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2017/01/31(火)23:25

ドイツ戦艦 ビスマルク 5 デンマーク海峡海戦

プラモデル・艦艇(28)

 1941年5月24日5時52分(時間はイギリス・グリニッジ標準時です)、デンマーク海峡海戦は、イギリス巡洋戦艦フッドの砲撃から始まりました。  ↑1932年頃のフッドの写真です(写真はウィキペティアより引用しました)。 フッドの砲撃は正確で、先頭を行く「ビスマルク」を的確に照準にとらえていました。この時イギリス側は、ビスマルクとプリンツ・オイゲンが入れ替わっていたことに、気がついていません。 なにせ距離は約25km離れています。比較対象のない大海原では、5万5百トンのビスマルク、1万5千トンのプリンツ・オイゲンも同じような大きさ、シルエットに見えてしまうのです。「ビスマルク」からの反撃はなく、フッドはドイツ艦の進路を遮ろうと全速力で進み、戦闘はイギリス側優勢で展開するかに見えました。しかし5時55分、フッドは「ビスマルク」の後ろにいる「プリンツ・オイゲン」から予期せぬ攻撃を受けました。上がった水柱の大きさから、初めて後ろにいる方がビスマルクだと気がつきました。フッドより優秀な光学照準機を持っていたにもかかわらず、ビスマルクの攻撃開始が遅かったのは、乗員が不慣れであったのと、リュッチェンス提督が戦闘に消極的だったからです(「敵艦との戦闘は可能な限り避けよ」と命じられていました)。しかし、この期に及んで戦闘は避けられません。艦長のリンデマン大佐は、初めての実戦で緊張している部下たちをしっかりフォローし、早さより正確さを重視して、落ち着いてフッドの距離を測定させ、司令官の命令を待たずに攻撃開始を命じました(ややこしい話ですが、艦隊司令官は艦隊全体の指揮権はもっていますが、自分の乗っている旗艦に命令する権限はありません。旗艦の指揮は艦長が絶対権限を持ちます。したがって今回の場合、リンデマン艦長の行為は正当な艦長の職権の行使となります)。目標の誤りに気がついたイギリス側は、直ちに進路を変針してビスマルクに近づこうとしました。 約20km離れた今の距離だと、ビスマルクの砲弾は上から降ってきます。巡洋戦艦のフッドは、舷側には15センチ程度装甲がありますが、甲板は76ミリしか装甲がないため(主砲塔や艦橋はもっと分厚いです)、横に砲弾が当たる距離(だいたい10km位)まで詰めないと、無防備な頭の上に砲弾が降り注いできて危険なのです。しかしこれはフッドにとって危険な行為でした。真っ直ぐビスマルクに接近しようというわけですから、ビスマルクにとって、予測しやすい進路を突き進んでいくことになるからです。そういった点から、フッドの行動を批判する意見は多くありますが、この時は選択肢が無かったとみるべきでしょう。装甲の薄い巡洋戦艦が、無防備な上甲板を晒しながら、遠距離で砲撃戦を続けるのと、少しでも装甲がカバーしてくれる近距離に接近するのと、どちらが有効な戦い方であったか、結果論だけで判断するのは難しいでしょう。後続のプリンス・オブ・ウェールズも、フッドを助けるため砲撃を開始しました。「撃ち方はじめ!」ウェールズの艦長リーチ大佐が命令しました。しかし、「艦長、主砲が動きません電力喪失です!」と、1発撃っただけで、ウェールズの主砲は故障しました。 なにせ彼女は、主砲の神経とも言うべき配線と配電盤を工事中なのに、引っ張り出されてきたのです。戦闘中、こんな状況になってしまうのも無理ありません。ウェールズは主砲10門中、6~8門が撃つたびに壊れて直しながら、ビスマルクと戦闘するはめになりました。6時1分、ビスマルクが5回目の斉射をおこない、それがフッドにとって運命の一撃になりました。砲弾の1発が、フッドの後部甲板に命中し、その薄い装甲を易々と貫通しました。突き抜けた先には副砲もしくは高角砲の弾火薬庫がありました。弾火薬庫が誘導してフッドは大爆発しました。そして巨大な水煙が消えた時、彼女の姿はありませんでした。 フッド轟沈。1415名の乗員の内、生存者は3名のみで、他はホラント中将以下全員が戦死しました。