっとその後だから、その当時のアメリカ人の感覚などそんなものだっただろう

私は、その夜、なりゆきで彼女のアパートに泊まったような気がする
その日から、私は、独身寮に帰らず、彼女のアパートに棲息(笑)してしまった
どうしてそんなに簡単に、そうなったのか?
自分でもよくわからない
お互い、最初からとても気が合ったから、ああいうことになってしまったと思うのだが
「青春は不可解なり」(笑)

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当時の私の所属部所属課には、同期入社のものがふたりいたが、その内の慶応出身の男がとてもだらしない男だった
どう「だらしない」かというと、学生時代から、ある女性と同棲していたのである
彼と私は、独身寮でも同室だったのだが、そういう事情で、彼は、ほとんど独身寮に帰ってこなかった
学生時代から同棲していたこと、入社してからもそのまま同棲していたこと、それなのに結婚する意思は無さそうなのに、そのまま同棲を続けていたこと
それらがみな、私には、許し難い!(うらやましい)(笑)と思えた
どうもそのだらしなさの原因は、出身大学が慶応と言うところにヒントがあった(笑)

我々、都の西北早稲田の輩は、六大学野球の早慶戦を応援する時には、慶応の校歌の歌詞をパロって
「陸の王者・慶応」という部分を
「三田の色魔・慶応」と歌ってあざけっていた(つもり)

それに
「さえぎるる雲 無きを~」というところを
「さえぎる膜 無きを~」と歌った

膜って、何の膜だ?(笑)
それに「色魔」なんて、あざける前に、なってみたいではないか?(笑)
あざけるといいつつ、うらやましかったのである
※ ちなみに、大学内の学部別対抗スポーツ大会では
「理工学部」を「利口で無い無い 利口で無い」
とあざけった(理工の方が偏差値はずっと高いのだが)(笑)
やはり六大学の応援で、立教以外の大学の応援団が立教の校歌(セント・ポール)の歌詞を変えて
「利口で無い無い 利口で無い」と歌ったのだが
この「利口」は「立教」にかけているのである
長嶋茂雄・みのもんた・関口宏・報道ステーションのくいだおれ太郎
みな、「利口大学」卒である(笑)
長島を最初に持って来るところに、私の悪意がくみ取れると思う(笑)


そういうトリビア?は、さておいて
こ~ゆ~風に、慶応をバカにしたつもりでも
実は、女性にもてる慶応がうらやましくてたまらないのが早大生である
なにしろ「色魔」を「遮る膜はない」のである(笑)
ただ、当時でも「昔慶応 今早稲田」と言って(笑)、早稲田の学生の顔面偏差値は昔と違って、高くなっていたのだが(私がその代表格だが)(笑)、どうも、大学の「バンカラ」という旧来のイメージというものが邪魔するのである
彼は小柄だが、私は長身である
顔面偏差値も、こちらの方が高い(笑)
それなのに、実に悔しい(笑)

3人同期のもう一人の同期の男は、東大卒で実家からの自宅通勤だから、同棲というような大罪を犯すことはなかった(笑)
ただ、彼が十分に女好きであることは、入社後、すぐにわかったことではあるが(笑)

そう言えば思い出したが、私の学生時代の友人の一人も、学生時代から実に可愛い早稲田の女学生と同棲していた
私は、以前、「神田川という曲は私の学生時代の雰囲気を良くえがいている」と言うようなテーマで、このけしからん友人のことも暴いたが(笑)
彼は、「神田川」と同じような同棲を、本当に神田川に沿った木造アパートで送っていた
これも、今思い出しても悔しい
どうも、悔しいことだらけである(笑)

学生時代に、ちょうと「同棲時代」という漫画が流行って、映画化もされたが、それまでは、同棲するなんて、なんて、ふしだらなことなんだ!と思っていた私である
(今でも少しは思っているが)(笑)
(ただ、黒木メイサのできちゃった婚よりはましである)(笑)

その、私が、さげすみ、怒り、ねたんだ同棲と言う大罪を、後には、私自身が犯してしまった
この「犯す」という表現さえ、淫らである(笑)

