鳥です

2012/01/10(火)21:36

フィンランド苦難の20世紀 継続戦争7 流血の夏の始まり

苦難の20世紀史(30)

 1944年6月9日、ソ連軍はフィンランド侵攻作戦を発動しました。タイミングとしては3日前、米英加軍が北フランス・ノルマンディーに上陸を仕掛けたのに合わせて実施されました。ドイツの注意がフランスに向いている隙を狙ったのです。レオニード・ゴヴォロフ元帥率いるソ連レニングラード方面軍総兵力約60万名(41個師団)、戦車・自走砲・装甲車輌約5千輌、火砲約1万門、航空機約2千機に及ぶ、大兵力による大攻勢の始まりでした。一方カレリア地峡に展開するフィンランド軍は、総兵力約7万5千名でしかありませんでした(攻勢が近いと判断されていたため、戦車師団主力はヴィープリ市に移動中でしたが、この時点では突撃砲15輛しか到着していません。空軍も稼働248機がカレリア地峡・東カレリア全域に薄く展開していました)。ソ連軍はスチームローラーのように、大兵力でフィンランド軍の陣地を押しつぶしながら進んできました。しかもこの時のソ連軍は、冬戦争で醜態をさらしたかつてのソ連軍ではありません。3年にも及ぶドイツとの戦争で、近代戦のノウハウを身につけて、強大な戦力を蓄えた実戦慣れした軍隊でした。フィンランド軍の前線部隊は、ソ連軍の最初の一撃でほとんど再起不能に陥りました。6月9日午前6時の戦闘開始から5分間だけでソ連軍が撃ち込んだ砲弾は1万8千発にも及んでいます。しかもそれは前奏曲に過ぎず、一晩中砲火が止むことはありませんでした。圧倒的な火力の前に、フィンランド軍は反撃もおぼつかないまま、敗退を余儀なくされました。カレリアからの急報に、グスタフ・マンネルヘイム元帥は全ての戦力のカレリア投入を決定しました。予備兵力として後方に控えていた3個師団と、中部や北部に展開していた部隊は、順次カレリア地峡への急行が命じられました。ソ連軍はたった数日でVT線(フィンランドがソ連軍の侵攻に備えて作った新要塞線の一つ)を突破し、カレリア地峡の南半分を早くも席捲しました。こんな時は機動力による防衛戦闘しかないと、フィンランド軍唯一の戦車師団を率いるエルンスト・ルーベン・ラガス少将は、手持ちの突撃砲と猟兵(本来は戦車に随伴して兵員輸送車などで移動する歩兵を指しますが、国力の劣るフィンランドではそんな上等な車輛はなく、自転車で戦車や突撃砲に同行しました)に出撃を命じました。15輛の突撃砲と約1千名の猟兵たちは、街道の要衝クーテルセルカでソ連軍と衝突しました。フィンランド側の構想としては、ソ連軍の占領下にあるクーテルセルカ村を奪回して西カレリア地峡に進出したソ連軍部隊の退路を断って、退却に追いやるというものでした。進出してきた突撃砲部隊に周辺の守備隊や敗残部隊も加わり、攻撃開始時にはフィンランド軍は8千名近くにふくれあがっていましたが、クーテルセルカに進出していたソ連軍の兵力は、戦車・自走砲280輛を含む9万8千名にも達しており、とても太刀打ちできない大軍だったのですが、フィンランド軍は知るよしもありません。6月14日23時近くに開始された戦闘は、当初はフィンランド側の優勢で進みました。ドイツからの購入時、能力を疑問視されていたIII号突撃砲は、ソ連軍の防衛線を突破して進撃路を作りました。猟兵部隊も村の北側の陣地を奪回しましたがそれが限界でした。なにせソ連軍は12倍以上の兵力を持っていましたから、フィンランド軍の奇襲から立ち直ると、大兵力でじわじわと押し戻しはじめたのです。突撃砲も猟兵も善戦しましたが(ソ連戦車40輛を撃破しています。対する損害は、15輛中、全損2輛、損傷12輛(ただし自力走行可能)という凄まじい被害が出ています)、度重なるソ連軍の波状攻撃に力尽き、また予想以上の大兵力に気がついたラガス少将が退却を命じたため、6月15日15時、フィンランド軍はクーテルセルカ村奪回を諦め撤退しました。反撃に失敗し、ソ連軍の進撃を阻止する手段が尽きましたが、戦闘が無駄だった訳ではありません。クーテルセルカの戦いは、一時的にソ連軍の指揮系統を圧迫して進撃を停滞させることが出来ました(1日程度でしたが)。その間にフィンランド軍は、再び故郷を追われて脱出するカレリアの人々約28万名を逃がす、重要な時間稼ぎが出来たのです。さらにクーテルセルカから脱出してきた13輛の突撃砲は、ここでは難民たちの後衛につき(難民たちから「戦車が守ってくれたので、無事に逃げられた」と、後々まで感謝されたそうです。もっともこの時主砲を撃てる突撃砲は2輛のみで、全くの張り子の虎状態でしたが、難民たちは知るよしもありませんでした)、文字どおり民間人の盾となって、殿の任を全うしました。フィンランド軍将兵たちの突撃砲への信頼も絶大なものとなり、それが後々の戦闘に大きな影響を与えることになります。