七面山
法華経の聖地として有名な七面山は山岳信仰で知られている標高1982メートルの美しい霊山です。同じ名前の山はあちこちにありますが本元の山?に登ってみました。敬慎院・身延山久遠寺七面山登詣案内(https://www.kuonji.jp/shichimenzan/shichi-tokei.htm)には以下の通り記されている。 七面山が身延山とともに法華経信仰の聖地となったのは、文永11年(1274)日蓮聖人が身延山に入山されて以来のことです。日蓮聖人は身延山に草庵をかまえ、法華経読誦の日々を送りましたが、その草庵をとりかこむ山々のうち西方にひときわ高く屏風のようにそびえたっていたのが七面山です。 七面山への登詣は、険しい山坂を越えて行くものでたいへんな苦行を伴いますが、その道程が修行の道であり、祈りの道です。七面山の麓から山頂に行くには、表参道と裏参道のいずれかを利用しなければ登っていくことはできません。 この案内を読むと、法華経信仰の聖地であること、日蓮聖人が見たひときわ高く屏風のようにそびえたっていたのが七面山であったことなど、魅力的なことがいっぱいありそうでした。そこで敬慎院まで表参道から登り、敬慎院に荷物を置いてから七面山を往復することにしました。そして帰路は奥之院、大トチノキを通って角瀬バス停に下り、春木川沿いに歩いて羽衣の登山口まで戻ることにしました。さらに敬慎院で一泊して法華経のお勤めに出ることなど、今回の山登りでいろいろなことが体験できました。特に宿泊して法華経のことを知りえたことはよい学びとなりました。表参道入り口は、春木川にかかる羽衣橋の西詰めにあり、ここに駐車。ここの対岸に見えた滝は徳川家康公の側室「お万の方」が身を清めて七面山の女人禁制を解いたといわれる「白糸の滝」です。ここは帰りに寄ることにしました。用意をしていると「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えながら団扇をたたく三人ずれが登り始めました。ここは団扇太鼓を用いる日蓮宗系の仏教宗派の山、下山する白装束姿の信者たちとも行き交いました。途中に宿坊やベンチがあるので休憩をとりながら登り、敬慎院まで1丁ごとに50丁までの灯篭も目印になりました。神力坊・2丁目から登詣道がはじまり、肝心坊・13丁目、中適坊・23丁目、晴雲坊・36丁目、和光門・46丁目を経て七面大明神が祀られる敬慎院に登っていきます。 山頂に近い平坦地に身延山久遠寺に属する敬慎院があり、身延山を守護する鎮守神として七面大明神がまつられています。五十丁目の標識 本堂の見学は後にして、荷物を置いてから七面山を目指しました。登り出してすぐの随身門の遥拝台から一望できる富士の姿を期待していましたが、あいにく富士山は雲に隠れて見えませんでした。途中の大崩壊地・大ガレは迫力満点で展望も良かったのですが、辿りついた七面山は木々が生い茂り展望はよくありません。しかし標識を見ると何かおかしいことに気づきました。山頂付近に1982.4mの三角点があり標識があるのですが、最高点の標高は1,989m。最高点まできっと誰か行っているはずと藪を漕いで1989mまで進んでみることに・・・・・・少し藪を漕いで踏み跡を辿ると赤いテープがありました!! GPSで調べると標高は1,989m、ここが最高点であることを確認しました。随身門の遥拝台に戻ってきましたが富士山の姿は見えません。戻ってきてから晴れることを期待していた富士山の展望はやっぱり雲の中。敬慎院で宿泊帳を書いて投宿。これからのお勤めと食事の時間を聞く。石鹸などは使えないがお湯に浸かれることはありがたい。夕食はどこで食べるのだろうと思っていたら部屋まで運んでくれました。清め?のお酒までついていたのでびっくりしました。桶に入っていたのは味噌汁です。夕食を済ませて、夜のお勤めが始まるまでに再び富士山を見に行きました。お寺の中に何とライブカメラがあるので今度はバッチリ期待できました。今から夜のお勤めが始まります。お勤めは初めての体験で素晴らしかった!!ここからは翌日の話です。早朝の富士山からのご来光を期待しましたが、残念ながらご来光は見えませんでした。それでも富士山の雄姿が望まれました。朝のお勤めの後、朝食を済ませて出発。総出でお寺の方が見送ってくれたことに感謝する気持ちがいっぱい!!帰路は、県指定の大イチイ、奥之院、大トチノキを通って角瀬バス停に下りました。ここからも富士山が見えました角瀬バス停に下りましたが、下は暑い暑い。駐車した登山口まで歩いて行くのが大変でした。表参道の登山口にある白糸の滝とお萬の方の像今NHKドラマで徳川家康が話題になっているので興味を持って調べてみた。以下引用。熱心な日蓮宗の信者で1608(慶長13)年、徳川家康が22世日遠上人の磔を命じた際には家康に助命を嘆願し、願いが叶わない場合は自らも死を選ぶ覚悟を告げて家康に日遠を放免させています。家康の没後は法尼「養珠院」となり、1640(寛永17)年、家康の25回忌の法要後に当時女人禁制だった七面山に登拝。女性に七面山参詣の道を開きました。にほんブログ村