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私は、ほとんど女性経験もないままに(笑)入社後、海外勤務を経て、日本に帰国したので、海外でのかりそめの、いつわりの(笑)関係をのぞいて、ガールフレンドというものを、それまで持ったことがなかった
ただ、同室(留守ばかりだったが)の同期の男の同棲をうらやましく思うばかりの「うぶ」な私(笑)だったのだが、世の中はわからないもので、こういう形で、思いがけなく、「新世界」(笑)が開けたのである

なお、私が、そのアメリカ人の女性に近づいた目的は、月並みだが、彼女が大学剃るのインテリと知って、英会話を教えてもらおうと言う、ぼんやりした、ありきたりなものだったが、いざ一緒に暮らしてみると、意外にも、「無料」の英会話の授業の機会はあまり無かった(笑)
と言うのも、彼女が、日本企業に勤めていて、日本語は、ほぼペラペラだったので、ついつい、日本語で会話してしまうのである
なかなか「無料の授業」を実現するのは難しいものである(笑)



   ―――― 続く ――――







最終更新日  2012.02.11 23:37:50
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2011.06.03
政治にはあきれかえったから、私自身の、あきれるような話でも書こう(笑)
「ブログは、自分の恥ずかしい記憶をく場所でもある」と言う言葉は私が作った言葉であるが(笑)、その過去の恥ずかしい話を、特に、女性との思い出をシリーズで書いてみることにする

その第一弾
ずいぶん昔の話だが
ある時期、私は、赤坂の外国人ナイトクラブによく通っていた
今は外国人ナイトクラブというと、ロシアや東欧系や、中南米のプロの女性がほとんどだと思うが、当時のは、そういうナイトクラブではなかったのだ
昔の赤坂の外国人ナイトクラブというと、まだ数軒しかない珍しい存在だったし、そこにいる女性も欧米系の、プロではない女性がほとんどだった
典型的なのは、本国では学生で海外旅行中に日本に立ち寄ったついでに、ビザ期限の範囲内でアルバイトで、赤坂の外国人女性だけが勤めているナイトクラブで働いて旅費を貯めて、次の目的地に向かう
そんなケースが多かった

私は総合商社に勤務していたので、会社の業務に寄与するかと思って、英会話の練習にそういうナイトクラブに通ったのだ
・・・というのは全くウソで(笑)、その頃の私は、白人の女性が好きだったのだ
私はこども時代に、アメリカ租界のような地域で育った
その地域は戦前に洋風住宅の博覧会があって、出品された大きな洋風住宅がそのまま残っている地域だった
戦後、進駐してきたアメリカ軍が、高級将校とその家族の居住地として、その地域を接収したので、(一般兵士の住宅地は現在、大阪大学の敷地になっているまた別の地域にあった)たちまちにしてその地域は、アメリカ租界のようになってしまった
絶頂時のアメリカが、日本に再現されていたのである
将校達は軍務が忙しいのか、ほとんどその姿を見なかったが、奥さん達は暇をもてあまして、よく見かけた
デボラ・カーに似た上品な婦人は、いつも白いコンバーチブルに乗ってドライブしていたし、夏になると、ショートパンツで歩いているマリリン・モンローのようなグラマーな奥さんもいた
敗戦後の日本女性に比べると、子供心にも眩しいほど美しくセクシーな女性像である
しかし、その頃の進駐軍と言えば、強大な権力を持っていて、恐ろしい存在でもあった
その家族のこども達から空気銃で銃撃(笑)された記憶もある
その記憶が私の潜在意識に刷り込まれて、私は、白人女性に対して強いコンプレックスを持つ人間になった
それ以来、最近まで、私のガールフレンドは、元妻も含めて、ほぼ全員、外国人女性である
幼児期の記憶で、白人女性に強く引きつけられのと同時に、当時、権勢を誇った白人への復讐心とも言うべき心理から、白人女性を見るとどうしても「私を好きにならせたい」「征服したい」という凶暴な意識が、温厚な私に(笑)あったのだと思う
事実、身近な白人女性は、かなり、ほとんど、撃沈したのだが(笑)

