娘2歳半。
世の中では「魔の2歳児」というらしいですが
覚悟していたほど、普段「魔だ!」と感じることはありません。
今のところ…
これは娘が良い子ということではなく
私自身が「魔」ということに関しての基準が低いんだろうなぁ
と最近気づきました(笑)
例えば…
ちょっと前まで、何かとこぼしてばかりの時期。
食事中は倒したり、ひっかけたり、ふざけたりで
数分に1回は 台拭きやティッシュを持ってテーブルや床を拭いている私。
そして拭いているそばから、またこぼす…というエンドレス状態。
そんな時、ふと思うんです。
「いやぁ~コントのような世界だ!笑える!」
そうそう、ドリフの番組で(時代を感じるでしょうが…)
志村けんが床を掃除しているのに頭から水をかけられているような図(笑)
まるで自分が志村けんのように思えて 「ぷっ」っとしてしまう。
例えば…
0歳~1歳児だった頃は、見ているだけで愛おしく
“この子に、ダメ!とかコラ!とか言う日なんて来るとは思えない♪”
なんて思ってた日が私にもありました。
でも現実はそんな甘くはないのです。
ますます主張激しく、活発になってきた娘に
「ちょっとぉ~!それ、だめぇぇぇ」
「こらこらこらぁぁあ!」
言わずにはいられないシーンは出てくるんです。
でも、その時 言いながら(正確には言って数秒後)
“あー使いたくない言葉、使っちゃってるなぁ。。。”
と思う自分もちゃんといることに気づいています。
そのことで、違う言い方に変えたり、
本当にダメなの?とふと考えたり、
結果、あんまり使わないでも大丈夫なんだよな~と。
こんなこともありました。
週末や時間が合う時は実家に娘を連れて遊びに行くのですが
娘は私の母「ばっちゃん」と遊ぶのがだーいすき♪
車を降りたとたん「ばっちゃん!ばっちゃん!あそぼ~」です^^
ある日、隠しておいたシャボン玉を見つけ
部屋の中でシャボン玉をしようとする娘。
私は思わず
「家の中ではダメだよ(←優しく諭すように)」と言うと
母は
「あら、いいじゃないの~ あとで拭けばいいことなんだからぁ。
楽しいじゃないの、家の中でシャボン玉が飛んでたら♪」とニコニコ。
ハサミ遊びも、針仕事遊びも、
私達 親が危ないだろうと避けさせていたことを
母がぜーんぶ取っ払って、体験させて
結果、ホント上手に扱えるようになっています。
…そうでした。
母には「これをやっちゃいけない」的な感覚は無いのでした。
決して孫を甘やかしているわけではなく、昔からそういう人なのです。
思い返せば私が幼い頃、
「やっちゃダメ」と言われた記憶はあまりありません。
その結果、こんな人間になったのですが。。。(笑)
母を見ていると、自分の壁や価値観がどんどん覆され
いろいろ考えさせられます☆
で、タイトルのヨガ的なことは何かというと
ちょっと自分を客観的に見る癖がついているのかなぁということ。
娘にデレデレしている自分
だんだんイライラしてくる自分
キュンキュンしている自分
まさしく今、怒ろうとしているときの自分
夫に疲れた感をアピールしているときの自分
どこかで、「あ、やってるやってる!」と見守る自分がいるようなイメージです。
合せきのポーズでどこが伸びているか探している自分
犬のポーズで今日はどれくらい心地よいか感じている自分
木立のポーズでぐらぐらしそうな自分
瞑想をしているときの集中している自分
きっと頭の中では同じようなことが行われているんじゃないかと
最近、特に思うのです。
あれもこれも やんちゃなことを「魔」と表現するか
こんなことも やりたがっている「意欲」ととらえるか
まずは自分がちょっと大らかであるために
深呼吸やあれこれの試行錯誤は欠かせません。
ガサツな性格も役立っているようです^^
あ、でもこんな気持ちがずっと続くという自信はありませんよ。
何が起こるかわからないのは 人生も育児も一緒!
ムキーッ!!と怒ってばかりで ため息ばかりの私が出てきたら
それもまた 正直にお伝えしようと思います^m^
そんな感じで母になって3年目。
ふと気づいたり発見したりすることを
『ヨガ的育児日記』としてまた書いてみようと思います~
次回予告:「イヤイヤの原因を探ってみる!」