クーテルセルカでの戦いたけなわの時、フィンランドの運命を決めることになる重要な決定が、司令本部のあるミッケリ市でなされました。 参謀長エリック・ハインリッヒス大将が、驚くような提案をしたのです。「元帥、かつてのマンネルヘイム線でソ連軍の攻勢を防ぐことは不可能と考えます。小官はカレリア地峡の放棄を提案します」この発言にさすがのマンネルヘイムも驚愕しました。ハインリッヒスは理由を整然と説明しました。「冬戦争の時と異なり、ソ連軍は士気も高く兵力は圧倒的で、武器も優秀、物量も豊富です。対する我が軍は武器も旧式化して、火力も弱く軍隊も広く薄く展開して防御は困難です。大攻勢が開始された今から増援部隊を送っても、兵力の逐次投入の愚をおかして犠牲を大きくするだけです。ここは敵の鋭い剣先を躱しつつ、決戦場をカレリア地峡の北側に設定し、兵力を集結させて戦うべきです」「君の考える決戦場はどこかね?」「イハンタラがふさわしいかと」マンネルヘイムは考え込みました。イハンタラとは、カレリア地峡の北にある街の名前です。それほど大きな街ではありませが、幹線道路が整備されており、中部フィンランドや東カレリアからの移動に便利な要衝です。従って、中部地域や東カレリア地域から移動中の各部隊は、ヴィープリより早く到着することも可能です。しかしイハンタラを軍隊の集結地点とすると言うことは、カレリア地峡北端に位置するフィンランド最古の都市ヴィープリを放棄することも暗示していました。政治的なリアクションを考えるとマンネルヘイムは即答出来ない話でした。ハインリッヒスはそれをどこまで認識しているのか不安を覚えたのです。しかし彼の認識はマンネルヘイムの不安を吹き飛ばすものでした。「元帥、ソ連軍は我が軍の主力をカレリア地峡で壊滅させ、ヴィープリを占領する。そして我が国に無条件降伏を迫ろうと、皮算用しているはずです。しかしヴィープリが陥落した時、我が軍主力が健在だった場合、彼らの足並みは乱れるでしょう。我が軍との決戦に固執するか、首都ヘルシンキを目指すべきか。そこに隙が生まれると考えます。ヴィープリを守ることだけに固執しては講和の機会は来ません」「君の判断を信じよう。カレリア地峡の全部隊は、遅滞戦闘(敵に進撃を遅らせることに重点を置いた戦い方。そのため部隊が全滅するまで戦うような無茶はせず、一定の時間足止めしたら順次撤退することを前提に行動します)に移行。全軍の集結地点はイハンタラへ変更」元々ソ連軍に一撃を与え、講和するという方針は、マンネルヘイムが長年考えていたプランでした。反対する理由はありません。さらにハインリッヒスが戦争全体を俯瞰した上で冷静な判断を下したことに安堵したのです。冬戦争の時は、講和を考えず「我々だけでもまだ戦えます」と答えた猪武者は、今では総大将に恥じない力量を身につけていました。フィンランド軍の方針は決まりましたが、さすがに自力でソ連軍の侵攻を食い止めることは不可能です。ドイツからの援助は必要です。マンネルヘイムはドイツに救援を要請しました。しかしヒトラー総統は、これまでの度重なるフィンランドの分離講和の動きに強い不快感を抱いており、反応は冷淡でした。これをみたエデュアルト・ディートル上級大将(ラップランド駐留のドイツ第20山岳軍団司令官)は、急遽ベルリン入りしてヒトラーに直談判して、フィンランド救援を要請しました。会見時、ヒトラーはフィンランドへの不満と非難を並べ立てたと言われています。最初は黙って聞いていたディートルでしたが、エスカレートしていく罵詈雑言に怒り、机を叩いて「総統閣下、私はあなたの言動に対して、1人のバイエルン人として抗議しなくてはなりません!」と声を上げました。そして今までフィンランドがいかにドイツに誠実に協力してきたかを語り、今までの友誼に対してフィンランドを助けるのはドイツの責任と訴えました。 意外にもヒトラーは前言を翻してフィンランドへの批判を撤回しました(会見後ヒトラーは、「ディートルは素晴らしい男だ。私の将軍たちは皆、彼のようにあってほしいものだ」と発言しています)。そしてドイツ軍によるフィンランド軍支援を認めたのです。こうしてフィンランドがもっとも欲しがっていた対戦車兵器パンツァーファウスト(使い捨ての携帯用対戦車ロケット砲)、パンツァーシュレック(携帯用対戦車ロケット砲。ドイツ版バズーカ砲といった方が、想像しやすいかもしれません)が、大量にフィンランドに送られ、空軍部隊やドイツ陸軍部隊のフィンランド増援も決定しました。フィンランドにとっては、国の恩人とも言うべきディートル将軍でしたが、ヘルシンキへ戻る途上、飛行機事故で死亡しました。しかしこの恩義をフィンランド国民は今も覚えており、「フィンランドを助けてくれた外国の恩人」第一位の座を60年以上経った今日でも守っています。次は、いよいよソ連軍がヴィープリ市に迫ってきます。

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