私は、女性に対しては非常におくてで、学生時代には女性経験が無かったし、会社に入っても、当時は残業ばかりの毎日で、女性と付き合う時間もなかった
ベトナムに行ってはじめて女性と経験したが、すぐまたインドネシアに転勤
日本に帰ってきたのは30才前である
その頃から、私は、恐る恐る(笑)女性と付き合い始めたのだが、最初のガールフレンドはアメリカ人の女性である
彼女とは、あるきっかけで、彼女のアパートで、ほぼ同棲のような生活を2年ほど送ったが、彼女が、父親も卒業したスタンフォード大学の大学院に、父親の強い願いを受け入れて入学すると言うことで、別れることになった
私がカメラが好きになったのも、彼女の影響である
彼女との生活については、別の機会に書こう

その内、私は、赤坂に外国人女性だけのナイトクラブがあることに気がついて通い出した
その頃の、赤坂のそんなナイトクラブの客は、どうもいかがわしい客が多く、しかも、英語がしゃべれない人が大半だった
そのために、外国人ナイトクラブでありながら、英語をしゃべれない客のために日本人ホステスもいた
その点、私は、商売柄、英語はしゃべれるし、それに私は身長が高く、彼女たちからは「あなたの身体は白人とほとんど同じだから、付き合っていると安心感がある」と言われ、それをいいことに(笑)(私は無意識だったが)、結果として、彼女達は、次々に私のガールフレンドになったのである(反省)(笑)
次々というのは、私は、しょっちゅう海外出張だったし、彼女たちも、三ヶ月?のビザが切れると出国してしまって、新陳代謝(笑)したからである
それに、ほとんどの女性は、彼女たちの方から私にアプローチしてきたのだが(笑)私に全く興味を示さなかった女性も、少なくとも、ひとりいる
その彼女は、今も悔しいから覚えているが(笑)、ノールウェーのオスロから来た美女だった)(残念!)
ただし、上にも書いたように、そんな場所では、外国人の女性達は、プロではない女性が大半だったので、おつきあいに金など払ったことはない
すべて、友達づきあいから始まったのである

こう書くと、私は、色魔のように聞こえるが、私は、少なくとも意識としては、彼女たちと友達としてつきあっていたし、彼女たちが困って呼ばれれば会社を抜け出して、アパートにエアコンを設置して上げたり、風邪気味だったら薬局で風邪薬を買って上げたり、他の怪しげな、身体目的の紳士達と違ってホテルに行こうなんて言わないし、彼女たちの日本に於ける便利な代理恋人として(笑)、本当に彼女たちに好かれていたのである(自分で言うか)(笑)
その結果、ちょっと普通より深い関係になっただけである
今考えれば、実に楽しい日々だった
ガールフレンドも居ない状態から、急に「選り取り見取り」(笑)の状態になったのである

彼女たちのことを書くときりがないので(笑)、ある程度、長い期間、深く付き合った、数人の女性のことを書こう

ここまでは、はじめて書く事ばかりだが、そこで会ったソルボンヌの学生だった女性との話だけは、以前、書いた事がある

あるパリジェンヌの想い出

彼女とも別れた後、私は、あるアメリカ人女性と出会った
彼女とのことは、明日、または明後日、書こうかと思う
それから、優しかったイギリス女性のことも
ドイツ人女性のことも
イタリア人女性のことも
もうひとりのアメリカ人女性のことも

とにかく
今日はこれぐらいにしといたるわ

「あれは全部、うそでした」と書くかも知れない(笑)








最終更新日  2011.06.04 10:37:32
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2011.05.19
ちょっと、ラジオについての記憶を書いてみようと思う
東日本大震災で災害情報を聴くためにラジオが再認識されていて、私もいろいろなラジオを買ったり、ちょっとしたラジオ・オタクになっているのもあって・・・

これは、いつもと違って、私自身のプライベイトな備忘録的な記事だから、自由勝手に書く

       ―――― ◇ ――――

 恐らく誰でも、昔はラジオの深夜放送を聞く習慣があったと思う
私の様な古い世代は、まだテレビのない時代を経験しているので、なおさらラジオが生活と共にあった
そういう私たちの世代や、もっと若い世代でもラジオや無線に趣味を持つ人達にとって、初めての「マイラジオ」は、電源の要らない鉱石ラジオやゲルマニュームラジオだと思う
ゲルマニュームも鉱石の一種だとは思うが
私も、父親に、最初は鉱石ラジオ、次にはもうすこし性能のいいゲルマニュウム・ラジオを買ってもらって、イヤホーンで、微かな電波に聞き入ったものだった

