カテゴリ:教育
PTAの総会の後、流れで宴会になり、2次会で尾崎を熱唱する。
これで掴みはばっちり、顔と名前は覚えていただけたと思うが、何分こちらの記憶容量は底を着きかけている。 後で声を掛けられても思い出せるかどうか、この一年間、恥を掻き通す覚悟が要りそうだ。 少年の重犯罪が増え世間に衝撃を与える度、壊れたレコードのように、「少年の心の闇は・・・」なんてやっている。もうね、お終いにしませんかそんなの。 生まれてからずっと何不自由なく育って、スポットライトの下に立つ人々には想像も付かないかもしれないが、世の中の多くの人が思春期の中で揺れ動いてんの。今でも尚、尾崎に多くの若者が共感を寄せるのが何よりの証拠と言えるっしょ。 心の闇を解明したところで意味はないの。 子供から大人への脱皮が難しいのは古今東西の別は無く、何処であっても苦労して来た歴史があって、奇習として知られるバンジージャンプや苦痛を伴う入れ墨の風習など、あちこちで子供を大人にする仕組みが工夫され、受け継がれて来たわけですよ。 よそから見るととんでも無い事でも、すごい人間の知恵が詰まってるんです。けれど、いつの間にか真の意味が忘れ去られ、野蛮の誹りを受け消滅して行く。 何となく、年を重ねる度、人は大人に成長するモノと考えがちでしょ、でも、女性にとっての生理の様に、大人と子供を明確に分ける仕切がない男には、時には命に関わる危険な儀式が必要なほど、大人に成ることは難しいんだなこれが。 地域社会に於いて保護の対象であった子供から、地域の担い手としての立場の転換を促す仕組みは、古い共同体なら形は違えど、それぞれ持っていて日本の武家社会なら元服ですな、コレ。元服を済ませば大人として扱われ、いくさにになれば初陣を飾るわけですよ否応なく。 現代に於いてはそんな区切りが無いっしょ。いい年したオサーンが何時までも親の脛を囓り続ける。親も子も、ましてや日本社会全体が大人に成る為には血の出るような努力が必要だと思っていない。不安定な思春期に、ひたすら個人の自由を尊重し、利己的に育った人間が暴走して事件を起こす。心の闇もヘッタクレも有ったモンじゃない。 多くの人が犯罪者にならないで済んでいるのは、自分の未来を予想する想像力と、家族など、自分以外の他者に迷惑を掛けまいとする公徳心が、反社会的な行動に歯止めを掛ける。ぐっと我慢出来る人間に、思春期を迎える前になっているか否か。盗んだバイクで走り出しても、帰る場所は自分の家だと悟れるかどうか。これからの子供達を道徳教育で立て直すか、今まで野蛮だと言って排斥して来た大人への通過儀礼を復活させるか、若しくは新しくそれに代わるモノを作り出すしか無いっしょ。 今日の纏め 少年犯罪に限らず、犯罪者の心の闇を解明しても無駄なだけ。 男の子には大人に脱皮させる何らかの仕掛けが必要、親の手に余る不登校児を扱った戸塚ヨットスクールは一つの解で、目を背けず事件を冷静に分析する必要がある。 個人を極端に尊重する日本の教育を見直さなければ、同様の犯罪は今後増える事は有っても減る事はない。 近くの基地外(特亜)より、遠くの友達(アフリカ、インド)を大事にしましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年05月02日 01時06分31秒
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