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Alice Boy's Pictures

Alice Boy's Pictures

障害者の俳優

2007/9/24 記

先日、放送されたTVドラマ「マラソン」は1時間を視聴して、チャンネルを換えてしまいました。

原作の韓国映画を見てるとね。。。。。
でも、二宮くん、がんばってくれてありがとうございました。


リンクさせていただいている superiocityさんの
隣にいる自閉症児という日記に”障害者の俳優がいてもいいのに” というムネがあって私も同様に思っています。
日本人の俳優では、神戸 浩 氏しか知りません。


有名なTV番組「徹子の部屋」に出演された時に、ご本人が、脳性まひがあって障害者手帳を持っていると言っておられました。

地元の高校を卒業されています。俳優以外に、名古屋市のホテル、ウエスティンナゴヤキャッスルの営繕課に勤務されているそうです。
山田洋次監督に重用されていることは有名です。

1963年5月28日生まれ。愛知県出身。A型。
1982年より劇団プロジェクトナビ(主宰:北村想)を経て現在に至る。
趣味:真空管アンプとPAスピーカーでジャズを聴くこと。
1991年『無能の人』にて
  報知映画賞最優秀助演男優賞受賞を受賞。
1997年『学校2』にて
  日本アカデミー賞“優秀助演男優賞”、
  全国映連賞“男優賞”を受賞。




ロバート・デヴィッド・ホール 米国俳優

TVシリーズCSIに出演しています。
WOWOW, AXN で放送中

1947年11月9日ニュージャージー州生まれ。
『スターシップ・トゥルーパーズ』(‘97)『交渉人』(‘98)、TVムービー「バーキッツヴィル7」(‘00)など、多数の映画・TVに出演。

両足は義足。
1978年、自動車事故で全身の65%のやけどを負い、膝から下を切断したそうです。
彼は障害をもつ俳優をキャスティングすることの重要性を訴えて、議会でも発言しました。
Performers With Disabilities Committee(障害をもつ俳優の協会?)の役員をしていて、大学教授もしているそうです。




ダウン症の俳優:クリス バーグ



ダウン症の俳優:ブ レ ア・ウ ィ リ ア ム ソ ン 

自閉症が1000人にひとり、ダウン症も1000人にひとり生まれると言われますし、事故による下肢切断や上肢切断、聾、盲、車椅子を使用している人、たくさんの障害者がいるわけです。
そうすると、映画やドラマの中に、通行人の中にもひとり位は障害者と見える人が混じっていて当然だと思います。

いろいろな俳優さん、女優さんがいてほしいです。
どんどん、たくさんの人に知って欲しいです。
まずは、障害を持つ人に見慣れてほしいです。



忍足亜希子(おしだり あきこ)

一九七○年、北海道千歳市生まれ。二歳の時に両感音性難聴と診断される。横浜市立ろう学校、愛知県立名古屋ろう学校に通う。青葉学園短大(東京都)を卒業後、銀行勤務。退職後、NHKテレビ「ノッポさんの手話で歌おう」などに出演。

1999年に公開された映画『アイ・ラヴ・ユー』(大澤豊/米内山明宏 共同監督)に主演、女優デビュー。
「日本アカデミー賞協会特別賞」「山路ふみ子福祉賞」「スポニチグランプリ新人賞」を受賞。

2001年には、第2作目『アイ・ラヴ・フレンズ』(大澤豊監督)に主演、プロのカメラマン役を演じ、話題となる。

以後、イランとの合作映画『旅の途中で』(中山節夫監督)や、オメガプロジェクト『ハローマイラヴ』(渡辺寿監督)、東宝『黄泉がえり』(塩田明彦監督)などに出演。

2003年、アフガニスタンで撮影された最新作『アイ・ラヴ・ピース』が話題となる




エマニュエル・ラボリ Emmanuelle Laborit

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

エマニュエル・ラボリ(Emmanuelle Laborit、1971年10月18日 )は、フランスの女優。
パリに生まれる。生まれながらの聾唖者。
父親は精神科医。
フランスでは、1870-1976年まで手話の使用は法律で禁じられており、学校教育では1991年まで手話による教育が禁じられていたため、口話のトレーニングのみを受けて育つ。

1976年、アメリカ人で映画監督で俳優でもあるアルフレッド・コラドという、自身も聾唖者である人が、ヴァンセンヌに聾唖者のための劇場、IVT(国際視覚劇場)を創設。彼が、アメリカのギャローデット大学で学んだことが、フランスでも注目を浴び、1978年父親が彼女をヴァンセンヌに連れて行き、手話の訓練が受けられるようにしてくれる。ワシントンのギャローデット大学にも1ヵ月留学。

しかし、フランスの学校では、手話は拒絶され、学校は普通校には行けず、口話教育のモルヴァン養護学校に学ぶ。22歳でバカロレアに合格、俳優、監督でもあるジャン・ダルリックに見出され、アメリカ映画「愛は静けさの中に」の原作になったマーク・メドフの戯曲『小さな神の子ら』を舞台化した作品「沈黙の子どもたち」でサラを演じて、1993年フランスの演劇人に与えられるモリエール賞の新人賞を、聾唖者として初めて受賞。ジャン・ダルリックと結婚している。自伝に『かもめの叫び』(青山出版社 1995年、現在は角川文庫に収録)がある。

彼女の祖父、アンリ・ラボリは、もともと外科医でその後、生物学の研究に転じた。著作多数。アラン・レネ監督の「アメリカの伯父さん」は、祖父の著書『ラ・ヌーヴェル・グリーュ』を下敷きにしたもの。

アメリカ映画「愛は静けさの中に」
ウィリアム・ハート演ずる教師が港町の聾唖学校に赴任してくる。彼は聾唖の生徒達に音楽を教えることに情熱を燃やす。その学校で働く美しい女性=、彼女もまた聾唖者である。彼女も彼に好意を持つのだが聾唖ゆえに、自分の中に閉じこもる。やがて、生徒達も音楽会を開けるまでになる・・・。聾唖者の役を演じる主演のマーリー・マトリンは、本人も本当の聾唖者であり、本作で映画にデビューした。本作品の名演で彼女は映画初出演で史上最年少の21歳でアカデミー主演女優賞を受賞している。警察官と結婚して子供が4人いるそうです。

マーリー・マトリン


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