 終戦後、我が家には祖父が持っていた戦前の旧式ラジオと、大きな手回しの蓄音機(ちくおんき)に内装されたこれも旧式のラジオがあった
蓄音機内蔵のラジオの方は、蓄音機自体が二階にあったし、茶の間で聞くのは旧式ラジオの方だった
我が家では、祖父も父も複数台の写真機を持っていたし、ラジオもあったし・・・扇風機もあった
これは終戦直後としては、割に、ブルジョア風だったのである(笑)
まあ、それほど、終戦後の日本は貧しく質素だった

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⇒ ちくおんき【蓄音機・蓄音器】
レコードに吹き込んだ音を再生する装置。1877 年アメリカのエジソンが発明。
針がレコードの音溝をたどって起こす振動を,機械的に増幅して金属の振動板に伝え再生する。
のち,針の振動を電気信号に変換する方式になった。フォノグラフ。

⇒ でんちく【電蓄】
真空管・トランジスタなどによる増幅器を備えた蓄音機。電気蓄音機。
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 当時は、私は、幼児だったが、ラジオというものは、娯楽の王様だった
だから、ラジオにかじりついて耳を寄せて聴いたものだが、当時のラジオは恐ろしく性能が悪くて、雑音の中からアナウンサーの声が、押し寄せては引く波のように、大きく聞こえたり小さく聞こえ、必死になってチューニングをしたものだ
その内に「5球スーパー」という画期的なラジオが売り出され、新しもの好きの父は、すぐそれを買った
それでも、放送技術側の問題もあって、今のラジオに比べれば貧弱な受信状態だったが、それでもそれ以前の旧式ラジオに比べれば素晴らしいものだった

 今でも覚えている場面は、休日の日のことだったと思うが、二階の部屋で当時、会社で米軍担当をしていた父がランニングシャツ一枚でタイプを打っていたものだ
その側で鳴っていたラジオからは米軍放送が流れていた
 のちほど、社会人になった時の最初のガールフレンドだったアメリカ人の女性が「FENは、なぜ、アナウンサーに教育レベルの低い軍曹クラスの兵隊を使うのか 低レベルの英語で恥ずかしい」と言っていたことを思いだしたが、当時は、英語のレベルなんて、当然ながら、全くわからなかった
 父はその当時、時々、自転車の後ろの荷台に私を乗せて近くのの伊丹空港(今の大阪伊丹空港)に言って、米兵と英語で話をしていた
英会話の勉強が目的だったのかも知れない
米兵は、みな若い男ばかりだったが、映画などで見る日本軍の兵隊と違って、戦勝国の人間とは思えないような非常にフレンドリーな態度だったのを思い出す
いつから、民間ラジオ放送が開始したか、よくは覚えていないのだが、民間放送が始まる前には、NHK第1放送、同じくNHK第2放送だけで、それに米軍放送のFENの合計3放送局だけだった

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ウィキペディア 【ラジオ】
戦後~1950年代
1955年頃のラジオ受信機1950年に「社団法人日本放送協会」が公共企業体としての「特殊法人日本放送協会」に改組され、翌1951年には9月1日朝に中部日本放送(CBC)、同日昼に新日本放送(現・毎日放送〔MBS〕)が、同年12月25日にはラジオ東京(現・TBSラジオ)と、民間放送も相次いで開始された。
1953年にはテレビ放送も開始されたが、白米10kg680円、銭湯の入浴料15円程度だった時代にテレビ受像機の価格は20~30万円程度と高価で一般には買えず、ラジオが一家の主役であり続けた。
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そうか
民間ラジオ放送は
中部
大阪
東京
の順だったのだ

寄り道をするが、テレビと言えば、


       ―――― ◇ ――――

この記事のタイトルは、カーペンターズの歌の歌詞を思い出して書いたのだが、今調べてみると、歌のタイトルは
Listen to the radio
ではなくて
Yesterday Once More
だったんだ
上の赤い字をクリックすると、ギターでのこの曲のメロディーの演奏が聴ける
珍しいサイトだ