この光景に、ウェールズの乗員だけでなく、ドイツ側も呆然としました。それぐらいの圧倒的な光景だったのです。気を取り直したのは二人の艦長でした。「次、キングジョージ5世型を仕留める!」「フッドの仇をとるぞ!」ビスマルクとウェールズは急接近を続け、砲火を交えました。この頃、重巡洋艦プリンツ・オイゲン主砲の有効射程距離にも入ったため、ウェールズは主砲の不調を抱えながら、1対2での戦いを余儀なくされました(フッドの沈没を見た重巡洋艦ノーフォークとサフォークは、ウェールズを助けるため接近してきましたが、距離が遠くて間に合いませんでした)。ウェールズの14インチ砲弾1発が、ビスマルクの艦前方喫水線近くに命中しました。ビスマルクに初めて敵弾が命中したのです。しかし炎や煙は上がらず、「弾かれたか」と、リーチを悔しがらせました。すぐにお返しが来ました。ビスマルクの38センチ砲の1発が、ウェールズの第一艦橋に命中し、艦橋員全員を吹き飛ばしました。リーチ艦長は奇跡的に無傷でしたが、頭を強打して昏倒してしまい(他は1名のみ無傷で、それ以外の艦橋要員は全員死傷しました)、一時指揮が執れなくなりました。 他の部署は第一艦橋被弾に気がつかず、艦長が命じた最後の命令を守って、激しい撃ち合いを続けました。数分後、第一艦橋真下にある第二艦橋が、被弾に気がつきました。天井がひび割れ、「赤い液体」が雨のように降り始めたからです。主砲は相変わらず不調、さらに喫水線付近に立て続けにビスマルクの砲弾3発が命中して艦内は浸水し、速度も低下しました。これ以上の戦闘は無理でした。「煙幕を張れ! 撤退する!」ウェールズは逃走しました。こうしてデンマーク海峡海戦は、イギリス側の敗北で幕を下ろしました。「完敗だ」意識を取り戻したリーチ艦長は嘆きました。彼は知るよしもありませんが、プリンス・オブ・ウェールズはビスマルク撃沈へ通じる小さな傷を、ひとつ作っていました。ウェールズは合計3発の砲弾をビスマルクに命中させましたが、特に艦首近くにある前部燃料タンクに命中した1発が、思いのほか重傷だったのです。この部分は非装甲区画(戦艦は機関室、着火薬庫、主砲塔、艦橋など、最重要区画に装甲板を張っていますが、他の部分は間接防御(防水隔壁や排水装置をつけ、真水や重油タンクに設置しました)方式でした。艦全体に厚い装甲板を張り巡らせたら重すぎて走れなくなってしまうからです)だったので、砲弾は爆発せず船体を貫通して海に落ちました。しかし開いた穴から約2千トンもの重油が流出して、ビスマルクは燃料不足に陥ってしまったのです。リーチが弾かれたと思っていた一弾は、実は深刻なダメージを与えていたのです。 ちなみに何で燃料タンクに装甲がなかったかですが、艦を動かす重油は、ガソリンと違って揮発性が低く、砲弾が当たっても爆発しにくいのです。逆に重油がクッションになって砲弾の衝撃を和らげ、破損を最小限に食い止めてくれるので、艦の防御力向上に役立つのです。しかし、今回のように油が流出して無くなってしまえば話は別です。後部燃料タンクにある残りの重油量では、ドイツ本国までギリギリ帰れる程度しかありません。ノルウェーで補給を受けられなかったツケが、嫌な形で出てしまったのです。 やむなくリュッチェンス提督は、ライン演習作戦の中止を決断しました。そしてドイツ本国ではなく、最短距離であるフランスのブレスト軍港を目指すこととしました。恐らく本国に引き返せば、ビスマルクを後ろから追撃して来ているだろうイギリス艦隊に鉢合わせする可能性があり、高速で振り切るだけの燃料が無いことを危惧したのでしょう。ブレストは元フランス海軍の一大軍港だっただけあって修理設備も整っており、ドイツ空軍の支援も受けられます。 さらに修理完了後、ブレストからなら大西洋にすぐ出られますから、作戦再開にも好都合という判断があったのだと思います(ちなみにリンデマン艦長は、ドイツ本国に戻る事を主張しています)。リュッチェンスの判断は合理的なものでしたが、皮肉なことにこの決断が、ビスマルクを死地に追い込むことになってしまいます。

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