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カテゴリ:自閉症関連
となりの発達障害 「俺は普通になりたかった」京大生のSOS 足跡たどった母の決意 最後に会った時、 「俺は普通になりたかったよ」と涙をこぼしていた。 2025年10月、 京都大理学部2年の皓太さん (当時20歳、姓は非公表)は自ら命を絶った。 単位が取れないと苦しみ、 発達障害かもしれないと大学に相談した約2週間後のことだった。 他にも悩みがあったのかもしれない。 でも、もう本人に確かめることができない。 足跡をたどった母親の恵子さん(49) =仮名=が目の当たりにしたのは、 「自分で何とかするしかない」 と追い込まれやすい大学の環境だった。 支援部署のサポートに、皓太さんはたどり着けなかった。 「自己責任で片付けていいのか。 このままでは自死が繰り返されてしまう」 大学や社会に働きかけるため、 大学生の子どもを失った遺族とつながろうと、 恵子さんは動き出した。 あの日から季節は移ろい、寒さは深まっていった。 「もっと早く、苦しんでいることに気づけていたら」 「皓太の意に反しても、地元に連れて帰るべきだった」。 恵子さんは何度も自分を責めてきた。 死後、皓太さんが使っていたメールアカウントを見て、 驚いたことがある。 入学から2カ月しかたっていない24年6月、 学部相談室のカウンセラーに自ら面談を申し込んでいた。 「このままだと大学生活詰んじゃいそうだ と思ったので相談しようと思いました。 もう2日大学行ってません。 原因になっているのは、 恋愛だったり、課題提出だったり、 人間関係への違和感だったりだと思います。 ただただ毎日がつまらなくて、 色々なことで自己肯定感を削ってる気がします。 (中略) 相談すると言っても何を相談していいのかも分かりません」 早い段階で、大学側にはっきりとSOSを出していたのだ。 だが、やり取りが継続した形跡はみられなかった。 高校までと違い、本人が話してくれない限り、 親は大学生活について知るすべがない。 今年1月末、恵子さんは3カ月ぶりに京都大を訪れた。 「なぜ皓太は死ななければならなかったのか」。 確かめたかった。 あの時、「連絡が取れない」 と警察や理学部事務室に掛け合ってくれた友人がいた。 スポーツ系サークルの同級生、拓海さん(20)=仮名=だ。 連絡すると、サークル仲間の5人で駆けつけ、 一緒に過ごした日々のことを語ってくれた。 皓太さんは、1年の後期からサークルに… (この記事は有料記事です) [毎日新聞] 大学側に色々と相談していたのに、 何も解決しないまま、だったんですね。 今となっては、 悔やまれますね。☄ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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