       ―――― ◇ ――――

私が高校生になった頃から、私専用のラジオを持ったと思う


       ―――― 続く ――――

書きかけになったが、時間が無いので小休止
また、のちほど、書き継ぐこととする
よければ、また、のぞいてください








最終更新日  2011.05.20 19:19:37
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2009.05.31
私はこの所、故あって、ピラミッド建設に従事していたエジプトの労働者のような、肉体的苦役をしている
したがって、とてもブログの更新など出来ない
したがって、【復刻日記】とする
(いつもと、同じじゃない)

       ―――― ◇ ――――

朱鷺子さんがご自分のブログでこういうことを書いている
    ~~~~~~~~
今朝
仕事をしていたら
つけっぱなしのテレビからの男性の声に耳をとられた

「しーんという音が聞こえる田舎に住んで」と言ったのだ
私は、はっとして手を休めた

あああ、ついぞ、しーんという音を聞いたことがなかったなあ
    ~~~~~~~~

私も、シーンという音をテーマにした記事を書いたことがあるので、【復刻日記】とする


       ―――― ◇ ――――

【復刻日記】

「墨を塗ったような暗闇」とか、「鼻をつままれてもわからない」とか「漆黒の闇」とか・・・
昔の夜の暗さはいろいろに表現される

現代の日本の夜は明るい
どの部屋も蛍光灯が煌々と隅から隅まで照らす

比較するものと言えば、日本の昔の夜の闇
その他には、日本の戦前の夜の茶の間
時代は今だけれど、欧州の家々の部屋の灯りだろうか?
西欧では明るい部屋はパーティー用だけだ
~~~~~~~~~

私も一度、そんな太古の昔のような、漆黒の暗闇を経験した

私が30代の頃、私の会社の女性の先輩が信州に別荘を持っていた
私がお願いしたら、その先輩は、その別荘をただで貸してくれるという

当時、私にはガールフレンドがいて、アメリカ人の女性だったけれど、なんとか彼女ともっと intimate な仲になりたいと思っていた
intimate と言う言葉はいちおう日本では一般的に「親密な」と言うことになっているけれど、男女間で使うと、「一線を越えた」という、大変な意味の仲を指し示す言葉になる
私としては、ここで「一線」も「ニ線」も越えて
(もっと越えてもいいんだが・・・)(相手次第かな?)
彼女との男女間関係の、「成層圏安定水平飛行」に入りたい気持ちがあったので、この信州の別荘は絶好の舞台だった
二人で人里離れた信州の別荘で過ごせば、なるようにしかならないではないか?
極めて自然に intimate relationship に収斂することがヴィジュアルにシミュレーション出来る

~~~~~~~~~

そこで、ビジネスのつきあいの他社のポン友に、「この檜舞台でどういう効果的な、端的な性的行動を取ったらいいのか?」という、哲学的アドバイスを求めたら、『alexさん、別荘では、有無を言わせず彼女を【外掛け】で一気に倒しなさい!』という、貴重なアドバイスをいただいた

果たして【外掛け】が四十八手の中で、一番有効な業かな?という素朴な疑問はあったが、とにかくワクワクした

軽井沢からはちょっと遠いが、信州の、白樺の林に囲まれたフィンランド直輸入の白木のコテッジでの、【外掛け】という人為的な、恣意的な、革命的な(それほどでな無いね)、運動によって、相思相愛の?男女の愛が結晶するのだ


【内掛け】 の方が、目的完遂には早いのではないか?(内側だから)、という現実的な事も考えたが、【外掛け】の方が豪快なイメージがある

【あびせ倒し】とか、 【押し倒し】も【倒し】業だからいいとは思ったが、そのへんの細かい差異は、いざ、現場に立ってみるとあまり意味をなさないのではないか?
業をかけられる相手側の感情も勘案しなければならない

とにかく【すくい投げ】だけはいけない
相手に屈辱感を与える

【一本背負い】は致命的にイケナイ
相手に逃げられてしまう

それに【寄り切り】だけだと、水平移動だけで、セックスに必要な上下関係が発生しないので、この決まり手も避けたい

一応は、そういう、プラクティカルな考察をしてみたのである
とにかく、【業をかける】という積極性が大事なのではないだろうか?
消極的なままだと、【教育的指導】を言い渡されて、【効果】【技あり】と、立て続けに不利な体勢になるかも知れない
【積極性とは、善いことなり】と武者小路実篤さんも言っている
(言っていないか?)

