2017/12/20(水)21:28
中国史に入る前に、とある鳥類の主張
さて、11か月ぶりの535年話です(多汗)。今回から東アジア、まずは中国に話を移していきたいと思います。そして例によって、またまた前振り話です(汗)。
6世紀の中国は、南北朝時代と呼ばれる戦乱期でした。戦乱は後漢(25~220年 末期から始まり、日本でも有名な三国時代(220~280年)を経て、300年以上続いていました(途中、西晋(265~316年)が天下を統一したものの、統一は20余年で破れ、再び戦乱期に突入しました)。後漢末からの戦乱期と併せて、歴史区分では「魏晋南北朝時代」とひとくくりにされています。と、ここで「歴史区分」と出てきたついでに、さらなる脱線をしたいと思います。教科書などでは、後漢、西晋という言い方をしますが、これは歴史用語上の区分であり、実際の名ではありません。後漢王朝の王朝名は「漢」です。「後漢」という王朝は存在しません。漢の場合、劉邦(漢の高祖)が建てた「漢」と、王莽に滅ぼされた漢王朝を再興した劉秀(劉邦の子孫。光武帝)の「漢」を混同しないよう、「前」「後」をつけて区別しているのです。西晋も同じです。司馬炎(晋の武帝)が建国した「晋」と、永嘉の乱(後漢時代に従属していた遊牧民族匈奴が、晋の政治が乱れたのに乗じて蜂起し、首都洛陽や長安を攻略され、晋は滅びました)後に、晋の皇族の司馬睿(東晋の元帝)が江南の建康(今の南京)に逃れて再興した「晋」を、東西をつけて区別しています(頭に着く「東」「西」は首都の位置を意味します。西晋の都洛陽から見て東晋の都建康は東にあり、建康から見て洛陽は西になります。「北宋」「南宋」のように「南」「北」の区分もあります)。いずれも、ずっと前にブログで書いたローマ帝国の東西と同様に、歴史家がつけた区分けに過ぎないのです。また皇帝の呼び名ですが、教科書で「漢の武帝」「唐の太宗」と出てきたのを覚えている方も多いでしょう。武帝は諡(おくりな。生前の業績に対して、次の皇帝や王朝がおくる名です。そのため諡を見れば、どんな皇帝だったか見当はつけられます。例えば「武」が付く皇帝は、戦争が多かった皇帝。内政面の業績が大きい皇帝は「文」が付くという感じです)、太宗は廟号(先祖をまつる一族の廟に載せる名前)といいます。いずれも皇帝が崩御してからつけられるので、戒名みたいなものと考えれば分かりやすいと思います。ですから、生きている間にその名で呼ばれることはありません(と言うか、まだ付いていないので呼ばれようが無い)。
しかしそれを理解していない小説家や脚本家が多くいます。説明文やナレーションで、「前漢」「武帝」といった表現が出てくるのはなんの問題もありませんが、「前漢王朝は・・・」とか「武帝陛下に上奏して・・・」などという台詞が、登場人物の会話で出てくることをたまに見かけます。これはあり得ません。そういうのが出てきた時、たいてい私はそこで本を読むのやめて、本屋であれば本棚に戻し、買った本なら資源ゴミの雑誌や本と一緒に縛って終了、テレビドラマならテレビを消して、映画館なら寝ます(途中退出は周りに迷惑だと思うので寝て過ごします)。なぜなら、こんな初歩的な事を理解していない作品が、良作なはずがないからです。事実、基礎的な部分が間違っている小説の大半は、10年とたたないうちに作家ごと消えている場合が多いです。
また、季節区分を理解されていない作家さんも見受けられます。これは日本の江戸時代の小説(結構話題になり映像化もされいましたが)でしたが、出だしに「○年10月、秋の東海道を・・・」と書いてあるのを読んで、即読むのを終了したことがあります。何がおかしいの? と思う方もいると思いますが、明治以前は太陰暦です。ですから10~12月は冬、ついでに春は1~3月です。今の太陽暦の感覚では、10月は秋で1月は冬ですが、時代小説家なら、江戸時代と現代の季節のずれを知っていて当たり前、知らなかった時点で作家としてアウトなのです。あと中国の歴史小説をみると、字(あざな)を勘違いしている方も多いですね。字は中華圏で、成人男性が自分でつける名前です。あだ名に似ていますが、ニュアンスは異なります(なので日本人には理解し辛いのは確かです)。本名(諱(いみな)といいます)は親がつけるのに対して、字は自分でつけた名なので、親しい間柄では字で呼び合うのが慣習です。日本の小説で、よく「劉備玄徳」「曹操孟徳」と言う風に、姓・諱・字をくっつけて呼ぶ描写がありますが、もちろん誤りです。諱と字は一緒に呼ばない慣習なので、「劉備」「曹操」と呼ぶか、「劉玄徳」「曹孟徳」と呼ぶのが正しい呼び方です。日本で間違った呼び方が定着したのは、字の慣習が無かったのと、恐らく日本人は名字と名前で4文字5文字くらいになることが多いので、字をつけて呼んだ方がバランス的に言い易いからかなと思っています。
名前だけで呼ぶと「備」「操」なので、なんか物足りないというか、間が抜けた印象があるんでしょうね。「劉備玄徳」と呼ぶ方がしっくり来ちゃうんですよね。
それ以外で気になる点は、例えば「成金」「戦略」「戦術」といった後に出来た言葉が、それ以前の時代に出てくることですかねぇ。「成金」という言葉は、大正時代の第一次世界大戦特需の時に生まれた言葉です。なので江戸時代や明治時代の小説で、「あいつ成金だから」と出てきたら、歴史小説はアウトです。「戦略」「戦術」という言葉も、18世紀末のヨーロッパで生まれた言葉ですので、それ以前の時代の小説で出てくるのはおかしな言葉です。「○○的」という表現も完全に現代語ですから、例えば諸葛孔明(どうでもいい解説ですが、「孔明」は字で諱は「亮」です)が、「戦略的に正しい」と台詞をしゃべったら、言わんとする意味は理解できても、やっぱり興ざめします。歴史小説応募の審査結果を読むと、たいていの審査員の論評に、「作品はおもしろかったが、時代にそぐわない言葉や現代語が多くて、話に集中できなかった」という趣旨のコメントがよく見られます。こだわりすぎると何もかけなくなってしまいますが、読者になじみやすい表現を織り交ぜつつ、歴史用語を巧みに使って世界観を表現できるかが、歴史小説家の腕の見せ所なのです。自分でもめんどくさいこと言ってるなと思いますが、歴史小説を書くのを職業にしたいなら、最低限このぐらいのことを理解していないと、知識がないと見なされてしまうのです。上の知識、知っていたところで誰からも褒められませんが、作家であれば、知らなければ馬鹿にされるのです。歴史小説の応募で落とされるものの8割は、こういうところの問題なのです。せっかくおもしろい話を考えたのなら、こんなところで躓くのはもったいない話です。ちなみに私は、誤字に関してはスルーします。自分が誤字だらけですから(乾いた笑い)。
・・・さて、今回は脱線の脱線、歴史小説に対する愚痴りになってしまいました(汗)。次回はまじめに前降り話に入りたいと思います。