とにかく、【外掛け】 なら、ガールフレンドが「あれ~~! ご無体な・・・」と、一応は言いながらも、時間の経過と共に、素直に!私の言うことを聞くような気がしてきた
日本の伝統業の威力を知って、歴史の浅い米国の現在の不条理な優位を反省してくれればもっといいかも知れない

彼女にすぐ、この、「別荘で水入らずプラン」を話したら、「ハウ・ナイス!」と喜んだ
そのあどけない表情にウソはない
彼女も【外掛け】を、心の底では望んでいるのだ
もう怖いものはなんにも無い
一人で、足をとばして【外掛け】の練習もした

~~~~~~~~~

しかし、世の中そんなに甘いもんじゃない
ビザの関係などで、彼女は米国に急遽帰国することになった
いずれは日本に帰ってくるのだが、今回の「水入らず」は水入りである
しかし、先輩からは別荘を借りてある
しかたがないので、私はいやいや、むさ苦しい会社の後輩を引き連れて、信州の別荘におもむいた

その場所は確かに信州だったけれど、そこには堀辰雄が「美しい村」で描いたような、「麦わら帽子をかぶった憂愁の美少女」なんてどこを探してもいない
ここは「美しい村」ではないらしい

私は「菜穂子さん」とつぶやきながら雑貨屋に入って、今夜の食材を買い込んだ
別荘で食事を作った
山岳部にいた人間だからキャンプ食は女性より上手だ
とりあえずは、腹が一杯になったが、野郎ばかりでは、何の雰囲気もない
それでも、時間は散文的に、自動的に経過する
まもなく、日が暮れて、することもないので、もう眠ろうということになった

うっそうとした深い林の中にある別荘は、室内の灯を消すと、本当の漆黒の闇になった
耳がシ~~ンと鳴るほどの無音の世界でもある

「ふ~~ん、昔の人間はこんな夜の中で、ドップリすごしたのか」
しみじみ、そう思った
座頭市が有利な世界だと思った
私のそんな深遠な哲学的な思索に感応したのか、いつもはがさつな後輩達も、言葉少なである

一人で林の外に出てみたら、満天の星が、降って落ちてきそうなのだ

彼女が帰って来たら、早速、またこの別荘を借りよう
その際は【外掛け】ではなくて、【内無双】とか、【小股すくい】とかの小技を試してみよう
星空の下の思案は続くのである







最終更新日  2009.06.01 01:18:59
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2009.02.23

■ オシャレという自己表現

Tak-shonai さんのブログでユニクロの話題があった

私にとってユニクロはありがたいメーカーである
ウドの大木である私にとって、XL サイズがそろっているユニクロはありがたい
ほぼ全品、かならずXL サイズがそろっている店というのは、今でもありそうで無い

私が高校生時代から、衣類や靴を買う際に私のサイズが無くて苦労した話しは何回か書いた
運動靴(当時はそう呼んだ)は革製でないから伸びない
だから、合うサイズがないと困る
結局私は、大男のスポーツであるバスケットのバスケットシューズをはいていた
私は大男と言うほどではないから、バカの大足ということである

服も私のサイズになると、肥満体用のものしか無く、その時流行のセンスのいい服など望めなかった
海外に駐在になり自由にサイズを選べるようになって私の悩みは解決した
しかし今はまた日本暮らしである
ドレッシーな服はもうほとんど買わないが、カジュアルな衣類でもユニクロ以外、なかなか XL サイズはない

米国在住の妹がときどき衣類を送ってくれるが、これは助かる
ただどうしてか、米国サイズの XL が多い
さすがに米国サイズなら L である

       ―――― ◇ ――――

Tak-shonai さんのブログのコメントで
「ユニクロの衣類は個性がないのでオシャレが出来ない」
と言う意見があった
これは私にとって「眼からウロコ」だった

私は青春時代を除いた私の生涯において衣類で個性を出そうとは思ったことがない
社会人だからということもあるが、組織で働いてると没個性な服装が無難である
服装で個性を主張するのは組織の中では浮いてしまう
組織での服装は制服であるべきだと私は思おう
そういう意味で私は没個性的な服装で通した
ただ、センスの悪い服装でもいいというわけでも無かった
没個性な中にも好みというモノがあったのだ

数年前、米国の姪の結婚式が米国の保養地、ケープコッドのホテルであった
二日間も続く結婚式で私も日本から出席した
その時、私の服装が数多い参列者の中で「一番オシャレだった」とみんなに言われた
定番主義でも、オシャレといわれることもあるのである
花嫁の父に「今日のお前には女はみんな惚れるぞ」と言われた
事実、二人ほどに惚れられた
(少し自慢) (笑)


私は英国の服が好きだったのでロンドンへ出張したときに購入することにしていた
ロンドンのシティーのオックスブリッジ卒などのエリート男性が着ているスーツは、おそらくセヴィルローなどで仕立てたらしい見るからに高価そうなものである
そんなスーツを見てきたから、私は日本の背広はセンス的に買う気がしないのである

パリで欧州スタイルのスーツやブレザーを買ってみたが、あれはあれでなかなかいい
ただ欧州風の衣類はやや女性的という感じがする

プライベイトなカジュアルな服装としては、アメリカンな服装がいい
チノパンツに紺のブレザーにチョコレート色のタッセルシューズ
または
ジーンズにポロシャツにスニーカー
カウボーイ風な、そういうものになる
しかし、いずれも個性を主張したものではなく、定番である

一度、米国人の元モデルだったという女性にシャツを買ってもらったことがある
そのシャツはとてもモダンでシュールで、着るのが恥ずかしかった
定番主義の私なら一生買わないだろうというデザインである
これがオシャレというものかなと思った
私の衣類に関する考え方は思考停止していしまっているらしい

こういう風に定番主義・没個性主義の私だが、大学時代はそれなりの自己主張というか、オシャレを意識していた時代だった
その頃は、石津謙介氏のVANジャケットという会社がアイビールックという若者向けの服装を流行らせていて、私もそのアイビーにすっかり参っていた

アイビールックというのは、以前にも書いたのだが、米国東海岸の名門校のアイヴィーリーグの学生の服装を真似たものである
私も早速、Lee のホワイトジーンズにオックスフォードのボタンダウンのシャツ
靴もコインローファー
髪もアイヴィーカットというか、クルーカットにした

しかし、例によって靴だけは私のサイズが銀座のVANショップや系列のKENTショップにも売っていない
米国風の靴を売っていたリーガルにも無い
しかしコインローファーをはいていないとアイビールックとは言えない
仕方なく、大学の近くの靴屋に発注したのだが、その靴屋が作ってくれたのは、バカの大足の私でさえブカブカのモカシンである
私はガッカリして、結局、バスケットシューズをはくことにした

ジャケットもVANショップで売っているサッカーのジャケットなどを着ていたのだが、冬はそれでは寒い
ちょうど米国への出張から帰ってきた父親が、茶色のスェードのジャンパーをおみやげに買ってきたくれたのでそれを愛用していた
友人達もやはりそれなりのアイビールックを着こなしていて、特に東京出身でバンド関係という友人達はあか抜けたアイビーだった
しかし、私の大学のキャンパス内の学生達がみんなアイビーか?というと、そういうわけでもない
伝統的な学生服に角帽という学生も半数ほどいたし、あか抜けない田舎風も多い
そういう意味では私も目立っていたかも知れない

ある日、キャンパスの大隈候銅像の近くで友人を待っていたら、政経学部大学院の建物の前の小さな池のまわりに女子学生達が腰掛けておしゃべりをしている
何気なくそのグループを見ていたら、そのうちのひとりがふり返って私を見つめている
そうしてそばの友人とひそひそ話をしている
私は「瞳のきれいな女子学生だな」と思っていたが、まもなくそのふたりは他学部の建物の方へ向かって行った
あとで思い出してみたらその瞳のきれいな女性学生は吉永小百合さんだった
映画出演ではないので化粧も全くしていないので、すぐにはそうだとは気がつかなかった
清楚で瞳がきれいだったが小柄で、派手だったり、飛び抜けて美人という感じでもなかった
それにおみ足が美脚と言うほどではなかった(という表現にしておこう)
恐らくふたりは「ごらんなさいよ アイビーのつもりで、しょっているわね~」などと私の悪口を言っていたにちがいない
そういう負の確信がある (笑)







最終更新日  2009.02.23 23:41:54
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